連載:私の初めての海外旅行・ソ連  My First Overseas Trip、 USSR

Ver.3.1 2003/09/01
第7回「いよいよМОСКВА(モスクワ)へ」

 翌日観光旅行をした後、夕方いよいよモスクワへ向うことになった。今度は飛行機だ。ソ連では、ハバロフスクからモスクワに行くのに列車より飛行機のほうが安いのだ。何故なら列車ではモスクワまで、1週間もかかる上、食事付の長距離列車なので高額になるという訳だ。飛行機なら9時間で行ってしまう。それに、ソ連の国内便は極めて安い。国際線は世界の協定があって、ほぼ同一価格だったので、ソ連からみると国際線は超高額になってしまうらしい。だから我々の旅もナホトカまでは船で行き、ソ連国内は飛行機で移動というパターンを取ったということらしい。

 飛行機はTU114(ツボロフ)というターボ・プロップ・ジェット(プロペラが二重についている)エンジン4発の大型機である。ソ連はこのターボ・プロップが得意で大変種類が多いが、特にこの飛行機は当時大型で有名でした。日本に飛来したときは二重になったプロペラ(前後が逆方向に回転する)が異様で怪物のように思えた。TUとはロシア語でТУ、即ちツボロフの2文字を取ったものがロシアの飛行機の名前の付け方なのだ。従って、イリューシンはロシア文字でИЛ、英語のILとなる。(これは余談でした。)

 丁度、ハバロフスクをテイクオフすると夕日が真っ赤に見える。ところが不思議なこに、いつまで経っても日が沈まないのだ。そうだ、太陽を追いかけて西へ向って飛行するので、1時間位夕日を見ていられるのが何とも不思議だった。それでもいつしか日が沈み、ジェット機より地球の自転の方が早いことが分った。それも緯度の高いシベリアの地でも、地球の方が早いのだ。ましてや、赤道付近では比較にならぬ程、地球の自転の方が早いのだ。何しろ地球一周は4万km、1日24Hで一周するのだから、時速は40,000km÷24h=1,700km/hとなり、ジェット旅客機の約2倍である。

 今度は船の時と異なり、アナウンスはロシア語のみである。それでもよく聞いていると数字が出てくるので、今、時速900km/h、高度10,000mで外気温がマイナス50℃でることが分った。それは、この旅行に来る1ヶ月前から始めた自己特訓の成果であった。
 もう少しでモスクワと思っていたら、アナウンスが入り、モスクワ空港は天候不良の為近くのシェレモチェボ空港に着陸するという。夜中に、田舎の空港に着陸した。そして、空港近くのホテルで仮眠することになったが、ホテルが満室らしい。そこで、外国から来た我々旅行者を最優先にして、ロシア人宿泊者は廊下に出されてしまった。老人も子供も居る。かわいそうに思ったが、どうしようもない。夜中にたたき起こされて、部屋から出てくる。気の毒で気の毒でたまらない。それでもロシア人は一人として文句を言う人がいない。涙が出る程気の毒に思った。

 朝になると天気も回復して、無事モスクワに到着した。着陸前のアナウンスによると、モスクワは10℃で暖かいという。街に出てみるとかなり寒いので、「これで10℃か」と聞くと「そうだ」という。ただし、マイナス10℃だった。

 ロシアの冬では、いつもマイナスなので、マイナスは省略するのだそうだ。それで了解。どうみても+10℃ではないので、−10℃なら納得である。でも、モスクワでは暖かいのだというから、やはり北国は違う。

こうして、ソ連の首都モスクワに到着した。

次回は、「МОСКВА(モスクワ)にて」です。


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