クイズの優勝!!!
 1995年3月4日、土曜日。
  その日は友人Aからの電話で始まった。
  聞いたところによると「東京23区商工会議所連盟の120周年イベント」があるとのこと。
  Aの親御さんがそのイベントの招待状を持っているのだが、都合がつかず行けないらしい。
  そこでAが代わりに行ってもらうよう頼まれたのだ。
  でもって、招待状が複数あったため、Aと仲の良いH、S、そして私が同行することになったのだ。
  
  私はAに「バイトがあるので、途中で抜けるかもしれないが、それでもよければOK」と回答。
  Aも快く承諾してくれた。
  
  イベントの場所は東京ドーム。
  私自身、東京ドームへ行くのはこの日が初めて。
  手続きを済ませて中に入る。
  各人の座る場所は23区ごとにエリアが割り振られていて、招待券の示す区のエリアに座ることになっていた。
  我々は葛飾区の招待券をもっていたため、葛飾ブロックに座る。
  (葛飾だったのは、Aの当時の在住地・現在の実家が葛飾区四つ木だったため)
  
  このイベント、私が当初想像をしていたよりもはるかに大規模なイベントだったらしく、
  東京ドームの観客席(でいいのか?)は、かなりの人で埋め尽くされていた。
  正確な人数はわからずじまいだったが、およそ4万人といったところだろうか。
  
  イベントの大規模ぶりを示すもう1つの要素、それは司会進行役、福澤朗氏。
  「ジャストミート!!」や「ファイヤー!!」で有名なあの福澤朗だ。
  現在はフリーアナウンサーやタレントとして活躍の氏、当時は全日本プロレス中継などの番組で、
  日本テレビのアナウンサーとして、有名になりつつある頃だった。
  
  もっとも、その時の自分は「へぇ〜」というくらいの反応でしかなかった。
  さらに、イベントの開始に先駆け、福澤がある2台の車のアナウンスをする。
  1台めは抽選で1名に当たる軽自動車。車種を失念しました(すいません)。
  そして2台め、オデッセイ(ホンダ社)のアナウンスをする。
  こちらは、後ほど行われるクイズイベントでの優勝者が獲得するというもの。
  ただ、福澤朗が「オデッセイでっせぃ」と、つまらないギャグをいうものだから、
  当方「なんともつまらぬ駄洒落を」と思うにとどまった。
  数時間後、よもや自分がそのオデッセイを獲得するとは知らずに・・・・・・
  
  
  ちなみにこのイベント、クイズ以外にもいくつかのセレモニーがありましたが、内容はほとんど失念。
  ほとんどクイズのことしか覚えていません。
  そんなに飽きるようなものではなかったとは思いますが(たぶん、飽きてたら寝てる)。
  
  
  そして、数時間後。時刻は午後4時すぎくらいからだったと思う。
  クイズのイベントがスタートする。
  ただ。クイズとはいっても、4万人の中から勝者1人を決定するのだから、早押しクイズなどやっている時間はない。
  形式は○×クイズ。ルールは単純明快。1問でも間違えればそこでおしまい。
  (あとで知ったのだが、実際に賞品を獲得できるのは上位3名。2位は旅行で、3位はサラダ油の詰め合わせセット)
  
  このとき、1つ思うことがあった。それは「後悔をしたくない」というもの。
  予選が始まる前、なんとなくそんな感情を持っていました。
  
  ほどなくして予選開始。
  予選はあらかじめ手渡された○と×のプラカード、どちらかを掲げる単純明快な方式。
  (でも、ちゃんと正解をチェックする人がいる)
  予選1問めと2問めは参加者をふるいにかける程度の簡単な問題。
  一緒にいた3人と共に全員で正解する。
  次に予選3問め。
  ・・・答えがどちらかわからない。
  一緒にいたAが「こっちじゃないか?」というので、それに追従してみました。
  (最終的にこのクイズイベントで唯一、判断を他人に委ねた解答であった)
  そして正解。
  続けて予選4問め。
  この問題もかなり難しい。
  だが、ここでは前の1問とは逆に自分の判断に身を任せる。
  友人たちは3人とも、自分とは違う解答を挙げている。
  
  ・・・ここは私が正解だった。
  結果的にここまでが予選となった。
  予選4問めまでを全部正解した人は、グラウンドで○×クイズを継続していく運びとなった。
  友人たちにはありきたりな言葉で頑張ってくることを伝え、グラウンドに向かった。
  
  自身初めて、野球場のグラウンドに足を踏み入れました。っていうか、その後も踏み入れたことはないです。
  ここでも思っていたのが「後悔したくない」というもの。
  この感情を言葉にするのがなかなかできませんが、このあとクイズが終了するまで、常にこんな状態でした。
  
  本戦開始前の状況の説明をしておきます。
  まず本戦1問めの開始前に残っているメンバーは1箇所に集められます。
  (これはウルトラクイズみたいな感じですね)
  1問めが出題された際、○か×どちらかに走ります。
  2問め以降はその○側のエリアor×側のエリアから走ります。
  (同じ解答が連続していると思えば動かないということ←ここはウルトラクイズよりも簡易的なところ)
  
  で、本戦開始。
  最初の1問は知っていた問題だったようで、迷った記憶がありません。
  途中、記憶にある1問は本戦の2問めだったか3問めだったか。こんな問題が出題された(すこしおぼろげ)。
  「現在、イギリスで生産されている車のほとんどは左ハンドルである。○か?×か?」というもの。
  私はこう考えました。「イギリスは日本と同じ左側通行だったはず。ならば、左ハンドルの車が多いとは考えられない」と。
  ×側に向かって走るが、大半の人は○側に向かっている。
  一瞬「もうダメか?」と思いました。
  というか、このクイズの最中は常に 「この問題でおしまいか?」という気持ちばかり先行していた気がします
  (おしまいか?っていう気持ちが一番大きかったのがこの問題のときだったから、問題を覚えていたのですね)
  しかし、福澤が発表した解答は×。
  このとき、×側にいたみんな(自分含める)は大半の人が○側に行ったこともあって、喜びもひとしおといった感じでした。
  思わず、となりいた方に握手を求められ、自分も握手を返したことを覚えています。
  もっとも、その握手を交わした方も2〜3問後に間違えて、敗退してしまいましたが。
  
  クイズはまだまだ続きます。
  もう何問解答したのだろうか?何回走ったのだろうか?
  もはや、何問出題され何問正解したかなど、全く記憶にありません。
  そうしているうち、だんだんと人数も少なくなってきました。
  けれど、私の正解は続きました。はっきり言って、カンも運もよかったのでしょう。
  いま、同じようになんらかのクイズをして、4万人の中で1位になれといわれてもまずできないでしょう。
  
  ましてや、このクイズ。不正解で敗退した方は、席に戻っていくのです。
  よくよく考えてみれば、正解して残っているメンバーを残りの約4万人が見ているわけです。
  いくら一般の方々とはいえ、自分は友人と一緒に来たとはいえ、4万人もの人が見ていたらプレッシャーも感じるはず。
  でも、自分はそんな境遇の中、おそらく他に残ったメンバーとは全く違うことを考えていました。
  「ここから先は心理戦だ」この考えはラストの2問で功を奏します。
  
  閑話休題。さらに人は減り、とうとう3人になってしまいました。
  1人は30代前半くらいだろうか?もう1人は50代くらいだろうか?2人とも男性です。そして、もう1人が私。
  次の出題前に福澤氏が3人に順番に問いかけます。
  「どちらからいらしたのですか?」
  他の2人がどうこたえたかは全く覚えていません。・・・すいませんm(_)m
  で、私。「葛飾
  ちなみに、後日Aから「お前が間違えて『江東』と言ってしまわないか、心配だったよ。」と言われました。
  当時、私は江東区に住んでいたからですね。
  まぁ、いまも実家がありますし、本籍はいまだ江東区ですけどね。
  
  ここからは、3人でどの賞品を獲得するかの争いになりました。
  といっても、ここに来てなお、オデッセイの意識などハナっからなかったわけですが。
  (というか、意識がなかったからこそよかった?という説も)
  
  福澤氏から問題が出題されます。
  問題は覚えていませんが、この問題の解答が×だったこと、そしてこの1問前の問題も×の解答だったことを覚えています。
  ここで先ほど自分が思った「心理戦」が頭をよぎります。
  どういうことか?
  残った3人はこれまで全問正解を続けている。
  ということは、みんな同じ×側のエリアにいるということである。
  私は頑として、その場を動こうとはしなかった。そして、他の2人の様子を伺う。
  とうとう、30くらいの方が○側へ移動した。
  「やった!」心の中で思った。←ヒネクレた高校生ですね(笑)
  解答が締め切られ、ほどなくして、福澤氏から×の解答が発表された。
  
   ・・・少し回想させてください。
   実は、残り2人になった状況、これを持ってして、未だ自分にはオデッセイの意識はありませんでした。
   おそらくは、家に車もあるし、そもそも自分がまだ自動車免許を持っていなかったからでしょう。
   良くも悪くも、純粋にクイズへの勝利に意識が向いていたような気がします。
  
  話を戻して。
  そして、最後の1問。福澤氏から問題が読み上げられる前に私はふと思いました。
  「片方がある解答を選んだら、もう1人は絶対違う解答を選ばざるを得なくなる。次の1問で絶対に決まる!」と。
  さらに、もう1つ。
  「問題の答えがわからなければ、○側に走ろう。走り負けがクイズの負けにつながるのは後悔する!」とも。
  
  最後の問題が福澤氏から読み上げられました。
  車がかかった大一番だというのに、私この問題も覚えておりません。
  でも、福澤氏の問題読み上げが終わるか終わらないかのうちに走り出している自分がいました。
  そして、私には横目で見えてしまいました。
  私が先に○側に走ったことで、 ○側に走りたかったもののそれを躊躇したもう1人の方の姿が・・・
  「これでクイズに負けたとしても、後悔はしない!」私はそう思いました。
  もっとも、福澤氏に「自信はあるかー!」と聞かれて、返事できなかった自分だったのですが。
  
  2人の解答がわかれ、最後となったこの問題。
  解答発表にも若干の間があきます。
  いやがおうでも緊張するというものです。
  そして、福澤氏から発表された解答は・・・
  
  「○」
  
  そう。私は優勝してしまったのです。あの4万人を超えるであろう大人数の中で。
  無意識に両の拳を大きく突き上げてガッツポーズをしていました。
  
   ちょっと回想
    あれ?そういえばあの時、テレビカメラが回っていた記憶が。
    ローカルテレビ局で優勝シーンでも紹介されたのかしら?
  
  
  ほどなくして、優勝インタビューが始まりました。
  まず福澤氏に言われたのが「最近、なにか食べましたか?」って。
  私が「いえ、特には。」って答えたら、
  あの男「それにしてはエンゲル係数高そうですねぇ。」だって。口の悪いアナウンサーだこと。
  しかし、優勝で放心してしまった自分は「余計なお世話だ。」という気分はどこかへ吹っ飛んでいました。
  
  ちなみに、インタビューは前述の(私を含む)3名が受けました。
  インタビューの後、自席へと戻って行きました。
  当然、友人らにも驚かれました(そりゃそうだ)
  実は、このあともイベントは続いたのですが、バイトの開始時刻が迫ってしまった私。
  会場を後にしなければなりませんでした。
  友人3人が気を使って、一緒に会場を後にしてくれました。
  会場を後にする際、周囲の方々から「優勝おめでとう」を連発されました。
  私も「ありがとうございます」を連発しながら、出口まで去っていきました。
  出口で、偶然にも同じ高校Oに遭遇。これには友人ともども驚きました。
  なんでもOはバイトで、その出口の管理をしていたのでした。
  Oと少し話をしたあと、東京ドームを後にし、友人たちと別れました。
  そして、私がバイトに向かっていったところで、私にとってのこのイベントは終了しました。
  
  
  
 イベントの余波
  このクイズイベントに優勝し、オデッセイを獲得してしまった私。
  当然のことながら、この車でその後の人生がかなり変わりました。
  
  
 両親の反応
  イベントに行くことは親に事前に伝えていました。
  しかし、賞品があることは友人ともどもイベント会場に行ってはじめて知ったことですから、
  私の両親はまさか、車なんぞを獲得するなど思ってみてもいなかったはずです。
  当然ですが、驚かれました。
  これは後日談ですが、このオデッセイをウチの車として使ってもらうよう父親に頼み込みました。
  
  当時、家には別の車がありましたのでオデッセイはそのまま売ってしまうこともできました。
  それに、車は獲得できても手数料などは自分で支払わなければなりません。
  30万円くらいの経費がかかります(実際かかりました)。
  それでも、優勝して獲得したオデッセイをフイにしたくはなかったのです。
  実家にいたころ、親にほとんど物をねだることがなかった(アスペルガー由来でそれができなかった?)私。
  オデッセイを家の車として使ってもらうのは、私の数少ない親への物ねだりでもあります。
  なお、私が自動車免許を取得して、この車を運転できるようになったのは、優勝から4年後のことであります。
  
  
 クラスの反応がおかしい?
  クイズの優勝から1週間後、高校の卒業式がありました。
  高校での登校はいつも遅刻ギリギリだった私、この日もギリギリの時刻で教室に入りました。
  しかし、私が来るまでは、普通程度の騒がしさだったクラスが、私が入った途端に騒然とします。
  そして、誰かが私を目撃するなり、「葛飾だー」と声をあげます。←実際には本名で呼ばれています
  通常とは違う騒がしさで私が「?」となっているところに、誰かが問いかけてきました。
  「クイズに優勝して、車を獲得したんだって?」
  まさか、知られているとは思わなかった自分、逆に驚きました。
  1年の時に同じクラスだったMがウチのクラスに来ていて、Oと一緒にバイトをしていたことを聞かされます。
  
  バイトが充実しすぎていたこともあって、同じクラスの人とはほとんど関わらなかった私ですが、
  同じクラスの人にとっては葛飾という人間像を一変させる出来事にはなりえたのでは?と思います。
  
  
 ペンネーム(PN)・ハンドルネーム(HN)のきっかけになった
  当方が現在使っている葛飾達夫というPN・HNですが、
  これは、上記のクイズの優勝からつけたものです。
  優勝時、葛飾ブロックで参加していたので葛飾、 オデッセイから達夫としています。
  
  ペンネームを考えたのは優勝から約2年たってからのことです。
  しかし、なぜオデッセイから「達夫」になったのか?
  自分でもいまだにわかりません。ただ、なぜかそういう連想になってしまったのです。
  
  おまけ
  葛飾区出身と思われることはもちろんのこと、本名であると間違われたことまで、数多くあります。
  (両者合計で100回以上。1000回まではいかないと思うけど、ひていはできません)
  ここまで慣れ親しんだ葛飾達夫の名前。
  実は、1度ペンネームを変えようとしたことがありますが、結局、定着せずそのままとなりました。
  
  というか、(仕事関係者を含めても)本名より葛飾達夫の名前の方が知っている人が多いっていうのだから、
  変えるというのもムリな話なのかもしれませんね。
  ま、いまでは変える気もなく、これからも葛飾達夫で通していくつもりです。
  
  
 なにわ道楽は結成されていなかった?
  数年後、2人の同人サークル「なにわ道楽」 を結成することになるわけですが、
  あのオデッセイでなければ、これはなかったかも?
  そう思うと、オデッセイの存在は大きかったです。
  
  
 後のクイズ観に影響を及ぼす
  これはこのクイズ単発というわけではないのですが、
  自分が麻雀格闘倶楽部、クイズマジックアカデミーというプレイ遍歴を経たうえで、ということですけどね。
  
  麻雀格闘倶楽部をやっている方だとわかる場合が多いですが、
  麻雀の場合、麻雀格闘倶楽部などいわば、ネット上で対戦する場合と、
  実際に対局する場合を区別することがあって、実際に対局する場合を「リアル」という言い方をすることがあります。
  
  実は当方、クイズにおいても同じ考えを持っています。
  つまり、「『オンラインゲーム上でだけクイズの強い人』と『リアルでもクイズの強い人』」は別と考えているのです。
  まぁ、私に言わせれば、マジアカやっている人の中で「リアルのクイズに強い人」と言えるのはごく少数ですね。
  (もちろん、私自身はリアルのクイズがまだまだ未熟な人です)
  ちょっと表現しづらいですけど、クイズに対してかなり特殊な考え方だっていうことですね。
  ・・・もしかしなくても、アスペルガー障害の影響が多分にあるかと思われ。
  
  
  

 一般的な高校生が勉学に励むであろう時期にバイトに明け暮れていた私。
 そんな高校生活は最後の最後で思わぬ出来事が待っていました。
 そして、その出来事は現在にも大きく影響しています。
  
 残念ながら、オデッセイは2006年にとある都合で手放されてしまったのですが、
 クイズに優勝した事実、車を獲得した事実は消えることはありません。
 その喜びを忘れずにこれからの生活に希望を持っていたいと思います。
 
 一方で、高校時代(細かく言うと大学時代も)は他のみんなに比べて勉強量が大きく落ちた時代ともいえます。
 もちろん、当時の自分を後悔してはいません。自分なりに多種多様な経験をしてきたつもりです。
 (不健全なことはしていないけど)
 とはいえ、学生時代もっと勉強しておけばよかったと思うことは多々あります。
 でも、勉強はいまからだって出来ます。
 自らを研鑽して年齢に相応しいだけの知識を身につけていきたいと思います。
 ・・・・・・でも、その知識って大半がクイズマジックアカデミーに使われるんだろうなぁ(笑)
 
 それでは、ひとまずはこの辺で。

それじゃ、そろそろかえるわよ。
さぁ、かえるわよ。