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個人情報保護の目次
1.インターネットの有り方
2.姓名判断での秘密
3.姓名判断での守秘義務
1.インターネットの有り方
はじめまして国原寛親(くにはら ひろちか)です。
インターネットとは無責任な報道機関でもあるのです。
報道とは、なんでもかんでもしては、すべてを知らせば良い、ではなく完全に隠すこともしなければいけないのが、英知ある報道能力なのです。
隠さないからこそ、皆が犯罪の真似をして、世をひねて暮す人間なら余計に智に過ぎて、犯罪を犯す理由です。
すなわち報道することにより、今までその人の潜伏していた犯罪気質を呼び起こす行為になるのです。
それは一般の書籍もテレビやあらゆるマスコミも同じです。
そこには易学を知らない一般の方が扱ってしまう危険性がはらんでいるのです。
公表は、団体企業であろうと、個人であろうと、それの質が悪ければ、前者は視聴者を啓蒙させ、後者はただの程度の悪い井戸端会議にさせます。
ですから、ニュースのように度々と同じものを公表というのは大衆をひじょうに麻痺をさせ、その麻痺した悪い気こそが、さらに犯罪を他人に助長さす起因にもなるのは確かです。
なぜなら、犯罪者達とは、易学では極度に弱い運勢にあるからこそ、彼らには自分の行動は自分を捨てて、敏速に巧妙に力強く制御できないのです。
ですから、それが出来る人は犯罪者にはなりません。
犯罪者も、幸運な方も、時には同じ差の無い人間なのです。
なぜなら、犯罪者は運勢上で極度に弱いために、何度も何度も同じ犯罪を繰り返します。
これは、必ず彼らは絶対に繰り返します。
しかし、運勢の強い人は、これまた何度も何度も制御装置が働いてしまうのです。
これもまた、必ずsinカーブで同じことが繰り返されます。
これを、人格者とか、常識のある人とか、信用のできる人とか、温和な人という言葉に置き換えて、みなさまが判断をするだけです。
それは本当にそうでしょうか?
まったく違う運勢の例も易学では鑑定ができるのです。
いわば、鑑定とは絶対に迷宮入りにならない捜査であるのです。
なぜなら、初めから必要な犯人のデータが揃っているからです。
ですから、鑑定は謎解きではまったくないのです。
第一に、論理的に考えても、このホームページでたとえ千人や一万人の鑑定をしようとも、その種類の運勢は、誰にも当てはまるものではなく、運勢による鑑定とは、あくまで個々の人の、すなわち個別のものなのです。
さらに、私達と同じ人間でありながら不幸に終わった方の人生を鑑定するほど、罪なことはないからです。
人は運勢が如何にあろうとも、誰もが個別の運勢で生れてきたことに罪はないからです。
そこが「罪を憎んで、人を憎まず」のとこですが、これが人間の終焉までも厄介なものです。
これさえ人間が理性的に出来れば、民族紛争も決して起こりません。
人は人を憎んでしまうのです。
さらに、易学においての人道上の問題があります。
それは、第三者が、自分に関わらない人の運命を覗き込むことは、易学も実践せずに、それが正確であればあるほど、それはしては断じていけないことです。
ですから、易学とは鑑定を知る人の人間的な大きな容量と節度に関わります。
それは、医師がある患者の病状を、他人に告げてはいけないことや、教師が生徒や父系の出来や不出来を論じたり、またその反対とか、僧侶がやたらと営利目的や、俗世の家柄や遺伝などを、他人に伝えたり、法曹界に居るものが、他人の罪や過去を教えてはいけないこととまったく同じです。
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2.姓名判断での鑑定の秘密
あなたにも職業や社会的な位置があれば、節操や秘密というもので、相手を守るのが人の道です。
その守るとは、守秘義務といい鑑定や情報の秘密であり大昔から秘密を守る方が、社会常識で節操を持っている方なのです。
その意味はどんな職業にも第三者に伝えてはならないのはならないのです。
その守るべき強さは憲法や法律を完全に超えておりその法を仏法では「法」といい現在の日本の法治国家の法曹界力にも勝るものです。
何事も完全に伝えないようにするには、ただただ沈黙だけを守ることどんな職業も易者も、昔から今もある諜報員の役目でありそれは企業のお抱えの易者が一切世に出ないのでも判ります。
すなわち鑑定とか情報は、ご本人だけに告げるだけで終わらさねばならぬのです。
そして鑑定依頼者のご本人さえも鑑定を第三者に告げたり自分の安売りは、してはならないのです。
第三者の情報を知っている者は易者だけでなくどんな些細なことも他人にもらしてはいけないのです。
私にも別に本職があるように、その本職でのお客様の噂話をしてはいけないのです。
それは、このホームページおいても私の鑑定依頼者を守る守秘義務もまったく同じです。
私の考えは古いとお思いでしょが、今の日本こそが、それが欠如し過ぎているのです。
特殊な聖職といわれる方までが、テレビでタレントになってはいけないし、またそれを報道をしてはいけない。
要は、あらゆる機密事項を持っている者は、大衆の面前に出てはならないのです。
それは、OL、営業マン、事務職、医師、弁護士、会計士、小売屋さん、学生など、すべての方が「法的にでも」第三者の噂話を一切がすること事態がいけないことなのです。
これが今はなんでもかんでもがゴチャゴチャの自由になっています。
易学の鑑定など、誰の鑑定も話も噂であろうと、公表するのは厳禁です。
いけないことは人間が暮らす以上はしてはいけないという節操であって、人の節操があれば、ご自分を安売りしない、誰にでも自分の節操もあるのです。
昔から「人の口には戸を立てられぬ」ともうしますが、それは秘密を守れない人間のあらゆる弱い部分を申しています。
インターネットとは、使うのは一人の人であり、その個人個人が秘密保持者であり、ご自分を安売りをしないことこそがインターネットを苦労して覚えた、自分をいたわる節操です。
私の場合は幼い時代から覚えた易学を自分で守ります。
ですからあなたの姓名判断の直接メールでの守秘義務は一切を、私の墓まで持って入ります。
それが易者に限らず、情報機器を扱う私達日本人に確実に問われている節操です。
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3.姓名判断での守秘義務
そして私は7歳の時に易学との出逢いがありました。
その時から易学を触る者の厳しさを何度も何度も教えられましたし、昔の私が尊敬した易者様達は絶対に他人の鑑定を私に告げたようなことは一度たりともありませんので、私はあなたを守りますと断言せねばならないのです。
もはや、易学に出会ってからは、事業をしながらの55年間にもなります。
私は一人で山の中でパソコンを守っておりますが、皆様からいただいたメールのすべては国原寛親の墓まで持って入り、必ず護ります。  国原寛親 謹書
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