「私の最初の家族海外旅行・ロンドン&パリ」  
 My First Famiry European Trip, London & Paris

Ver.1.1 2004/07/27
 このレポートは当時の記憶と写真を元に回想して作成しました。

【第2回】 オックスフォード、コッツウォルズ、ストラッドフォード・バスの旅
     Oxford, Cotswolds, Stratford Bus Tour

コッツウォルズの広場にて   .

1、日   程
        1994年 10月24日(月)

2、訪問地
     オックスフォード、コッツウォルズ、ストラッドフォード

3、旅行のハイライト

見 学 先説   明
オックスフォードOxfordで知られた大学の町
コッツウォルズ荒れた土地と言う名の地方
ストラッドフォードシェイクスピア-で知られる歴史ある町

4、同行者
    妻の母、妻、長女、次女、三女

5、旅程

日  程 [2日目]
 
 
Kennedy Hotel
出発
 
7:00起床〜8:55
 
 
 

Oxford
見学

Cotswolds
昼食
Anne Hathaway's Cottage
見学
10:15〜11:25
12:15〜13:40
14:00〜14:50
 
 
 
Shakspeare's House
見学
Kennedy Hotel
休憩
Restaurant
夕食
Kennedy Hotel
帰着
 
15:05〜16:15
17:00〜19:30
19:40〜20:50
21:00

(1)ホテルにピックアップ
 ツアーバスがホテルに迎えに来てくれた。大型バスが幾つかのホテルを巡回してツアー客をピックアップうしてくれるのだ。ほぼ満員になった頃、バスターミナルに到着して全員荷物を持って降りろとの指示があり、どうしたのかと思ったらこのバスターミナルでツアー・コース別に振り分けをすることが分った。英語もろくに分らない我々家族にとって大変な心配事だ。どうにか、目的のバスに乗れた。60人乗りの大型バスはほぼ満席で殆どが英国人か白人である。
 日本語ガイド付ツアーはこの中の一角中央部分に日本人だけ集まって日本語のガイドの説明を聴くというものだった。メインの説明は英語で話しており、我々の前の補助席に日本語ガイドが後ろ向きに座り日本語で話してくれる。それを、イヤーホーンで聞くのだ。日本人客は我々家族6人と現地単身赴任らしい男性とその奥さん娘さんの3人、合計9人が日本人であった。

(2)オックスフォード(Oxford)英語
 高速度道路でロンドンの都心を離れると牧草の丘陵地帯が続く。そこはまるで北海道の牧草地帯とよく似ている。牧草を食む羊か乳牛がいるくらいでその風景が延々と続く。
 日本語のガイドとともに英語のガイドも時々聞いていると、今まで学んだ英語とはかなり異なるアクセントで「これがイギリス英語か!」と思った。特に、Brightonのような〜TONの発音は「トン」ではなく「トンヌ」と言う感じだ。最後の「ヌ」が強いので慣れないと耳障りである。「O」オーの発音は全て「オ」と発音する。胃Stomachは普通の英語では「スタマック」だが、ガイドさんは「ストマック」、医者Doctorはアメリカ英語では「ダクター」だがこちらでは「ドクター」と言う具合だ。たまたま、私が30才頃に学んだ英会話の先生がOxford大学出身の方だったのでこの「O」の発音には慣れていた。それにしてもロンドン市井の英語よりも強烈な正統派英語と言う感じで、流石オックスフォードを案内するガイドだけあると変な関心をしていた。

(3)オックスフォード大学

オックスフォード大学の学生寮
 オクスフォードと言えばやはり大学だ。オックスフォードの町に入るとすぐにオックスフォード大学の学生寮の前でバスを停めて、バスの外で昔日本の皇太子が入寮していた部屋を指差し教えてくれた。建物は皆古いが趣がああって良い。
 その後、大学の建物を次々に案内してくれるがどれも古い。その古さが日本と桁が違う。大学の建物全体が「古い」と思っていたら、カタカナの「ロ」の字のような造りの右側は19世紀、正面向かいは18世紀、左側面は17世紀と言った具合なのには驚いた。一角が100年単位で作られている感じなのだ。従って、入口の石段が紡錘状に凹んでいるのを見るとその古さを感じることが出来る。

Oxford大学キャンパス 大学の建物一部 Oxfordの街並と家族 旧日本のポストは英国から

 大学周辺には大学に関する記念品や土産物を売る店があり店内や外観を見ているだけでも興味深い。店の外に出たら赤いポストがあり昔の日本のポストと同じだった。日本がかつてイギリスから郵便を学んだことが良く分かる。今の日本ではこの円筒状のポストを殆ど見られなくなった。(右端の男性が日本語ガイドさん)

(4)コッツウォルズ(Cotswolds)
 荒れた土地と言う名の地方、それがコッツウォルズ(Cotswolds)で羊の丘陵地帯だ。ここに大変落着いた街があり店も大変洒落ている。この街で昼食時間となり入口の洒落たレストランで食事をすることになった。ビールは日本と違い冷やさないビールあり地ビールありで選択にに戸惑う。私は日本で見慣れたラベルのオランダ製「ハイネケン」をオーダーした。昼食付きのツアーだったのでメニューを選ぶ苦労はなかったが、その内容は覚えていない。

洒落た入口のレストラン
「足を挟んで処刑」の処刑場
 昼食後、周辺を散策し芝生の広場に行くと「昔足を挟んで処刑した」という公開処刑場があり、日本語ガイドさんが我々を案内してくれた。昔の英国人(ヨーロッパ全体)は日本人よりもやり方が残酷だと思う。




(5)アン・ハサウェイのコテージ
 次は、ストラッドフォード・アポン・エイボン(Stratford-Upon-Avon)地方にあるシャイクスピアーの奥さんになったアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)の生家を訪ねた。「アンは結婚するまでこの家にご両親と住んでいた」とパンフレットに書いてあった。パンフレットではコテージと言っているが英国で言うコテージは日本でいう「小屋」ではなく立派な屋敷だった。藁葺屋根なので日本の古い藁葺屋根の家と趣が似ている。

(5)シェィクスピアの町・ストラッドフォード
 この町はシェィクスピア一色だ。観光の名所は「シェィクスピアの生家」(Shakspeare's House)であり周辺の街並みであろうか。逆に、シェィクスピア以外何もないといったほうがよいのかも知れない。写真でその雰囲気をご紹介しよう。

シェィクスピアの生家 ストラッドフォードの街並 こじんまりしていて綺麗な街

(6)帰路のバスは皆居眠り
 帰路のバスでは、ガイドが一生懸命話しているが殆どのツアー客は居眠りをしていた。私は眠らずに日本語と英語のガイドを「ちゃんぽん」で聞いて楽しんだ。
 夕方になり夕日がとても綺麗だった。イギリスではまだ太陽が出ているのに、夕方では70%以上の車が前照灯を点けており、残りは必ずスモールランプを点けていたのには感心した。日本でも見習って欲しいものである。
 ロンドンの街に近づくともう暗くなり道路の渋滞も始まった。ガイドの説明を聞く人もないので説明は終わり静かになった。ガイドさんご苦労様でした。

 第2日目「楽しいバスの旅」は無事終了した。

以上  
 【使用カメラ】 CANON EOS 100 (スキャナーでデジタル化)
MT=10  

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