インカを訪ねて(ペルー周遊)  2004.3.20〜29

「今回のツアーは体力勝負です」と集合場所で添乗員に最初に言われた言葉だが、まさにそのとおりの旅だった。
地球の裏側までの距離もさることながら、深夜にホテルに入り早朝出立もしばしばで、その上3000m以上の地の
移動は息苦しい。ただそれらを超える感動が、マチュピチュであり、チチカカ湖であった。

20(土)関空16:45(10時間)=ロサンゼルス9:50〜13:20(8時間)
21(日)リマ1:00<バス>ホテル2:30  10:30〜15:30 天野博物館ほか市内観光(リマ泊)
    アメリカでの入国、出国は書類も煩わしく、検査も厳重なのを感じる。
    リマのホテルのベットに入ったのが4時、起床は8時30分。疲れと寝不足でフラフラ。
アンデスの山   テレビ
飛行機からのアンデスの山             リマやクスコでNHKが見られた(-14時間)
22(月)リマ6:00=クスコ7:00 サクサイマワン城塞跡〜タンボマチャイ遺跡〜クスコ市内観光
   (太陽の神殿・アルマス広場など)<バス>ユカイ16:00(泊)
   ホテル発3.40のため2時起床。リマから1時間のフライトで3400mのクスコは肌寒かった。
   海辺のリマからアンデス山中のクスコへ。すぐに3800mの所にある2つの遺跡見物では空気の薄さを実感する。
   インカ帝国の都でヘソを意味するクスコは世界遺産でもあり、至る所にインカ時代の名残りをとどめている。
   スペインに征服され現在は教会になっている太陽の神殿も美しい礎石として石組みを見ることが出来た。
   カテドラルを初め、広場を中心とした赤い家並みも石畳の道も、遠い昔を今に感じさせる街である。
   「写真撮って下さい」と言う、子犬など抱いて笑顔を作る女の子たちもいて物悲しい。
楽団   ペルーの人
クスコ空港に『コンドル』の曲が流れる        観光客目当ての民族衣装の人たち
サクサイワマン サクサイマワン-2
太陽の祭りが行われるサクサイマワン遺跡      巨石が3層に積み上げられている
クスコ  教会
ピユーマの形といわれるクスコ市街         街の中心であるアルマス広場と教会
十二角の石   タンボマチャイ
精巧な石組みの象徴でもある十二角の石     インカ時代の沐浴場跡・タンボマチャイ
23(火)ユカイ8:30<バス>ピサックの朝市<バス>オリャンタイタンボ遺跡<バス>クスコ17:00(泊)
   ウルバンバ渓谷にあるユカイは2800mにある村。ホテルには花が咲き乱れ小鳥のさえずりが心地いい。
   朝市が始まる9時に合わせてゆっくりの出発。観光客目当ての民芸品の小さい露店がびっしり並んでいる。
   オリャンタイタンボも石組みの遺跡で、インカ道の途中にある村でもあり駅や宿もあって人も多い。
   300段(150m)の階段もさることながら、反対の遥か上にある斜面の段々畑と倉庫が印象的である。
   昼食はウルバンバ川の傍の、美しい花壇がありいろんな味も楽しめるレストランだった。
ピサック   キャベツ畑
座り機で織りながら売っている(ピザック)       じゃがいも畑の向こうに雪山が見える
オリヤンタイタンボ   オリヤンタイタンボ-2
インカ時代の要塞オリャンタイタンボ      山の中腹に穀物を入れる小屋(茶色)が見えている
24(水)クスコ6:15<列車>アグアス・カリエンテス10:15<シャトルバス>マチュピチュ遺跡11:00〜13:30
    <シャトルバス>アグアス16:00<列車>ポロイ20:00<バス>クスコ20:30(泊)
   5時半出発のため4時起床。駅前は物売りの人たちでごったがえしている。
   列車は座席指定で車内販売もやってくる。6000m級の山々に囲まれたインカの聖なる谷、ウルバンバ
   渓谷を走るが2分おきぐらいに警笛を鳴らし、かなり揺れるのでトイレは大変。
   途中のキロメトロ駅ではインカ道トレッキンングの人たちが大勢降りていった。
   マチュピチュの入口から少し登っていくと、あの空中都市が突然目の前に。
   住んでいたのは500人ほどで、スペイン人が来る前に熱帯性の伝染病が流行り、残りは都市を去ったとのこと。
   発見時の墓地は女性がほとんどだったと聞くと、謎の都市ビルカバンバもまだどこかにありそうだと思ってしまう。
   2時間半ではワイナピチュはもちろん遺跡もゆっくり回れないが、マチュピチュにいる実感は充分味わうことが出来た。
   1911年ビンガムが辿りついた山の上の美しい石組みは、これからも残さねばと思われる世界遺産であった。
   (夕方から雨になり土砂崩れのため翌日の列車は不通で、他のツアーは行けなかったとのこと)
高原列車  ジャイアントコーン
クスコ発の観光列車・ビスタドーム     途中の駅で湯気が立っているジャイアントコーンを売りに来た
物売り  入口
刺繍の可愛い人形(5ドル)売り               マチュピチュの入口
  アルパカ
ウルバンバ川と列車(駅)が見える           遺跡の草刈りもするリャマたち
マチュピチュ-1  マチュピチュ-2
突然に空中都市が現れる(2400m)         400年の眠りから目覚めた都市
マチュピチュ-3   マチュピチュ-4
広場と技術者居住区                花崗岩の石積みと芝生の色が鮮やか
マチュピチュ-5  マチュピチュ-6
貴族の居住区                     太陽の神殿と上は日時計
マチュピチュ-7   マチュピチュ-8
3つの窓の神殿                     インティワタナ(日時計)
マチュピチュ-9 マチュピチュ-10
美しい住居跡がそのまま残っている          段々畑が天に向かう
マチュピチュ-11ワイナピチュへは入口(小屋)でチエックされる
25(木)クスコ10:45〜13:55発=フリアカ14:45<バス>シルスタニ遺跡<バス>プーノ17:30(泊)
   ストによる道路封鎖のため、プーノへは急遽バスから飛行機に変更になる。
   そのため4時間ほどクスコで滞在出来てしばしの休養になった。
   ペルー富士と呼ばれるミスティ山の白い山頂を見て、砂漠のなかのアレキパを経由しフリアカへ。
   シルスタニ遺跡から望める神秘的なウマヨ湖。そのプリン島にはビクーニャが生息しているらしい。
   遺跡は4000mの所にあるが、周りにはリャマや羊、牛などを追っている人も見える。
   ホテルには酸素吸入の設備もあって何人かが利用していた。(無料)
   旅の疲れもあり、ほとんどに高山病の影響が出てきたようだ。
シルスタニ  ピクーニャ
インカ時代の王の墓(チュルパ)          3500m以上に生息するというピクーニャ
村の住居  門
シルスタニ村の家               入口や屋根の上に富の象徴のブタが乗っている
26(金)プーノ8:30<船>ウロス島9:00〜11:00<船>プーノ<バス>フリアカ15:35=
     リマ16:50〜18:00<バス>イカ24:00(泊)
   富士山より高い位置で琵琶湖の12倍もあるチチカカ湖。湖畔の町プーノの港から30分ほどの所にあるウロス島へ。
   葦(トトラ)で出来た大小の浮き島である。まずは小学校もある島へ上陸。子供たちが歓迎のレイを掛けてくれる。
   生活しているのはウル族の血を引く人たちで、民芸品なども売っている。少しふかふかで10cmもめくると水気がある。
   次の島へはパルサで渡る。(1人1ドル) きらめく湖面に涼しい風が吹き渡り、眠くなるようなのんびりした気分になる。
   標高が高いため朝夕は冷えるが、昼間はTシャツでもいいくらい暑く、紫外線もきつい。
   ホテルで昼食を済ませフリアカから空路リマへ。リマからバスで砂漠のオアシスの町イカへ走る長い1日。
チチカカ湖  トトラ舟
3855mにあるプーノの町とチチカカ湖       トトラの舟(パルサ)がゆったり行き交う
ウロスの子供達   ウロス島
小学校では子供たちが歌ってくれた          トトラの浮島に人々が暮らしている
27(土)イカ5:00<バス>ナスカ7:00…地上絵遊覧飛行…11:30<バス>博物館<バス>リマ19:00〜21:45
   ホテルに夜中に着きモーニングコールは3時45分。リゾートタイプの素晴らしい部屋なのに寝る間もない。
   遊覧飛行は午前中がいいためらしい。ナスカまでは荒涼とした砂漠地帯を走っていく。
   地上絵は3人乗りのセスナで30分ほど見る。パイロットが左右に旋回しながら説明してくれるが、かなり
   風化しているのもあった。広大なナスカ大平原(パンパ・インヘニオ)のほうが感動的だった。
   待機中のホテルにはミイラが置いてあり、傍の土器や織物のデザインにこの時代の高い文化を感じる。
   地上絵の保存を訴え続けたマリア・ライヘ女史博物館とオアシス・ワカチナに寄り、リマへ戻る。
ハチドリナスカの地上絵・ハチドリ(100×96m)
                                        
28(日)リマ1:05=ロサンゼルス6:40〜13:40
29(月)関空18:30