コメディアンは二度死ぬ
アンドリュー・ダイス・クレイ



いうわけで今回は90年代初頭に大ブレイクしたスタンダップ・コメディアンにして俳優の、と紹介したいところだが、もはやそのどちらとしても認知されてないんじゃないかという、肩書きとしてはズバリバカと紹介するのがちょうどいい感じなんじゃないかというアンドリュー・ダイス・クレイの話をしますよ。と言ってみたところで、まさか「やった!ついにダイスの特集だ!」と喜ぶ人がいるとも思えないのでオレは一体何をしてるの、と考え込まざるを得ないんだが、でも何で今になってアンドリュー・ダイス・クレイの話なんかするのか、ということはきっと後々判ってくるはずなので、まァ鼻でも掘りながら適当に読んでくれたらいいです。

メリカのスタンダップ・コメディアン、つまり漫談家が出世して押しも押されぬ大スターになっていくまで、という過程にはひとつの王道があると思うんだが。たとえばニューヨークの漫談クラブで修行してテレビに出演、レギュラー番組を持ってハリウッド進出で主演映画が大ヒットみたいな。判りにくければロビン・ウィリアムスとかエディ・マーフィを想像してもらうといいのかな。まァスタンダップ・コメディアンはそうやってスターになっていく、というかどんどん退屈になっていくのだが。ロビン・ウィリアムスは言うまでもなく、一時期のエディなんかその典型でしたな。今になって『ゴールデン・チャイルド』とか見て「ワー!面白い」と言える人間が果たして何人いるかということですよ。まァそうやってダメになるコメディアン、日本では、えー片岡鶴太郎とか?鶴太郎は退屈どころかもう文化人だからな。だけどああいうのを文化人と認めるから日本という国がおかしなことになるんですよドンドンドンドン(机を叩く音よ)。日本の話はまァいいんだ。とりあえずアメリカの話をしよう。しかしそうやって退屈になるどころか、それ以前に大失敗してキャリアが終わっちゃったコメディアンもいるのである。アンドリュー・ダイス・クレイ、1957年NYはブルックリン生まれ。長いから往年のニックネームでダイスマンと呼ぶが、彼こそはそんなキャリア終わっちゃった組の典型なのだ。

煙草はこうやって吸え!ブルのライダースにリーゼント、帆立貝並みに巨大なベルトバックル。モミアゲはビシッと台形だ。ものすごいオーバーアクションで煙草を吸い、イタリア訛りのチンピラ英語で喋る。ダイスマンはそんなスタンダップ・コメディアンである。
ホモ。レズビアン。黒人。日本人。メキシコ人。中国人。デブ。身体障害者。女性。男性。
とにかく目に入るものは誰であれ罵り倒す。そんな芸風だからまァ当然、ファン層の中心は若い白人男性だったが、コメディ・クラブに集うそんな兄ちゃんたちをもダイスはこき下ろした。毎日オナニーばっかりしてるんじゃねえのか。今日連れてるお姉ちゃんにはもう尺八してもらったのかい。どう考えても行き過ぎた客いじりだが、要するに結局自分以外の誰もが攻撃対象だったわけだ。
というダイスマンの喋りをここにちょっと書き写してみようと試みてオレはヤツのCDを延々聞き、そして結局挫折した。なぜなら書き写して何かのためになるようなことが全っ然なかったせいだ。だいたい別に書いたって面白くねえんだから。よく考えてみれば飲み屋でいい具合に泥酔して、エロい単語をひたすら連発してゲラゲラ笑っている状態というか、もっと言えば小学生が「セックス」という言葉を覚えた直後、何か面白いのでひたすら「セックス!セックス!セックス!」と連呼してみるような、まァひとことで言えばダイスマンの芸とはそんなレベルのものだ。だからそもそも芸風も何もありゃしなかったのである。そこにあるのは行き先のサッパリ判らない妙な勢いだけだった。
そんなわけでダイスマンのファイトスタイルがお判りいただけただろうか。判ったことにして話を進めるが、まァでもこれで受けるか普通、と思いますわね。しかし受けた。人気が爆発した。全米各地のコメディ・クラブで行ったライブは常に大入り満員。そのライブを収録したアルバムはバカ売れ、コメディのレコードまたはCDとしては異例の売上を記録した。とにかく異常人気であった。ここで言う異常人気、というのは「異常な人気」ということではなくて、人気が出ること自体が異常という意味であることは言うまでもない。お客さんはダイスにいじられるたびに大喜びだった。中には本気で腹を立て、席を蹴る客もいたが、それはそのお客さんがマトモなだけの話だった。

ぜこんな男に全米からの人気が集まったのか。考えるのもめんどくせえ問題だから敢えて放っとくが、ただダイスマンがただの何でも差別コメディアンだと思ったらそれは間違いだ。ダイスを大ブレイクさせたネタ、それが「ダイスのマザーグース」だった。

ダイスのマザーグース(右がオリジナル。その下らなさに震撼せよ!)

ジョージィ・ポージィ プリンにパイ
Georgie Porgie, pudding and pie
女の目の中 射精してポイ
Jerked off in his girl friend's eye
まぶたが乾いて 閉まったら
When her eye was dry and shut
片目の女を 犯っちゃった
Georgie Fucked that one-eyed slut

ジョージィ・ポージィ プリンにパイ
Georgie Porgie, pudding and pie.
女の子には キスしてポイ
Kissed the girls and made them cry.
男の子たちが 出てきたら
When the boys came out to play.
ジョージィ・ポージィ 逃げてった
Georgie Porgie ran away.

ヒッコリ ディッコリ ダック
Hickory dickory dock
女が俺のをくわえてた
Some chick was sucking my cock
時計が2時を打ち、
The clock struck two,
俺は射精して
I dropped my goo
女を向こうの角まで吹っ飛ばした
I dumped the bitch on the next block.

ディケリ ディケリ デア
Dickery,dickery,dare,
豚が空を飛んだ
The pig flew up in the air;
茶色い服を着た男
The man in brown,
すぐに引きずり下ろした
Soon brought him down,
ディケリ ディケリ デア
Dickery,dickery,dare.


とまァこんなもんですが、これ面白いか?と言われたらオレも「さぁ……」としか答えようがない。それでもとにかくダイスがこの必殺技を繰り出すたびにオーディエンスは大熱狂したのである。

90年初頭、『サタデー・ナイト・ライヴ』のホストを務めた際「あんな女性差別のクズが司会?」と女性レギュラー、ノーラ・ダンやゲストのシンニード・オコーナーが出演をボイコットする事件が起こる。それでもダイスは立派にホスト役を務めたわけだから、当時の勢いには圧倒的なものがあった。さて、コメディ・クラブからサタデー・ナイト・ライヴ、とくれば次はハリウッドで映画に主演、というのがスタンダップの出世コースだと冒頭に書いたが。ダイスマンもご多聞にもれずそんなコースをバク進していた。その主演第一弾となったのが『フォード・フェアレーンの冒険 The Adventures of Ford Fairlane』。ダイスマンはこの超大作で、それまでのダイス・キャラクターの集大成と言えないこともないタイトル・ロールを演じた。ていうかまァ集大成するほど大した芸歴でもなかったんですが。しかし映画は奇跡のような傑作だった。ロックンロール探偵フォード・フェアレーンがロサンゼルスを舞台に、レコード業界の腐敗を叩く。詳しくはいずれアップ予定の「バカ100連発名作劇場」をご覧いただくとして、とにかく唄あり笑いあり爆発ありお色気あり、これぞ映画!これぞエンターテインメント!と根拠もなく絶叫したくなるような。早くDVD出せこの野郎!と吠えたくなるような。そんな映画だった。事実オレは昨年末にロスを訪れた際、映画の舞台になったキャピトルレコード・ビルを見つけて「あっ!あれはフォードがブラ下がったビルだ!」と絶叫、近くにいた屈強な黒人(タンクトップ着用、乳首はみ出し)に睨まれたのである。

もあれ『フォード・フェアレーン』は90年7月、夏休みシーズンの露払いで全米公開。ダイスのキャリアはここから華々しく展開するはずだった…が、この超大作は批評も最低なら興行収入も最低だった。映画評論家ロジャー・エバートはこの作品に5点満点でひとつ、という酷評ぶり。なおかつその年のラジー賞(ダメ映画のアカデミー賞ね)では最低作品賞、最低主演男優賞、最低脚本賞を獲得。日本でも公開されるなり1日で打ち切り、という前人未踏の大記録を打ち立てる。事実オレも、初日に駆けつけて「なんて面白い映画なんだ…来週また来よう」と思ったら『タスマニア物語』か何かやってましたから。そういうショックを全世界各地に与えながら『フォード・フェアレーン』は轟沈。翌91年5月にはマジソン・スクエア・ガーデンを満員にしたライヴの記録映画『ダイス・ルールズ Dice Rules』が公開されるが、ロジャー・エバートは★ゼロという裁定を下した。もちろん映画は失敗。コメディ・クラブでも以前ほど受けなくなった。さらには世間からのダイス・バッシングが日に日に厳しくなってくる。思えばこの辺から、ダイスマンのキャリアは暗い影に覆われ始めるのである。

「客が笑うんなら俺はどんなことだって喋るよ。それに何も5歳の子供に向けて喋ってるわけじゃない、俺は大人を相手にしてるんだよ」世間からのバッシングに、ダイスは反論した。「確かにゲイをネタにしたこともあるし、セックスのネタは今だってやってるさ。だけど誰かを傷つけたくて喋ったわけじゃない、俺はただみんなを笑わせたかっただけなんだよ。誰のこともネタにしちゃいけないってんなら、いったい何を喋ればいい?何をネタにすればいい?木とかか?」
確かに言いたいことは判らんでもないが、ただそれにしてもダイスは下らなさすぎた。過激なことを喋りまくって世間を納得させるだけの思想的かつ論理的後ろ楯が何もなかったのだ。
ダイスに先立つこと約30年、ダスティン・ホフマン主演で映画にもなったコメディアン、レニー・ブルースは黒人をあえてニガーと呼び、当時ステージの上で喋っちゃいけなかった「ファック」という言葉を喋り、さらには教会をこき下ろしてスタンダップ・コメディに一大革命を起こした。うまく行けばダイスも90年代のレニー・ブルースになれたはずだった。しかし臭いものに蓋をしたがる世間を撃つ、という思想がダイスには決定的に欠けていた。または別にそんな思想があろうがなかろうが、それでも一応表向きはそういうことにしとけばそこまで叩かれないものを、可哀想にダイスの場合はそこまで頭が回らなかったのだ。

てこのダイスマン、本名はアンドリュー・シルバースタイン。ということはちょっと待て、ユダヤ人じゃねえかよ。そう、イタリア訛りはあくまで役作りだった。言われてみればユダヤ人顔だなあ。そうなるとブルックリン生まれというのも何だか役作りのように思えてくるが(本当はもっと田舎生まれなんじゃないか。栃木とか)。そんなダイスマンのギミックをしかし、本名アンドリュー・シルバースタインは一度捨てることになる。もはやマッチョ・キャラクターは受け入れられんと(遅まきながら)悟ったダイスマンはダイスを取った単なるアンドリュー・クレイとしてTVドラマ"Bless This House"(95)に出演、再起に賭けた。だがそれはダイスの、芸人としての敗北を示していた。というわけでダイスを取ったら案の定、一気に押し出しが弱くなったダイスマン。やっぱりというか何というかドラマの視聴率もまるで奮わず、あっけなく撃沈。そりゃミドルネームを取ったぐらいでイメージが変わるんなら誰も苦労はしないよ。"Bless This House"の失敗にもめげず、また出演したドラマ"Hitz"(97)も光の速さで打ち切りが確定。せっかく築きあげたダイス・キャラクターを捨ててまで勝負に出たのにこれではどうにもならなかった。もはや踏んだり蹴ったりのダイスはストレート・トゥ・ビデオ、またはストレート・トゥ・木曜洋画劇場なアクション映画に出たりして日銭を稼ぐのだった。

かし完全にボトムをヒットしたかと思えばまだまだ底があるのが人生。落ちるところまで落ちたキャリアにダメ押しをするがごとく、ダイスマンはラジオの人気パーソナリティ、過激派ハワード・スターンとの抗争に突入する。もともと確執があったという2人だが、売れっ子スターンがラジオで「奴は腑抜けになった」と発言したことにダイスマンが大炎上。思い出せば「ダイス」を捨てて、TVのヌルいシットコムに出た時点でスターンの言ってることもまるで正論なんだが、人間誰しも図星を突かれると逆上するものだった。てなわけでダイスマンはスターンの番組に電話で生出演、誰彼かまわず本気で悪態をつき倒すという醜態をさらす。しかしスターンは冷静で、「自分のキャリアは終わったって、そろそろ素直に認めたらどうだ?」と言い放った。「終わったって誰のことだよ?」ダイスは反論する。「お前こそ、いつまでたってもラジオばっかりじゃねえか」しかしスターンは2册のベストセラー、高視聴率のTVスペシャル、ラジオの人気番組、それに自伝映画『プライベート・パーツ』のヒット、といった自分のキャリアを列挙してダイスを圧倒した。「それに比べてお前はどうだ」スターンの猛攻は止まらない。「『フォード・フェアレーン』?誰が見たんだよ、あの映画を」結局このバトルは熱くなったダイスマンのTKOという形で幕を下ろすが、ここでダイスはスターン一派から「本当はユダヤ人のくせにお前、イタリア人の真似してバカか?」だの「頭だって薄くなってるじゃんか、どうすんだい」など散々な言われようだったという。

まァ、こうして一度はマジソン・スクエア・ガーデンを満員にし、ハリウッドで大作映画に主演したコメディアンのキャリアは終わった。ここまで振り返ってみて、正直オレは相当ブルーになったのだが。そりゃ一度はファンだったこともある芸人だもの。『フォード・フェアレーンの冒険』なんか今でも、年に12回…ということは月に1回は見直すもの。そんなダイスマンの栄光と挫折を語る、というのはオレにとっちゃ相当つらいことだったんですよドンドンドンドン(感極まって机をたたく)。しかし考えてみれば。そうやってキャリアを終えたということは、ダイスマンにとってみれば幸せなことだったのかもしれない。もし「ダイス」を取ったアンドリュー・クレイとして大成功していたら。もともと単なるコカイン中毒のくせに、『パッチ・アダムス』だの『ジャック』だの、すかしっ屁のような主演映画を連発するロビン・ウィリアムスみたいになっていたら。オレはダイスマンに裏切られたと本気で憤っていたはずだ。そりゃ色々失敗もしたさ。でもダイスはダイスじゃないの、オレがついてるさと今でも言えるのは結局ダイスマンが世に受け入れられないまま消えていく運命にあったからだ。ダイスマンはいつまでも、オレの心の中で下品に輝き続ける。世の中の誰が忘れても。ありがとうダイス。さようなら!


か何とか、そろそろ長くなってきたので勝手にダイスマンを葬って終わりにしようと思い、ウィスキーを一気にあおったところでニュースが入りました。死んじゃったと思っていたダイスマン、何と昨年、2000年にはニューアルバムをリリースするわ、さらに何とまたマジソン・スクエア・ガーデンでライブまでやったという。なおかつリヴ・タイラー主演『ジュエルに気をつけろ!』では映画の最初と最後で場面をさらっているというから腰が抜ける。まァ映画はコケたが、それは特にダイスマンの責任というわけでもないだろう。というわけで死んでも死ななかったダイスマン!えーと……まァ頑張れや!
最近のダイス。ていうか知らないオッサン

おまけ アンドリュー・ダイス・クレイ全仕事

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