「阿吽の呼吸」の不思議


Ver.1.1 1998/11/30

 「阿吽の呼吸」とは良く知られた言葉ですが、意味は「あ」と言ったら「ん」と通じるということです。このことを、私のホームページに「私の雑学」として書いたものを俳句の先生(加藤光樹さん)がご覧になり面白いというので、アレンジされ、俳誌「白」に「常識の薄皮を剥げば」というタイトルで掲載してくれました。

 光樹さんのお仲間に神尾浄水(かみおきよみ)さんという「書家」がいらっしゃいます。この方が、このたび(1998/11/16--21)、銀座の「ギンザ・ギャラリー・ハウス」で個展を開かれました。

 神尾さんが「白」の「常識の薄皮を剥げば <開いた口>(阿吽の呼吸)」目を止め,個展に出す作品「あん」の説明として採用したいと思われたそうです。そこですぐに、光樹さんに電話をされ、私に掲載の許可を求めてこられました。私は大変驚きました。

 私の拙い随筆風雑学で良いのだろうかと迷いましたが、是非とのことでしたので承諾しました。私としてはむしろ光栄であり、このような機会に多くの方々に見ていただけることに感謝しています。

 又、光樹さんのお奨めで、8月から「NHKの俳句入門」という通信講座を受講開始したのですが、句会に出席した方が上達が早いというので、今月(11月)から月1回の例会に出ることになりました。

 これも偶然、前述の「神尾浄水展」が開かれている週で、しかも、句会の会場もこのギャラリーから近い銀座にあります。

 この偶然の重なりは、「きっと神様によるお引き合わせかもしれない」ということで、光樹さんの案内で、私の最初の句会に出席する前に「神尾浄水展」に立ち寄り、作品「あん」を見ることになりました。

 そのギャラリーは歩道から直接入れる処にあり、気軽に鑑賞できるのです。そのギャラリーは神尾さんの作品で埋め尽くされていました。しかも、作品「あん」はその中でも最も良い場所にそこだけスポットライトを当てられて展示されていたので、二度の驚きでした。

 ここにその時の作品を中心に紹介しますが、このギャラリーに展示された神尾浄水さんの作品の数々を併せてご紹介します。

 今回のことは偶然の連鎖ですが、「あん」の作品はやはり「阿吽の呼吸」で感度ある方々に伝わったのでしょうか。大変不思議な気がします。

作品「あん」
 
神尾浄水さんと作品
(下に説明文)
説明文(開いた口)
 

スポットライトが当った書
 
加藤光樹さんと浄水さん
(通常の写真から変換)
私と作品と浄水さん
 

[1]「白」11.12/1998 VOL.176
常識の薄皮を剥げば(2) A開いた口

 神社に行くと鳥居の前に狛犬がいますが、必ず、右側か口を開けて、左側が口を閉じています。「そんなの当たり前ですよ」と言われそうですが、中国の狛犬は両方とも口を開けていて、右側は口の中に玉が入っています。横浜の中華街関帝廟に行くとそれが分かります。インド、パキスタン、タイ、ビルマ(今はミャンマー)マレーシアなど、 その他のアジアの国々の狛犬もそれぞれ形は違いますがほとんどが口を開いています。もっとも、韓国には右側には玉をくわえ左側は口を閉じた、中国と日本の文化を受けたと思われる狛犬もあります。何故日本の狛犬だけが左側は口を閉じているのでしょうか。

 口を開けている方が「あ」と言って、閉じている方はそれに「うん/ん」と答えている、まさに「阿吽の呼吸」です。

いろいろ説明されなくても相手が「あ」と言っただけで、らこちらは相手の言おうとしていることを推測して「ん」と理解してしまい、お互いに信頼できる相手同志では言葉を必要としません。「気持ちが通じる」「以心伝心」という言葉があるように、それが「日本人の心」の文化なのだと思います。

 欧米では、自分の気持ちを常に言葉で相手に伝えます。ご主人が毎日のように奥さんに「愛しているよ」などと言って、自分の意志を伝えています。日本では、こんな習慣はなかなか根づきません。テレくさいだけでなく、言葉にしなくても分かってしまうから、言うのがバカバカしくなってしまうのです。

 その文化が永く続いたために、言葉を交わさなくても「分かっているつもり」「分かっているはず」という、思い込みによる誤解は日本人の間でも起こりかねません。

特に最近の若い人たちは考え方も欧米化し(日本独特のテレパシー予知能力が退化したのか)言葉で言わないと意志が通じなくなっています。われわれ中高年(古い時代)の日本人からすると、それこそ開いた口が塞がらない感じですが、でも、今流には、やはり「美しいね」とか「愛しているよ」などと言った方が、相手が喜ぶことは間違いありません。こんな現象も、古い日本人は「ん」と納得するしかないようです。

[神尾浄水展から]

?「謎」、!「心動く」 大型作品:奇想天外 絵のような書の作品群

「夢」「夢」、夢の数々 俳句の数々 他の作品との調和

掛け軸型・作品 絵のような字のような 作品は続く

ブラウンのこだわり 将に「奇想天外」 輝く「あん」

「あん」 「あん」始まりと終わりと 神尾浄水先生

[2]原文(私の雑学「阿吽の呼吸」)

私の雑学 NO.5 「阿吽の呼吸・狛犬」

Q:日本の神社に行くと鳥居の先に必ず狛犬が居ます。この狛犬は当然神社で守っているのですが、日本の狛犬は、必ず、右側か口を開けていて、左側が口をつぐんでいます。

 中国の狛犬は両方とも口を開けていて、右側の狛犬の口の中には玉が入っています。中華街に行くと見ることが出来ますので、注意して見て下さい。

 その他のアジアの国々の狛犬も殆どが両方とも口を開いています。インド、パキスタン、タイ、ビルマ(今はミャンマー)マレーシア等、夫々形はかなり違いますが、殆ど口を開けています。

 日本の狛犬だけが、右側のが口を開け、左側のが口を閉じています。なぜでしょうか?

A:これは日本人の心「阿吽の呼吸」から来ていると言われています。口を開いている方が「あ」と言っており、口を閉じている方が「ん」と言っているのです。

 そうです、「阿吽の呼吸です」相手が「あ」と言ったらこちらは「ん」と言葉を使わずに理解してしまう。または、理解できる間柄。それが「日本の心」なのです。いろいろ説明しなくても相手の言おうとしていることを推測して分かってしまう。だから、日本人はお互いに知り合える相手同志では言葉を必要としないのです

 その文化が永く続いたために、日本人の内では相手に言葉を交わさずに「分かっているつもり」「分かっているはず」と思い込み誤解が生じることがあります。

 欧米では、自分の気持ちを相手に伝えるために常に言葉で伝えます。ですから、主人が毎日のように、奥さんに「愛しているよ!」などと言って、自分の意志を伝えています。 日本では、こんな習慣はなかなか根づきません。テレくさいのだけでなく、分かってしまうからバカバカしくして言う気もしないのです。

 しかし、最近の若い人達は考え方も欧米化し(テレパシー予知能力が退化したのか)言葉で言わないと意志が通じなくなっています。古い時代の日本人からすると、能力低下を愁うばかりです。

 でも、今流には、やはり「美しいね」とか「愛しているよ」などと言った方が相手が喜ぶことは間違いありません。

 やはり友人や家族は少なくとも「阿吽の呼吸」でいきたいものですね。

【註】あうん「阿吽」 <2005/08/02 追加>
 梵語 a-hum「阿」は口を開いて発する音声で字音の初め。「吽」は口を閉じるときの音声で字音の終わり。万物の初めと終わりを象徴。
@最初と最後。密教では、「阿」を万物の根源、「吽」を一切が帰着する知徳とする。
A寺院山門の仁王や狛犬などの相。一つは口を開き、他は口を閉じる。
B呼気と吸気。

<出典:広辞苑>

[写真と説明]
この写真は、韓国のものですが、日本の文化(あ・ん)と中国の文化(右の狛犬が「玉」をくわえている)の影響を受けているのが分かります。

< <
御殿場の仏舎利塔にある狛犬達 左が雌・口を閉じている 右が雄・口を開け
(韓国) 且つ、玉をくわえている
<
マレーシアの狛犬 沖縄の狛犬はシーサー ミャンマーの狛犬
のよう。やはり「阿吽」
<
台湾の狛犬 タイの狛犬 インドの狛犬

どこの国のかは分かりませんが、変わった形をしています。
仏舎利塔の金のお釈迦様

では又お会いしましょう。

表紙に戻る