普段、絹見に憧れ、艦長と航海長という絶対無二の存在として傍らに在る事に 喜びさえ感じる木崎だったが、堅苦しい軍の規律の中、まるで頓着せず、 我が道を行く絹見の行動に、木崎は振り回される事があった。 一般に階級こそが絶対という軍隊の中で、日常的に繰り返される、 上司と部下としての関係を無視したかの様な振る舞いに。 こんな風に・・・・・。 熱いお茶を飲み干し、嚥下した木崎は、やっとの事で自身を取り繕い終え、 仰向けていた顔を戻すと茶碗を口元から離し、ニヤリと笑って言った。 「[マグレ]も限度があるもんです。 そろそろ次辺り、ヤバイかもしれませんね、艦長?」 やっと返ってきた答えに、一瞬、「お?」と片眉を上げた絹見も 視線は木崎に止めたまま、グイと手元の茶碗の中身を飲み干した。 今をもってしても、解らない。 何故、そうなったのか? その場に縫い止められてしまったかの様に、 木崎の視線は絹見の視線と重なったままチラとも動かせない。 口元の笑いも、何時の間にか消えていた。 お茶を飲み干す為、ホンの僅かの間消えた絹見の視線の力は、 今、抗いがたい力となって木崎を捉えて離さない。 引き剥がす様に逸らしたつもりの木崎の視線は、だがしかし、 今度は絹見の咽喉元へと僅かばかり移動させるのがやっとだった。 口の中に残った最後のお茶の一飲みを嚥下する度に上下する 絹見の咽喉元を見詰めるばかりだ。 (確か乗員の誰かの実家から送られてきたという最上級の煎茶だったなぁ) と、どうでもいい事が木崎の頭に浮かぶ。 その間も、絹見は木崎を見詰め続ける。 タンッ!! 突然の物音に、木崎がビクリと我に返る。 絹見が飲み干した茶碗を机の上へと戻した音だった。 「木崎?」 音に対する木崎の不自然な程大仰な反応に、 絹見が訝しげに問い掛けてくる。 と同時にドンと衝撃が有って、木崎は思わずよろめいた。 大海では珍しくも無い。 演習も終わり、長時間の潜行に汚れきった空気を、 浮上している間に換気している潜水艦に、 海上を渡る大波が当たった時に起こる衝撃だ。 よくある事で、普段は何の事無くやり過ごせるはずが、 この時の木崎は完全に他に意識が行ってしまっていて、 衝撃のまま無様によろめいてしまった。 普段の木崎からは考えられない醜態だった。 狭い船室には固定式の机や棚、その他にも備品が所狭しと設置されている。 それら全てを避け切る事は、小柄で動作も機敏な木崎といえども難しい。 一つ目、二つ目の障害は避け切れたものの、遂に死角にあった棚の角に 危うく頭からぶつかりかけた。 「しまった!!」と思った時には手遅れで、 次に来るであろう衝撃と激痛を想像し、堅く、堅く両の目を閉じた。 確かに・・・・・ 確かに、衝撃は来た。 けれども其れは、想像していた鋼で出来た棚の 冷たく固い感触の衝撃ではなく、 自分の身体が、想像もしていなかった方向へ、 かなりの力で引かれた事による衝撃だった。 木崎は気付いた。 自分が、己の一回り以上はある厚い胸板の中に囲い込まれている事に・・・・・。 〜第10週〜 |
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