「九州(西廻り一周)ツーリング」
Ver.1.01 1999/06/12
Ver.4.01 1999/10/29
Shift_JISに移行 Ver.5.01 2014/08/05
平成11年のゴールデン・ウィークはYMFrc・JF氏の企画で実施されました。
記
1、日 程 平成11年4月29日(木)〜5月5日(水) 7日間
2、目 的 九州西廻りの旅
3、参加者
4/29 4/30 5/1 5/2 5/3 5/4 5/5
YMFrc :JF ○ ○ ○ ○ ○ ○ 川崎
:UM ○ ○ ○ ○ ○ ○ 川崎
ST−21(関西) :SD ○ ○ ○ ○ △ 南港
ST−21(関東) :SM ○ ○ ○ ○ ○ ○ 川崎
(註 △:朝宿舎でお別れ)
[参加者車種紹介]
YMFrc :UM Ultra Man : BMW R1100-RT
:JF Jet Fighter : HONDA Gold Wing 1500
ST−21(関西) :SD Soft Daddy : KAWASAKI ZEPHYR-1100
ST−21(関東) :SM Snow Man : BMW R1100-RS
4、スケジュール
[合流時間(集合・出発)]
(1)東京のメンバー :東名道・海老名SA 6:00集合 6:10出発
(2)ST−21(関西) :大阪南港フェリー 17:40のフェリー内で集合
[1日目]4/29 雨/曇 (572km)
3:30起床 東名道 6:00集合 91km 263km (朝食)
自宅───横浜IC────海老名SA────足柄SA────浜名湖SA(GAS)
5:00 5:35 5:45 6:00 6:35 9:30--45 9:50
344km 名神道 401km 542km 阪神高速道
────小牧JCT────養老SA────大津SA────豊中IC────
10:50 11:35--12:25 13:25
572km(船内でSDさんと合流)
大阪南港IC────大阪南港〜〜〜〜〜(フェリー)〜〜〜〜〜(新門司港へ)
14:50着 17:40発
[2日目]4/30 晴 (340km)
572km 613km
〜〜〜〜〜新門司港────門司IC────下関IC────毘沙の鼻────
6:10着 7:10--30
620km 640km 752km
朝食────下関火の山公園────下関IC────古賀SA────鳥栖JCT
8:00--40 9:05-- 10:10--30 10:55
775km 長崎道 長崎バイパス 877km
────金立SA────長崎多良見IC─────長崎日見IC────長崎市街
11:05--30 13:30
(宿舎に駐車:市内観光) 912km
ロマン長崎会館(警察共済)────稲佐山────ロマン長崎会館(宿泊)
21:50 22:20--23:15 23:30
[3日目]5/1 晴/曇 (301km)
912km 1005km 1040km
ロマン長崎会館────雲仙岳────口之津港〜〜〜(フェリー)〜〜〜鬼池港
8:30 1130--45 12:30--13:15 13:45
(日本3大急流) 1213km
────天草五橋────三角────八代────球磨川────人吉・吉野旅館
18:00着
[4日目]5/2 晴 (274km)
1213km 1273km 1310km
人吉・吉野旅館────五木────五家荘────五木の子守歌の像────
8:20 9:50--10:30 12:00--10
1380km 1453km 1487km
人吉────大口───川内──曽木の滝────吹上・国民宿舎「吹上砂丘荘」
13:40--(昼食) 14:45--15:00 17:30着
[5日目]5/3 晴 (159km)
1487km 1550km
吹上────野間岬────坊津・鑑真記念館────坊津町歴史民族資料館
7:55 (Pass) 9:20--50 10:15--35
明治蔵 1580km
────枕崎・薩摩酒造文化資料館────南薩地域地場産業振興センター────
12:00--35(昼食)
1606km 1635km 1646km
武家屋敷────知覧特攻平和会館────池田湖────国民宿舎「かいもん荘」
13:05--45 14:00--15:35 16:15--30 16:50着
[6日目]5/4 大雨 (232km)
1646km 1703km
開聞────鹿児島・黎明館(鹿児島県歴史資料センター)────鹿児島IC
7:50発 9:35--10:20
九州道 1730km(GAS) 1780km 宮崎道 1830km
────桜島SA────えびのJCT────宮崎IC────宮崎県総合博物館
11:50--55 13:05 13:55 14:40--15:40
1870km 1878km
────宮崎神宮────宮崎港〜〜〜〜〜(フェリー)〜〜〜〜〜(川崎港へ)
15:50--16:20 16:50着20:20出発
[7日目]5/5 晴 (67km)
(宮崎港から)〜〜〜〜〜(フェリー)〜〜〜〜〜川崎港─────川崎IC
17:20着-18:00出発
首都高 首都高 中央道 1945km
────品川IC────高井戸IC────八王子IC────(GAS)─自宅
17:05 19:00着
5、ツーリング報告
今年のゴールデンウィークはYMFrcのJFさんが企画した「九州の文化を訪ねる
ツーリング」とした。
私は九州ツーリングはこれで3回目だが、今回のように長崎、天草など九州の西側を
廻るのは初めてだ。
今回のツーリングポイントは盛りだくさんで、
(1)本州の最南端「毘沙の鼻」の訪問、長崎の街、稲佐山からの夜景
(2)雲仙普賢岳、天草五橋
(3)五木の里、平家落人の里「五家荘」
(4)遣唐使で栄えた港町「坊津」
(5)特攻隊が飛びだった地「知覧」
(6)鹿児島黎明館、宮崎県総合博物館、宮崎神宮
等である。
[内容]
[1日目]4/29 雨のち曇
(1)天気は雨
週間天気予報では、4月28日の午後に雨で29日には晴との予報であったが実際に
は時間がずれて、深夜は土砂降りで起床した時も続いていた。出発時から雨で合羽を着
るのは何となく憂鬱である。しかし、出発時には小降りになった。
今日の集合は東名海老名SAにAM6:00集合のため、3:30起床、5:00自
宅出発となった。合羽を着たりする準備で少し手間取り出発が15分ほど遅れてしまっ
た。5:45には集合場所に到着。既にJFさんとUMさんは到着していた。
(2)浜名湖SAで合羽を脱ぐ
海老名SAでは雨が降っていなかったが、今後も降りそうなので、合羽を着たまま
走る。焼津付近でようやく空が明るくなり、浜名湖SAで合羽を脱ぐことが出来た。
(3)ルート変更
GWで名神道、特に天王山トンネル付近が渋滞することが予測され、JFさんの計画
では、東名道、東名阪、西名阪、阪神道を通って大阪南港に行く予定であったが、名神
道経由の方が単純故急遽ルートを変更した。結果オーライで、天王山トンネルは新しく
2車線増幅され以前の約倍の幅となったため懸念された渋滞もなく順調に流れた。
(4)SDさんと合流
ST−21(関西)のSDさんと大阪南港発新門司港行きのフェリーの中で合流する
ことにした。乗船後すぐに互いを確認でき、入浴後すぐ一緒に夕食を採った。まずまず
のスタートとなった。
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フェリー乗船・待機中 |
フェリー内で合流 |
フェリーから見る瀬戸大橋 |
[2日目]4/30 曇
(1)本州の最西端「毘沙の鼻」を訪問
新門司港に予定通り到着し、門司ICから九州道を少し戻り、下関ICを降り本州の
最西端「毘沙の鼻」を訪ねた。ここは訪ねる人は少ないが我々仲間は、最北端や最東端
など今まで訪ねてきたが、本州の最西端は初めてである。
(2)下関「火の山公園」
ここからは関門海峡がよく見える素晴らしい展望台である。この海峡は潮流が速く小
舟では流されてしまうくらいだ。小さな舟が流れに逆らって進んでいるがこちらから見
ると止まって見える。
ここから、宮本武蔵と佐々木小次郎が戦ったという巌流島を探した。地図通りの位置
に見つかったが思ったより小さくて以外だった。
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火の山公園・展望台 |
関門海峡大橋 |
(3)長崎へ直行
下関ICから九州自動車道に乗り長崎に直行だ。途中、古賀SAで休憩し、鳥栖JC
Tで長崎道に入り、金立SAで休憩し、長崎多良見ICから長崎バイパス(有料)に乗
り長崎日見IC(終点)を降りるとすぐ長崎の街に入る。
早めながら、宿舎のロマン長崎会館(警察共済)に行くと、チェックイン出来るとの
ことで、ここにバイクを置き、ライダース・スーツからジーンズに着替えて、長崎市中
見物をすることにした。宿舎のすぐ近くに大浦天主堂とグラバー園があるので、途中中
華街で昼食を採り、眼鏡橋を見て、大浦天主堂、そして、グラバー園に向かった。
昔はグラバー邸と言って、一つの建物しかなかった。今は長崎各地の有名な建物を沢
山この丘に移築して、今では「グラバー園」となっっている。
ツーリング仲間の殆どの人が疲れを訴えて、すぐに宿舎に戻ってしまった。
私は見学コースの通り殆どの建物をゆっくり見て出口に出てきたが仲間は誰もいない
。大浦天主堂まで降りてきたが誰もいない。多分宿舎に戻ったと思ったが、一つだけ仲
間の存在を確認しなかった「昔風の喫茶店」があったので、又、今降りてきた坂道を上
り、出口の警備員に主旨を説明して逆戻りの許可を得てグラバー邸まで戻ったがここま
で来て遭遇しないことは間違いなく宿舎に戻ったと判断して「昔風の喫茶店」まで戻る
ことを断念した。当然ながら、皆は既に風呂に入って疲れを癒していた。そして、予定
の時間に夕食を採り、楽しいひとときを過ごした。
(4)稲佐山からの長崎の夜景/出会い
長崎の夜景は素晴らしい(20年前に見たことがある)ので見に行くことにしたが、
仲間の3人はもう疲れて寝ていたので、一人で稲佐山に行った。
通常の駐車場より上へバイクで登っていったらタクシーなど沢山の車が来ていた。
(昼間は通行止め)。ここは360度周囲を見ることの出来る円筒型の展望台がある。
ここからは特に長崎湾の夜景が素晴らしい。
宝石を散らしたような夜景の上には墨絵のような山並みがあり、その上にはやや明る
い青空が見える。その上には、月と金星が輝きまるで絵画のようだ。
ここで夜景を楽しんでいると20才前後の2人の若者が、私に話しかけてきた。そし
て、彼らの悩みを聞き「自分のやりたいことを自信を持って進めば必ず達成できる」と
励ますと、二人は「元気が出てきた。心から感謝します。」と言って別れた。
今夜は良いことが出来たと満足して宿舎に戻った。
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鉄塔のある山頂が稲佐山 |
[3日目]5/01 晴
(1)雲仙普賢岳
本日のツーリングのポイントは「雲仙普賢岳」だ。あの火砕流のあった地帯(河原)
を通り、雲仙岳に登っていく途中の展望台で「普賢岳」を臨み、この異様な雰囲気を写
真に収めた。
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火砕流のあった地帯(河原) |
(2)天草五橋
口之津からフェリーで鬼池に渡り天草五橋を渡る。学生時代に九州旅行をしたとき、
ここを通過したはずだが印象は殆ど残っていなかった。橋も特別な印象はなかった。
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口之津からフェリーで鬼池に |
[4日目]5/2 晴
(1)平家落人の里「五家荘」(ゴカノショウ)
今回のツーリングのハイライト、五木の里と平家落人の里「五家荘」の訪問である。
五家荘は熊本県人吉市から50km北の山里で途中30km程のところに「五木の里」があ
る。五家荘は五木からさらに20kmの山奥にある。今は途中、道路も整備されたところ
も半分ほどありそこは走りやすい。ここまでの道は途中分岐がなく宇土方面には抜けら
れるが、我々は同じ道を50kmも戻って来なければならない。しかし、この往復100
kmの道を走っても余りある「五家荘」を見ることが出来たことは幸せであった。
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平家落人の里「五家荘」 |
(2)能舞台
こんな山奥に能舞台があることに驚いた。それもとても立派な能舞台で昨日も有名な
能楽師を招いて能を舞ったのだという。
風薫る落人郷でシテの舞
何百年も昔に平家の落人がこの山里に来て今でも能を舞っているとは大変な驚きであ
る。近くに仕事で来られていたトラックの運転手の話によるとこの建物の柱はこの山か
ら切り出して、円柱に削る機械が博多にしかないので、そこに原木を運び円柱に加工し
、その柱をまたここまで運び込んでこの能舞台を作ったという凝りようなのだ。
ここにおられた二人のトラック運転手さんは言葉も丁寧で「どこから来られたのです
か?」という優しい言葉から会話が始まった。「東京からです。」と答えると「遠路か
らわざわざありがとうございます。」と丁寧に挨拶された。こちらはあわてて「こちら
こそ良いものを見させていただきました。」と答えたものの普通のトラックの運転手さ
んならこんな丁寧には言われなかったのではないかと又、又、感激してしまった。やは
り平家の誇りが村人全員に浸透しているのだろうか。勿論、このトラック運転手さんは
地元の人だという。
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能舞台 |
(3)五木村
五家荘に来る途中、人吉から30km位のところに「五木の里」がある。ここはあの「
五木の子守歌」で有名なところである。
帰路に、ここで、「子守をしている女の子の像」の写真を撮った。
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子守をしている女の子の像 |
子守の像と歌碑 |
(4)薩摩焼きのふるさと
「薩摩焼きのふるさと」を訪ねたが時間がないので、この街の中をゆっくり走行し周
りの雰囲気だけを味わって見学はパスすることにした。
[5日目]5/3
(1)吹上砂丘
朝5時に起床してこの宿舎の近くにある吹上砂丘を散策することにした。
砂丘は殆ど松林になっており、海の見えるところまでは松林の中の散策と言った趣で
ある。やっと潮騒が聞こえてきたが海面が見えるところまでは茨の丘になっており、灌
木や野バラをかき分けながら海岸に向かって歩く。私は子供の頃、ここに似た多摩川の
河川敷を歩いた経験があるので勘が働き、旨い具合に茨の浅いところを通り難なく海に
出られた。勘が働かないと引き返しを余儀なくされることが多い。
この砂丘は「日本3大砂丘」の一つとのことだが、殆どが松林と茨の丘なので、砂丘
といった感じがあまりしない。でも海岸の長さでは50kmで多分日本一だろう。
又、海岸は5m位の断崖になっており、静岡県・浜岡の砂丘のようになだらかではな
いので海辺に行くことは出来ない。
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吹上砂丘 |
国民宿舎・吹上砂丘荘 |
(2)坊津(ボウノツ)
砂丘から戻り、朝風呂に入り、すぐ朝食。予定通り8:00前に宿舎を出発して坊津
に向かう。
坊津はJFさんの予備知識によると「江戸時代、薩摩藩直轄の密貿易の基地」で、当
時良く栄えた町だそうだ。ここに、坊津・鑑真記念館があり、当時の様子を展示してい
た。その説明によると、遣唐使がここを拠点に入出国していたとのことで大いに繁栄し
ていたとのこと。中国の歴史書には「日本三津(サンシン)」(坊津、三重の津、博多
の津)の一つとして載っている程当時は有名であったらしい。
(3)坊津での出会い
坊津町歴史民族資料館を見て出てきたら、中年夫婦が我々を待ちかまえて「どちらか
ら来られたのですか?」との質問。JFさんが「横浜からです。」というと、「そんな
遠くから?さきからナンバープレートを見てそう思ったので声を掛けたのです。」との
ことだった。
前々からご主人がバイクに乗りたがっていて、今日は3台の大型バイクを見て意見を聞
きたくなったとのこと。
「今からでも十分楽しめますからどうぞ」と奨めたが、UMさんは「しょっちゅう転
びますよ!」JFさんは「足の骨を3本位折る覚悟で乗って下さい。」等と本人のやる
気を殺ぐようなことを言うので「それほどでもありませんよ」と私が言ったものの奥さ
んは「やっぱり危ないのね!」と言った心配気な表情であった。
これからバイクに乗ってみたいと思っている人に「危険だから止めなさい」と言って
いるように捕らえたのではないかと一寸残念な気がした。
(4)知覧の武家屋敷
日本最大の鰹の水揚げ港(枕崎)を通り知覧に向かう。街を走っていると両側に石灯
籠が立ち並び異様な雰囲気だ。最初は単なるお寺の石灯籠かと思っていたらこれが延々
と何kmも続くので驚いた。よく見ると各石灯籠には人の形が刻まれていて、皆兵隊さ
んなのだ。そうか町中が特攻隊の悲しみを表しているのだ。ご存じの通り知覧は陸軍特
攻隊の出撃基地であったことで有名だ。
途中知覧の「武家屋敷」を見学したが綺麗に整備された庭が大変良い。一般的に今住
んでいる家が多く、その中で、庭だけを開放して見学させている。一軒一軒はこじんま
りしており現在の郊外型一戸建て住宅と同じ位の広さだ。
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知覧武家屋敷 |
(5)知覧特攻平和記念館
本日の第一のビューポイント「知覧特攻平和記念館」に向かう。
ここはJFさんによる話でも、見学者は皆涙するという。展示物の殆どが特攻隊兵の
遺書で占められており自由に閲覧できる。その殆どが直筆の遺書や手紙なのである。一
部見にくいものはコピーし拡大したものもある。
ここに来ると、皆じっとそれらを読み、鼻水をすすっている。ある茶髪(チャパツ)
のお姐さんがここでは鼻をかむのが忙しい程涙を流しているのを見て意外に感じた。
若き死に涙す知覧棕櫚の花
この展示以外では、当時特攻に出た陸軍の戦闘機の復元機が色々展示されていた。9
9式、一式・隼、二式・飛燕、三式・疾風、四式・紫電改とどれも名機なので私が知っ
ている名前であった。ご存じの方も多いと思うが飛燕は倒立水冷12気筒エンジンでエ
ンジン部分が細くスマートだ。そして機体も大きく立派である。これと比べると朝鮮戦
争の時に活躍した米軍のF86F等は「おもちゃ」のように感じる。
どの飛行機も1200馬力以上、最高飛行高度10,000mと当時としては大変な
能力だ。零戦(ゼロセン)は海軍の零式(正式名称は零式艦上戦闘機)なのでここには
展示されていなかった。
(註)零式:皇紀2600年、即ち00年に開発された飛行機、一式は2601年に
開発された飛行機を意味する。
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兵隊像と自衛隊練習機 |
(6)池田湖
ここはかつて「イッシー」で知られた湖で、今は1.7mの大ウナギで有名だ。この
湖畔に大ウナギが展示されているので見学した。太さの割に短いウナギでナマズとウナ
ギの「合いの子」のようだった。
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池田湖にて |
開聞岳に向って走る |
[6日目]6/4 雨
(1)鹿児島
宿泊は、鹿児島の開聞岳の見える「開聞荘」であった。夜から雨になり、朝も雨が降
っている。朝から合羽を着るのは憂鬱だが仕方がない。今朝はやはり5時に起床したが
散歩はせずに何故か予定通り8時前に出発した。雨の日は景色を堪能する観光は無理な
ので、本日は鹿児島と宮崎の博物館の見学に絞って観光することにした。最後に宮崎の
博物館に隣接する宮崎神宮に無事の帰還を祈願した。
鹿児島の博物館「黎明館」(鹿児島県歴史資料センター)は立派で1時間以上ゆっく
り見学。又合羽を着て今度は九州道と宮崎道の高速道を宮崎迄、土砂降りの雨の中を突
っ走る。雨中の走行も結構楽しい。
(2)宮崎
宮崎の博物館「宮崎県総合博物館」でも、合羽を脱ぎ立派な総ガラス張りの建物の入
り口のベンチにに3人の醜い合羽を気がねをしながら掛けた。しかし、入場の際、受付
でお断りしたら、二人の美人の案内嬢は、ニコニコして「結構ですよと!」と言ってく
れた。いい人達に恵まれ安心して見学できた。
宮崎神宮は宮崎県総合博物館と同じ森の中にあり徒歩で移動した。ここでも、安全を
祈願した。
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宮崎神宮 |
(3)宮崎港
宮崎港には予定よりやや早く到着した。これから乗る予定のフェリーの写真を撮って
い間に乗船の時間となった。このフェリーは時速30ノットという高速船で最近人気が
あるらしい。
乗船してからはいつものように、風呂に入り、夕食を採った。これからは6日間の疲
れを癒す休息に入る。
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乗る予定のフェリー |
MARINE EXPRESS |
[7日目]5/5 曇/晴
(1)船酔い
快い目覚め、朝食の時間になりJFさんと一緒に朝食を採る。何故か食欲がない、J
Fさんはいつも食事が早いので、私はゆっくりするからといってお断りした。そして、
JFんが席を立ってから食事を継続しようとしたら食べ物が口に入らない。どうしたの
か自分には分からない。
後で分かったのだが、船が荒天で揺れたため船酔いを起こしたらしい。30年以上前
の学生時代に伊豆大島に船旅をしたとき、船酔いをして以来、生まれて2度目の船酔い
だった。自室に戻りベッドに横になったがむかつきが一層ひどくなり甲板に出ることに
した。疲れが出たのか、船酔いなんて人生2度目の体験だ。
そのうち天気も回復し晴天となり、最後の気持ちの良い船旅を満喫できた。
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羽田空港が近づいた |
いよいよ川崎港だ! |
(2)フェリーからの脱出
今回のフェリーは今までになく大きな船で、最初に大型コンテナーを乗せて、その後
にバイクそして自動車が乗った。降りるときは当然、この逆になるのだが、我々のバイ
クは船の中を一周して出口に向かう。しかし、本来我々より遅く出るべきバイクのグル
ープが車の排出の都合で先になり、我々、バイクでは最初に出るはずのグループが2番
手になってしまった。ま、大きな問題ではないので順番を待った。
(3)高速道は順調
川崎港から首都高速道に入り順調に進む、湾岸道から首都高に入り見慣れた東京タワ
ーを右に見て霞ヶ関、新宿に向かう。永福から中央道に入り後は渋滞もなく予定通り自
宅に到着した。
今回も何のトラブルもなく、無事7日間のツーリングを終了した。
6、費 用
月日 GAS 燃 料 高速道路 昼食飲食 宿泊料酒 土 産 その他
Litters Yen Yen Yen Yen Yen Yen
1日目 4/29 13.5 1,289 14,240(f) 2,620 12,120(feri) -- --
2日目 4/30 18.6 1,758 5,000 580 10,280 -- 900
3日目 5/1 28.1 2,802 1,580 580 13,750 -- --
4日目 5/2 25.6 2,684 -- 1,365 8,750 -- 400
5日目 5/3 -- -- -- 1,365 10,250 -- 900
6日目 5/4 16.4 1,515 11,670(f) 4,270 20,150(feri) -- 100
7日目 5/5 13.2 1,136 1,200 -- -- --- --
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TOTAL:133,254 115.4 11,184 33,690 10,780 75,300 -- 2300
7、データ
総走行距離: 1,945 km (ODO=35,535 km)
総消費燃料: 115.4 Litters
燃 費: 16.8 km/Litter
以上
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