撮影日 2017年 10月17日
影場所:田辺市立三里小学校 和歌山県田辺市本宮町伏拝966番地
所在地:和歌山県田辺市本宮町伏拝966番地
校舎建築年月日 昭和36年(1961年)。平成30年(2018年)には取り壊される予定。新校舎は近くの三里中学校の跡地に建築中で鉄筋コンクリート造りである。
平成29年4月の児童数 43名 教職員数11 名。 平成29年末の卒業生総数は、2963名である。
開校 明治9年2月27日 伏拝小学校開校。その後、大居、土河屋、切畑、上切畑にそれぞれ小学校が開校され、合併、改称等、幾多の変遷を経た後、大正3年4月、現在地に本校校舎完成。
昭和16年4月1日、三里国民学校と改称。昭和22年学制改革により、三里小学校と改称、現在に至る。
名古屋を8時5分のワイドビュー南紀で新宮着11時30分、10月なれど、汗ばむ陽気。駅前のトヨタレンタカーに立ち寄り、ビッツをレンタル、ナビに目的地の電話番号を入力、38キロ
所用時間1時間と表示、案内。熊野川沿いに一路、目的地へ、市街地を抜ければ行き交う車もさほど多くなくスムーズに走る。熊野本宮を通り過ごし、更に北へ、ナビの案内に従い行けば
前方に、校舎らしき建物が目に入る、避難所、三里小学校の表示あり、集落の路地に入り、しばらく行けば、校舎の壁に「三里小学校」と書かれた校門前に着く。
まず、一面緑のグランド(校庭)が目に入る。手で触ってみれば、なんと天然芝である。今まで100校近い校舎を訪ねてきたが、全面芝の校庭は初めてのこと、驚いた。
維持管理には大変な苦労があるに違いない。校舎に向かって芝の上を歩けば心地良い。校庭の片隅には、巡回図書館の車が止まり、4、5人の子供達に囲まれている。
本を抱えた子供さんがこちらに向かって来た、「こんにちわ」と声を掛けられ、「こんにちわ」と。教員室はどちらですか?と問えば、案内しますと言って石段を登りながら
「こちらです」タイミングよく、女性の先生がでてこられた。子供は、「先生、お客様です」と取り次いでくれた。「ありがとう」と言葉を掛けた時には、彼は、石段を降りて
校庭にいた。教頭先生に取次ぎ頂き、訪問の主旨をご説明したところ、「今、校長が留守ですので、連絡を取り了解を得ますから暫くお待ち下さい」との事。校庭の巡回図書館を囲む
子供達を見ながら、待つ。「お待たせしました。了解を得ましたので、ご案内いたします」と3棟の校舎の案内を受けた。「この校舎の廊下いいですよ、それに、廊下の窓の上に掛けられて
いる、番傘、めずらしいでしょう。私も赴任してきた折は、ビックリしたんですよ」、聞けば、昔は、急な天候の変化の折に備えていたとの事。見れば50本近い傘が掛けられている。
傘には、三里小学校5号と書かれていた。掛け板は、廊下の長さと同じである。板には番号が書かれている。昔は、200本以上の傘が掛けられていたようだ。
木造校舎の廊下は清掃が行き届き美しい、教室では、演奏会が近いのか、練習に励む子供達の演奏メロデーが流れていた。童謡「あめふり」をつい口ずさむ。「じゃのめで でむかえ
うれしいな」自然豊かな山峡(やまあい)の郷には、番傘がよく似合うのでは。
校庭の芝といい、番傘といい、山峡の学校では、子供は宝であるの思いが、ごく当たり前に受け継がれているのであろう。教育の根源ここに有りの感を強くした。
校庭の芝生化は、県の指導もあって、前校長が取り入れ、現校長に引き継がれている。子供達がのびのびと校庭を走り回る光景が目に浮かぶ。
校歌(作詞、野下純三、作曲 南 能衛)
1.山は緑に 気は澄みて
遠き歴史の 秘むる地に
いだく理想は 果無の 嶺の高きに 劣らじと
集えるわれら いざともに 学びの道に いそしまん
2.遠き流れの 熊野川
山峡(やまあい)とみに 拓けきて
平和な町の 学び舎に 進む文化に おくれじと
心をみがき 身をきたえ 強き意志もて つらぬかん
全面、天然芝生の校庭、野外での遊びや、運動には最適。転んでも痛くなく、怪我の心配も少ない。右端の六角屋根の建物はトイレです。童話の世界ですね。
校庭の芝生化は、県の指導もあって実現したようだ。
プールと校舎
学校の脇を流れる、三越川。やがて本流の熊野川に合流し太平洋に入る。
校庭の片隅に立つ柳
この右隣には「本宮町立三里小学校」の銅版の表札が掲げられている。
廊下の左奥の窓の上に番傘が掛けられている。
掛けられている番傘約50本、在校児童数とほぼ同じである。
巡回図書館バス