3、不思議な現象
世の中には怪奇現象なのか科学的な理屈では説明できないことが起る。
(1)私の体験1 「臨死体験パターン1」
臨死体験には一般的に3つのパターンがあると言われている。それも体験者の話を分類したものらしい。
パターン1:生死の境目5分程の間に自分の一生を夢のように再生する。
パターン2:第三者の目で見るように高いところから自分の死体を見下ろす。
パターン1:お花畑で誰かが手招きしているが行けない。(行ったら生き返れない)
というもので、皆様も聞いたことがあるでしょう。どれも作り事ではなく臨死体験した人(生死の境目から帰還した人)の話です。
私は学生時代湘南の海で溺れて誰かに救助されました。泳ぐのが上手でなく途中で目標まで辿り着けず体が沈んでいくのです。最後に駄目だと思ったとき海面が2m位上に見え、その後の記憶はありません。
実はこの時にパターン1を体験しました。自分が3歳の頃、母親に連れられて遊んでいる時から。小学校、中学校、高校、そして大学入学迄の生活そのもの16年間分を全て夢のように見たのです。
救助されたときには砂浜の水際に横たわっていました。意識を取り戻し、体温を薪の火で暖めてもらい落ち着いてから聞いた話では、意識のなかった時間は5分程であったと言うのです。
「走馬灯のように夢を見る」というのは本当でした。人間の脳は経験したことを全て記録に残してあるのだそうで、通常はその一部しか再現できないが生死の境目のような緊迫時には記憶の再現が出来るというのが学者の説です。この説は納得できます。
(2)私の体験2 「母の死亡時間に時計が止まった」
私の母が病院で息を引き取った時間が午後8時13分。
皆が家に戻り母の部屋の時計を見ると丁度「8時13分」で時計が止まっていた。この時計は今迄に止まったことのない時計で、しかも時計の針が死亡時間を差していたことは単なる偶然か? 本当に不思議である。
(3)私の体験3 「母の棺がビデオに写っていない」
母の葬儀が行われて弔問客やその他の様子をビデオに収めた。そして、棺のある部屋を右から左にスパンして全体を撮影した。連続したビデオ画面なのに棺が写っているべき部分だけがホワイトノイズになっていて何も写ってなくその後の連続した画面は正常という不思議。勿論、そのビデオカメラは故障したこともなく、その後も故障せずに活躍している。
自分以外の人の体験話は沢山ありますが、ここでは省略します。