【ダンスとの出会い】<1965年から練習開始>
昭和40年代(1965〜)にJR品川駅前の中川三郎ダンス教室に2年ほど通ったあと長く休んでいましたが、昭和60年代(1985〜)に再開しました。しかし、平成3年(1991)に大阪転勤となり中断、平成7年(1995)に東京に戻りましたがそのままお休みしてました。
【三度目の挑戦】<2002/5/1 60歳を機に一念発起>
60歳を機に一念発起、10年間休んでいたソーシャルダンスを再開しました。
2002年3月、高校の同期の数人と飲み会をして、このとき、今ダンスの教室を開いている女性がいて(以前から誘われていたこともあり)一念発起して指導をお願いすることにしました。
5月1日13:30〜14:50 最初、準備運動をするのですが、これだけで息切れして普段の運動不足を実感しました。もちろん初級コースに入ったのですが、本日のテーマ「ワルツ」ということで基本ステップを教わった後、いきなりパートナーと組んで団体で踊る羽目になり戸惑いました。もちろんうまくいくはずもなく教わった最後まで踊りきれません。
次に15:10から引き続き中級コース・ラテン「サンバ」。 皆さんも今日はサンバの初日だと言うので参加したものの中々覚えられない。大汗かいて終了。疲れました。
私より年配の方が元気で上手なのには驚きました。この紳士曰く、「バスケット、テニスをやったが(体力的に若い人に)相手にされず、水泳もやったが一人運動ゆえ面白くもなく、結局、ダンスしか楽しい運動はない」と言っておられた。
少し勇気付けられ続けてみようと思いました。相手をしてくださる女性は皆親切で一安心。男性,女性の両先生は懇切丁寧で正統派、最高。
【挑戦して1年後】<2003/05 1年経過>
準備体操など軽々しく元気に動き廻る日々です。モダン(ブルース、ワルツ、タンゴ)やラテン(サンバ、キューバンルンバ、チャチャチャ、ジャイブ、ジルバ)等を楽しんでいます。
水曜日は初級と中級を習っていますが、初級では「初めての人」のお手伝いを少ししています。
【女役に挑戦】<2004/01 1年8ヵ月経過>
2004年1月水曜午後の初級で昨年習ったコースを復習のつもりで教わっています。
1月7日水曜日は生徒が男性12名、女性10名で女性が不足。そこで、たまたま、準備運動にジルバをするのでこれならばどうにか出来るかもしれないと思い、女性役を申し出てどうにか出来た。
次は今月の練習ジャンルであるキューバンルンバだ。先生が「やってみる?」と声を掛けてくださったので挑戦することにした。それが不思議、今まで女性の先生が生徒に教えていたのを見ていてイメージが出来ていたためか思ったより巧く出来た。
次週の1月14日水曜日には自信のなかった2箇所を練習前に先生に確認して本番(?)に望んだ。ほぼ完璧に踊れた。相手をしてくださった男性生徒は全員驚き拍手でそれを表現してくださった。まだ数人の女性は完全に踊れないので「私の女性」に驚き、分からないところの教えを乞う程であった。僅かではあるが先生のお手伝いが出来た。
今回やってみて、普段先生が「男性のリードが悪いと女性はどう動いてよいのか分からない」と仰っている通りで「男性のリードを女性に明確に伝える」ことが重要であることが良く理解できた。
【女役に再挑戦】<2005/01 2年8ヵ月経過>
【ダンスパーティ】<2005/04/04 2年11ヵ月経過>
【ダンスはフォーム】<2005/09/11 3年4ヵ月経過>
【過去のダンスの思い出】
<1970/12 の出来事>
この頃、海外旅行は「夢のまた夢」の時代でした。どうしても海外旅行をしたくて一番安い「ロシア冬の旅」に参加した時の出来事です。
横浜港から旧ソ連の客船「ハバロフスク号」でソ連の極東(ヴォストーク)ナホトカに向かいました。2泊ほどの船旅で船内で夕食後、ダンスパーティが開かれ船員も一緒になって踊ります。この時、少々ダンスをたしなんでいたので、私も踊りました。
ロシア語は出来ませんがダンスは世界共通語(ボディーランゲージ)です。ブルース、ワルツ、ルンバ、タンゴ等踊りました。
ソ連のワルツは皇帝舞踏のウインナ−ワルツなので日本で通常行われるワルツではありません。初めての経験でしたが、同じ3拍子なのですぐに慣れてあの速いテンポで適当に踊りました。
ジルバも好きですがソ連では「はしたないダンス」といって踊らないそうです。本当はタンゴの方が「はしたない」(エロチック)なのですが、ソ連ではそう思ってないようでした。(今主流のキューバン系・ダンスはもっともっと過激です)
ソ連女性は背も高く胸も豊なので背の低い私は顔の置き場がなく苦労しました。しかし、ダンスによってソ連の女性船員とも仲良くなれ、若き日のよき思い出になった一コマでした。
<1993/6 の出来事>
大阪に赴任していた頃の思い出は、「ジャネットジャクソン」に似た踊り子とキューバン・ルンバを踊ったことです。
平成5年6月(1993/6)に奈良県・豊地温泉の劇場(メトロヒルズ)でラスベガス・ショーを見た日の出来事。
ラスベガス・ショーでは「ジャネットジャクソン」に似た踊り子達がミュージカルを演じたり、アトラクション(金属製網のボール内で2台のバイクがそのの内側を廻るもの)等を見ました。
終演後、同じ施設内の居酒屋に行き、その店でアトラクションに出た2人の男性と親しくなり一緒にお酒を飲みました。「ジャネットジャクソンに似た踊り子」の話をしたら、「友達なので呼び出そう」といって携帯電話をかけました。すぐ相手が出て用件を伝え、突然私に電話に出るように言われました。彼女も喜んですぐこのお店にきました。そして、一緒にカラオケに行こうということになりました。
皆さんはカラオケを歌い盛り上がり、私はこのジャネットジャクソン?と話をし意気統合しました。そして彼女からダンスをしないかと誘ってきて、キューバン・ルンバを踊りました。 相手はプロなので「仰け反る」のもサマになっており大変綺麗に見えたので私がすごく上手なのだと皆さんは勘違いして驚いていました。偶然でしたが思い出に残る出来事になりました。
その後、映画「Shall we ダンス」がヒットしダンス人口が急増したそうです。
<2001/07/14 の出来事>
会社の大先輩が主宰するディキシーランドジャズの演奏会が都内某所であり、今回お誘いがありましたので出席しました。
私は学生時代に「ディキシーランドジャズクラブ」が学園祭で演奏するディキシーランドジャズを聴いて好きになった経緯があります。
19時開場、19時半開演で19:25に会場に着きましたら丁度始まるところでした。数曲後、若いカップルが「ホッピング・ダンス」を踊り始めました。このカップルに「ジルバに似ていますね」と聞きましたら「ベースは同じです。一緒に踊りませんか?」と誘われてしまいました。
10年ぶりで自信がなかったのですが、「自転車と同じで一度踊ったことがあれば大丈夫」と勇気付けられ、結局踊りました。その後、ブルースの曲となり、若い人はお休み。そのカップルのお母さんらしき人と私はブルースを踊りました。
その後、速いステップのジルバの曲になり、若い女性と踊ったのですが、席に戻ると周囲の中年の女性が「中年なのに(本当は壮年)よく若い人の速いステップで踊れますね。元気のよさに驚きました」とのこと。一気に若くなった気分でした。
今の若い方はあまりソーシャル・ダンスをされませんが、「姿勢が良くなること」と「歩き方が綺麗になること」の面で特に女性にお勧めします。一層美しく見えますよ。