連載:私の初めての海外旅行・ソ連  My First Overseas Trip、 USSR

Ver.3.1 2003/09/01
第18回「帰路、列車の旅」

 Хабаровск(ハバロフスク)からНаходка(ナホトカ)までまた列車の旅だ。今度は昼間の乗車のため寝台車になる訳ではないのでコンパートメントが良い歓談の場となる。まえにもお話ししたようにコンパートメント毎にドアが着いているので個室になっているのだ。そのコンパートメントや食堂車で仲間と共に長いロシアの旅を思い出しながら旅路を楽しんだ。食堂車ではコニャック(ブランデー)やワインをよく飲んだ。 少し酔っていたこともありワイングラスをテーブルの上に少し強く置くとワイングラスの足がもげてしまった。しかし、材質が少し悪いのではないか?あのくらいでは日本製なら壊れることはないのに、と思いながらウェイターに壊れた旨言うと、すぐに新しいものを持ってきてくれた。それで、結果的に3つも壊してしまったが、叱られなかった。我々が日本を離れるときに思っていたほどロシア人は怖い人種ではなかった。
 また新しい発見があった。それは、ロシアの列車の暖房の仕方が日本と違うので大変興味深く観察した。それというのは、暖房用のボイラーが各車輌毎に付いていて、デッキのところにある。そこには、車輌毎に専任の女性係員がいて石炭をくべているのだから驚く。機関車から蒸気を供給する方式の日本の列車のやり方では厳寒の地では対応できないのだろうか。
 ナホトカに到着してからは、客船「ナホトカ号」で日本に向かう。「ナホトカ号」は往路の「ハバロフスク号」と同型船のようだ。我々日本人旅行者はロシア人に対する恐怖心も払拭され、ロシア人と共に毎夜、ダンスパーティーをして楽しんだ。
 それだけに、横浜の港に着いたときは、心からロシアの船員との別れを惜しんだ。 ダ・スヴィダーニア!ルースキー イ ルースカヤ!(さよなら!ロシアの人達よ!)
До свидания!

(註)コニャック:ロシアではブランデーをこう呼ぶ、コニャック地方で取れたブランデ ーのこと。

次回は「最後の関門・横浜税関」です。


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