私の雑学 NO.6

「ゼロ戦は何故ゼロ戦というか?」

【追加更新版】 この雑学は原文に写真と「読者の感想」を追加更新したものです。
Ver.1.1 1998/08/01
Ver.4.1 2005/05/15
零戦の前での筆者 2002/08/14
 飛行機に関心のある人は十分ご存知の話です。
 (専門的には異論があるかもしれません)

 ゼロ戦の正式名称は「零式艦上戦闘機」といいます。

 この飛行機は旧・大日本帝国海軍が作った飛行機で当時、世界最高速度、旋回能力でも世界一、即ち「戦闘機としての能力が世界一」であったので飛行機に詳しくない人にでも「ゼロ戦」の名は知られています。

Q:それでは、何故「ゼロ戦」と呼ばれているのでしょうか?

A:あの飛行機は国を挙げて紀元(皇紀)2600年を祝して大日本帝国海軍が作った、世界最新鋭の飛行機なのです。
 これでおわかりでしょう。2600年の「00」、即ち「零」、即ち「レイ」なのです。そして、航空母艦からの発着が出来る飛行機なので「零式艦上戦闘機」と命名し、略称「零戦」即ち「レイ戦」と呼ばれるようになりました。戦後、レイは英語でゼロなので「ゼロ戦」と呼ばれるようになりました。

 これで、回答は出してしまいましたが、折角の機会ですので、「ゼロ」戦の話を続けることにします。

Q:何故「ゼロ戦」は今でも世界的に有名か?

A:当時は複葉機といって二枚翼の飛行機が主流の時代でした。その頃に米国から見れば、アジアの野蛮国、日本が単葉機(今の飛行機のように主翼が1枚)を作れるとは思ってもいなかったのです。
 そんな時代に世界で最も優れた性能を持つ単葉機を日本が作ったのですから世界は驚きました。そして米国は焦りました。
 兎に角、あの頃は世界中敵なしという戦闘機でしたから、日本戦士の志気は一気に上がりましたし、益々、軍国主義を助長し、日本人の自信を過剰なものにしました。

Q:何がそんなに素晴らしいか?

零戦(後方から全体) 零戦(前部より全体) 零戦(前部)

A:「ゼロ戦」は、当時のプロペラ機の技術では最高のものであり、改良の余地がない程、理想的な飛行機だったのです。

<理想の形状・零戦>
 アメリカで、世界第二次大戦の映画を撮影するのに、現有の米国戦闘機を改造し「ゼロ戦の摸倣機」を作り、実際に飛ばしたところ性能が10〜20%向上したそうです。
 形を「ゼロ戦」と同じにしただけで、このような性能が出たことは驚くべきことで、これは将に理想的な形をしているということです。ですからこの後も、これ以上の性能の飛行機は開発されていません。世界第二次大戦中に米国がグラマンを開発し、ゼロ戦以上のものを作りましたが、これはエンジンの力など大幅に大型のものを大量に造り物量で「ゼロ戦」を凌駕したのです。この飛行機に限らず、日本は米国の物量作戦に負けました。
 この飛行機は科学技術面でも優秀ということで、アメリカのスミソニアン博物館に「MITSUBISHI ZERO FIGTER」(ゼロ戦)として展示されています。

では又お会いしましょう。



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