連載「一期一会」


 人生には色々な出会いがある。私が今迄に出会った数々の方々のうち今でも心に残り、楽しい人生の1ページとさせて頂いた方々を思い出しながら綴ってみたいと思う。

<第9話> アメリカ青年との出会い

Ver.1.01 2002/09/01
Ver.2.02 2002/09/03

 今回は2001年1月にニューヨークから帰る飛行機の中で知り合ったアメリカ青年との出会いについて話してみたいと思う。

(1)プロローグ
 私は昨年暮れから今年の正月にかけて娘婿の実家のあるアメリカ・ニューヨークで娘達の結婚披露を兼ねたホームパーティーがあり2週間ほど滞在していた。私の年始の重要な仕事(1月4日)に間に合わせるため、1月2日の早朝、ニューヨークのニューアーク空港からアメリカ国内便でサンフランシスコに向かいそこから日本の成田行き国際線に乗った。本来ならば、JFK(ジョンFケネディ)空港から成田直行便を取るのが最良だが満席で取れず、やむなくニューアーク空港(皆様には馴染みの無いニューヨークの国内便専用空港だ)からサンフランシスコ経由となった。

(2)出会い
 サンフランシスコからは多くの客が搭乗してきた。勿論、日本人、アメリカ人が圧倒的に多いがその他の外国人も沢山いた。
 食事を楽しむとその後、海外旅行ではいつものパターンの「トイレ待ち」という苦痛が待っている。そのことを意識して割合トイレに近い座席を確保した。
 それでも、トイレの待ち行列に参加せざるを得なかった。私の次に若いアメリカ人が数人並んだ。そして、すぐ後ろに並んだ青年が日本語で「何処から来ましたか?」と言うので「東京からニューヨークに行きその帰りです」というと「それはいいですね。」といい、滞在目的や感想を聞いてきた。こちらはゆっくりした日本語で答えると殆ど理解していたが、自分で話すときは段々難しくなり日本語が巧く出てこない。こちらで推測して英語で答えると「うわぉ〜、英語が話せるのですね」「それに大変上手で驚きました」という。そんなに上手ではないが「全く英語が出来ない日本のおじさん」と思っていたので驚いたのだと思う。
 そんなきっかけから急に親しくなり日本語と英語でいろいろお話をした。

(3)約束
 彼は日本語をアメリカで2年程勉強して、今回は日本にホームステイのようにして色々勉強するのだという。それも、東京都武蔵野市だというので「これも奇遇、私の家内の実家がある所」だというとまた驚き、「日本で落ち着いたら遊びに行ってよいか」というので「ノー・プロブレム。私の家は同じ中央線沿線の八王子なのでいつでも遊びに来てください」といって別れた。

(4)そして再会
 その後、3ヵ月ほどして私が会社に行っているときに「あの可愛い青年が家に突然見えました」と家内が言う。アメリカ人二人で来られたらしいが、家内はあの時に面識があったので来られたときにすぐ「あの青年」と分かったらしい。そして、「ご主人のいるときにまた来る」と言うので「土日ならいる」と伝えたとのこと。

(5)再訪問(2001/04/28)
 そして、数週間後、電話で約束した時間に30分程遅れて前回同様、日本の青年と二人で自転車で来られた。日本の青年の自転車が壊れて引いてきたので約束の時間に遅れてのだという。(やむをえない)
 お会いして色々伺って見ると彼らはアメリカから派遣されたボランティア的な布教活動で来られたことが分かった。それにしても、2年くらいであんなに上手な日本語が出来るのかと驚いた。我々日本人の英会話力の貧しさは見直し反省しなければならない。

(6)宗教の布教
 一般的な話の後、同行した日本青年が自分の生い立ちについて話し、「この宗教によって彼が救われたこと、愛の強さを知ったこと」等を話した。その後、我家の家族について質問があり、部屋に飾ってある写真の3人の娘について話し、また、その教育方針について私の考えを述べると「こんな幸せな家庭は見たことが無い」といって大変感心していた。
 私の家は無宗教であることを予め伝えてあるので、相手の宗教を受け入れたり嫌ったりする必要は無い。お互い素直な気持ちで話をして楽しいひと時となった。
アメリカ青年と日本青年 我家の家族と記念写真

 またいつの日かこのアメリカ青年の成長振りを見たいものである。

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