撮影日2017年7月10日(平成29年)
撮影場所:三重県北牟婁郡紀北町立白浦小学校
所在地:三重県北牟婁郡紀北町立白浦127
開校年月日 明治15年1月31日. 閉校年月日 平成10年4月1日. 廃校年月日 平成28年4月.
現校舎建築年月日 昭和26年3月
卒業生総数1379名 ( 平成29年5月現在の 白浦の世帯数124世帯 人口 209名)
校歌 作詞 奥村丈太郎 ・作曲 不詳
1.歴史は古き大白の 松のときわに砂白し
このよき里の学舎に 教えの道をみがかなん
いざやいざやもろともに
2.平和文化の声高く 至誠進取公徳の
学びの窓に定めたる 三つのいましめ守らなん
いざやいざやもろともに
平成29年7月JR東海紀勢線ワイドビュー南紀名古屋発8時5分、尾鷲着10時45分、尾鷲に駅に降り立ったのは我一人 駅舎を出たが、駅前には人はいないし車もいない、駅前のバスの観光案内所に入り白浦行きのバス停と時間を問う。 バス停は少し下った信号の右にあり、時間は11時44分ですと。約1時間の待ち。止むを得ずタクシーと思い、駅前の交番に電話番号を聞く。「案内板に書いてあるよ」と言いながら、タクシー乗り場案内板まで同行してくれた。「一台もいないなんて
今日は、何かあるのかな。上に書いてありますよ」。電話して5分できた。途中、引本小学校で写真を撮り目的地へ。4500円。
帰路の相賀の役場行きのバス時間を確認。約1時間半後。バス停横の坂道を5分程登った所に、白浦小学校があった。校庭から
見下ろす白浦漁港と家並み、のどかな風景、あちこちで鳴くウグイスの声、トンビもピーヒョロロと空を舞う。
過疎化に伴い合理化の名の下、隣村の矢口小学校に統合。廃校となった。(現在2名の児童は峠を越えた隣村の矢口小学校に在籍)誰もいないと思った校庭の片隅を蟹が散歩中。
校舎の裏で声が、行ってみると裏は墓地。ご夫人二人連れ、墓参りを終えた所。声を掛ける。「この小学校の卒業生ですか 」
「そうです、でも生徒が少なくなったから廃校なの、津波の避難場所になっているけど、大地震で潰れるんじゃないかと心配です」。
白浦に来て初めて対話ができた。暑いせいか人影は他に無い。
矢口小学校について・・私の母校です。戦時中、名古屋から、母の在所、矢口浦生熊に疎開、約4年お世話になり、卒業したのが、矢口小学校でした。
同級生は15名足らずだった記憶である。現在の校舎は鉄筋造りであり紹介出来無いが、当時は、しっかりとした木造造りあった。懐かしい。
開校以来 115年、白浦から1379名の人々を送り出した校舎、過疎化の進む村で廃校後の維持は困難に違いないが、知恵を絞り維持されん事を祈るばかりです。
校舎さん、本当にご苦労さまでした。白浦の語り部としてメーセージを発信し続けて下さい。
校庭に佇めば子供達の声が裏山にこだまして聞こえてくる様です。やはり、ホーホケキョ、ピーヒョロロ静かです。
バスの時間まで50分、漁港へ向かう人影は無い?、居ました、向かい側の突堤の灯台付近での釣り人3人、こちら側の突堤の先端まで行き声を掛ける
「何が釣れますか?」、「あじ、さば、?、さばが多い」、地元の方ではない様な気がした。ポツリ、ポツリ雨がきた。バス停へ向かう前に漁協に寄る。
漁港に向かった折、漁協のビルで声がしていたので、学校に関わる事をお聞きしようと立ち寄るも事務所はロックされていた。バス停にはご婦人の先客一人。、
ご婦人に声を掛けた。「漁協はお休みなんですかね」、すると「今、昼休み、2時過ぎにならないと戻ってこないよ」三度目の会話である。ホーホケキョ、ピーヒョロロ。静かです。
校庭の傍らに建つ歴史を秘めた校舎、
もの言わぬ錆びたバスケのゴールネット
校庭より金網越しに見た白浦の漁港と家並み
校舎の裏側,手前のお社は、六地蔵さん
蟹さんの散策
漁港からみた校舎
校庭よりみた白浦漁港と家並み
白浦漁港
白浦漁港外の風景。ライオン巌と名付けました
校歌と校旗
突堤の釣り人