撮影日 2018年 3月15日
影場所:田辺市立近野中学校 和歌山県田辺市中辺路町近露24-10
所在地:和歌山県田辺市中辺路町近露24-10
校名 近野中学校 (校名の謂われ) 校区の地名、近露と野中の頭文字を取って、近野中学校とした。、
昭和22年5月近野神社社務所を仮校舎として開校
近野神社は、校庭に隣接した高台にあり、熊野古道 近野神社の提灯が印象的であった。
校舎建築年月日 昭和23年4月(1948年)、昭和38年6月校舎改築、昭和44年4月近露と野中小学校統合し、近野小学校が併設される。(平成8年4月小学校は別の所に新築し移転)
昭和23年の一期生は13名、その後、年々増加し昭和38年16期生は61名の卒業生を送りだした。しかし平成10年以降の卒業生は10名以下となり、平成30年には在校生が12名となった
平成30年3月現在の送り出した卒業生総数は、1,550名である。平成30年3月の在校生12名、教職員数10名。現校舎は耐震度が低い為、平成30年3月をもって閉校となり、
現在の校舎とはお別れとなりますが、近くの近野小学校に併設される校舎で、新たな歴史を刻む事になります。生徒さんの健やかなご成長を祈っています。
校長先生のお話では、近年、アイターンの兆しがあり、期待をして見守っているとのこと。熊野古道に囲まれた、豊かな自然、温かい人情味溢れる土地柄、
きっと期待がかなえられるに違いありません。
昨年来田辺市を訪ねるのは三度目である、新宮駅着11時34分、駅前のトヨタレンタルに寄るも、「引越し等の予約で今日は無理です・・駅レンに行かれては」と断られる。
駅に隣接した、駅レンに行き無事レンタルが出来た。車は、ビッツ、早速ナビに目的地近野中学校の電話番号をインプット、距離53キロ、所用時間1時間半と表示、
「今は道路も整備されていますので、もっと早く着けると思いますヨ」との係りの方の声を後に、安全運転を心掛け目的地へ、前回同様、市街地を抜けて熊野川沿いに北上。
熊野本宮の少し手前(2キロ程)を左折、国道311号線に入り約15キロ、右折、しばらくして、左に近野小学校が目に入る、さらに上がれば、ナビ音声、目的地周辺ですと。
目的の校舎は、道路の右の高台にあった。校舎の玄関を通りすぎて、空地に車を駐車。(他に2台の車が駐車)
通り抜けの玄関を入り、校庭に居られた、先生と思われる方に、訪問の主旨をお話しした所、校長先生にお取次ぎいただいた。
校長室に案内され、自己紹介と訪問の主旨をお話しした所、突然の訪問にもかかわらず丁寧に応対頂き誠にありがとうございました。
近野中学校『校舎とのお別れ式』のことに触れられ、校章の謂われ、「柏の葉は男子、桜の花弁は女子を表現」や、校歌の作詞者、野長瀬晩花氏と地域の関係のお話しを聞く。
現在は在校生12名であるが、昭和25年には、西牟婁地方の野球大会に於いて、宿敵を破り優勝を成し遂げたことを懐かしむように語られた。
その後、教室のご案内を願った。調理室では、食器類が纏められており、引越し準備中である事が伺われた。授業中の教室もあり、アイロン掛けの実習かな?。
数学の授業か黒板には、数式、図式が描かれていた教室もあった。
写真を撮る許可を得て、校庭に出る。校舎の写真を撮り終え、隣接した高台に在る近野神社に向かい参詣。この神社の社務所が近野中学校発祥の場所である。
校庭にはテニスコートのネット張られている。いつでもプレイ出来る状態。全ては、3月末をもってお別れである。校舎、校庭、神社の木立ありがとう、ご苦労さんでした。、
校長先生にお礼の挨拶をして帰路につく。
路にでれば、熊野参詣道中辺路、それらしき人、5,6人の方とすれ違う。弥生の空は蒼く風も爽やか、良い時を過ごすことができました。感謝、感謝。
校長室に張られていた標語です。
近中の掃除の合言葉 校舎は古いがきれいな学校 (新年度からは校舎は新しくなります)
あいさつは きずなを深める第一歩 (近野中2年 岡崎七海)
私たちは 生徒が来てよっかた学校 親が行かせてよかった学校 職員が勤めてよかった学校をめざします
校歌(詞、野長瀬晩花(近露出身、日本画家)、作曲 阿部一正(愛媛出身、元田辺高校教諭)
1.希望の空の朝茜
光芒山の秀に映えて
早霧は晴るる小原の瀬
躍る若鮎 溌溂の意気
2.新樹は萌ゆる一里石
小鳥は唄う愛の苑
健康に瞳輝きて
広世界に 人智を究む
3.学びの庭に生々と
競いて開く文の華
世紀は奏らす青春譜
讃えよ誇れ 我が母校
ああ ああ 近野中学校
中学校全景
旧小学校校舎(今は使用されていない)
神社に向かう登り道から見た校舎
通り抜けの玄関口
通り抜けの玄関口
発祥の仮校舎が在った近野神社
校舎への路
校舎への路
周辺の集落
学校下の路の標識
矢印に沿ってしばらく行けば中学校が見える
道路より見た中学校