2、目 的 家族旅行 (同乗者:妻)
3、場 所 三島市、富士市、静岡市、清水市
4、内 容
今回は、仕事の隙間を狙ってようやく取れた休暇を有効活用して金土の2日間のドライブを急遽計画した。木曜日朝に思いつき妻に電話して公共の宿の予約を依頼したら、富士ハイツというところが予約できた。殆んど無計画で妻がこの日に調べたところ、三島大社、三保の松原他を目的地として選んだ。
[1日目]
(1)気楽な旅
何時までにどこへ行かねばならないといった計画ではないので、将に、「ぶらり旅」である。朝も適当に起床し、前日に用意した下着類だけを持って出発した。
妻の行きたいところは、「三島大社」と昼食の「うなぎ屋」である。時間は十分あるので景色の良い中央道経由で山中湖方面に行き妻が昨年友達と宿泊したという「東急ハーベスト・マウント富士」に行った。
(2)東急ハーベスト・マウント富士からの眺望
ここは山中湖を訪れた方なら誰でも見たことのあるホテルで山中湖の北側の山の頂上にある。だから、ここから見る富士山と山中湖は絶景である。ここは会員制のリゾートホテルなので中も豪華で客層もややハイレベルに見える。我々はビジターなので何か落着かない。記念にガーデンから富士を望む写真を撮った。 |
(3)山中湖見晴台からの眺望
ここは私のツーリングでは定番のところで、富士山と山中湖とのバランスが最高の所である。今は春霞がかかってすっきりした絵にはならないがそれなりの景色は楽しめた。 |
(4)須走、御殿場、箱根経由で三島へ
山中湖見晴台から東に抜ける道が途中通行止めになっており行けない。山中湖に戻って西に走り、須走、御殿場、箱根経由で三島へ向かった。金曜というのに箱根にはかなりのドライブ客がいた。
箱根スカイライン、芦ノ湖スカイラインは快適に走った。いつもは自動二輪で走るので、今日のようなドライブではあの醍醐味は味わえない。
(6)三島大社
ここは、20年以上前は仕事で三島市を訪れていたが、それ以来なので久々の訪問となった。中部、関東では最大の大社だが、伊勢や出雲と比較するとずっと規模は小さい。むしろ今年初詣で訪れた鹿島神宮の方が境内のスケールは大きいくらいだ。でも、神殿そのものは勿論立派である。(写真参照) |
三島大社 |
(7)うな重
妻が旅行雑誌で調べたうなぎの店「桜家」に行った。車は三島大社の駐車場に置き、散歩をかねて10分程歩いた。 店は容易に見つかり、席も待たずに座れた。その後、新客の待ち行列が出来た。この店は安政年間からの老舗で店員のしつけも良い。勿論、うなぎの味は申し分ない。 |
うなぎ「桜家」 |
(8)富士ハイツ
三島大社から富士ハイツには国道1号線で行くことにした。やはり一般道は時間がかかるもので、走行距離??kmなのに3時間近くもかかった。
6時夕食なのでゆっくり温泉に浸かり夕食を取った。
富士ハイツは観光案内書によると「部屋からの富士山の眺めが素晴らしい」との事であったが実際来てみると前には大きな大学の建物があり、富士山そのものの景観は台無しである。
また、4階の展望風呂では富士山は見えず(女湯は少し見えるらしい)南側の駿河湾と茶畑しか見えない。どう見ても「素晴らしい景観」ではない。「○○ハイツ」というのは1泊1万円以上ではあるが一般的には部屋の造りが良い。ここは20年前の建物ということもあり、部屋が狭く設備も古い。しかし、数年前に大改装したらしく、天井、壁等は新築のビルのようにきれいだ。
[2日目]
今日の予定は予め考えなかったので、出発前に考えた。私はこの地区は殆ど来たことがあるので、妻の行きたいところを中心に検討した。そこで考えたのが @駿府城跡 A日本平 B三保の松原・羽衣の松 であった。
(1)久々の静岡の街並
ほぼ30年振りに訪れた静岡市はより美しい町に発展していた。規模はあまり変わっていないが、ビルが増えたこと、街並みが整備されたことが印象に残った。途中訪れた「常磐公園」は外国の公園を思わせる美しさだ。しかし、残念なのはこのような美しい建物に心無い落書きでいっぱいだ。馬鹿者はここでも多いようだ。 |
常盤公園 |
(2)駿府公園
SE時代(24才頃)静岡県庁のコンピュータ導入のため、長期間システム設計の仕事で常駐していたので、県庁周辺は良く覚えている。県庁の建物自体が元駿府城の外堀と内堀の間に建てられている。内堀内が駿府公園となっており久々に歩いてみると昔感じていたより広いのに驚く。
今日は偶然、「駿府城祭り」が行われており公園内は市内外の人で賑わっている。門を入るとすぐ子供向けの土産店や科学館があり子供達で賑わっている。広い公園の芝生で楽しむ人、駿府踊り(阿波踊り)をする人達で活気がある。
公園の奥には家康の銅像があり、見てすぐにそれと分かる。来場者は順番に記念撮影をしている。公園の西側にはあの当時からある白い男女の像(やすらぎの像)が立っている。これは当時の学徒動員男女の慰霊のために作られたものだ。30年前のSE時代を回顧する。今日はこの前で御前試合(ちびっこわんぱく丸太早挽き大会)が開かれていた。
駿府祭り | 駿府踊り(阿波踊り) | 家康の銅像 | やすらぎの像 |
(3)新しい大きいな発見
科学館の外にはD51(デゴイチ)蒸気機関車があり、運転席に乗ってみた。思ったより運転席は狭く、当時はよくこの悪環境の中で働いていたものだとつくづく思う。
ご存知の通り、蒸気機関車は大きな動輪(C型は3つ、D型は4つ)とピストンを結ぶ大きな真鍮の腕がある。これらを撮影していたが、妻がこの各部品に何か刻印してあることに気づいた。よく見ると、動輪の軸付近、動輪を繋ぐ大きな腕、各種のネジに至るまで一つ一つに機関車の型番「D51 146」が刻印してあった。これには驚いた。昔見慣れた丸い日立のマークも刻印されていたので、この機関車は日立製作所製なのだ。
この刻印の件は本日の大きいな発見であった。
D51 146 蒸気機関車 | 真鍮製のD51 146 銘板 | 真鍮の腕の付け根 | 近づくとD51 146 の文字 |
(4)日本平
赤い靴・母子像 |
静岡市から日本平へ市中から見える位置にあり近い。そこへ行く途中、野外劇場があり立ち寄ってみたがかなり大きな施設で驚いた。やはり静岡県は金持ちの県だと納得してしまう。 日本平も30年振り位に来たが、頂上付近はかなり変貌していた。当時は頂上付近の 日本平ホテルの展望ロビーから清水港をゆっくり見ることが出来たが、今は車で一杯でそれどころではない。テレビアンテナが3本ある頂上へは歩いていかねばならない。頂上を少し降り始めると「赤い靴をはいていた女の子・母子像」が作られていた。 確か、「赤い靴をはいていた女の子の像」は横浜の山下公園にあったが、なぜここにあるのか不思議に思い説明を読むと以下のようだった。 「あの女の子は当時この近くの貧しい村に住んでいた女の子で訳があってアメリカ人に預けられた。その後、アメリカ人は帰国してしまい、残された女の子は不幸にも寂しくなくなったとの事」だった。この母子像はそのとき母親がアメリカン人に女の子を預ける時別れの場面らしい。従って、かなり寂しい感じがする。 |
(5)羽衣の松
清水三保の松原と言えば「羽衣の松」。ご存知「天女が天から舞降りてこの三保の海で水浴をしていた。その間、羽衣を漁師に盗まれて天に帰れなくなり、仕方なく漁師と夫婦(めおと)になった。その後、天女が漁師の箪笥の中から羽衣を見つけ、無事天に戻った」と言う民話がある。この天女が羽衣を掛けたという松は今も現存しているが、老木で衰退が激しく色々保護対策がされている。 |
羽衣の松 |
(6)帰路は事故渋滞
帰りは順調に東名道・清水ICに入り快適ドライブをしていると、電光掲示板で事故渋滞の情報。秦野中井⇔横浜間で7kmの渋滞との事。ところが秦野中井前で渋滞を始めて電光掲示板は9km渋滞、横浜まで120分との事。本当かなと思っていると中間点、伊勢原付近で1時間経過。あきらめるしかない。
車7台の追突事故との事なのでどうせなら現場を見たいものだ。厚木IC手前3km付近で急に車が流れ出した。ハイウエイラジオの情報がようやく入るようになり、聞いていると事故処理は完了してとの事。その事故は厚木IC手前5kmのところだったらしい。何の跡形もなく車が動き出したときにはもう厚木IC出口であった。
我々は予定通り厚木ICを降りてR129で八王子に向かった。後は順調に走ったがついに事故現場を見ることは出来なかった。しかし、後続組みは「渋滞17Km」の表示故、それよりも良かったのかもしれない。
今回も多くの発見があり、特別のトラブルもなく無事楽しい「駿河の旅」を終えた。