私の雑学 No.25
  「お賽銭」の話
【お賽銭はご利益の御礼か】
【 神か仏による精神安定の知恵 】
Ver.1.1 2003/07/02
Ver.2.1 2003/07/21
【お賽銭はご利益(ごりやく)の御礼か】
1、疑問
 私達は神社仏閣に行くと先ずお賽銭を上げて「家内安全」や「健康」を祈ります。しかし、お賽銭を上げるとどのようなご利益(「ごりやく」と読む)があると思いますか。殆どの方は何となく、祈願を叶えてくれるように、その御礼(「おんれい」と読む)のような気持ちではないでしょうか。でも大変なお願いをしている割りには、安すぎませんか。5〜10円、少し気張って100円硬貨。こんな金額で叶えてくれるわけがないでしょう。そう思いませんか?
 バブル経済全盛時代には明治神宮の賽銭箱には1万円札が舞ったこともありましたが、今では精々千円札です。千円以上を入れる人は多分祈願が叶ってその御礼の気持ちでしょう。それでも叶えられた御礼としては少な過ぎますね。それはそれで自己満足出来るのですから結構でしょう。
 そうなのです、要は「自己満足」をさせてくれるのです。「自己満足」とは自分のためでしょう。人のためではありませんね。

2、回答
 もうお分かりでしょう。人間は夫々祈願する内容や大きさはまちまちです。そのような多種多様な祈願を「お賽銭」という形で、満足させてくれるのです。ありがたいことではありませんか。ありがたいと思ったらもっと沢山のお金を賽銭箱に入れましょう。

3、本意
 これには深い意味があります。実は「人の心を豊かにする」ためなのです。普通の人ならば物やお金を人に与える事に喜びを感じるものです。
 ところが、頂く人の立場は逆です。なにか惨めになり、卑屈になり易いのです。即ち、与えた人は「ハッピー」な気持ちになり、頂いた人は「アン・ハッピー」な気持ちになります。従って、人に物を与えたり親切したことはその人の「自己満足」なのです。だから、親切を受けた人が負い目を感じないようにしないと結果として「親切の押し売り」になってしまいます。
 そこで、「お賽銭」登場です。お賽銭を上げる(差し上げる)事によって自己満足(「ハッピー」な気持ち)にさせてくれるのです。受けてくれるほうは「神様」か「仏様(Buddha)」なので「アン・ハッピー」(不幸)の全てを慈悲深く受けてくださるのです。
 どうです、ご利益は大変大きいでしょう?

【お寺は山にあって参拝すると病気が治る】
1、参拝すれば健康になる
 お寺はなぜか山の上にある。そして「信仰心厚く参拝すれば健康になり病気が治る」というものである。現に、信心深い人は何度も参拝し「病気を治して欲しいとの願い」を込める。すると段々健康になってきて、そのご利益を信じ益々参拝に熱が入る。そして、病気が治った。と、このような「ハッピー・ストーリー」が現実のものとなる。この現実を見た村人は皆、お寺のご利益を目の中りにして信者になり信者が増える。信じた村人達は揃って参拝を重ねる。すると、その村人達は皆健康になる。それを聞きつけた隣村の人達が参拝に来る。そして隣村にも健常者が増える。
 その結果、「お寺はありがたく願いを叶えてくれる所」と思うようになる。

2、なぜ、お寺に行くと健康になるか?
 もうお分かりの通り、「寺に行った」イコール「山に登った」又は「沢山歩いた」事により適度な運動が無意識のうちに出来て健康になったのです。
 現代では、健康促進にウォーキング(散歩)が良い等とテレビ、ラジオや雑誌で騒がれています。何の事はない「(見えない)寺参り」をしているのです。尤も、現代人は「信心が浅い」(真面目に運動しない)ので健常者が増えません。

3、お寺は山にある
 そこで、参拝者(人々)を歩かせるために「お寺は山にある」のです。お寺に参拝するには「山登り」を余儀なくされ、山に登ると身体への負荷がかかり健康な身体を育むことになるのです。(素晴らしい仕掛けでしょう?)
 お寺は△△山○○寺という風に必ず「山」が付くのはそこに起因しています。長い年月に仏教が広まり寺院が金銭的にも勢力を持ってくると、政治の材料にされるようになりました。そして権威の象徴のように立派な寺院が平安京の例でも見られるように平坦な町中にも建設されるようになりました。さきほどのような経緯からお寺が平坦な場所にあっても、寺の名前には必ず△△山がついて○○寺となっていますから注意深く観察して見てください。その△△山というのは本家に当たる本山です。それから分寺した事になります。

【四国八十八カ所巡りで健康に】
 「四国八十八カ所巡り」で健康になるというのも全く同じ「仕掛け」で四国中を歩いて廻っている内に健康を取り戻すというものです。「お百度参り」も全く同じ仕掛けです。
 どの宗教も同じ考えのようで、イスラム教の「聖地への巡行」も同じです。「聖地に行くことで長く歩き健康を取り戻す」という「仕掛け」なのです。
 要はどれも信者を歩かせるための「仕掛け」なのです。 裏返せば4千年以上も前から「歩くことが健康によい」事が分かっていたと言うことです。
以上  Snowman  .
 では、また。

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