Happening




★happening[出来事,偶発的事件,椿事(ちんじ)]



2000年7月の終わり。
これから起こる『happening』も知らず、俺は、九州は博多の地に居た。
 
 
映画とライブを連動させたツアーも中盤。
初めてのライブハウスツアーに、俺もスタッフも漸く慣れてきた頃だ。
季節的に調度やって来た台風を心配してたけど、なんとか無事にこの地での公演を終えることが出来た。
福岡という地は、毎回来る度にお客さん達の反応も熱くって、俺としても楽しめる場所なんだけど、
今回も気分良くステージから引き返してきた俺に、控え室で待っていたマネージャーが
新しいミネラルウォーターを片手に近付いてきた。
だけど、その様子がなんて言うか・・・妙な具合なんだ。
(なんだよ。折角気分良く帰って来たんだからさ〜、頼むよ〜)
そんな風に考えながら、マネージャーからボトルを受け取った。
「あの・・・ですね・・・」
その後が続かない。
(やっぱりろくな話じゃないな)
としか思えない俺は、聞こえない振りをすることにした。
「マネージャー。新幹線の時間、何時だっけ?シャワー浴びる時間くらいあるんだよね?」
「あ?ハ、ハイ!!」
狼狽えるマネージャーの前をスタスタ通り過ぎ、俺は控え室に続くシャワールームへ向かう。
サッサと中に入ろうとしたが、すんでの所で捕まってしまった。
「で、でも!ゆ、ゆっくりでいいですから!!」
「へ?」
「シャワー!!」
「なんで?」
「いや、いいんです!!どうぞごゆっくり!!」
「だって、広島行くのに。新幹線の時間、あるんでしょ?」
「それなんです!!」
やっと核心に辿り着いたらしい。
「?」マーク付きの表情の俺に、マネージャーは一気に話を続ける。
「実は・・・」
「エエッ!!」
詳しい話を、ステージ後の滴る汗も洗い流せないうちに聞かされた俺は、マネージャーの言うとおり、
その後、嫌味な程ユックリとシャワーを使わせて貰った。
 
 
つまりは、こう。
小さいんだけど、色々な問題が重なってしまったんだ。
俺が博多での2日間の最終ステージをやってる最中、マネージャーは山ほどの仕事があるわけで。
その中にはステージ終了後直ぐに、次の公演地、広島のホテルのチェックだとか、新幹線の切符が
ちゃんと取れてるかとか、俺の荷物はちゃんと揃ってるかとか・・・
そんな諸々を片付けている。
あと、スケジュールのこととか。
 
 
問題はそこら辺。
スケジュール・・・絶対にあっちゃいけないことなんだけど、取材が一個残ってたンだって。
しかも電話とかじゃ絶対ダメな、映像も必要な地方局のTVの取材。
これだけなら「問題ないジャン」と思ったんだけど、例の台風のせいで俺達が用意していた切符の新幹線は、
運行休止になっちゃってて、取材を受けてからじゃ今日運転可能な最後の号には乗れそうもないんだって。
俺は仕事に対しては心配症過ぎるきらいがあって、毎回必ず、
出きる限り次の場所へは早めに入ることにしていた。
プロとしての責任って感じかな?
だからなんとかならないかと考えて、車で移動するのはどう?って聞いてみたら・・・・・
「スイマセン」
イキナリ謝るマネージャーに、また嫌な予感が。
そんな予感は大抵当たるもので、今回もピッタリ当たってしまった。
ホテルに迄トラブルがあったんだそうだ。
定宿にしているホテルが、ブッキングでダメだったとか。
「まさか、そんな事あるの?」
そう言うしかなかった。
こんな時に限ってホテルは満室。
明日の晩は、ちゃんと確保できてるらしいんだけど。
ライブの心地よい疲れも何処へやら、その場にしゃがみ込みたいほどの倦怠感が俺を襲う。
無駄とは知りつつ色んな対処法を考えたが、ここのところはマネージャーが言うとおり、
あと一晩この博多に泊まって、明日の朝早く広島へ向けて出発するのが一番ということになった。
 
 
しばらくの後、気分的にもさっぱりと気分をかえてシャワールームから出てきた俺は
マネージャーを呼んだ。
恐縮して目の前に立ち尽くすマネージャーに、言いたくはなかったが最後にもう一言だけ
「これからはこんな事が二度とないように注意して」と言った。
「すいませんでした」
何度も頭を下げるマネージャーに「頼んだね」と言ってこの話を打ち切った。
「ところでさ」
「ハイッ!」
さっきの今だからか、とにかく名誉挽回とばかりに張り切ったマネージャーの声が控え室に響く。
控え室を使っての例の取材を終えて、俺は備え付けのスチール製の椅子から立ち上がった。
「これでもう、全部終わったんだよね?このあと何かある?」
「え〜と、急な事だったので別に・・・」
「あ、そ。んじゃ、俺チョット出てくるから」
「エエッ!!」
「だ〜い丈夫だって、心配しないでよ」
「ダメです!!す、直ぐココ片して付いて行きます!!」
「え、いいよ」
「よくありません!!社長に・・・社長に怒られます!!」
「あ、俺から電話入れとくって」
「そんな・・・そんな問題じゃありません!!」
「第一ほら、俺って普段一人でブラブラしても全然みっかんないじゃない?
 そこら辺のあんちゃんみたいでしょ?」
「・・・・・」
「そんな、涙目で睨まないでよ・・・でも、行っちゃうからね」
「・・・せ、せめて携帯絶対に『OFF』にしないで下さい!」
「は〜い」
「それから!!『門限』!!明日早いんですから、せめて12時には帰ってきて下さい!!」
「え〜〜〜っ、何ソレ?『門限』??」
「嫌なら、何が何でも付いて行きますッ!!」
さっきまでのシュンとした態度はなんだったんだ?と言いたくなるような勢いでマネージャーが叫ぶ。
フーッと大きく一つ息を吐いて、俺は嫌々その二つのことを承諾することにした。
「・・・・・わかりました。はいはい、12時ね・・・・・」
 
 
そうと決まれば長居は無用だった。
いつマネージャーが「やっぱりダメだ!」とか「やっぱりついてくる!」とか言うかわかったもンじゃない。
俺はサッサとドアを開けて出口へと向かう。
「織田さーん!!」
俺の後ろをマネージャーの声が追ってくる。
振り向きもせずに俺は返事を返す。
「なにィ?」
「言い忘れてましたけど、ホテル今夜は違うトコですからね」
「はいぃ?」
振り向いたが最後、また捕まりそうだったけど振り向いてしまった。
今出てきたドアの前で、ヒラヒラとマネージャーが手を振っている。
「今夜は『ホテルオークラ』ですから〜。行ってらっしゃ〜い♪」
(そーゆー肝心なことを・・・あとで憶えてろ!!)
戻って一発くらいケリ入れてやろうかと思ったけど、まずはとにかくココから出ることが先決と
俺は腹の中で毒づくだけでその場を立ち去った。
 
 
このライブツアーでの思い掛けない楽しみ。
それが移動の時間だったりした。
彼方此方の街への移動に電車を使ったりしてみたんだけど、結構楽しくってね。
今夜も、いつもなら先方の用意した車を使うところを、
最近東京では乗んなくなっちゃった地下鉄とか使って一人で動いてみた。
街角で自分の大きなポスター見つけて、気恥ずかしかったり・・・・・
ホテルへの帰りの地下鉄の中では、今日の俺のライブ帰りらしい女の子達の
会話が聞こえてきたり・・・・・
聞くとも無しに聞いていた彼女たちの会話では、今日のライブはなかなか好評で、
嬉しくなった俺は最寄り駅で、ドアが閉まって電車が彼女たちを乗せて走り去るのを
俺の他には誰一人居なくなったホームから小さく手を振って見送った。
 
 
中洲川端駅。
この駅は地下鉄の駅がそのままホテルへの道と繋がっていて、
途中では高級ブランドのショッピングも楽しめるらしい。
さすがに今は真夜中も近く、その店々は全て粗い格子のシャッターを降ろし、
店内をほの暗く照らす照明とディスプレイだけが俺を迎える。
マネージャーの言っていた『門限』の12時は目前だったけど、ココはもうホテルの中も同然。
途中掛かってきた電話で、俺のカード入れの中にホテルのカードキーが入っていることも既にわかっていた。
そうなると慌てることもないので、時々立ち止まっては興味を引かれた店先を覗いてみたりした。
どれくらいそうしていただろう、時計を見るとそろそろ12時半だったので、
俺はマネージャーの顔をたてて、そろそろ部屋へ帰ることにした。
初めて通る道の割に案内表示板が充実していたからか、ホテルの地下からの入り口へとは迷うこともなく辿り着けた。
 
 
『ホテルオークラ福岡』の地下鉄中洲川端駅からの入り口脇には、フラワーショップが設けられている。
勿論ココも既に人影はなく、ガラス越しにケースに入れられた数え切れないほどの花々だけが、
こんな時間にホテルを利用する人間を出迎え、送り出していた。
外の台風の影響を感じる強い風が、地上からの階段を伝って吹いてくる。
思い掛けないほどの風の強さに少し驚きながら、明日の広島への移動に影響がなければいいけどと考えた。
音もなく自動ドアが左右に開く。
ドアを潜りながら、人気の消えたフラワーショップのケースの花々に目を遣る。
他の店の店先のディスプレー同様、淡いライトに照らされる美しい花々。
以前聞いた事が思い浮かんだ。
 
 
「一度こんな風にケースに入った花は、実は弱くなっちゃうんですよね」
以前、少しでも花の持ちを良くしようと、良かれと思いつつも必要以上に涼しい場所に置いておかれた花は、
その後、気温の変化に耐えられず、より以上の早さで痛んでしまうと花を扱う人から聞いた。
今俺の目の前のケースの中で美しく咲競う花々も、真昼の太陽の下へと連れ出されれば
長いこと保たず、見る間に頭が垂れ葉が萎れ色や香りさえ褪せてしまうだろう。
 
 
俺は、『太陽』を追っている。
 
 
あの人との一時を知ってしまってからは自分でも訳の解らない、時に衝動にも似た感情の波にのみ込まれ、
あの人という『太陽』に恋い焦がれ、その熱さに灼かれたいと願い・・・やがてその望みのままに朽ちてゆく。
俺が何も知らぬ間に朽ちてゆく花と違うのは、自らこうなりたいと望んで、
その結果、朽ちてゆくんだって事。
身を灼く『太陽』の熱さを知っていても、俺は『太陽』を追わずにはいられない。
 
 
今は側に無い『太陽』の熱さを思い出していた俺に、閉じる自動ドアから入り込んだ
台風の余波の一瞬顔を背けなければならないほど強い風が吹き付けてきた。
我に返った俺の目の前に、長いエスカレーターへのタラップが控えていた。
地下1階から1階ロビーへのエスカレーターだ。
乗り込みながら、壁の案内板を見て1階にバーがあるのを確認した。
なんだか無性に、あと一杯飲む間だけ部屋に帰る時間を遅らせたかった。
エスカレーターはゆっくりと振動一つ無く、恐ろしく静かに俺一人を1階へ運んでゆく。
片手をパンツのポケットに突っ込んでエレベーターに身を任せていた俺の耳に、
深夜だということも気にしていない、かなり大きな話し声が聞こえてきた。
エレベーターの1階への終点はまだ先で、チラリと目を遣った俺は、
夜間の、出来る限り絞り込んで光量を落とした館内の光源を背に
下りのエスカレーターへ乗り込んで来た人影をみとめた。
普段からの習慣で、俺はさり気なさを装いつつ人影から顔を背ける。
 
 
「アアッ!何してるんですか?!」
また大きな声がする。
「そっちじゃないでしょ!そっちじゃ!!
 そっちからじゃ駐車場へは行けないんですよ!
 第一、そっちは地下鉄!!」
「ありゃ?そうなの??」
都市型ホテルの難点。
便利には違いないが、出入り口が何カ所もありすぎて、
時には全く見当違いなところに繋がっている時もある。
俺も初めてのホテルを利用する時に、かなり焦ったことがあった。
この降りてくる客も、そんな一人らしい。
俺は顔を背けたまま、自分の時のことは棚に上げて笑ってしまった。
「ああもう、さっさと降りちゃって〜!玄関でいいですよ、玄関で!!
 僕が駐車場行って車まわしてもらってきますから。
 下に着いたらそのまんままた昇ってきて、玄関で待ってて下さいね!!」
「にゃはは〜悪ィな〜」
階上の連れの口調とは正反対の、呑気な声が耳に入る。
その言い方に、さっきまで考えていた人のことを思いだして、また俺は笑ってしまう。
 
 
どんな人なんだろう?と擦れ違う相手の様子が気になって、好奇心から、
俺は素知らぬ振りを決め込ンでやり過ごすはずだったそちらの方をコッソリ伺った。
近付くにつれ、相手が鼻歌を歌っているのがわかった。
その選曲が、ますますあの人を連想させて・・・・・
 
 
「・・・なんで?」
「・・・どうして?」
 
 
俺達は互いに、バカみたいにポカンと口を開けたまま徐々に近付いていった。
いるはずのない人が目の前に居るんだもの。
そりゃ誰だって、こんな風にもなるでしょ?
そうしている間にも、相手はどんどん近づいてくる。
信じられないって顔をして、俺達は互いを見つめる。
とうとう相手が互いの真横に来た。
「・・・」
「・・・」
だけど何も言えずに擦れ違っていった。
まだ互いの存在が信じられないのか、何を言っていいのかも浮かんでこなかったんだ。
さっきまでゆっくりと昇っているように感じていたエスカレーターが、
そんなワケないのに離れて行く速度は酷く速く思え、見る間に相手が遠ざかってゆくようで、
慌てて俺は腕を差し出しながら、昇りのエスカレーターを駆け下り始め、
相手も同じように腕を差し伸ばして、下りエスカレーターを駆け昇り始めた。
互いに手と手が届いたと同時に、俺達は自然と名前を呼び合っていた。
「柳葉さん!!」
「裕二!!」
まるで、離れ離れになっていた恋人同士みたいに、相手の名が自然に飛び出した。
「他人が聞いていたらどうする?」って事なんか忘れ果てていた。
俺は相変わらず昇りエスカレーターを降り続け、
柳葉さんは下りエレベーターを昇り続けながらこう口にした。
「なんで、ココに居ンの?」
「なんで、ココに居ンだよ?」
全く同じ質問を口にして、思わず2人とも目はパチクリ、足の方も疎かになってしまった。
直ぐに、グンと上下に引き離されそうになって慌てて駆け下り駆け昇る。
「アワワワ!!」
「アチャチャチャ!!」
2人して意味不明の言葉が出てしまう。
「えい、もうコッチ来ちゃって下さい」
俺は例の映画の為にトレーニングしてきた成果がまだまだ充分効いてるってコトを、
柳葉さんに実際に体験してもらうことにした。
互いに握り合った片方の手はそのままに、空いたもう片方の手を
柳葉さんの俺よりも一廻りも二回りも細い腰にまわして抱え上げ、手すり越し、
昇りエスカレーター側に降ろしてみせる。
「オオッ♪」
柳葉さんは手すりを越え、タラップに降ろされながら歓声をあげる。
「スゲェ!スゲェ!!」
「スゴイ?」
「ウン、ウン♪」
その辛さに、トレーニング中何度も「やめちゃいたい」と呟いてたくせに、
今は「ちゃんとやってよかったなぁ」なんて現金なことを考えて俺は笑ってしまう。
 
 
相変わらず、そうしている間にも俺達を乗せたエスカレーターは
絶え間なく動き続けているわけで・・・・・
当然、昇りの終点が目前に迫っていた。
慌てて俺達は、バカみたいだけど今度は手すりを各々が越えて、
下りのエスカレーターへと移動した。
「ヨッ!」
無事に反対側に降り、これでまた数十秒間かは話せる。
2人はそんな自分達に苦笑しながらも、気になっていたこと問うた。
「なんでココに居んの?」
出会った時もお互いが口にした質問だった。
柳葉さんは、パチパチと音がしそうなほどの瞬きを2〜3度繰り返し、
俺よりも先に、自分がココにいるワケを話してくれた。
「俺はほら、小倉の方の競馬場のイベントに行っててな。
 トークゲストだったんだァ」
「あなた、いつも無理してでも東京に帰ってたでしょ?
 『日帰りじゃなきゃ仕事受けない!!』とか言って、困らせるって
 マネージャーさんが、この間も泣いてたけど?」
「いつもならな・・・」
「・・・あの・・・もしかして、俺のため?」
柳葉さんがみなまで言わないうちに、俺は勝手に、自分に都合のいい事を考え、
一人浮かれて聞いたんだけど、柳葉さんはあっさりとそれを否定した。
「テメェは・・・バカか?」
大きな溜息を、聞こえよがしに一つ吐いて。
「テメェは確か、今夜は広島だっつってたじゃネェか。
 こっちが聞きもしねぇのに、さんざ今回のツアースケジュール、
 『寝物語』代わりに聞かせやがったのは、何処の何奴だッ!!」
今度は俺の方が目をパチパチする番だった。
「テメェのスケジュール。
 オリャ、間違いなくテメェのマネージャーよか知ってんゾ!!」
一気に捲し立てる。
・・・・・俺、チョット傷付いた。
「またそんな言い方。・・・って、ないと思う」
「ケッ!!」
だけど、柳葉さんはそんな俺の嘆きも意に介して成さそう。
「で?広島に居るはずのテメェが、なんでこんなトコに?
 しかも、何呑気に一人でブラブラしてやがんだよ?」
「そっちの『泊まり』の理由、途中なんだけど」
機嫌が悪くなった俺は、柳葉さんの質問には答えず、さっきの話の続きを促した。
やなぎばさんは、「ありゃ?」って顔をした。
きっと自分でもその事を、すっかり忘れちゃってたんだと思う。
「だからぁ!」
少し赤くなりながら、続きを話してくれた。
「この天気のせいだよ。空も陸も止まっちまって、予定外に帰れなくなっちまった」
「なんだ、同じじゃん」
「へ?」
「俺もそう。移動の新幹線止まっちゃって。
 明日の朝ので広島に入る事になっちゃったんですよね。
 だもんで、時間出来ちゃったから一人でアチコチ歩いてみてきたんです。
 いつも、駆け足で通り過ぎるだけだから。
 それに・・・ライブの後のいい気分のまま、真っ直ぐホテルに帰るのは勿体ない気がして」
「なんだ、お前もだったのか」
「うん」
 
 
2人が黙るのを待っていたかのように、エスカレーターが下りの終点に到着した。
俺達は黙ったまま、今度は昇りのエスカレーターへ。
2人分の重さを感じて、人が乗らないと動き出さないエスカレーターがスッと動き出す。
「・・・さっき、マネージャーさん。玄関で待ってろって」
ホテル内の静かな空間に、俺の声が響いた。
「あ?ああ、思い掛けなく時間出来たからさ、急なんだけど
 コッチの知り合いが集まってくれるってんで、今から出掛けることになったんだ」
さっきまでの話し声とは大分違う、落ち着いた静かな声で柳葉さんが言葉を返した。
「そう」
俺の返事もそれだけで、また2人は黙り込んだ。
昇りの終点まで、後どれくらいだろう?
エスカレーターの上方を伺う俺に、隣の柳葉さんが尋ねる。
「お前も、来ねぇか?」
「ありがとう・・・でも・・・・・」
「黙って飲んでるだけでもいいじゃん。
 みんな気心の知れた、いいヤツばっかだからさ。
 俺が紹介してやるよ」
「うん・・・でも、やっぱ俺はマズイっしょ?」
「じゃぁ!じゃあさ、俺断ってくっから!」
「・・・なんて言って?」
エスカレーターの上方から、視線を柳葉さんに戻して静かに尋ねると、
彼はハッとしたみたいに口を噤んだ。
「みんなきっと、あなたとの約束、楽しみにしてると思う。
 行って下さい。俺とはさ、またいつでもあっちで逢えるでしょ?」
俺だって、行かずにいてくれるっていう柳葉さんの気持ちが嬉しくないワケない。
むしろ、今すぐにだって上の部屋か何処かへさらってっちゃいたいくらい。
だけど、後でこの人が大変なのがわかってるから。
だから我慢して、この人を生意気に諭しちゃったりしてる。
「そっか・・・そだな」
ニッコリ笑って言う柳葉さんに、そんなことしちゃダメだって言った本人の自分の方が、
結局は少なからずショックを受けた。
「それでも行かない、お前と一緒に居たい」と言ってくれる、心の隅っこのトコでは
思っていたから。
 
 
何やってンだろう、俺。
 
 
もう、昇りの終点は近い。
2人はものも言わずに、手すりに掴まっているだけ。
振動もなくエスカレーターが終点に到着した。
「じゃ、俺行くわ・・・」
そう言ってメインロビーを横切り、正面玄関へと向かおうとした柳葉さんの手を
俺は思わず掴まえてしまった。
ビックリして振り向く柳葉さんを、急いでエレベーター脇の電話コーナーへと連れ込んだ。
個室仕様の電話ボックスの一番奥の部屋へ柳葉さんを押し込んで、続いて自分も入り込む。
一流ホテルのロビーに設置されたものだけあって広々としていて、
大人の男が2人して入っても十分すぎるほどの余裕がある。
「お前・・・大胆だなぁ」
柳葉さんが笑いだす。
自分でも己の行動にビックリしてしまっていた俺は、彼の笑い声に我に返った。
「あ!・・・えっと、ごめんなさい」
カッと自分の頬に血が上るのがわかった。
そんな俺を、小柄な柳葉さんは見上げて、
俺に掴まれたままの手は解かずに、もう片方の手でさすさすと俺の頬を撫でた。
「謝るなって・・・」
「でも・・・」
「・・・オリャ、嬉しいんだから・・・な?」
また柳葉さんが、フワリと笑ってそのままコトリと俺の肩口に頭を持たせ掛けてきた。
「柳葉さん」
名前を呼ぶだけで精一杯の俺は、その分ギュッと彼を抱き寄せた。
 
 
(あ〜あ、なんでさっきあんなカッコ付けちゃったんだろう。
 行かないでって言っときゃよかった)
と思っても、後のまつり。
今更言い直すのもなぁなんて思ってたら、柳葉さんがパッと顔を上げた。
「どうしたの?」
小動物が辺りに気を配るように、ジッと耳を澄ませている柳葉さん。
少〜しだけ防音効果の高い個室のドアを開けてみたら、今度こそ俺にも聞こえてきた柳葉さんを呼ぶ声。
聞き覚えのある柳葉さんのマネージャーの声だ!!
「行かなきゃ・・・」
行かせたくないけど、さっき自分が口にした言葉のせいで、
そうは出来ない分俺は柳葉さんをもう一度抱き締める。
「裕二・・・」
「聞きたくない」
我が侭を言う俺の耳元で、柳葉さんがフッとタメ息を付いた。
「お前、部屋どこ?」
「えっ?」
顔だけを少し離して、柳葉さんの顔を覗き込んだ。
「部屋の番号だよ」
「何??」
「だから!!お前の部屋の番号、教えろつってんの!!」
焦れたように、柳葉さんが小さく叫ぶ。
「なんで???」
「ダーーーッ!!もうッ!!
 あとで、ホテル帰ってからお前ントコ来るつってんだよ!!」
「あっ!あっ!!」
やっと柳葉さんの言葉の意味を理解した呆け呆けな俺は、慌ててポケットのカード入れを取り出した。
その間、柳葉さんはチラチラと気遣わしげにロビーの方をうかがう。
慌てると、普段ならどうって事ないことが出来なくって、尚更手間取ってしまう。
柳葉さんの靴が、彼のイライラを靴音に変えて伝えてくる。
「あった!」
何とか取り出したカードキー。
柳葉さんに伝えるべく、大急ぎでルームナンバーの確認。
だけど、確認し終える前にカードキーは俺の手から引き抜かれてしまった。
カードキーを目で追うと、柳葉さんがソレをヒラヒラと振っている。
「?」
不思議に思って柳葉さんを見つめる俺に、ニヤッと嫌な笑いを送ってきた。
この人がこんな笑い方する時は、ロクな事考えちゃいないって、
俺はコレまでの付き合いでよ〜っく判ってたから、胃のふの辺りがイヤな感じを訴えた。
 
 
柳葉さんは俺のカードキーを手にしたまま、後ろ手にドアを開くと外に飛び出す。
ギョッとした俺は尋ねた。
「え?チョット、そのカードキーは??」
「貰ってく」
「そんな!!俺どうすんですか?!マズイって!!」
「『失した』って言えばいいジャン」
「出来ないですよ!!」
「出来るって。簡単じゃネェか。『アレ?ドッカで落としたかな?ハハハ・・』って具合によ。
 あ、マネージャーが呼んでッから、俺行くわ」
サッサと自分だけ一抜けして行ってしまいそうな気配に、大慌てで俺は取りすがった。
「待って!カードキー返してッ!」
「え?返さなきゃダメか?」
「当たり前でしょ!ソレ、俺の部屋のキーなんですよ!!」
「う〜ん(どうすっかな〜)」と人から抜き取ったカードキーの角を下唇に付けて、
視線も上目使いで俺の方を見やりながら思案する振りの柳葉さんの小悪魔っぷりに
「あああ・・・なんて人だ(汗)」とグラグラになりながらも
俺は「ハイッ!ソレ、返してッ!!」と心もち強い口調でいった。
勿論俺も、『振り』だった。
チョッピリ怒った振りってやつ。
「チェッ−☆」
つまらなそうに、唇を尖らせて小さく舌打ちをすると
柳葉さんは嫌々カードキーを俺に差し出した。
「ホラ、返す」
拗ねちゃったかな?と心配しながら、俺は差し出されたカードキーを受け取ろうと前に身を乗りだした。
 
 
「え?」
差し出されていたカードキーはサッと引かれ、不意をつかれた形の俺は
伸ばしていた手を、柳葉さんのもう片方の手で必要以上に引っ張られバランスを崩した。
次の瞬間、思い掛けないほど近くに真っ黒で大きなキラキラ光る彼の瞳。
いつもだったら、惚れ惚れとその美しさに見惚れちゃうところだけれど、
今はさすがにそんなこと考えている場合じゃなかった。
(ぶつかる!)
このままだと間違いなくぶつかってしまう。
反射的に瞼を閉じてしまった。
だけど、覚悟したはずの痛みは無く、
その代わりにやって来たのは思いがけず柔らかな、よ〜く知った感触。
それが・・・唇に。
驚いた俺が開いた目には、より一層近くに柳葉さんの瞳が映る。
唇は合わせたまま、柳葉さんの目の中に柔らかな笑みが浮かぶ。
 
 
笑っているこの人が好きだ。
いつもいつもそう思っている俺は、こうして柳葉さんが笑っているだけでとても幸せになれる。
幸せな気分をもう少しの間だけでも長引かせたくて、体勢を立て直した俺は
柳葉さんを抱き寄せようとしたが、叶わなかった。
俺は、彼を掴まえ損ねてガッカリしてしまう。
スルリと身をかわした柳葉さんはまた数歩後ろに下がって、手にしているカードキーをもう一度振って見せる。
さっき目に浮かんだ柔らかな笑みを、口元にも浮かべながら柳葉さんは言った。
「なるべく早く、切り上げてくッから。そんな顔すんな」
「え?」
「そんな・・・捨てられるワンコみたいな顔されっと・・・・・」
「あ!ゴメン・・・」
よっぽど俺は情けない顔をしていたらしい。
「だから、コレ。鍵、借りてく。
 コレあっから・・・お前ん部屋、帰って来ッから」
「ウン。わかりました、待ってますから。
 行ってらっしゃい」
ほのぼのと嬉しさがこみ上げる。
そこに柳葉さんのマネージャーさんの声が近づいてきた。
「あ、来た!じゃ、待っててな」
「待ってます」
ニッコリ笑って見送ることにした俺に、ホッとしたように柳葉さんも笑顔を返す。
「柳葉さ〜ん」
「お〜、ココだココ!」
自分を呼ぶ声に返事をしながら、踊るような足取りで、柳葉さんは電話コーナーから出ていった。
見送る俺はその足取りが、俺の元へ帰って来る事を考えての事だといいなぁなんて思って見送る。
 
 
こうして、後に一人残された俺は、カードキーをなくした理由をナンとマネージャーに話そうか
アレコレと考えながら、携帯を取りだした。
「あ、もしもし。マネージャー?あのさ・・・・・」
 
こんな幸せな『happening』なら、たまには良いかもしれない。
 
2000・09・15 UP



べ・・・ベタベタなタイトルですいません(TT)タイトル付けって、本当に苦手なんです〜!!
それに、この内容(^^;ええもう、何も申しません!ただ書きたかったからってお話です。
調度福岡でのライブで利用したホテルを思い出しつつ書いてみました。
この中の織田君同様、私も夜半に一人歩いてホテルまでの道をブラブラウインドーを
覗きながら帰ってきたんです。その時、後で書いてみたいなぁなんて思ってしまって。
今回は珍しく、どっちも泣いてませんね〜(^^;>それが普通です
たまには、こんなほのぼのも良いのではないかと思うんですが、いかがでしょう?
きっとまた、次はどちらか(・・・ひょっとするとどっちにも)泣いて貰うかもしれないので・・・・・

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