連載:私の初めての海外旅行・ソ連  My First Overseas Trip、 USSR

Ver.3.1 2003/09/01
第8回МОСКВА(モスクワ)にて

 ソ連の首都でモスクワ、掲題のМОСКВАはロシア語でモスクワ(ヴァ)と読む。英語では、MOSCOWと書くが、日本語の方が現地語に近い「モスクヴァ」という感じであり、英語のような「モスコウ」ではない。ソ連に来て感じたことは、日本語の外国の地名表記について云々されたが、日本語はまだ現地語に近い、英語は現地の読み方を無視した読み方であると思った。ドイツはドイツ語でDEUTCHで「ドイッチ」でほぼ日本語の「ドイツ」であるのに、英語ではGERMANYであり、全く異なる。SWISSも日本語はスイス、英語はSWITZERLANDである。

 私にとって、初めての外国、ハバロフスクでソ連の街並の整然としたところは見てきたが、首都モスクワはもっと素晴らしい。街路は広く、電柱、広告はない。建物は5〜6階で全体が同じ高さであり、建物の色も黄土色に近い。それに淡いグリーンが加わる程度で全体に落ち着いている。暖房は地域暖房をしているので、街の各ビルから煙りは一切出ていない。当時の日本のビルは石油や石炭で暖房していたので、各ビルから黒煙が出て街はスモッグで一杯になる。ロシアの冬は素晴らしい。冬でも空は透き通り、それは幻想の都市である。

 モスクワは首都であるが、やや田舎っぽいセンスであり、街中のジェウシカ(お嬢さん)も田舎のお姉さんみたいで、「おのぼりさん」のようにセンスに欠ける。文化的なものは殆どレニングラードにあるらしい。

 それは、別として、赤の広場、ボリショイ劇場、グム百貨店、国立航空博物館、世界一のテレビ塔(東京タワーより高い)等、ソ連の首都を思わせる記念碑等が沢山あった。




赤の広場 国立航空博物館 モスクワのテレビ塔

 モスクワに来て、驚いた思い出の一つに行列がある。何をするにも行列を作るのか、ソ連ではあたり前になっている。ある時、街頭で行列が出来ていて、ジュースのようなソフトドリンクを販売している。私達日本人は、何の販売かは知らずに飲み物を買う列に並んだ。20人以上の列でようやく私の番が来た。必要な金を払い、紙コップ一杯のものを飲んだとたん、吐き出した。それは、まずい水だった。いわゆるミネラルウォーターなのだが、実にまずい。一口、口にしたものの吐き出し、残りを捨ててしまった。回りのロシア人は驚いたような顔をして見ている。私はこんなまずい水を買うために行列に並んだことを悔んだ。日本では考えられない「飲み水を買う」ということを知った。今こそ、日本でもミネラルウォーターが売られているが、当時は日本では「水はただで美味しいもの」と思っていただけに、本当に驚いた。

 次は、アイスクリーム。日本ではアイスクリームは夏に食べるものと思っていたが、ロシアでは、厳寒の冬に食べるのだ。それも、露天でで山積みして菓子のようにして販売している。そう、ロシアの冬はいつもマイナス気温だから、アイスクリームは台の上に山積みして売っているのだ。そして、街を散歩しながら食べる。日本人には出来ない習慣だ。それにも慣れて、その後はよく歩きながら食べた。今では日本の街角でもそのような光景をよく見かけるようになった。




電柱が全くないモスクワの街 ボリショイ劇場と行き交う人々 雪の白樺並木を走る馬車

次回は「ロシア人とホテル」です。


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