連載「大阪の文化と東京の文化」


<第三回> 大阪と東京とではどちらが国際的(合理的)か?

 本等の出版物やテレビの情報によると、外国人から見て「東京人は何を考えているか分からないが大阪人は分かりやすい。」という。本当にそうなのだろうか永い間疑問に思っていた。そして4年間という短い間ではあるが、大阪に住み、大阪の人達と生活してみて、やはり大阪の方が国際的(合理的)な感覚を持っていると思うようになってきた。

その1.気遣いの違い

 大阪の人は思ったことをズバッと相手に言う。言われた方も素直に「そうかもしれない」と認める。この感じを毎日やっている。それが上方漫才によく表れていて、このことを知らない東京の人は「なんて大阪人は下品なんだろう」と思ってしまう。「相手に対する気遣いや心遣いがないのか」と思うのである。

 しかし、「大阪人の心」で見るとそうではない。相手のことを気遣って心から注意したり、指摘したりしているのである。逆に大阪人から東京人を見ると「こう言ったら相手に傷つけるのではないか」と余計なことを考えるから、言いたいことも言わない。だから相手に分からない。従って、「得体が知れない」と写ってしまう。でも、東京人からすれば、これが気遣いであり、「謙譲の美徳」などと思い込んでいる。

 この大阪人の考え方は、欧米の人達と全く良く似た考え方である。だから、外国人から見た東京人である日本人は、「得体の知れない人間」であり、「けったいな人間」と思うらしい。このことも前述のニュージーランド出身の英会話の先生に聞いたところ、まったくその通りで東京人は分かりにくく、また、東京は住みにくいと言う。因みにこの人は、東京に7年間も住んでいたが、今は大阪が気に入りもう10年にもなるという。
奥さんも大阪人をもらって、今幸せに阿倍野区に住んでいる。

その2.割勘

 大阪では、割勘は当り前、我々アフター5で居酒屋で酒を飲む時も男女全くの割勘で、もちろん年齢や会社での立場は関係ない。皆同一の仲間なのだから、当然といえば当然なのだが、東京人からすると本当に良いのか考えてしまう。英会話の先生も一緒に居酒屋に行くが、先生も均一料金の割勘であり、先生もその方が良いと言う。

 その代わり、女性も男性も区別なく互いに注いだり注がれたりする。女性の大酒飲みもいれば、男性の下戸もいる。これも当然のことである。

 東京では、女性には必ず色をつける。場合によっては女性は只。そして、東京の女性は「奢ってもらうのが当然」と考える人が多い。その代わり、「酌婦?」を買って出ることもある。

 どちらが合理的かな?

 この点も、欧米人と大阪人は同じである。

次回をお楽しみに。

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