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「安静第一」 掛かり付けの整形外科の医者から言われた一言。 「それが何よりの薬です」 そう言われては、返す言葉がなかった。 「出来るだけ、安静にして寝ていて下さい。 さもないと、来年のお仕事がどうなっても責任持てませんから」 突き放したような物言いが、いつもの医者の親身な態度とはあまりに違うので 今回の症状の酷さがよく解った。 持病の腰痛の再発。 そろそろ危なそうだなと思ってはいたけど、 毎度、今回もいざ痛み始めてから「しまった!」という時にはもう遅い。 日毎痛みは増し、痛む時間も長くなって、 痛み止めで痛みは誤魔化せても、遂には痺れで足元がおぼつかなくなったり・・・・・ ただ、救いなのは俺の腰痛は「疲労性の腰痛」ということで、 医者の言うとおり、しっかりと養生すれば手術などもせずに 短期間で回復する事だった。 手術の必要のある種のものだったら、どの位の休みが必要になるか。 そう自分に言い聞かせ、医者の最後の忠告に従った。 「どうです、ご実家にお帰りになって静養なさったら?」 身の回りの事をやるのでさえ、普段はなんの気無しにやっていることが 恐ろしく腰に堪えたりする。 それをなるべく避けるためにも、一人暮らしの部屋で無理してゴソゴソやるより 実家で家族に助けて貰えば?ということらしい。 最初はどうしたものかと思ったが、仕事に対しての自分のポリシーから ここは医者の薦めに従って、普段の親への不義理も一挙に解消しようと 実家に帰ることにした。 で、俺は今実家に居る。 10代の後半に家を出たっきり、今では年に一度、 多くても二度帰るか帰らないかの俺の部屋は、既に当時の面影は殆ど無く、 昔使っていた俺のベッドの周りだけが、辛うじて片付けられている他は、 物置同然で、部屋の彼方此方に「夏 小物」だの「不要衣類」だの 大小の段ボールなどが積み重ねられている。 それでも掃除はしてあるらしく、こうして寝ていても埃まみれになることもなく 目の端々に入ってくる荷物を気にさえしなければ、なかなか快適に過ごせていた。 さっき部屋へ様子を見に来たお袋に小さく開けてもらった窓からは、 布団でも干してあったのか、パンパンとリズミカルな布団叩きの音がしている。 都心の防音の効いたマンションでは聞こえない、町の生活の音が聞こえてくるのが心地良い。 読みたかった本を持ち込む間もなく帰ってきた実家で、特別に見たいTVも無く、 点けっぱなしのまま、つらつらといろいろなことに思いを巡らしてみたりする。 フッと意識がTVの方に戻る。 「12月31日、日曜日。大晦日です!!」 大晦日? もうそんな?? 実家に帰ってベットの上で過ごすだけで一日が過ぎる生活に、 まだ2〜3日しか経っていないというのに、日日や曜日の感覚が無くなっていたのに気付く。 そう言われれば、28日の石原裕次郎賞の授賞式会場から直行で実家に帰ってきたんだった。 腰を庇い、視線だけを動かして部屋を見渡すと、壁に掛けられたカレンダーが目に入った。 が・・・曜日が違う。 確かに12月の暦だが、12月31日が日曜日じゃない。 よくよく見直して、笑ってしまった。 1995年。 すっかり忘れ去られ、置き去りにされたままの6年前のカレンダーだった。 6年前。 俺がまだ、あの人の事を何も知らずにいた頃。 あの頃の俺は何を思い、どう暮らしていただろう? 確かあの頃俺は・・・・・ 憶えのあるあの人のものではない面影が、ゆっくりと記憶の底の方から浮かび掛けていたその時、 その影を追い払うように、チリチリと携帯が鳴った。 お袋が急場凌ぎにとベッドサイドに持ってきてくれていたワゴンの上に置いてあった携帯を 大急ぎで取ろうとして、身体を捻る。 「う゛ぁっ!!」 あまりの痛さに、声にならない悲鳴が上がる。 痛みのあまり、くぐもった低い悲鳴が。 その間に携帯の呼び出し音は止まってしまった。 暫く痛みが引くのを待って、やっとソロソロと手を伸ばし、携帯を手にする。 見ると画面にはメールの着信マーク。 俺は心底ガッカリした。 メールなら、あの人なはずがないから。 あの人ならメールとかは使わない。 (いや、使えないってのが正解かもしれない) 俺はそれを知ってる。 だから、目の前の画面のメールのマークにガッカリしたんだ。 電話の着信マークならよかったのに・・・・・ そう思ったら、あの人からの電話だと思って痛む腰のこともすっかり忘れ携帯に飛び付いた自分が 不憫というか、情けないというか、さっきのでまだ鈍く痛み続けている腰の分まで合わせて、 涙が出そうだった。 何やってンだ、俺は。 何だか、段々と腹が立ってきた。 自分にも、あの人にも。 で、八つ当たりもいいトコだが、このメールマークの相手にも腹が立ってしまった。 「消してやる・・・・・」 ボソリと不穏な一言を口にして、俺はメールの内容も確かめず、 そのメールを削除した。 ピッ−☆ 急ぎの用なら、メールではなく電話を掛けてくるか、 でなければ、またきっとメールを打ってくるはずだ。 ・・・・・余りに勢い良く押したもんで、指が滑ってしまった。 画面が変わって現れた文面に、俺は目が点になった。 そこにはこんな文面が浮かんでいる。 『がちょ〜〜〜ん!!(←賀正だ!!) 去年は世話ンなった。また今年もよろしく頼むわな(^。^) そうそう、1月3日は何の日だ?正解は次回!!ナンテな〜〜〜♪ 2001年1月1日』 こんな注釈付きじゃなきゃ、気付かないようなくだらないダジャレを書いて寄こすのは・・・・・ あの人しか居ない。 差出人の名前も書いてないメールだけど(多分、あの人のことだ。忘れたんだろう)、解らいでか!! あの人らしくって、一拍空いた後で笑いの発作が込み上げてくる。 「アハハ・・・イテッ☆イテテテ・・・・・アハッ。アハハハ・・・・・」 一頻り笑った後で、もう一度メールを読み返す。 「何やってンだよ。今日はまだ2000年の12月31日だって。 フライングじゃない、これ」 ますますあの人らしい。 「どういうつもりで打ったんだか」 またクスリと笑った俺の胸がその振動で、 いつもは忘れた振りをして、取り去ろうにも取り去ることの出来ずに心に残る 小さな小さな、それでいて鋭い棘でチクリと刺され痛む。 去年同様、今年もまた2人で過ごすことのない年の終わりと年の始まり。 そうして、あの人の誕生日。 何よりも大切な家族を持ったあの人と、こんな関係を始めた時から分かっていた事。 だけど、こんな瞬間に甦ってくる哀しさ。 ただただあの人一人を見つめ続けて。 あの時の、力の限りに抱き締め、抱き締められた温もりが忘れられない。 あの人のことを想うこの気持ちを信じながらここまできた。 この気持ちに嘘はないから。 だから、あの人を想い続ける。 あの人を想う限り、この哀しみもずっとずっと続くだろうけれど・・・・・ お袋が、台所の方から物思う俺の名を呼ぶ。 「裕二ぃ」 「なにぃ?」 「年越し蕎麦出来たわよ。今、そっち持ってくから」 「サンキュ♪悪いね、かあさん」 「いいのよ。ちょっと待ってて」 こんな時は、家族の暖かさが沁みる。 今頃はあの人もきっと、家でこんな風にゆったりと 俺とでは作り出せない時間を、過ごしているのだろう。 今し方の寂寥感が、お袋との二言三言の些細なやり取りで僅かながらも薄らいだような気がする。 年明け後の仕事が始まるまでの、この短い静養休暇中だけは、 家庭や家族の暖かさに気を紛らして貰うのもいいかもしれない。 取り敢えず、今は年越し蕎麦の乗った盆を手に入ってきたお袋の、 手ずからの蕎麦でも食べることにして。 1月3日。 出来ることなら直に逢って伝えたいけど・・・ きっと無理だろうから、せめてこの言葉だけは、電話でもメールでもいい 必ず、何が何でも届けよう。 柳葉さん 誕生日おめでとう あの人は、喜んでくれるだろうか? 2001・01・03UP 〜柳葉さんのお誕生日に寄せて〜 |
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