連載「一期一会」


 人生には色々な出会いがある。私が今迄に出会った数々の方々のうち今でも心に残り、楽しい人生の1ページとさせて頂いた方々を思い出しながら綴ってみたいと思う。

<第8話> ハンガリー人との出会い

Ver.1.01 2002/08/30
Ver.2.01 2002/08/31

 今回(1999/05)、取材の仕事で東京・浅草に出掛けた帰りの地下鉄改札付近での出来事と出会いについて話してみたいと思う。

(1)出会い
 浅草駅の地下に下りで行くと、外国人夫婦らしき人が壁に貼られた路線図を見ていた。このような光景は良くあるので、私はそのまま見過ごしてトイレに行った。トイレから戻るとまだあの二人は見ている。もしかして迷っているのかもしれないと思い、少し気恥ずかしかったが定番の「Excuse me. May I help you?」と話し掛けた。
 そしたら、気品のあるご婦人がにこっとして、「Thank you very much. Please show me 〜〜〜〜」とこれから行きたい小田急線の某駅を言った。その上、自分の考えたルートで良いかという。よく聞いてみると正しい。私は浅草から新橋経由で自宅に戻る予定だったことと、この人達も新橋経由の方が早くて最短距離なのでそれを提案した。すると、大変喜んで私と一緒に新橋駅まで行くということになった。

 浅草駅から新橋駅までは3人で話をしながら地下鉄に乗った。このご婦人は大変気品のある方で男性は殆ど話をせずに「女王様の警護人」のようであった。映画で出てくるストーリーで「女王様がお忍びで旅行をする」といった場面があるがそんな雰囲気であった。
 お二人は日本の主要な観光地を周る旅らしく、この後、京都、出雲大社に行くのだと行っていた。それにしても今日の宿は都内のホテルでなく、どうして小田急線の町田方面なのだろう? しかし、この件は聞けなかった。
 楽しい話をしているうちに新橋駅に近づき、お互いの連絡先を伝えた。先方は男性でなくご婦人の名刺を下さった。その名刺には Dr. Xxxxx と書いてあった。全てハンガリー語で書いてあるらしいが「Dr.」はドクターであることは間違いないだろう。
 そして、手紙を出す旨約束して別れた。

(2)手紙
 その後すぐに手紙を出した。中々返事が来ない。もう諦めかけた頃、1ヵ月ほどして返事が来た。出会い当時の礼と近況が掛かれていた。最後に「ハンガリーに是非おいでください。ご案内します。」と掛かれていた。大変嬉しかった。ハンガリーは旧共産圏で手紙のチェックが厳しいのか兎に角その後も返事は1ヵ月以上かかる。
 その後は、クリスマスカードを相互に交換している。時々、彼女が家族で旅行してその旅先(エジプト等)から絵葉書を下さる。こんな楽しいやり取りが今でも続いている。

(3)ハンガリー旅行・計画
 そんなことの中、今年(2002年)9月に家族でチェコとハンガリーを旅行する計画が持ち上がった。最初はイタリア・スペインを考えていたが9月はこの国々ではまだ暑いのではないかということで同じように歴史文化のある国「チェコとハンガリー」を選んだ。いざ申し込もうとすると、どのコースも予約が一杯でキャンセル待ちとなった。数週間後キャンセル待ちが取れたとの連絡がエージェントから入り家族で大喜びした。
 すぐに、上述の方に家族でハンガリー・ブダペストに行く旨手紙を出した。

(4)ハンガリー旅行・中止
 その1週間後、催行人数未達のため今回の旅行は中止だという。数週間キャンセル待ちの後、「催行人数未達」とは理解しがたい。主催会社は一流航空会社の系列旅行社なのだから嘘ではなく何らかの理由で大量キャンセルが出たのだろう。
 先週、先方に手紙を出したばかりなのに、今度は旅行中止の手紙を出さなければならない。遅れてはならないのでまた重い筆をとった。

(4)結果、オーライ
 その1〜2週間後、8月にはいると、ヨーロッパでの大洪水が発生した。ドイツ、ウィーン、ハンガリー(ブダペスト)等の主要都市は浸水した。観光旅行どころではない。既に現地に着いてしまった日本人観光客は観光できずに困っている光景をテレビで見た。
 神のおぼし召しなのか、結局「行かないほうが良い、中止すべき」との神様のご指示だったのかもしれない。兎に角「結果オーライ」であった。

 またいつの日か「ハンガリー・ブダペスト」を訪れたい。


 次回は「アメリカ青年との出会い」です。

 お楽しみに。

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