連載:私の初めての海外旅行・ソ連  My First Overseas Trip、 USSR

Ver.3.1 2003/09/01
第17回「ハバロフスクでコートが戻る」

 永い「ロシア冬の旅」も終りに近づいてきた。そして、初めてロシアの地を実質的に踏んだハバロフスクで私のオーバーコートが盗難にあったことは既に報告済みであるが、このコートが発見されたという。
 私のコートが盗難に遭い、もう自分の手元には戻らないと思っていたことが今実現しようとしているのだ。今迄同行してくれた朝鮮系ロシア人通訳を通して「私の盗まれたコート」が見つかったことを知った。
 そこで、盗まれたホテルに通訳と一緒に行くことになった。そこにはホテルの支配人(女性)が待っていて、にこにこして私に「よかったですね!」と言ってくれた。しかし、私の心は晴れない。何故なら、ロシアに入国してすぐにオーバーコートを盗まれ、ロシアの地を離れる時にコートが見つかったと言ってもうれしいはずがない。
 なのに、その支配人は言う。「あなたはなぜうれしそうな顔をしないのか?」「普通の日本人はにこやかな顔をするのに」と。そこで私は言った。「私が普通の日本人と異なるのではない。誰がコートを盗まれて、今見つかったと言ってうれしがる人がいるか!」と。 この永いロシアの旅の間、朝鮮系ロシア人通訳から借りた重たく形の悪いロシアのコートで、又、同行のツアー仲間のコートを交代で借りたりして卑屈な思いで旅してきたのだから。そのことをしつこく主張した。
 彼女は重ねて言う。「やはりロシアには"ドロボー"はいなっかたでしょう!」盗まれた時に確かに彼女は言っていた。「ロシアには"ドロボー"はいない」と。しかし、その時も私は言ったものだ。「現にここでコートが盗まれたということは"ドロボー"がいるということではないのか!」と、そのことをこの支配人は覚えていたようだ。
 そんな"ドロボー"がいるのいないのの議論より、見つかった状況を知りたい。そして、なぜ今になって見つかったのだと問うたら、なんと、盗まれたと思った日、「実は係りの人が交代して、私のコートを別の場所に保管したことを伝言(引継)していなかったという単純ミス」だというのだ。それではなぜ、別の場所に保管したのだと詰問したら、私のコートはロシア人のものとは異なる外国人のものなので、大切に他の場所に保管したのだというのだ。本当かもしれないが、当方被害者としては「余計なお世話」をしてくれたものだとの思いで、ありがた味は全く感じなかった。
日本と習慣が違うので仕方がないのかもしれないが、手違いで「お客様に多大な迷惑をかけた」というお詫びの言葉もなく、「コートが見つかって良かったじゃないの」といったニュアンスなのだから気にいらない、
 最後に、その支配人は「ロシアを嫌いにならないで下さい。」と言った。私はこの支配人の気持ちは十分分かったのだが、私の「若気の至り」と、こちらの意地もあり「私の心が安らいでから考える」との冷たい返事をしてしまった。今からしてみれば、未熟な対応であったことを反省する。でも、日本人の強さも見せたいとの心が働いたのだ。なぜなら彼らは機会ある毎に「ソビエト共産党」の素晴らしさをPRし、旅行者に「ロシアは日本より素晴らしい国であること」を洗脳しようとするので、必要以上に反発しようとする気持ちが働いたのだと思う。現に、一緒に行ったツアー仲間の中には「ロシアの医療、教育の無料化」等にいたく感心して「日本も共産主義に代わってくれたらいいのに」などと言う人がでる始末だったのだ。洗脳は恐ろしい。
 兎に角、コートは戻った。嫌なことも忘れた。コートを盗まれたときも通訳の人も優くコートを貸してくれたのだからよい思い出だけを残そう。
 最後に、このロシア人通訳に「コートを借りて助かったこと」を心から感謝し御礼を言い、お互いによい印象で分かれた。さようなら、優しきロシアの人達よ。

次回は「帰路、列車の旅」です。


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