らくがき[2]




ここは都心。
某所にある高層高級マンションの一室。
2003年のバレンタインに、例によって例の如く、例の二人は過ごしております。



「Uh〜♪」
「えらくご機嫌じゃねぇか」
持っていたビールの空缶を机の上に戻しながら、
何やら先程から至極ご機嫌な織田の様子に、何か企んででもいるんじゃないかと
少々いぶかしみながら、柳葉は問い掛けました。
「お前ぇ、ナンか妙な事考えてんじゃねぇだろうな?」
鼻歌交じりに、御代わりの新しいビールをキッチンから調達してきた織田は
「心外な!」という感じで、ちょっと眉を顰めました。
「俺が、いつそんな事しましたよ。酷ぇなぁ・・・」
「よく言うぜ・・・」
最後の一言は、小さな呟き。
聞こえない振りをして、織田は柳葉の隣の床に腰を降ろしました。


バレンタインに、大の大人の男が二人して、何をしているのか??
しかも、片方は妻帯者の俳優。
もう片方も俳優で、今を時めくトップスター。
どちらも一声掛ければ、今日という日を共に(二人っきりで)過ごしたいという信者(?)が
数え切れない程居る筈なのに。
ますます「???」なのですが。


前日の夜遅く、不意に携帯が。
明るい画面には、見慣れた文字が浮かび上がります。
もう何度目になるのか、思い出せない程なのに、今でもその文字を見ただけで
織田の胸は温かく、締付けられるのです。
「もしもし・・・」
分かっていても、用心に越した事はありません。
此方の名前は名乗らず、相手の声を待ちます。
「俺・・・」
これでもう十分。
「柳葉さん」
やっと、大切な人の名前を口に出せます。
「織田?」
相手も、一応用心のためか、最初に呼べなかった名前を口にしてくれました。
「どうしたの?今頃」
「明日・・・ってか、もう今日なんだけどな。空いてる?」
「仕事?」
「ん〜」
歯切れの悪い柳葉の態度に、少し意地悪をしてみようかと思った織田は
「今日は・・・ダメかな。スケジュール確かめないとはっきりした事は言えないけどね」
と言ってみました。
「・・・」
無言の電話越しに、自分がとても酷い事をしたような気になって、
織田は慌てて言い募りました。
「でも、でも大丈夫。昼間だったらOKだよ、柳葉さん」
「そっか!!」
急に、元気な声が受話器越しに聞こえてきました。
「じゃ、お前んチに邪魔すっから」
「うん、待ってる」
「じゃ、後でな♪」
「え?え、ちょっと!!柳葉さん!!柳葉さんったら!!」
せっかちな恋人は、さっさと電話を切り、結局どういう訳でこういう事になったのか分からないまま、
織田は暫し呆然と、自分の携帯を見詰めていました。
けれど何時間か後には、恋人に会える。
そう思うと織田は、思わず携帯越しに、届くはずのないキスを一つ送ったのでした。

さて・・・それから何時間経ったでしょう?
遂に待ちかねたインターホンの鳴る音が、織田の殺風景な部屋に響きました。
大急ぎでセキュリティーの為のオートロックを解除して、上がってくるように伝えます。
それからもう何分か。
やっと、玄関のドア越しのチャイムが鳴ります。
正確には、チャイムが鳴るか鳴らないかの間にドアが開けられ、
チャイムを押す指だけをそのままに、その場で柳葉は抱き竦められていました。
「んん〜〜〜♪柳葉さんだ〜〜〜♪」
抱き締めた恋人の首筋に顔を埋め、思いっきりその香りを楽しみながら
織田は心底嬉しそうに、それこそ歌うように呟きました。
かぁ〜っと赤くなった顔が恥ずかしくて、チャイムから手を離し、
そのままその手をグーの形にすると、容赦なく柳葉は織田の頭を一発殴りました。
「いい加減、中さ入れろ!!」
「い・・・痛い・・・・・」
「ほら!!さっさどしねがっ!!」
本気で怒るとお国訛りが出てしまう柳葉でした。
それに気付いてしぶしぶ柳葉を離すと、織田はドアの前から除けました。
これでやっと柳葉は織田の部屋の中へと入れ、ホッと一息付けました。


「で?どうしたの??」
「え?」
「え?って、貴方ね。電話じゃ、何にも言ってなかったでしょ?忘れたの?」
「なんも言わなかったっけ?」
「言わないよ」
「そっか・・・スマン」
あっさりと、ぺこりと一つ頭を下げる柳葉に、少し織田は慌てました。
「そんな、謝って欲しいって言ってるわけじゃないよ。ただ、どうしたんだろうって」
「俺が急に来る、って変か?」
「うん」
「?よう分からんけど、要はこういう訳だ」
そう言って、話し出したのは・・・。

つまり、バレンタインだって言うのに柳葉は一人。
愛する妻も娘も、今日は実家の父親(じぃじ)の所に、チョコを届けるついでにお泊りとなったらしいのです。
今更、奥さん曰く、バレンタインでもないでしょ♪って事らしいのです。
ちゃんと朝の内に、チョコは貰ったらしいんですが・・・・・★


「そんなこったろうと思った・・・」
少し、憮然と織田が言うと、今度は柳葉の方が慌て言いました。
「ごめん・・・」
「でもまぁ、奥さんと娘さんに感謝かな」
シュンとした柳葉に、織田はウインクを送ります。
「こうして、久しぶりに会えたんだから」
二人は顔を見合わせ「ふふふ・・・」と笑い合いました。


こうして話は、冒頭に戻ります。


織田は柳葉の隣でビールのプルトップを引くと、一気に1/3程飲み干しました。
そうしてじっと恋人を見詰めます。
柳葉には彼の目が早い夕暮れの太陽に、その琥珀色の度合いを少しだけ濃くしている様に見えました。
「だって、柳葉さん。嬉しくって鼻歌の一つも歌いたくなるじゃない」
いつもの癖で、柳葉は眉間に皺を寄せ、小首を傾げ、周り中に盛大に『?』マークを飛ばします。
「それ!それ!それ!」
織田は、小さく叫びながら柳葉を指差します。
相変わらず訳が判らないのと、年下に指差された事の不快さで、
柳葉はムッとしながらその手を軽く叩(はた)きました。
「人、指さ差すな!!」
「あ★ごめん」
素直に織田は謝ります。
叩かれた手を摩りながら、言いました。
「まだ分からない?」
微笑みながら覗き込んでくる織田に、少し眩しさを感じましたが、
それは彼の肩越しの、ビルの谷間に沈んでゆく太陽の残光のせいだと
心の中で言い訳しながら、柳葉はとうとう降参する事にしました。
少し、いえ大いに悔しかったのですが。
「分からん、教えてくれ」
ぶっきら棒な物言いに、溜息しつつ、織田は尚も二人の距離を縮めました。
「もう直ぐ、また『コレ』に逢える。それが嬉しいんですよ、俺」
『コレ』の所で、織田は柳葉の眉間の皺に唇をそっと押し当てました。
「『コレ』?」
眉間の皺を隠すように、手で押さえると鸚鵡返しに聞きました。
「そう。一月もしない内に、撮影が始まるでしょう?」
「あ!!」
そうです。
あの映画のクランクインが、もう直ぐ其処まで近付いていたのです。
「これからは、ちょくちょく逢えるね」
柳葉は、ただ頷きました。
「堂々と、二人で話したり出来るんだよ。みんなの前でさ」
また、頷きます。
「柳葉さん・・・嬉しく、ないの?もしかして・・・・・」
心配の余り、今までの織田は何処へやら?
迷子の子供みたいな心細そうな表情の織田を、柳葉はギュウッと抱き締めました。
「・・・柳葉さん?」
「・・・嬉しく・・・嬉しくない訳ねぇだろッ!!」
「柳葉さん!!」
ぱぁっと織田の顔が輝きます。
そしてまた近付いてきたその唇を、掌で押し留めて一言。
「けど、露骨にやんのは『ゲンコ』だからな。世間じゃ俺達、『犬猿の仲』で通ってるらしいからよ」
精一杯、虚勢を張って言ったのですが、ダメでした。
瞬間、押し留められた事に傷ついた様な素振りを見せた織田だったのですが、
次の瞬間には、その手の平に音を立ててキスをし、驚いて手を引いた柳葉が勢い余って
後ろの方へ転げそうになるのを、そのまま抱き込んで、毛足の長いラグの上へと横たえたのです。
自分達の状況と体勢に、れっきとした恋人同士で在りながら、
つい動揺してしまった柳葉は、慌てて起き上がろうともがきました。
「どうしたの?」
自分の身体の重みでその動きを軽く押さえ込んで、余裕の笑みの織田が柳葉を見下ろします。
「お・・・お前、仕事は?」
昨日電話で言ってた事を、思い出しました。
「今日はオフ♪」
「きっ、昨日は昼間しかって!!」
「ふふ・・・あれ、ウソ♪」
「ウソ?!」
「そ、『ウソ』。だから、時間はたっぷりあるよ」
「・・・信じらんねぇ」
「貴方の事を『愛すればこそ』だよ」
「言ってろ!!」
こうも簡単に目の前の男に振り回される自分が情けなくて、
赤くなりながら睨み付ける柳葉に、急に真顔になった織田が言いました。
「ホントだよ。愛してる」
織田からその言葉を貰う度、切なくなります。
気持ちを悟られたくなくて急いで伏せた睫に、暖かい物がそっと触れてきます。
「バレンタインに一緒に居られるなんて・・・しかも、二人っきりで」
くすぐったくて、柳葉は肩を竦めます。
「すごく嬉しい」
言いながら、次は鼻の頭に触れてきます。
目を開けると、織田の優しく微笑う瞳が目の前に在りました。
「俺も、嬉しい」
柳葉は思ったままにそう言って微笑い返すと、尚一層嬉しそうに微笑う織田に、
今度は自分の方から、その唇に口付けを返しました。


バレンタインに付き物のチョコ。
でも甘い、甘〜い二人には必要ないみたい。
ご・ち・そ・う・さ・ま・で・し・た♪


20030211 UP