人生には色々な出会いがある。私が今迄に出会った数々の方々のうち今でも心に残り、楽しい人生の1ページとさせて頂いた方々を思い出しながら綴ってみたいと思う。
<第4話> アメリカ人との出会い
1980年代にアメリカへの視察旅行があった。この旅行の途中、ロサンゼルスからニューヨークに向かう機内で知り合った方との話をしようと思う。
(1)入国審査でからかわれた
入社10年目の頃、会社の自主研修で英会話を勉強し「準渡航可」というレベル(今のTOEICで470点位)になったが、その後、その上のレベルの勉強(合宿研修)へのチャレンジをしようとしたが、「業務に関係ない」との理由で上司から拒否されて以来、英会話の勉強を放棄してしまった。その後、10年間英語に接することなく今回の渡航となった。
当時は今のようには英会話が一般的でなく、殆どの視察仲間は英語が話せないという状況だった。従って、日本人の団体旅行客は日本人専用窓口に並ぶのでここだけが長蛇の列になっていた。
私は10年程前に少し英会話の勉強をした事があるのでどうにかなると思い、一般外国人の列に並んだ。そして、黒人の入国審査官がいて、定番の旅行日数と旅行目的を聞いた。普通はそれでOKなのだが、「植物関係を持っているかと聞いてきた」ような気がしたが「ポカーンとしていたら」ニヤニヤしながら「OK」と言ってくれた。彼は私の英会話力をテストしたのだ。癪に障ったがOKしてくれたのでいいことにした。
少しからかわれた気がしたが、皆より早く入国審査が済んだので一応満足できた。
(2)アメリカ人との出会い
西海岸での視察を終えて、ニューヨークに向かう飛行機の中で隣席のアメリカ人と親しくなった。窓側に彼が座っていて私がその席の通路側に座った。
飛行機は西海岸を見ながらグレー・キャニオンとグランド・キャニオンの上を飛行する。
彼から「英語が出来ますか?」と話し掛けてくれて、「I can speak English a little.(少しだけ出来ます)」と答えると、彼は「君の話すことは十分理解できるので君のほうが上だ。自分は日本語を全く話せない」と言うのだ。そうかもしれないが、こう言って下さると嬉しくなってしまう。少し自信が沸いて話す気になった。
(3)彼は地名について教えてくれた
今下に見えている西海岸はスペイン語の地名が多いのだと言う。それは当時スペイン人が多く移住して来たためという。
例えば、 Los Angels(ロス・アンジェルス) と言うのは、Los(場所、土地)、Angels(天使達)で英語のエンジェルスで「天使達の地」「天使達の街」という意味なのだ。なるほど、それまでは、私は英語でロサンゼルスという単なる固有名詞と思っていた。日本人はだからロサンゼルスのことを「ロス」と略していうが、これは日本人にしか通じない略語なのだ。「ロス」とは「場所、土地」という意味なのだから当然だ。米国人は Los Angels を略す時はL.A.(エルエイ)というのだ。
因みに、 New York(ニューヨーク)も同様に「新ヨーク(市)」(ヨークはイギリスにある地名)の意味でありこれは殆どの方はご存知でしょう。これも米国人はN.Y.と略記する。
次に、San Francisco(サンフランシスコ)とは、San(英語のSaint=聖)Francisco(フランシス=この街を作った人の名)で「聖フランシスの街」という意味なのだ。このように解説されるとよく分かる。
アメリカの北部にはインディアンが多く居住していたのでインディアンが付けた地名が多いのだという。ヨセミテ公園、オハイオ州、アメリカに近いカナダの都市トロント、どれも日本語のように母音で終わる地名だ。インデアンは日本から北海道、シベリア、北極(エスキモー)、アラスカを経由してアメリカ大陸北部に移動してきたと言われていて、このように地名なども日本語に似ているというのも大変面白い。そういえば、顔つきも日本人に似たところがある。
ニューヨークJFK(ジョンFケネディ)空港に到着すると、彼が指差して「コンコー」「コンコー」という。何か分からない。ずっと遠方を見ると怪鳥ののような飛行機で当時話題になった英仏共同開発の超音速ジェット旅客機「コンコルド」が見えた。そうか「コンコー」とは英語読みで「コンコルド」(フランス語読み)のことだったのだ。
(4)彼は日本にいた事がある
話は尽きることなくニューヨークに到着するまで続いた。すっかり親しくなり、彼の仕事も分かった。彼は数年前まで「洪水等で救援活動をする日本の自衛隊」のような組織で仕事をしていたらしい。何度も聞きなおしたが軍隊ではないという。
彼はヘリコプターで富士山周辺を何度も飛行したが、富士山に登ったことも、ドライブしたこともないという。
そこで、別れる時に、「もし日本に来る事があれば私が車で富士山周辺をドライブに案内する」ことを約束した。
(5)彼が日本に来る
その後、文通をしていたが、知り合ってから半年後、手紙で急に日本に来るという。それも手紙を受け取った1週間後だというのには驚いた。その手紙には、連絡先のホテル名と電話番号が書いてあり、「Hotel New Sanno」と書かれてあった。私は頭の中で単純に「新山王ホテル」と読み替えて、勝手に日本のホテルと思い込んでいた。
(6)千歳空港からTEL
金曜日夕方にホテルに着くというので、私は出張帰りの北海道・千歳空港の公衆電話から電話を入れた。幸い本人が部屋にいて「あと5分後に外出するつもりだった」とのことで間一髪で連絡がついた。その日の夕方、私がそのホテルに行くということになった。
(7)そこはアメリカだった
私は日本のホテルと思い込んだままそのホテルを地図で確認して行った。(日本の地図にも「新山王ホテル」と書いてあった)
ホテルの前には「通せんぼのバーのついた」ゲートがあり、白文字でMPと書いたモスグリーンの鉄兜(ヘルメット)をかぶった憲兵(Miritaly Police)が立っている。こわごわ(恐々)確認するとここが「Hotel New Samno」だという。なんだ、アメリカのホテルだったのか。
MPは私の用件を聞き、そのMP小屋(番兵小屋)でコンピュータの端末をたたき、相手(宿泊客)を確認した。即、「OK, Come in.」といってくれた。やれやれ、ほっとした。
少し歩いてホテルのインフォメーションに行くと殆どの従業員が日本人だ。「あ〜、やれやれ。これで日本語でいける」と思ったのは束の間。インフォメーションの方は彼の部屋番号を教えてくれて、「ロビーにある電話で直接話をしろ」という。英語もろくに出来ないので窮した。
それでも、彼はすぐに部屋からインフォメーションのところまで、彼女(フィアンセ)を連れて出てきてくれた。(彼らは婚前旅行中だ。今の日本では当たり前になったが当時は「流石アメリカ人」などと内心感心してしまった)
宿泊客はアメリカの軍関係の人ばかりで、ホテル内のお店等の通貨は全てドルである。もちろん、日本の警察も立ち入れない治外法権の場所で、そこは、アメリカだった。
ではまた。
次回は「アメリカ人との出会い」(つづき)です。
お楽しみに。