バレンタイン・ウォーズ




玄関を開けると、ちりりと小さな鐘が鳴る。
この音を聞くと、ウチに帰ってきたんだという気分になる。
玄関の上り口に、目聡く同居人の靴を見つけた。
帰宅を知らせる意味で、ウチの中に向かって少し大きな声で言ってみた。
「ただいま帰りました」

待つ間もなく、廊下の突き当たり、真正面のドアが開いて同居人が顔を出す。
「おかえり」
そのままドアから出てきた室井も今帰ってきたのか、まだスーツの上着を脱いだだけという格好で、
硬く締めていたネクタイを、緩めながら青島の方に近付いてきた。
ふぅと小さく溜息を付きながら、「食事は?」と聞いてくる。
「スミレさん達に付き合わなくちゃならなくって・・・食ってきちゃいました。勿論、奢らされましたけど」
苦笑いしながら、室井に尋ね返す。
「室井さんは?」
「ああ、私も済ませてきた。私の方も付き合いでな」
室井も苦笑する。
「そうですか」
「それで遅くなってしまったんだ。すまない、まだ暖房も入れてない」
「ああ、それなら大丈夫です。俺は今、帰ってきたばっかですから、結構ポカポカなんすよ。ほら」
帰り道、ポケットに突っ込んできた手は暖かく、両手で室井の頬を包んでみた。
「ね?」
にこりと笑いかけられて、室井の頬がほんわりと暖かくなる。
青島の手の温もりのせいなのか、それとも室井の頬が染まったから?
「本当だ、暖かい」
青島の手の温もりを味わうように、室井はゆっくりと目を閉じた。



「ックシュン★」
パチと目を開くと、グスと青島が鼻を啜った。
「す、すみません」
「大丈夫か?」
「大丈夫です」
「真冬に廊下で、何をやってるんだ私達は」
クスリと笑って、室井が青島の手を握る。
「さ、コーヒーでも入れる。キッチンにでも行こう」
「はい」
室井に手を引かれ、嬉しそうに頷いた青島は後に続いてキッチンに向かった。
「エアコン、入れてくれないか?」
あっさりと離れてゆく手にがっかりしながら、青島は言われた通りにエアコンのリモコンを手に取りスイッチを入れた。
室井は、真っ直ぐコーヒーメーカーの方に近付いた。
手際よくカップや、コーヒーの粉の入った密閉容器等を揃えてゆく。
そしてふと手を止めて考え込んだ。
片方の手の指先を顎の所に当て、もう片方でその肘を支える格好で。
「・・・コーヒーを今の時間に飲むと眠れない、か?」
青島がキッチンの壁に掛かった時計を見遣ると、もうそろそろ真夜中を回ろうかと言う時間だった。
確かに・・・と思いつつも、また良からぬ事を考えてしまう青島だった。
(室井さんが眠れないんだったら、俺がもう、何時までも、何処までもお付き合いしちゃいますよ♪)


「青島!!」
大きな声で名前を呼ばれ、我に返る。
「は、はいっ!!」
「さっきから呼んでるのに・・・疲れてるのか?」
「すいません」
心配そうな室井の表情に、良心が疼いた。
「・・・って、何か良からん事を考えてた顔だな、それは」
油断させておいて、室井がズバリ確信を突いてきた。
「うっ!!」
焦りまくる青島に、聞く耳持たんという態度で室井が背を向ける。
(な、ナンデばれたんだろう??)
冷や汗を掻きつつ、慌てて室井の隣に駆け寄る。
「室井さ〜ん」
じろりと一睨みしたかと思うと、室井は堪らずに噴出した。
「室井さん!!」
「何て表情(かお)してんだ」
「だって〜」
「ま、明日はお互い休日だ。コーヒーの一杯ぐらいいいだろう」
そう言って、青島の分のマグカップを手渡してくれた。
「ありがとうございます」
室井は自分の分を手にすると、テーブルの椅子を引き出し座った。
青島も倣って、自分の席に腰を降ろす。
一口啜ると、大きな溜息が漏れた。
「さっきはああ言ったが、ホントに疲れてるみたいだな?」
自分の分のコーヒーに口を付けながら、室井が聞いてくる。
青島が答えの代わりに首を左右に振ると、コキコキと音がする。
「普段のツケですかね?書類の片付けに手間取っちゃって」
「自業自得ってヤツだな」
「今日の室井さん、ナンか厳しいっすね」
涙目になりながら、青島はもう一口コーヒーを啜った。
「あ、砂糖は?ミルクは?いいのか?」
気付いた室井がキッチンの棚からシュガーポット等を取ってくれようと立ち上がる。
「ああ、いいっすよ」
慌てて止めるが、「そうだ」と室井はそのまま部屋を出て行った。
ぽつんと一人取り残された青島が、寂しいと思うより早く、直ぐに室井は戻ってきた。
「田舎の父が言ってた。疲れた時は、甘い物が一番だって」
紙製の手提げ袋をテーブルの上に置く。
「今日は、バレンタインだったんだな」
ガサゴソと袋の中身を取り出しながら室井が小さな声で言った。
「そ・・そうでしたっけ?」
互いに、チラッと相手の方を見る。
「出勤したら、机の上に置いてあったんだ」
袋の中からは、少なく見積もっても大小10個以上のチョコが次から次に取り出された。
「や・・・俺は、まったく」
「そうなのか?!」
「って、違いますよ。お陰様で、くれるって人いたんですけど、全部、断ったんです」
「す・・すまない」
生真面目な室井らしく、姿勢を正してペコリと頭を下げる。
「何、謝ってんスか」
ビックリして聞いてみると、心底困った顔で室井は答えた。
「私も返さなければと思ったんだが、誰に、どう返していいものか分からなくて・・・」
何とも室井らしいというか・・・・・。
「これまで、どうしてたんですか?」
「これまではこんな事無かった」
「へ?じゃ、今年から??」
「・・・・・」
返事の変わりに、こくりと頷く。
う〜んと唸って、青島は考え込んだ?
(なんで?)
そこでふっと、さっきのすみれ達との食事兼飲み会の時の会話を思い出す。

「そう言えばさ、最近本店で言われてるらしいじゃな〜い♪(←ザル?全くの素面)」
「なに?」
「室井さんよ」
「(ドキッ!!イキナリ酔いが・・・醒めた)室井さんがどうかしたの?」
「先輩、知らないんですか?(←既に酔っ払い)」
「青島さん、情報おっそ〜い(←既に大酔っ払い)」
そう言って、3人の悪魔のような同僚達はニヤリと笑い、後は無言で会計伝票を差し出した。
青島は仕方なく、渋々それを受け取った。
「雪乃さんまで(真下、憶えてろ!!)。何なんだよ、一体。室井さんがどうしたってのさ」
「仕事の出来るのは相変わらずかそれ以上なんだけど、な〜んか最近、雰囲気や物腰が柔らかくなったって」
「そうそう、本店の同期が言ってました」
「昔は近寄れそうにも無かったけどって・・・・・」


(アレかっ!!)
一人百面相中の自分を、室井がじっと見詰めているのに気付いた。
「むっ、室井さん!!」
黒目勝ちの目で見詰めながら、僅かに首を傾げる。
(ああっ!!そんな事するから〜〜〜★)
「来年からは、何とか対策、考えましょう!!」
こくり。
素直に頷く仕草に、青島はテーブルを飛び越えんばかりの勢いで室井に飛びついた。
座ったままの室井を大事大事と抱き締めて、来年の傾向と対策を練る、大人気ない青島だった。


「で、青島。チョコ、食べないのか?」


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