連載:私の初めての海外旅行・ソ連  My First Overseas Trip、 USSR

Ver.4.1 2003/08/30
第4回「 さあ出航だ!」

 出発の日は晴天だ。横浜港の桟橋には、ソ連の客船ハバロス号が停泊している。白い船体の煙突のところに例のソ連の「鎌と金槌マークの赤い旗」と“KHABAROVSK”(英米人はカバロウスクと発音する)と船名が“英文字”で書いてある。不安の心と好奇心が交錯する中で、いよいよ乗船だ。ゆっくりとタラップを登る。そして、皆、岸壁側の甲板に広がっていく。桟橋には見送りの人達が沢山来ている。

 甲板から、大きな、五色のテープを投げる。あっという間に高い甲板と桟橋の間に何百もの五色のテープでつながれる。それは、風に揺られて実にきれいた。ただ私は淋しい。当日が平日だったことと、兄弟には出発寸前に連絡したため見送りに来てくれる人がいない。友人がもしかして来てくれるかも知れないと思ったが、ついに一人も来なかった。この時はさすがに淋しかった。兄弟にソ連旅行を寸前に伝えたのは、行き先がソ連ということで引き止められることを懸念してわざと寸前に連絡したのだが、実際はあっさり「そう、いいじゃない」と軽く言われて、拍子抜けしてしまったものだ。

 甲板には、ソ連の乗船員による楽団が「蛍の光」を演奏し、ハバロフス号は、ゆっくり岸壁を離れる。目頭が熱くなり、出そうになる涙をこらえる。テープの長さが終わり、1本また1本と切れていく。その情景はなんとも淋しいものだ。

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鎌と金槌マーク 五色のテープが舞う 船員が「蛍の光」を演奏
KHABAROVSKの文字                      

 ついに、横浜港の桟橋を離れた。離れるとすぐ、ロシア語の船内放送の後にロシア語なまりの日本語のアナウンスが入る。「今から皆様の時計をナホトカ時間に合わせて下さい」その時、「そうか、岸壁を離れたとたん、もうそれはソ連なのか」と思い、「もし犯罪が起きたら、日本の警察が入れないんだ」と思い、急に怖くなった。今考えれば、日本領海内なら、そのようなことはないのだろうが、何せ怖いソ連のことだ。

 船は横浜港を出るとゆっくり東京湾を南下し、房総半島右側を北上する。船内ではやる事がないので、まず、船内を歩き廻る。日本からソ連に行く船なので、日本人が多いが、その他、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどヨーロッパの人達もかなり居る。

 我々は最初イギリスの婦人(私よりずっと年上)と親しくなり、私の旅行友達と一緒に記念写真など撮る。そのうち、イタリアの男性と仲良しになり、この人とはナホトカで下船するまで、よく一緒に行動した。私はジャパニーズイングリッシュで彼はイタリアンイングリッシュであるが、何日か船内に一緒に居ると、彼の言うことが良くわかるようになった。上智大の英語の上手な学生とこのイタリア人が話してもよく通じないので、私が通訳をつとめるという具合で面白かった。

 この限られた人数の各国の人達(実際は1人1国)の行動を見ていると、日本で一般に言われていた通り、お国柄が良く出ていることが分かった。最初に出会ったイギリス・レディーは本当に気品もあり、優しく、将に淑女といった感じであったし、次に知り合ったイタリア人は本当に明るく楽しい人だった。その後知り合ったドイツ人は真面目で勉強家、英語も上手だった。最後に知り合ったフランス紳士はやはり女たらしで、我々の仲間の女性にしつこく言い寄るので、私が「その危険を察して安全なところに誘導(?)」したりした。
 今の世の中なら「何を野暮なことを!」と言うでしょうが、当時の大和撫子は、拒否する術もなく、ただ困惑するのみという状況に中で大変感謝されたものだ。そんな中で、いつしか「NECの福島さん」とツアー仲間では知られるようになり、そして、頼りにされていった。

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初めて知り合った英国淑女 イタリアの友人(中央) KHABAROVSK
                         の船名と記念撮影

 船の中には図書館もあり、ダンスホールもある。あまり大きな船ではないが、日本にはあまりなく、本格的な客船なのでなんとなく豪華だ。今のフェリーのような「乗り合い」という雰囲気ではない。「これから海外に行くんだ」という感じがする国際的な雰囲気の船内である。船内放送はロシア語と日本語そして英語でしてくれるので不自由はない。

 船員が暇そうな時には声をかけて、ロシア語の発音を教えてもらう。カタカナ・ロシア語とは全く違うので、オウム返しに発音して、少しずつ覚えていく。船員も暇なので親切に教えてくれる。ロシア語には英語にない発音があり、なかなか難しい。厳寒の国だから、口を開けずに発音する言葉が多いように思える。日本の青森、特に津軽の言葉(発音)によく似ている。やはり寒さが厳しいせいなのだろうか。

 夜には毎日のようにパーティが開かれる。私は少し社交ダンスが出来るので大変楽しむことが出来た。ダンスは世界共通なので、言葉が通じなくてもダンスでは通じ合える。ただ、ソ連はまじめな国というかお堅い国というのか、ワルツは宮廷ダンスのウインナーワルツであり、ロシアでは下品と言われるジルバはない。従って、ワルツの時だけは「互換性」がないので苦労した。でも、見よう見まねで適当に踊ることが出来た。

 ロシアの女性は背丈があり、胸や腰のボリュームもすごい。20才迄の女性はものすごい美人ばかりで映画「戦争と平和」に出てきたナターシャのような美人は沢山いる。ただ、年と共に太ってきて「マトリョーシカ人形」(ロシアの民族木彫り人形でほのぼのした太ったおばさん)のようになってしまう。我々はお嬢さんのことをロシア語で「ジェーブシカ」というのをもじって、太ったご婦人を「デーブチカ」と隠語を作って楽しんでいた。

 2日目にようやく船は津軽海峡を渡る。縦方向(青森 ⇔ 函館)には何度か渡ったことがあるが、横方向は始めてだ。左に下北半島、右に函館を見ながら、船は西へ向う。夕方、ナホトカ港へ到着、もう暗くてよく分からない。そこで、いよいよソ連の地に上陸だ。

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「マトリョーシカ」人形 「びっくり箱」のように
            幾つもの人形が入っている

次回は「厳寒の地、ハバロフスク到着」です。


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