撮影日2017年7月2日(平成29年7月2日)
撮影場所:飯田市南信州木沢811
所在地:飯田市南信州木沢811
木沢地区の人口推移 昭和59年619名 平成15年4月367名(159世帯) 平成29年5月188名(98世帯)
遠山郷木沢地区は、上町、下栗、和田を結ぶ秋葉街道の要所に位置し昭和15年軍用材搬出の為に開通した遠山森林鉄道の
起点として一時は殷賑をきわめた地区である。しかし戦後の経済成長による人口流出に加え国産材の低迷により鉄道が昭和43年廃止決定となり
人口減少は続く、過疎化に悩みながらも、これを逆手に遠山郷の魅力を発信しながら今日に至っている。ゆったりとした時の流れを感じ心癒される地域です。
その木沢地区に在る昔ながらの木造校舎「旧木沢小学校」は地区語り部の要である。
木沢小学校の歩み
明治5年、修身学校で発足。はじめは、八幡神社境内の回り舞台で授業開始。明治37年に新校舎建設。昭和5年の木沢の大火により焼失
その後、新校舎建設に取り組み、敷地は、前沢、斉藤氏が無償提供され、村民一致団結した協力と努力によって昭和7年に現校舎の再建がなった。
生徒数の推移は、昭和7年230名。ピークは昭和20年に310名、その後も200名台を数えたが、昭和30年後半には減少に転じ、40年後半には100名をきり、28名となった平成3年に休校。
平成12年3月には廃校となり127年の歴史の幕を閉じた。送りだした児童数は2000名余と記録されている。
2017年7月2日飯田線豊橋発ワイドビユー伊那1号で平岡へ、特急の停車駅で無人とは驚いた。降車したのは3名、一人乗合いタクシー(500円)に乗り和田宿まで。バス停和田に一人降り立つ、
秋葉街道和田宿の家並みが軒を連られているが人影が無い。日曜日のせいか行き交う車も少くない。近くで、うぐいすの鳴き声。教えられたように、タクシー会社に電話、木沢までを予約
待つこと20分、15分程で目的地に辿り着く。お電話してあった、校舎の世話人、松下さんの温かい出迎えを受けた。(同氏は木沢地区活性化協議会の代表者)
控え室でお茶の接待を受けながら、校舎の生い立ちや現状、遠山の霜月祭りのこと等詳しくお伺いした。地区活性化に対する熱い情熱を感じた。
その後、各教室のご案内と説明を受けた。帰り際に「12月第二土曜日の霜月祭り」に是非きて下さいと言われた。帰路タクシーに乗り振り向くと、松下さんが手をふって居られた。ありがとうございました。お世話になりました.木造校舎の保存に懸命に努力されて居られる姿をみて感謝の念を深く致しました。
帰路、和田宿のバス停で(信南交通和田営業所)、待ち時間を利用し、バス停の裏手に在る龍淵寺へお参りした。(遠山郷を治めていた遠山一族の菩提寺)
「南信濃でアンバマイカ特集号」の一節を紹介します。(アンバマイカとは遠山地方の方言で、遊びましょうという意味)
遠山郷にくらす
東を仰げば南アルプス、西を眺めれば伊那山脈、下を見下ろせば遠山川。道を走れば、鹿や猿とすれちがう。畑を作れば,夜ごとに猪がしのびよる。
谷にはりつく村を見て、よそから来た衆はきっと言う。「こんな山奥で暮らすなんて、大変ですね」 大変なこともそりゃ多い。だけども嬉しいことはもっと多い。
だからわたしらは、代々ここで生きてきた。そしてこれからも、遠山郷で生きていく。村の衆と力をあわせて。外の衆と力をあわせて
木沢小学校校歌 岡本敏明 作詞
1・あしたに仰ぐひじり岳 夕べに望むうさぎ岳
気高く清い山々に 遠い未来の望みかけ
深く正しく学ぼうよ 木沢 木沢 木沢小学校
2・遠山川の水は澄み 涼風わたり鮎おどる
われらも元気はつらつと 小魚のようにとびはねて
強く雄々しくそだとうよ 木沢 木沢 木沢小学校
3・杉の木立にかこまれた 平和の里をになうのは
われらのつとめともどもに あすの栄をきずくため
きたえはげもう意気高く 木沢 木沢 木沢小学校
玄関両サイドのさくらは、旧校舎(焼失)の校庭より移植。
階段の手すりを滑り台として遊びましたね
階段の手すりは滑り台
旧木沢村社.八幡神社
旧木沢村社.八幡神社、霜月祭りの舞台。32面の面(おもて)登場。
[霜月祭り]は宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』のアイデアのヒントになった言われている。
ネコ校長
教室に飾られた霜月祭りの状況
廊下に展示されていた写生画
龍淵寺本堂(信南交通和田営業所の裏手に在る)
龍淵寺境内の句碑 「遠山の郷の守りの龍淵寺 念ずる花の咲き匂うなれ」(坂村真民)
龍淵寺境内句碑誕生の経緯 この村の駐在さんと真民さんが交流のあったご縁でお寺ともご縁ができ、生まれた詩
龍淵寺境内の句碑 「念ずれば花ひらく」(坂村真民)
境内の観音霊水場に書かれた山頭火の句
秋葉街道の昼下がり
平成30年木沢小学校タカネ校長からの年賀状