私の新婚旅行・グァム島  My Honey Moon Trip, GUAM Island

Ver.1.1 2003/06/17
Ver.2.1 2003/06/21
< 新婚旅行は国内が殆どの時代 >
( GUAM は大変魅力的 )

 〔このレポートは32年前を回想して書いています〕

1、日   程
        1971年 5月24日〜28日

「南洋桜が祝ってくれている」  .
2、目的地

3、ハイライト
    ・「プールと砂浜」
    ・「無人島ココス」
    ・「島内ドライフ」

4、日 程
    [1日目]到着、ホテルでくつろぐ
    [2日目]ホテルのプールと砂浜で遊ぶ
    [3日目]観光バスで島内名所めぐり
    [4日目]無人島ココス島で遊ぶ
    [5日目]レンタカーで島内のドライフ
    [6日目]周辺散策、近くのお店でショッピング、帰国

5、当時の新婚旅行
 国内旅行が殆どの時代
 1970年初頭以前の新婚旅行先は九州の宮崎が一番の人気で、次が北海道という時代であった。従って、「海外」であるグァム島は大変魅力的であった。私は以前から新婚旅行は海外と考えていた。しかし、今と違ってハワイやグァムも国内旅行よりはずっと高価で、周囲の人で新婚旅行に海外を選んだ人はいなかった。
 3〜4年後に結婚した後輩の中にはハワイに行く人が出できて、1970年後半にはヨーロッパ旅行という風に新婚旅行に海外というのは一般的となっていった。

(1)GUAMを選択
 ハワイは高かったのでグァムを選んだ。婚約者(妻)は海外経験が無いので初めての海外旅行となった。
 昔ソ連に行ったことのある私にとってグァムはあまり海外という感じはしなかった。何故なら日本語も多少通じるという事と今はアメリカ領だが昔日本軍が占領した土地であるということで何となく日本の一部のような気持ちがあったためだ。

(2)国際免許取得
 グァムはアメリカ領なのでレンタカーを借りるにも国際免許の取得が必要であった。とはいっても、府中の運転免許試験場に行って、必要なお金を払えはその場で発行して貰えるので簡単であった。

6、私達の新婚旅行
[1日目]
(1)出発
 結婚式が終わると旅行の支度をして、結婚式場から羽田空港に直行である。家族や親しい友人は空港のラウンジで私達とくつろいでから見送ってくれた。グァム到着は真夜中の1時の予定だった。今では、殆どが東京で1泊してから出発と言うのが一般的のようだが、当時は余裕の無い時代であった。

(2)到着
 グァム島に到着すると、南国情緒そのもので将に楽園に来たという感じであった。
我々のホテルは日本の東急ホテルで、現地人の家を模した建物なので大変感じがよい。グァムの景色に鉄筋コンクリートの集合住宅調は好きではないので、草葺屋根のこのホテルは最高であった。

(3)夜のアトラクション
 夜は現地の人がハワイのフラダンスの様なアトラクションを私達の部屋の前のプールの広場で行うので、部屋からの無料鑑賞となった。

(4)初めての国際電話
 家族に無事の到着を知らせるために、初めての国際電話をかけることになった。ダイアルを回すと交換手がいきなり英語で用件を訊ねてきた。しかし、即答できないので掛け直す旨を言って慌てて切った。グアムはかなり日本語が通じると聞いており、交換台は当然日本語が通じると思っていたので面食らった。紙にポイントを英語で書いてから、もう一度電話してようやく日本に繋がった。やれやれ。今はホテルからでもダイレクトに日本に掛けられるが当時は交換手経由なので多少英語が出来ないと電話も出来ない始末であった。
 グァム・日本間は3分で5千円(物価スライドがあるので現在の2万円位)もするので話す内容を良く考えて3分間以内で話すようにした。 (今の若い人が携帯電話でどうでもよい話を長々しているのを見ると、経済的豊かさが人間の能力低下と心の貧しさを招くことを杞憂してしまう)

十朱幸代さんのサイン
[2日目]
(5)偶然女優十朱幸代さんに
 朝食を取るためにレストランに行ったら朝早かったこともあり、一人の女性客以外は私たち二人だけであった。その女性は、あの女優十朱幸代さんとよく似ている。妻に「あの方は十朱幸代さんではないか?」というと、「お傍付き(マネージャ)なしで大女優がたった一人でいる訳がない」という。それもそうだ、しかしよく似ている。ようし、確認してくるといって私一人で見知らぬ女性に訊ねた。「失礼ですが、十朱幸代さんでしょうか」すると「そうです」と仰る。驚くとともに大感激だ。サインをお願いするにも色紙はない。仕方なく朝食券の入った封筒にサインをお願いした。快くサインしてくださった。勿論大事に持ち帰り「新婚旅行アルバム」に貼った。

(6)ホテルのプールとプライベートビーチ
 「木登りして手を上げる私」

 流石グァム島、人気(ひとけ)の少ないプールとそのまま海辺に繋がったプライベートビーチ。浜には椰子の木が海に向かって生えており、この木に登ることも出来る。私は子供の頃に木登りした経験を活かして海に突き出た太い木にするすると登り椰子の葉近くまで登った。現地人が心配そうに見ていたが、上手に登ったので皆で拍手して誉めてくれた。
 ホテルのプールでは泳いでいる人は無く私が一人で泳いでいるとアジア系の青年が入ってきて一緒に遊んだ。そして、親しくなりその後住所をお互いに教えあった。この人は香港在住で当時のアメリカのTWA(Trans World Airline)という航空会社に入社したばかりだったらしい。
 (その後、文通を続けていたら知り合って3年目にこの青年から立派なチーズの詰め合わせが届いた。この青年が米国研修に行き日本女性と同僚になったらしく、この女性が持ち帰ってくれたものだ。)

「跳板から跳び込む私」 .
(7)プライベートビーチで舟遊び
 プールや椰子の木登りをしてから、ボートを借りた。妻と二人でボートに乗ってのんびりしていると、浅黒く日焼けした現地人が5人程私達のボートに泳いで近づき「ボートに乗せてくれ」という。向こうの方が人数が多いので乗っ取られるかもしれないという不安があったので、即座に大きな声で「オンリーワン」といったらニコニコして一人だけ乗り込んでボートを漕いでくれた。事なきを得たが、事情がわからない地では慎重さが重要だ。
 (現に、翌年、以下のような事件が起こった。新婚さんが現地人誘われて一緒に遊び、無事帰国し、1年後に出来た子供が黒人だった。(睡眠薬を飲まされ二人は知らなかったとの事だった)これが原因で二人は離婚させられた。当時としては衝撃的な事件で新聞に大きく報じられた。)

[3日目] 観光バスで島内名所めぐり

(8)芸能ショー
 地元の芸能ショーということで南洋の美人が砂浜で踊りを披露してくれて大変綺麗だった。

(9)グァムの象徴・ラッテストーン
 ラッテストーンとは旧原住民の墓石であるが今ではグァム島の象徴になっていた。

(10)ここにも「自由の女神」
 ここにもニューヨークの「自由の女神」のコピーがあって、ここがアメリカ領であることを示していた。

(11)子供達が貝の首飾りを売りに来た
 その他、旧日本軍の要塞や機関砲があり、古傷を残していた。新しくはアメリカが建てた教会が所々にあった。旧原住民の家や旧日本軍人横井庄一さんが潜んでいたといわれるタロホホ川や悲恋の伝説で知られる恋人岬を見て廻った。途中、子供達がHONDAのモンキーに乗って貝の首飾りを売りに来た。

[4日目] ココス島で遊ぶ
(12)無人島ココスで遊ぶ
 グァム本島から小型船で無人島ココスに来て遊ぶ。椰子の茂った砂浜と綺麗な海があるだけだが、こういうところで海を眺めているだけでも心豊かになる。少し歩いて岩場まで行き「カニと戯れる」という時間が止まったようなひと時だった。

[5日目] レンタカーで島内ドライブ
  「憧れのムスタング」
(13)車は憧れのムスタング
 ホテルに迎えに来てくれてレンタカー屋さんでサインと料金を支払うとすぐに貸してくれた。その車はなんと憧れのムスタング(MUSTUNG)だ。英語ではマスタングと発音する。
 こちらの車は前にはナンバープレートはなく後ろだけである。だから前から見るとラジエーターグリルがすっきりして見える。
 憧れの車ムスタングを借りて二人でドライブに出掛けた。日本と全く逆の左ハンドルで右側通行だが、30分も運転すればすぐ慣れてしまう。しかし、車のいない交差点は要注意だ。習慣は恐ろしく、右折するときに左車線に入りそうになる。勿論、右側の左車線に車が停車していれば間違うことはない。よい経験をした。

(14)主要観光スポットを巡る
 グァム島は小さいので1日で十分周遊できる。しかし、軍用地も多く全てを廻ることは出来ない。主要道路を中心に走り、簡単なガイドマップを基に目に止まったところを観光することにした。
 Roxas Village(米軍キャンプ)、教会、広大な墓地、ラッテストーン等観光した。US Naval Facility Guamというところに来た。ゲートも遮断機もなくよい道路が続いているが、誰も居ないので万一のことを考えて記念撮影だけして引き返した。

(15)素晴らしい夜景
  「旅情を演出してくれた夜景」

 無事ホテルに戻りシャワーを浴びて、夕食を取った。自室に戻ると丁度夕焼けでこの旅の最後の夜を飾ってくれた。

「当時世界最大のDC-8」
[6日目] 帰国
 最後の日はゆっくり荷造りして空港に向かう。来るときはPANAM(当時世界No.1の航空会社:今はない)で来たが、2日ばかり延長したので帰りはJAL便となった。しかし、JALの方がサービスが良かった。



 新婚旅行グァム島の旅は多くの思い出を残し無事終了した。

以上

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