青春プレイバック 銭高スペシャル オレが高校生だった頃、銭高(ぜにたか、仮名)という男がいた。 オレの高校は山の中の、全寮制の男子校だった。テレビもなければ酒もなく、もちろん女もいなかった。辺り一面見渡す限り、男(しかも、イカくさい)の尻、スネ毛、そして金玉だった。エロ本の配給は2か月に一度。地獄というにはあまりにもショボい地獄…もし今日、同じ環境に放り込まれたら、オレは間違いなく2秒で発狂するだろう。だがあの頃は他に行くところもなかったから、そんなショッパすぎる地獄でもなんとか生きていく術を見つけるしかなかった。 時代を問わず、追い詰められた人間が見い出す唯一の活路、それはヨタ話だ。事実オレのここまでの人生は殆どすべて、ヨタ話のネタ集めと相手探しに費やされてきたと言って過言ではない。 「煙草とコーヒーとヨタ話をやらねえ奴は、男じゃねえよ」オレの幼馴染みの浩平君は、そう言ったものだった。 毎日毎日繰り返されるヨタ話。それはあの頃も同じだった。全寮制の地獄で息を詰まらせていたあの頃、オレたちは高校3年生になっていた。ない知恵をどれほど絞っても、必然的にヨタ話のネタは枯渇してくる。それでもオレたちは来る日も来る日も、坪川(仮名)の一人部屋に、8人から10人で集合しつづけた(これが後に『坪川軍団』と呼ばれることになる一大武闘派テロ集団の始まりだったのだが、それはまた別の話だ)。そしてある夏の夜にも、いつも通りオレたちは集い、いつも通りに煮詰まっていたのだった。 銭高を呼ぼう、と誰かが言った。 銭高というのはニ学年下の、昔流行りそうで流行らなかった歌うレーズンと海イグアナを足して3で割ってメガネをかけたような、どうにも目の焦点が合わない男だった。 高校1年や2年生の頃、オレたちはよく、土曜の夜中に上級生から呼び出されて意味もなくタコ殴りにされたりしたものだった。普通そうしたことは伝統になって、得体のしれない恨みつらみが下へ下へと流れていくものだが、なぜかオレたちの代に限って下級生をいじって退屈をしのぐということには抵抗を感じるようになっていた。下級生と絡めば、下の連中構ってバカじゃねえのあいつ、ダセエ、と言われるのだった。だから、誰かが二つ年下の銭高を呼ぼうと言い出したときには、その場にいた軍団員はそれぞれに少し退いたのだった。だが確かに、退屈の極みで煮詰まりきった夏の夜中に、銭高を呼ぼうという提案にはどこか抗いがたい魅力があった。それは銭高が霊能者だったからだ。 いや、本当のところは誰も知るはずがないのだが、例えば銭高は一家揃って霊感が強いだとか、よく金縛りにあってうなされているらしいとか、銭高は実に不細工なのに母ちゃんはすげえ美人だとか、または銭高が渋谷を歩いていたら全然知らない人に姓名を一発で言い当てられたらしいとか、とにかくオレたちの間では銭高は霊能者、というのが通説になっていたのだった。 そういうわけで、とにかく銭高を呼び出して降霊会をやろう、という運びになった。高校1年生が4人押し込められて眠る部屋に10人ほどで押し入り、電気をつける。銭高は夜が早かった。オレたちは高1の頃から夜更かしだったから、そんな12時や1時にもうイビキをかいている銭高は、その時点ですでに怪しい匂いを発散させているのだった。 ともあれ半寝の銭高を担いでオレたちはタコ部屋に戻り、奴をグルッと囲んで座った。 「悪いなゼニ、こんな夜中に」 「…何ですか…」 銭高は普段から半分閉じているのが、さらに倍閉じてしまっている目をこすった。まだ自らが置かれている状況は飲み込めていない様子で、その危機意識の低さにまたムカついたのだが、オレたちは冷静に切り出した。 「降霊会やろうよ。降霊会」 「!!!」 銭高は顔色を明らかに悪くして、しばらく下を向いていた。 「何だよゼニ、早くやれよオラ」 「できんだろ、降霊会」オレたちもけっこう、気が短かった。 「……んですよ」銭高が口を開いた。 「ああ〜ん?」 「もう、やめたんですよォォォォ!」いきなり絶叫するので、皆ものすごくビビった。 それからの銭高は、オレたちがどれだけ詰め寄ろうとも、もうやめたんですできませんできないんですもうやるなっていわれてるんです本当なんですできないんですゆるしてくださいゆるしてくださいと繰り返すばかりだった。 埒が開かない。ちょっと霊でも降ろしてヒャ〜怖いなんてことで退屈をしのごうと思っていたのに、目の前で錯乱状態に陥ってできませんできませんと繰り返す、視線の定まらない下級生自体が既に怖い。しかもそれがオレたちの求めていた怖さとは明らかに異質な怖さだったから、なお始末に負えなかった。 しかし機転の利く奴もいるもので、 「じゃあ降霊会はもういいからよー、怖い話してくれよ。それならいいだろ?怖い話」 それはいい考えだということになった。今思えばどこがいい考えなのかサッパリ判らんが、どうなんだよゼニよう、と口々に詰め寄ると、銭高は最初こそ、いやそれも困るんですもうできないんですそういうの本当にもうやめたんですできないんですと繰り返したが、垣原(仮名、ラグビー部)に「おまえ、殺すぞ」と非常に判りやすく脅された途端に、 「じゃあ…1個だけですよ…」口を開くのであった。 オレたちは居住まいを正して、静まり返った。銭高という男には、オレたちにそうさせるだけの無気味な説得力があった。 「あのー…九段下にね、病院があるんですよ…」誰も横槍を入れる者はなかった。 「その病院ていうのが…これが地下にね、霊安室があるんですよ。その霊安室から…毎晩、すすり泣きが聞こえるんですよ…」 いいねえ。稲川淳二だか桜金造だかを呼んだような気分だった。 「それでですね…後日明らかになったんですが、その病院は…」 銭高はずり下がった眼鏡を直した。オレたちは固唾を飲んだ。 「臓器売買をやっていたらしいんです」 ずいぶん長い沈黙が流れた。 「…それで?」 「…はい?」 「それからどうなったんだよ!」 「え、ああ、終わりです」 次の瞬間には、短気で知られる垣原が銭高に躍りかかり、マウントポジションをとっていた。眼鏡がずれて斜めになった銭高は、締め落とされる寸前のかすれた声で「…じゃあ…もう1個話します…」と呻くのだった。 しかたがないのでもう一度だけ、銭高にチャンスを与えることにした。オレたちとしてもそんな消化不良のまま、それぞれのヤサに帰るわけにはいかないのであった。 「あのー…長崎のね、原爆の、慰霊の像があるじゃないですか」 「平和祈念像だ」 「ええ。その、平和祈念像の下にね、あのー、千羽鶴が飾られているんですよ」 先の怪談のあまりのショッパさに、オレたちも警戒心を隠し切れなかったが、それでも黙って聞いた。 「それで…あのー、夜になるとですね、その千羽鶴が」 銭高はずり下がった眼鏡を直した。オレたちは固唾を飲んだ。 「平和祈念像の周りを飛ぶんです」 また、長い沈黙が流れた。 「…それで?」 「…はい?」 「それからどうなったんだよ!」 「え、いや、周りを飛ぶんです」 次の瞬間には、垣原が銭高の顔面に膝を落としていた。 銭高も今度は斜めになった眼鏡を直すこともできないようだった。 オレたちの忍耐もそこまでだった。 「ふざけんな!」 「金返せ!」金は払ってないが。 「ゼニてめえ!いいから降霊会やれこの野郎!」 「いいからやれこの野郎!」 「わ…わかりました」垣原の膝の下から顔を出して、銭高が言った。 「わかりましたから、その前にトイレに行かせてください…」 もともと青い銭高の顔は、既にこの時、紫色に変わっていた。それでオレたちは多少ビビリ、「てめえ、すぐ帰ってこいよ」止むを得ずトイレに行かせたのだった。 それから10分。 銭高は戻ってこない。 あの野郎、逃げたんじゃねえか、という話になった。冷静に考えれば、そりゃ誰でも逃げるだろうが。しかしオレたちも、もはや引っ込みがつかなくなっていたのだ。そんなわけで坪川(仮名、パシリ)とホー・チ・ミン(仮名、ベトナム人)が銭高が消えたとおぼしきトイレを覗きに走ったのだった。 「ゼニの野郎、ふざけやがって…」「いい迷惑だよ」どっちが。と、そんなことを話し合っていると 「ギャアアアアアアアアアアアアアアア!」 廊下の向こう、トイレのほうから坪川とホー・チ・ミンの悲鳴が聞こえた。オレたちは即座に立ち上がり、タコ部屋からトイレに突進した。「ギャー!」絶叫しながら、坪川とホー・チ・ミンが転がるように走ってくる。 「どうした!おい、どうした!」 「ゼニが…ゼニが…」 坪川の眼鏡はあまりの恐怖に、斜めになっていた。 「ゼニがゲロ吐いてる!!」 「な、何いぃ?」 そう、ゼニはゲロを吐いていた。 しかも無理矢理。 トイレの個室から「コワッ、カッ、カッ、くええええ〜」という、どう考えても喉に指を突っ込んで無理矢理吐いている声が響いていた。 怖かった。そのときの恐怖をご理解いただけるとも思えないが、とにかく怖かった。 その証拠に、オレたちは「うわああああああ〜!」全力でその場を逃げ出していたのだから。 後には「くわっ、かへっ、か、あああああ〜」銭高の声だけが木霊していたという。 それからのことは憶えていない。ただ翌日、元気にその辺を歩いている銭高を見たときには、「もう、あいつに関わるのはやめよう…」誰もが本気でそう思ったのだった。 完 |