【私の趣味】 俳句 Haiku


Ver.1.1 2006/12/31
 俳句誌「白」に掲載された私のエッセーをご紹介します。

「中央構造線博物館」の見学
福島雪雫   .
 今年の春から夏にかけて上映された映画「日本沈没」の科学的な根拠とする日本を縦断する二千キロメートルに及ぶ大断層「中央構造線」を学ぶべく、今回のツーリング目的を「中央構造線博物館」の見学とした。我々のバイク仲間は科学に興味を持つものが多いので大勢の参加を期待したが皆多忙で三人だけの参加となった。
 前日の予報では天気が多少心配であったが朝の予報では好転して雨は大丈夫そうだ。いつもの通り中央道・談合坂SAに七時集合だ。三人とも集合時間前に到着した。
 少し歓談してから出発。いつもの、(国境の)長い(笹子)トンネルを抜けると晴国(甲斐)だった。ラッキー。最高のツーリング日和だ。心弾み三台のBMWバイクは快走する。走り屋ばかりなので、お互い気を遣わないように諏訪湖SAまでの百キロメートルをフリーランとした。日野(仮名)さんどうぞと手招きをすると、サッと三人のトップに出たかと思うとその後を京極(仮名)さんが追う。走行する車が多いので追い越しを少し遠慮していたら二人はあっという間に見えなくなった。
 甲府盆地を抜けて小淵沢に来ると気温が下がりヒヤッとしてくる。二輪車では外気温の違いを肌に直接感じることが出来るので楽しい。右手には八ヶ岳が見えて素晴らしい景色だ。バイクでは眼前に四輪車のような障害物が無いので将に一八○度のパノラマである。
 話を戻すと、道路が空いてからかなりスピードを上げたが先行の二人に最後まで追いつくことが出来なかった。三分くらい差がついたらしい。高速道での三分はかなり大きい差である。諏訪湖SAでコーヒーブレークした。
 穏やかな諏訪湖の風景を右手に見てバイクは快適に走る。先日の洪水で岡谷JCT付近の交通が心配されたが全く問題なく、ここから左に折れて名古屋方面に向かう。この道路では左に南アルプス右に中央アルプスを臨み最高の景色を堪能できた。これがバイクの醍醐味である。
 松川ICを降りて暫く小渋川に沿って走ると小渋ダム(小渋湖)が見え、ここに立ち寄ることにした。このダムと小渋川の水が濁っているので疑問に思い係官に聞くと洪水のためでなくこの川は万年濁り水なのだそうだ。形成している石や土が粘土質で水に溶けるためとの説明で又勉強になった。このダムはアーチ式であの有名な黒四ダムと同じ構造だ。景色も似ていて小型黒四という趣だ。丁度、灌漑用に放水しており圧巻であった。
 小渋ダムから二十五分ほどで大鹿村「中央構造線博物館」に到着した。長閑でよい山村であるが産業は林業しかなさそうである。そういう意味で「中央構造線博物館」と各所の「露頭」は村一番の観光資源なのかも知れない。
 前庭の「岩石園」には各種の岩石が転がっておりよく見ると夫々に説明書きが付いていた。それら岩石の間に線が引いてあり「中央構造線」の表示があった。三人で指差し記念写真とした。そうそうロンドン・グリニッヂ天文台には経度零度(世界標準時)の線が引いてあり観光客がその線上で記念撮影をしていたのを思い出す。
 展示物の主題が特殊なので全体の見学者は少ないが数人の見学者が次々と訪れた。岡崎から幼児二人連れのご夫婦が来られて、日本人の奥様が説明員の話をご主人にイタリア語で同時通訳をしていた。このような小さな子供を連れて見学に来られるところを見るとかなりの学者さんなのかもしれないと勝手に想像した。
 「中央構造線博物館」に隣接して「ろくべん館」という郷土展示館があった。ここの説明によると大鹿村は古い歴史を持ち「いづかたも山の端近き・・・」と、宗良親王が詠んだという大鹿の自然、織りなす四季の中で人々の暮らしはどのように営まれてきたのか等々、大鹿村の歴史と民族文化を広く伝える展示館なのである。
 その中で驚いたのは「大鹿歌舞伎」である。今から四百年前に京都で生まれた歌舞伎がどうやって伝わったかは不明であるが、古文書には一七六七年に最初の記述が見られるそうでかなり古い歴史を持つのは確かなようだ。当時十三箇所に舞台が建てられ、今も四つの舞台で春と秋に「大鹿歌舞伎」が演じられているというから驚きである。このような山奥にありながら高度な文化を営々と引き継いてきた村人達の生き様に新たな感動を覚えた。
 大鹿村は名前の通り鹿が多く生息しており村内には鹿肉料理がある。この博物館近くの食堂で「鹿肉定食」を食したが、思ったより肉に癖がなくそんなに硬くもなかった。新たに鹿肉の味を私の舌に加えることが出来た。
 断層の断面が露出している部分を露頭というが、昼食後に河原の「安康露頭」を見に行った。博物館から十キロメートル十五分のところにあり、水流で出来た小さな崖にその部分が見られる。左に見える茶色の岩石が花崗岩、右の岩は緑色岩、両岩石の境目が中央構造線である。実は七月十九日の大雨で「安康露頭」が埋まり、今見えている部分は花崗岩や緑色岩の破砕岩だそうだ。
夏の川構造線を割って見せ
 この河原には綺麗な石が各種あるが、その中に茶色の花崗岩マイロナイトと青黒色の緑色岩が沢山混ざって転がっている。その小さな石を一つずつポケットに入れて持ち帰った。「中央構造線」とは 西南日本内帯(茶色の花崗岩マイロナイト)西南日本外帯(青黒色の緑色岩)が接している所で青森から四国まで日本を縦断する二千キロメートルに及ぶ大断層なのである。
 今回の「日本沈没」のルーツ探しの旅は無事終了した。

【註】本誌ではA5版・縦書き2段構成・2ページ


「三木句会(俳句)」に戻る
「趣味の目次」に戻る
表紙に戻る