バックナンバー(二)  第十五話〜第二十一話

「うわぁー、危ないじゃないか!。」
俺は、そいつを見てビビッた。その目の前に現れた男は・・・・・男なんだろうか?。否、人間じゃないぞ、コイツ・・・・。そいつは、身体は確かに人間のようだったが、頭が猛牛なのだ。牛なのである。俺は自分の頭がおかしくなったのかと思った。なんせ、目の前にいるのは牛男なのだから。オマケにそいつは何と、火の車を引いていたのだった。
「おかしいなぁ・・・・。普通は死人とはぶつからねぇんだが・・・。あれ?、お前なんで珠状になっていないんだ。死人はみんな光の珠になるんだぞ。おかしいなぁ、お前。何か怪しいぞうぉ・・・・・。」
そいつは、長い舌をベロベロさせながら、俺を睨めまわした。俺は、ビビッてはいたが、そこは記者根性だ。恐る恐るそいつに尋ねてみた。
「あ、あんたは一体誰なんだ?。」
しまった!。ビビッいたせいか、言葉使いが乱暴になってしまった。コイツ、怒らないかな・・・・。
「あれ?、お前話しができるのか。そんなヤツは今までにいなかったぞ。しかも止まってやがる。変だ。変だ変だ。」
俺の心配をよそに、そいつは答えてくれた。しかし、俺のことを疑っているようだ・・・。
「まあ、まあ、ちょっと待ってくれよ。俺は怪しくないって。それよりも、あんたが今言ったことはどういうことなんだ。」
「あーん?。ああ、いやなに、死人はな、葬式が終わると、この世・・・・こっちの世界だ、お前らから見れば、あの世だな・・・・そう、こっちの世界に吸い込まれるんだな。で、初めはよ、光の珠になるんだ。ほら、あっちこちに光ってるだろう。その光の珠はな、勝手に同じ速度で、死出の山に向っていくんだ。そこまでは、光の珠で、そこからが死んだ時の姿に戻るはずなんだが・・・・。あれぇ?何でお前?」
「シデノヤマ?。そこへ行くのか?。」
「あん?。あぁ、そうそう。そこからは、あんたらの世界で言う裁判があるんだ。生きていた時に犯した罪を裁かれるのさ。それでどこに生まれ変わるか決められるんだ。おまえ・・・・。あ、あ、あ、そうか、お前、釈聞新だなぁ。そうだろう?」
『あ、あぁ、俺は確かに釈聞新だが・・・。なんでそれを?。』
「やっぱりそうか。ケケケケ。お前が釈聞新か。そうか、お前がね、上からお知らせがあった特別待遇の人間か。ケケケ。」
「上から知らせがあったって、どういうことなんだ?。」
「いや、なに、上からね、上ってぇのは、もちろん閻魔様だがな、お知らせがあってよぉ。釈聞新って死人が、こっちの世界の取材をするから協力するようにってよぉ、お達しがあったんだ。そうか、お前が釈聞新か。で、お前、こっちに来てから、他に誰かに出会ったか?。俺みたいなヤツによ。」
「いや、誰にも会っていないけど。あんたが初めてだよ。」
「ケケケケ、そうかそうか。俺が初めてか。ケケケケケ。それはいいや。よしよし・・・。おっと、こんなところで油売ってちゃあ、閻魔様に怒られっちまう。これからよぉ、地獄に行く死人を迎えに行くんだ。そいつをこれ、この火の車に乗せてやるんだ。死人はビビルぜぇ。なんせ火の車だもんな。こいつに乗るやつは地獄行きってのは、昔からの決まりだからな。ケケケケケ。じゃあな、取材頑張れよぉ。」
そいつは行ってしまった・・・・・。

俺の初インタビューは悲惨なものだった。聞きたいことが全く聞くことができなかった。シデノヤマってなんだ?。どんな字を書くんだ?裁判ってどういうことなんだ?。シデノヤマまでは光の珠でそこから先は死んだ時の姿ってどういうことだ?。そうそう、第一、今のやつは一体何者なんだ。牛の頭に人間の身体。で、言葉をしゃべっている。なんなんだ。あの化け物は・・・・・。疑問だらけだ。

フッと気がつくと、俺は再び移動し始めていた。頭の中はわからないことだらけだった。周りは相変わらず暗く、光の珠があちこちに飛んでいる。光の珠・・・・。死人は普通、光の珠になる・・・・。そうか、俺はやはり特別なのか。取材のために・・・・。それにしても・・・。

それにしても、さっきより引っ張られる力が強いように感じるが、気のせいだろうか。
「あれれ?、俺のほうが早く動いていないか?。あれ、今、おいこしたんじゃないか。」
そうなのだ。やはり、前よりも早く動いている。周りの光の珠を追い越していくのだ。そんなに近くに見えるわけじゃないから、はっきりとはいえないが、たぶん、俺のほうが早く動いている。そういえば・・・・。
「確か、あのウシ頭、死人は止まれないはず、といっていたな。と言うことは、俺が止まっていたぶん、俺は他の珠に追い越されているはずだ。だからか・・・・。順番なんだ。俺は追い越されたぶん、止まっていて遅れた分を取り返さなきゃいけないんだろう。それで、さっきより早く動いているのではないだろうか・・・・。」
こっちの世界にもちゃんと秩序はあるのだろう。あんなウシ頭の車引きがいるのだし、上がいるとも言っていたし。その上って言うのは、閻魔様だという。じゃあ、あのウシ頭はこっちの世界の職員か?。閻魔様が上司?。まさかね。はは・・・。そんな、会社じゃないんだから。そんなことはあるまい。だが、今の話によると、そうとしか考えられないんだが・・・・。しかも、シデノヤマというところの次には裁判があるらしいし。

裁判か・・・・。俺って、何か悪いことしたっけか?。犯罪になるようなことはした覚えはないんだが・・・・・。確かに、強引な取材は、したことはある。人権侵害もあったかもしれない。けど、訴えられたことはなかったし・・・・・。
そんなことを考えているうちに、前のほうに門が見えてきた。その門は、大きなお寺にあるような、立派な門だった。門の横には、看板がかかっていた。そこには、
『死出の山 登山口』
そう書かれていた・・・・・。

「し・で・の・や・ま・・・登山口。確かにシデノヤマと読めるな。そうか、シデノヤマとは、死出の山なんだ。死を出る山、ということなのかな。死を出る山・・・・・何のことだそれは。」
門が近付くにつれ、光の珠の数が増えていっているようだ。光の珠は、ちゃんと一つずつ並んでいた。俺もその最後尾につく。俺の後ろには、すぐに光の珠が並んだ。俺の前後は光の珠なのに、俺だけが人間の姿をしているのが、如何にも変だった。俺だけ特別扱い、というのはわかりやすいのではあるが、ちょっとこれは・・・・。落ち着かない。
光の珠が順に門の中に入っていく。俺の順番も近付いてきた。と、その時だ。声が聞こえてきた。
「はい次。霊法院釈尼妙香だな。よし、行け。はい、次・・・・・。」
な、なに?。どうも名前を確認しているようだ。どうなっているんだ?。一人一人受付しているのか。
その声がした方をのぞいてみると、今度はなんと、馬面がいた。ウシ頭の次は馬面だ。馬面と言っても、馬によく似た顔、という意味ではない。まさしく馬面なのだ。確か、生きている時にTVのCMで見たことがあるような、首から上が馬、なのだ。あとは人間と同じである。そいつが坊さんの着ている作務衣を着ていた。しかも、手にはノートのようなものを持っている。どうやら、戒名と照らし合わせているらしい。

「はい、次。強欲院金泥腹黒厚顔大居士。全く長い戒名だな。徳も無いくせに。はい、次。」
「何だと。ワシは偉いんだぞ。ワシに文句があるのか、お前。」
「ないない。さぁ、早く行って。行きなさい。」
「何だ、何だ、何だ。ここから歩け、というのか。あ、一体どういうつもりなんだ。ワシに歩け、というのか。車をよこせ。このワシを誰だと思っているんだ。あーん!。」
「あのなあ、早く中に入れ。ここでは、生前の権力なんて意味がないんだ。いいか、ここからお前は、自分の足で歩くんだ。死出の山をな。棺桶に入れられた時の姿、格好でな。わかったら、さっさと行け。おい、番兵、こやつを中に入れてくれ。はい次。」
「な、何だと。おのれ!。馬面のくせに・・・。覚えていろ!。うわ、あっ、こらやめろ。汚い。さ、さわるな。あ、あぁぁぁぁー。」
俺の前にいた男・・・・何とそいつは、国会で大騒ぎしていたいわく付きの経済人だった・・・・は、番兵と呼ばれた鬼・・・・本当に鬼だ。頭に角が一本はえていた・・・・に羽交い絞めにされ、中に無理やり放り込まれてしまった。その光景に俺は見とれてしまっていた。だから、馬面が大声を張り上げるまで、自分の番が回って来ているのに気付かなかったのだ。

「おい!、釈聞新!。何度呼べば聞こえるんだ。返事をしろ。全くもう。いったい今日は何なんだ。変なやつばかりがやってくる。おい、釈聞新、お前だよ。聞こえたか。」
「あっ、あぁ、すみません。はい、私が釈聞新です。」
「全く、何をボーッとしてやがるんだ。ホントにこんなヤツが取材者なのかねぇ。まぁ、いいや、中に入れ。」
何だ。この馬面も俺のこと知っているんだ。そりゃ、そうだよな。俺だけ光の珠じゃなかったし。上からのお達しもきているんだろうからな。なら、話は早い。質問してやろうじゃないか。

『あぁっとその前に、少々質問したいことがあるんですが・・・。』
「あーん?。何だァ?。質問?。手短に言えよぉ。」
どうも、さっきのウシ頭と言い、この馬面と言い、質問されることには抵抗はないようだ。否、むしろ喜んでいるような節がある。態度は横柄で、気が短いようであり、まるでどこかの役人のようなのだが・・・・・。
「そんなにたいしたことじゃないんですが、あの、これから我々はどうなるんですか?。先程、ウシ頭の方に、死出の山を越えたら裁判がある、って聞いたんですが。」
「あー、牛頭(ごず)のヤツだな。なんだ。インタビューは俺が一番じゃなかったのか。つまらねぇ。まあ、いいや・・・・。あぁ、そうだよ。この死出の山を越えたら、お前らは裁判を受けるんだ。普通は全部で七回。ま、罪の深いヤツは、その前に地獄いきだけどな。ひゃーっひゃーひゃー。」
馬面は、歯茎を見せて大笑いした。やはり馬面だけのことはある。
「けどね、その前に、この死出の山を超えなきゃね。この山は、死を出る山・・・・死者の世界へ出でる山ということで、死出の山というんだが、ここはな自力で登るんだ。お前らは、ここまで勝手に来れたろ。何かに引っ張られるように。だけど、これからはそうはいかないぜェ。ひーひっひっひ。自力で登るのさぁ。しかも、この死出の山の登山道は、一つじゃない。自分の罪の度合いによって、険しくもなりゃ、楽にもなるんだな。自分の罪に応じて、道が変化するんだ。よくできているだろ。さっきのような強欲ジジイは大変だよ。きっと険しい道になるぜ。途中で落ちなきゃいいけどね。ひゃーっひゃっひゃっひゃっひゃ・・・・。」
「え、道が自分の罪に応じて、変化するんですか?。じゃ、じゃあ、例えば、お年寄りとかは、どうなるんですか?。年よりも、自力でこの山道を登るんですか?。身体が不自由だった方はどうするんです?。」
「あぁ、そうねぇ。それは大丈夫さ。お年寄りでもちゃんと登っていくぜ。まぁ、もっとも、あまりにも強欲で意地悪なジイサンやバァサンは、大変だろうけどね。それは仕方がないね。ま、ボケも治っているしね。それと、身体が不自由だった方たちは、ここへは来ないから、いいんだ。」
「ここへは来ないって・・・。じゃあ、どこへ?。」
「そりゃあ、もう、ほとんどが天界さね。そっちへ直行さ。生きている時に頑張った人ほど、いい天界さ。そっちの方へ、直接行っちゃうんだ。だから、ここは通らないし、裁判もあんまり関係ない。心配はいらないんだよ。わかったか。ま、この先でもいろいろわかるさ。ひゃーっひゃっひゃっひゃ・・・・。わかったら、さぁ、行け。後が詰まっちまう。さて、はい、次。」

俺は、馬面に促されて死出の山に入った。
ここからが死出の山か・・・・。俺の場合は、どんな道になるのだろうか・・・。この山を越えると本当の死者の世界があるんだ。死者の世界に出でる山・・・・・か。平坦な道ならいいんだが・・・。
そんなことを考えている時だった。後ろから、あの馬面の声が聞こえてきた。
「何だお前、戒名ないのか。なんてかわいそうなヤツだ。そういやぁ、最近戒名のないヤツが増えてきたなぁ・・・。ま、いいや、行け行け。」
戒名がないと、困るのか?。俺は戻って馬面に聞きたかったが、先も気になるので、戻ることはしなかった。そう言えば、和尚の話によると、戒名は出家者の名前だったはずだ。その戒名がないということは、出家者じゃなく、俗人のまま、ということになる。つまり、仏の弟子ではない、ということだ。そうなると、何か不利なのだろうか。かわいそうなことでもあるのだろうか。馬面が「かわいそうに」というのだから、そんな事があるのだろう。
そんなことを考えながら、俺は死出の山に入っていった。

道は以外に緩やかだった。ここでも特別待遇なのだろうか。それとも・・・・。そうだな。俺って、別に罪らしいことは何もしていないし。これなら、楽に死出の山を越えられそうだ。鼻歌の一つでも出そうな気分だ。が・・・・。その気分を引き裂くような叫び声が突然、前方からしてきたのだ。
「キエー。えい、えい、えい。悪霊たいさーん。えぇぇぇーい。」
「な、なんだぁ?何なんだ。」
俺は声のした方へ駆け上がっていった。ここは自力で登るのだから、普通の登山と変わらないようだ。駆け上がったりもできるのだ。

声のした方には、オバサンがいた。オバサンは、奇妙な格好をしていた。和装なのだが、女性用の普通の着物ではなく、下は黒い袴になっている。上は巫女さんのような格好だった。中が白い着物で、上っ張りが赤ではなく、派手な紫色だった。そのオバサンが、手を変わった格好にして・・・・あれはたぶん印だろう・・・・叫んでいたのだ。
「えぇぇい、また出たか。この悪霊めぇ。えい、えい。」
「あのー、ちょっと、いいですか。」
「なんじゃ、なにか私に用か。今は忙しいのじゃ。」
「何をしていらっしゃるんですか。さっきから叫んでいますが。」
「おぬし、わからぬか。前を見よ。悪霊がうごめいているじゃろう。私はそれを祓いながら進んでいるのじゃ。」
オバサンは、目の前に悪霊がいる、というのだが、俺にはサッパリ見えなかった。
「私はな、見ての通り、霊能者じゃ。釈迦の力を手に入れ、不動明王を守護神として数多くの悪霊を退治してきた。だから、こうして、私に怨みを晴らそうとして、悪霊どもが出てくるんじゃあ。えい、えい、えい。」
このオバサン、生きている時は、霊能者だったらしい。見ての通り霊能者、と言われても、俺にはちょっと変なオバサンにしか見えないが、まあ、本人は霊能者のつもりなのだろう。まったく、バカバカしくて話にならない。俺は生前から、こういう霊能者と言われる類の人間が大嫌いなのだ。悪霊だか何だか知らないが、一人でやってろ!って感じだ。しかし、まあ、それも、生前の罪のせいなのだろう。
って、どんな罪なのだろうか?。本当に悪霊を退治して、その悪霊が怨みを晴らしに来ているのだろうか?。まさかね。まさかそんなことはなかろう。じゃあ、なぜ、あのオバサンの道には悪霊が?。
俺は、そんなことを考えながら、ブラブラと緩やかな登り道を歩いていた。その時である。またまた、変な声が聞こえてきたのは・・・・。

「あぁ〜あ、哀れなオバサンやねぇ。」
「ホントにね。生前、霊能者だなんてウソをつくからよ。」
「ホンマやね。もう、ほとんど思い込みの世界やね。」
「だって、大胆にもお釈迦様の力を得たなんて、言うんですもの。オマケに、不動明王が守護神ですって!」
「不動明王は、神様やないっちゅーねん。そんな基本的なことも知らんと、何が霊能者や。」
「あら、でも、現世で出回っている霊能者って、ほとんど、仏教のこと知らないのよ。」
「あぁ、せやね。ホンマに無智やね。」
「それとさ、さっきの、戒名のない人。あれも哀れだよねぇ。」
「ホンマや。戒名をつけてもらわれへんって、どないやねん。そんなんで、ようここへ来るなぁ。」
「最近増えたわよねぇ。戒名のない人。あとあと、不利よねぇ。出家してないんですものね。」

俺は、立ち止まって、慌てて周りを見回し、叫んだ。
「だ、誰だ。な、何なんだ。」
「やっだぁ〜。驚かせちゃったわね。ゴメンナサ〜イ。あなたに話し掛けてたんじゃないの。こっちの話よ。」
「そやそや。ホンマすまんねぇ。びっくりさせてしもた?。かんにんやでェ。」
『ち、ちょっと、待って。あんた達、どこで話してるんだ?。誰なんだ?。』
「あーん、わたしたちぃ?。わたしたちは、死出の山の森の精よ。ま、妖精ともいうわね。」
「妖精っちゅーほど、かわいいもんやないけどね。妖怪、とも言う人もいるし。」
「妖精?。妖怪?。ど、どこでしゃべってるんだ?。」
「そないビビらんでもええやないの。何にも怖ないでぇ。」
「案外気が小さいのね。この記者サン。」
「なっ・・・・。何で、俺が記者だって・・・。あ、あんたらも、閻魔様から聞いているのか?。」
「そうや。聞いてるでェ。あんさんが、こっちの世界を取材しよる聞新はんやろ?。」
『た、確かにそうだけど・・・・。いったいどこで話しているんだ?』
俺は、落ち着いてきた。初めは確かにビビっていた。しかし、閻魔様から聞いているのなら、変なヤツじゃないだろう。今までにも牛頭や馬面みたいな変なヤツにも会っているし・・・・・。

「俺のことを知っているなら、話が早い。ちょっと聞きたいことがあるんだ。姿を見せてくれよ。」
「あら、さっきから見せているわよ。どこ見てるの?。ウフフフフ。」
妙に色っぽい笑い方をする女だ(女なのだろう。話し方や声からすると。妖精だから、きっと綺麗なのかも知れない。)。
「さっきから見せてるって・・・・。俺には見えないんだけど。」
「じゃあ、教えてあげるわ。あ、そうそう、歩きながら聞いていていいわよ。その方が先に進めるからね。」
「ああ、そうか。そうだな。じゃあ・・・。」
俺は再び歩き出した。道は相変わらず緩やかな上り坂である。楽な道のりだった。

「私たち、山そのものなのよ。わかる?。あなたの歩いている道を挟んで、あなたの左手側がワ・タ・シ女山。」
「そ。右手側がワシや。男山や。普通はな、こんな説明せいへんのやで。ワシらな、ここを通る死者を迷わす者たちやさかいに。」
「そうなのよ。特に浮気者をね。浮気者の男性は、あ・た・し・が、女性の場合は・・・・。」
「そうさ、僕が誘惑するのさ。」
男の声は、急に変わった。関西弁じゃなくなっていたし、すごく魅力的な声だった。

「そう。それで、この死出の山で迷子にさせるのが仕事なのよ。わかったン?。」
その女(と言っても女山なのだ。つまりは山の声である。)は、鼻にかかる甘ったるい声で、そう教えてくれた。
『なるほど。しかし、そんな声でささやかれたら、浮気性の男じゃなくても、ついフラフラしちゃうぜ。』
「あら、ありがと。でも、大丈夫よ。浮気者にしか声はかけないもん。そうじゃない人には、その罪に応じて、ちょっとイタズラするだけよ。」
「そうそう。ほんのちょっとびっくりさせるだけや。あぁ、関西弁は、やっぱり楽やなぁ。」
男の声は、また関西弁に戻っていた。

「イタズラ?。びっくりさせる?・・・・って、例えばどうやって・・・・。」
「そうね、その人が嘘つきなら、耳元でその人のついたウソをささやくとか・・・・。」
「生き物をいじめたり命を奪ったりした者やったら、同じようなことをしたりね。」
「盗みをした者なら、盗んだものを見せびらかしたりね。」
「浮気者にはさっき言ったように、誘惑して迷子にさせるんや。」
「そうなの。それぞれの罪に応じて、ちょっとしたイタズラをするのよ。だから、さっきのオバサンも、わたし達の仕業よ。お釈迦様やお不動様の名前を騙って、多くのものを騙した人だから、本当に悪霊攻めにしてあげたの。」
「でも、あかんわ。あのオバサン。効果なしや。今や自分はホンマもんの霊能者や、って思いこんどる。」
「なるほど、そういうわけか。で、悪霊退治しているわけだな、あのオバサンは。」
「そういうことなの。自分の力のなさを思い知らせてあげようかと思ったんだけど。ダメみたい・・・・。」
「ま、どっちにしろ、先によう進まれへんから、吐き出し組やね。」
「吐き出し組?。」
「ま、出口に行けばわかるやろ。それよりも、おもろいのがいるから、よう見てき。」
「そうよ。ここで出会う人が、びっくりしてたり、迷ってたり、変なことが起きてたら、わたし達のイタズラだと思っていいわよ。」
「あー、せやせや、もう一つ教えておくわ。お前さんはな、一応、特別待遇やさかいに。自分に何にも罪がない、と思うとったらあかんで。ま、浮気はしてへかったみたいやけどな。」
「あ、そう、そうなのか。忠告ありがとう。やっぱり、特別待遇だったわけだね。まあ、そんなところだよな。」
「あら、なかなか素直じゃない。そういう態度、とってもいいわよぉ〜。それじゃあ、その調子で頑張ってね。」
「あぁ、ありがとう。頑張るよ。君達は、消えるのかい?。」
「そやね。しばらくアンさんには、話しかけへんと思うわ。本業に戻りまっせ〜。」
「もし何かあったら、呼んでみて。そうねぇ・・・・。素敵な声の山おんなさんって・・・ね。」
「ぁ、わかった。そうするよ。じゃあ、またな。」
こうして俺は、死出の山の妖精(妖怪?)と友達になった・・・・のだろう。そんな気がした。

目の前の道は緩やかで、ちょっとしたハイキング気分になっていた。少し先を歩いている、あの強欲ジイサンが騒いでいるのも、きっとあの二人のイタズラなんだな・・・・などと微笑みながら・・・・。

その強欲ジイサンは、生前は経済界では有名な人物だった。死の直前まで汚職だなんだと世の中を騒がせていた人物である。しかし、このジイサン、死んでからも強欲はそのままのようであった。

「えーい、まったく、何度言ったらわかるんだ。お前らに貸す金などない。いくらしがみついて頼んでも一銭も出んぞ。とっとと帰れ。あ〜、くそ、誰かおらんのか!。あっ、お前、ちょうどいい、こいつらをなんとかしろ!。」
「お前って、私のことですか?。」
俺は、わざと惚けて聞いてみた。
「当たり前じゃないか。ほかに誰がいるんだ。早くしろ。」
「早くしろって、何をどうすればいいんですか?。」
「お前は馬鹿か!。ワシの足にしがみついているこいつらを何とかしろと言っているんだ!。まったく、使えないやつだ。」
「はぁ?。足にしがみついているって・・・・・私には何も見えませんが・・・・・。」
「なんだと?。お前には、こいつらが見えんのか?。ワシに借金を頼もうと、足にしがみついてくる、こいつらが見えんのか。どうなっとるんじゃ・・・・・。お前、目がおかしいのか?。」
どうやら、この強欲じいさんの足には、借金申込みのため、大勢の連中がしがみついてるようだ。そうやっているのは、もちろん、山おんなさんと山おとこさんなのだが、この強欲ジイサンはそんなことは知らない。このジイサン、生前、金に物を言わせて、多くの人を泣かしてきたんだろうな。借金を頼む人を足蹴にし、借金の取り立てのために、また足蹴にし・・・・・だったんだろう。ま、しばらくはそうやって苦しむ方がいいのだろう。自分のしてきたことを思い知った方がいいのである。きっと、そのために山おんなさんや山おとこさんがしていることなのだから・・・・・。

「私の目はおかしくありませんよ。でも、私には、あなたの足にしがみついている人など見えません。ははーん、あんた、生前、そうやって、人を足蹴にしてきたんじゃないですか?。そうでしょう。」
「な、なんじゃと!。何を言うか!。この馬鹿者が!。ワシを誰だと思ってるんじゃ!。」
「あんたが誰であろうと、そんなことは問題じゃない。あんたが、どんなに威張っても、ここじゃあ、通じないですよ。助けを求めても誰も助けてはくれません。ここは、死の世界なんだから・・・・・。では、先に失礼します。」
「あっ、あっ、待て、待ってくれ!。金なら好きなだけやる。だから、助けてくれ!。」
いったい、どういう頭をしているんだろう。自分が死んだことをわかっていないのだろうか。それとも死の世界でも金が通用すると思っているのだろうか。ああ、そうか、地獄の沙汰も金次第、っていうから、それを信じているのかもしれない。それとも、魂の底の底まで(こいう言い方があっているのかどうかわからないが)、拝金主義で染まっているのか。いずれにしても放っておくのが一番だ。ちょっと冷たい気もしたが、俺は強欲ジイサンを無視して先に進んだ。

実際、こっちの世界−死後の世界−では、生前の身分や金持ちだの貧乏だのといったことは、まったく通じないようだ。ここでは、どうやら自分の犯した罪が問題にされるようである。自分の罪に応じて変わる道・・・・。山おんなさんや山おとこさんによる、その人の罪に応じたイタズラ・・・・。これから行われるであろう、裁判・・・・。こっちの死の世界では、どうやら「罪」がキーワードのようなのだ。それは間違いないことなのだろう。

そんなことを考えながら、俺はブラブラ歩いて行った。すでに何人かの迷い人(こういう表現でいいのだろうか?)を追い越していた。「すっごい美女を見なかったか?」と興奮した顔で勢いよく聞いてきた中年オヤジに、芸能人の名前を挙げ「そういう男、見なかった?」と尋ねてきた中年と言うにはまだ早い女性・・・。とぼとぼとゆっくりではあるが、少しずつ登っていく老人達(ほとんどがこうした年寄りのようだ。)。中には、険しい道を登っているお年よりもいたし、ゆっくりニコニコしながら登っているお年よりもいた。
しかし、そうした人たちを、俺は、どんどん追い抜いて来てしまったんだが、果たしていいのだろうか。死出の山の門であの馬面にチェックを受けた時は、亡くなった順になっていたように思う。でも、山に入ってからは、随分追い抜いてしまった。中には、前へ進むことを忘れ、山おんなさん・山おとこさんの誘惑にはまり、彷徨っている者もいるし。
そういえば、山おんなさんたちは「吐き出し組」とか言っていたように思う。吐き出し組だからいいのだ・・・・・と。それも、出口に行けばわかるという。いったいどうなっているのか。生きている時では考えられないようなことばかりだった。

どのくらい歩いただろう。ふと前を見ると、中年くらいの男性だろうか、道の脇で座り込んでいる人がいた。疲れてしまい、休んでいるのだろうか。そういえば、俺は道が平坦なせいか、疲れはまったくなかった。俺は、その中年男性に気を引かれ、近付いていった。その男の着ているものがボロボロだったのだ。なぜ、そんなボロを身にまとっているのだろうか・・・・・。
「何をしているんですか?。」
「えっ?。あっ、いや、道に迷ってしまって・・・・。」
「きれいな女性でも追いかけていたんですか?。」
「えっ?、あ、いやそんなんじゃないです。ただ、出口がわからなくて・・・・。迷っているんです。」
「もう、随分迷っているんですか?。」
「はぁ・・・。ここに来てから、どれくらいたつんでしょうかねぇ・・・・。つい、ほんのちょっと前に来たような気もするし、随分前のような気もするし・・・・。なにせ、ここは太陽が見えないんで、時間がどれくらいったのか、サッパリわかりませんしね。いつまでたっても、薄暗いし、曇りの日の夕方のような感じですから・・・・。でも、なんで太陽が出てないんですかねぇ・・・・・。どのくらい迷っているのか・・・。でも、なぜそんなことを?」

その男は「聞くのか・・・・」という言葉を言わずに、俺の方をチラッと見たかと思うと、すぐに視線をそらせ、下を向いてしまった。それは、どことなく寂しそうにも見えたし、何もかもどうでもいい、というような投げ遣りな様子にも見えた。この男は、いったいここで何をしていたのだろう・・・・。
「あっ、いや、その、着ているものが、その、随分汚れていると言うか、傷んでいるように思えたし、疲れているようにも見えたので、この山の中で何日も迷っているのかな、と思いましてね。まあ、しかし、言われてみれば、ここは日も昇らないし、日にちの感覚なんてなくなりますね。今まで、気付きもしませんでしたよ。はっはっは・・・。」
俺は、努めて明るく答えたが、その男の表情は、なんら変わることはなかった。
「はぁ・・・。あぁ、そうですね。暗いですね、ここは・・・・。そう、私、汚れてますか?。風呂なんて入ってないし・・・・。匂います?。臭くないですか?・・・・・。」
「あ、いや、そういうことじゃなくて、この山の木なんかで服を引っ掛けたりしたのかな、と思いましてね。」

この男は、何を言っているんだろうか。風呂に入るって・・・・・、そんなのは無理に決まっている。もう肉体はないのだから。今は、生きている時のような姿かたちは見えてはいるが、実際には肉体があるわけではなく、魂だけの存在なのである。いわば、この姿は仮の姿なのであろう。風呂なんて、当然入れるわけがないし、その必要も無いのだ。それなのに、この男は・・・・。妙なヤツに関わってしまったのかも知れない。俺は、この男に声をかけたことを少々後悔し始めていた。

「え?、森の木?。そんなのあるんですか?。私はそんなの見たことないなぁ・・・・。ただ、道があったから、そこを歩いてきただけだから・・・・・。ただ、歩いてきただけなんだよ。そしたら、道に迷ったんだ。あちこち歩き回ってみたんだけど、ちっとも帰れないんだ。腹も減ったし、動けなくなってしまって・・・・・・。それでここに座り込んでいたんだ。それだけなんだ・・・・・。でも、私は、なんでここにいるんだろう・・・・。何でこんなとこに来たんだろう・・・・。ここはどこなんですか?。いつも薄暗いし、太陽もない・・・・・。ここはどこなんですか?。こんなところがあるなんて、聞いたこともない。ねぇ、知っているなら教えてくださいよ。ここはどこなんですか?。私は何でこんなとこにいるんですか?。早く帰りたいんですよ・・・・。か、帰りたいんですよぉぉぉぉぉ・・・・・。」
その男は泣き出してしまった。どういうことなのだろうか。ここがどこだかまったくわかっていないようだが。帰りたいって・・・・どこへ?。どこへ帰ると言うのだろうか。生きていた頃へ帰りたいと言うのか。それにしても・・・・。
『あの、帰りたいって言われても・・・・。ここへ来たからには、もう戻ることはできないんですよ。』
「えっ?、帰れないんですか?。そ、そんなぁ・・・・・。こ、ここはどこなんですか?。」
「ここは死出の山ですが・・・・。あんた、門は通らなかったんですか?。馬面の変な番人に合いませんでしたか?。」
「シ、シデノヤマ?。門?。馬面の番人って・・・・・???。なんですか、それ?。私は誰にも合わなかったし、どこも通ってない・・・・。ただ、道があって、何となくそっちへ行かなきゃいけないような気がして、そこを歩いてきただけなんだ。だから・・・・誰にも合っていないし、門も通ってない・・・・。お、俺はどうすればいいんだ・・・・。」
『やっぱり・・・・・。あんたまったくわかっていないんだね。ここはね、死んだものが来るところなんだよ。』
「し、死んだもの?。死んだものが来るところなのか?」
『そうです。ここは、「あの世」なんですよ。』
俺は、そう説明しながら、妙な違和感を感じた。あらためてあの世に来たこと、死んでしまったことを確認させられているような、嫌な気分だった。こっちの世界も結構楽しいじゃないか、と思い始めていただけに、余計に堪えた。しかし、そんなことも言ってられない。この男に教えてあげなければ・・・・。

「ここは、あの世なんです。死んだ者がやってくるところなんです。ですから、あなたは、もう死んでいるんですよ。」
「ココハアノヨ・・・・・。オレハシンダ・・・・・・。そう・・・・なのか。俺は死んだのか・・・・・。」
「そうです。どうやってあなたがここへ来たのかは知りませんが、思うに・・・・・、たぶん、正規のルートをたどらずにここへ来てしまった、のじゃないかと・・・・・。よくはわかりませんが・・・。ここへ来る前のことを覚えてないですか?。」
おそらく、ショックで頭が混乱しているのだろう。呆然としたまま、黙り込んでしまった。仕方がない、気持ちの整理がつくまで放って置くしかなかろう。俺は、その男が再び口を開くまで待つことにした。

どのくらい待っただろうか。その男は、未だに呆然としてはいたが、口を開き始めた。
「ここへ来る前・・・・。あぁ、生きている時のことですね。そういうことですよね・・・・・。私は、いつ死んだんだろう・・・・・。あれは、きっと・・・・。」
その男は、おもむろに話し始めたのだった・・・・・。


「私は、確か倒れたんです。公園で・・・・。で、救急車で病院に運ばれた・・・・。けど、そこからは・・・・・。あぁ、ダメだ。思い出せない・・・・・。
気がついたら、周りは真っ暗なのに、足元だけがぼうっと明るいんですよ。私は、その時立っていたんだろうか・・・・。周りを見回しても誰もいなかった。とにかく、帰らなきゃと思って、歩き出したんです。真っ暗の中を・・・・。なんでかわからないんですけど、歩けたんです。暗くても、なんとなく道がわかったんですよ。だから、歩いた。ただ、歩いたんですよ。そしたら、ここへ来ていたんです。そのうちに力がなくなって、腹が減ったような気がして・・・・・。で、座り込んでいたんです・・・・・。
そうですか。ここは、あの世なんですか。私死んだのですか・・・・・。あぁ、でも、お花畑とか、三途の川とか渡らなかったですよ。まさか、ここは地獄とか言うんじゃ・・・・。」
「いや、そういうことじゃないようですよ。お花畑とか、三途の川っていうのは、私も通ってないです。そんなのないのか、それともこれから通るのかは知りませんが・・・・。
しかし・・・・。葬式はされなかったんですか?。戒名とか、つけられませんでした?。ご家族の方は、いらっしゃらなかったんですか?。」
そう聞くと、その男は何だか少し照れたような顔をして、うつむいてしまった。
「あ、いや、お恥ずかしい・・・・。実は私、家を出ておりまして・・・・。妻とも離婚していますし・・・・。
私、ホームレスだったんですよ。リストラにあいましてね・・・・・。就職先も探したんですが、年齢も年齢ですし、給料も安いんです。どうも、なかなか気にいった仕事がありませんでしてね・・・・。女房なんかは、何でもいいから働いたら、って言ってたんですけどね・・・・。何ていうんですか、その、今まで一流とは言いませんが、それなりの会社にいたじゃないですか。だから、どうしても仕事を選んでしまっていたんですよ。そんなんで、女房に愛想つかされて・・・・。家のローンが払えなくなって・・・・。で、ホームレスですよ。自殺する勇気もなかった・・・・。情けない男なんです。あの時・・・・。ヘンなプライドさえ捨ててれば・・・・。プライドよりも仕事だったんですよ・・・・。今さら、もう遅いですけどね。」
その男は、また泣き出してしまった・・・・。掛ける言葉すらでてこない・・・・。どうすりゃいいんだろうか。

「あ、いや、自殺はしなくてよかったと思いますよ。自殺していれば、今ごろ、それこそ地獄に行っていると思いますよ。」
「そうなんですか?。自殺しなくてよかったんですか?。そうか・・・。今もいやだけど、地獄はもっといやですもんね・・・・。でも、あなた、詳しいですね。」
「あぁ、そうでも無いんですけど、ここまで来る間にいろいろ教えてもらったりしましたからね・・・・。
しかし、ご家族がいらっしゃらなかったのなら、やっぱり葬式とかしてもらってないんですね。だから、普通の道を通らずに、ここに来たんですね。当然、線香もお供えもないでしょうから、力は出ないでしょうねぇ・・・・・。」
「え?、どういうことなんですか?。」
「いや、死んだものはね、食事ができないでしょ、身体がないですから。でも、お腹がすいたようになるんですよ。力が出なくなるんです。あなたのように。で、それを補うのは、線香やお供え物の気というか、香りというか、そういうものなんですよ。あと、大事なのがお経ですね。これは、心がやすまるんですよ。すごく身体が軽くなる・・・・ような気がするんですね。あなたの場合、きっと葬式もされていないし、その後の供養もないし、線香もお供えもないでしょうから、その気が取れないんでしょう。だから、お腹がすいたようになるし、力が出ないんですよ。お経も読んでもらえないから、気も休まらない。」
「そうだったんですか・・・・・。何も知らなくて・・・・。やっぱり、家を出たのは間違ってたんだ。あの時、何でもいいから仕事をしていれば、こんなことには・・・・・。今更、遅いか・・・・・・・。」
「困ったなぁ・・・・・。こんな時は、どうすりゃいいんだろうか?。俺にはどうすることもできないし。」
「あ、いや、私のことならいいんです。どうせ、ここから先へは進めなさそうだし・・・。歩くどころか、立ち上がる気力も無いですから。このまま放って置いてください。あなたは、これからまだ先へ行かれるのでしょう?。」
「えぇ、まあ、そういうことらしいですけどね。この死出の山を越えなきゃいけないんで・・・・。しかし、このまま見捨てるわけにも・・・・・。そうだ、山おんなさんか山おとこさんに聞いてみよう。ちょっと待って下さい。」
俺は、そういうと、山おんなさんと山おとこさんに声を掛けてみた。
「山おんなさーん、山おとこさーん、聞こえたら返事してくださーい。山おんなさーん、山おとこさーん・・・・・。」

返事はなかった・・・・。俺はどうしたものかと思い、しつこく声を掛けてみた。二度三度と・・・・。が、返事はなかった。山は、ただただ静かだった・・・・。

「なんですか、その山おんなさんとか、山おとこさんというのは。お知りあいですか?。それとも、あなた・・・・・。まさか、これ、イタズラじゃないでしょうね。ドッキリ何とか、とか言うんじゃないでしょうね。」
「あ、いや、違うんですよ。その・・・・そう、山おんなさんも山おとこさんも、ここで知り合った・・・えぇっと、人・・・じゃないな、そう、妖精なんです。ですから、あの人たちなら、何とかなるかもしれないんです。」
「でも、返事がないじゃないですか・・・・。あんた、俺をからかっているのか?。」
「いや、そうじゃないって・・・・。参ったなぁ・・・・こんな時に。どうしたんだろう、二人とも・・・・。」
俺は本当に困ってしまった。いったいどうしたんだろう。そんなに忙しいのだろうか・・・・。わからなかった。なぜ、山おんなさんたちの返事がないのか、この先、どうすりゃいいのか・・・・・・。俺は考え込んでしまった。

「う、うわっ!、どうしたんだ!。俺はどうなっているんだ!」
男の叫び声で、俺は我に帰った。そして、男のほうを見て、俺は息を飲んだ。なんと、その男が消えそうになっているではないか。
「き、消える。俺が消えていく。お、おい、あんた、こ、これはどういうことなんだ!。消える。消えるぞ!。おい、何とかしてくれ。助けてくれよ!。」
「お、俺もわからない。こんなの初めて見た!。どうなっているんだ。」
俺は慌てた。どうしていいのかわからない。目の前で人が消えていくのだ。慌てない方がおかしい。手を差し出しても、つかもうとしても、感触はなかった。どうすることもできない・・・・。俺には、どうすることもできなかった。

そうこうしているうちに、男の身体は、足は消え、手先がなくなり、腰、腕とゆっくりではあるが、順に消えていくのだった。今はもう、胸から上しかない。
「おい、どうなっているんだ・・・・。俺の身体、消えちまった・・・・。俺ばっかり、なんでこんな目にあうんだ。俺が何をしたって言うんだ・・・・。た、助けてくれよ。お願いだ、助けてくれ!。」
男は泣いていた。しかし、どうしようもない。助けたくっても、どうしていいかわからないのだ。頼りの山おんなさんたちは返事がない。俺にできることは、ただ見守るだけだった・・・・。
「おい、俺、消えてどうなるんだ?。なあ、知っていたら教えてくれよ。俺は、どうなるんだ・・・・・。」
目の前の口だけがそう言っていた。それもやがて・・・・。
「頼む。俺はどうなるんだ。お願いだ。教えてく・・・・・・。」
消えてしまった。
「いったいどうなっているんだ!。アイツはどうして消えたんだ。俺には・・・・。俺は何もできなかった・・・・。」
涙がこぼれた。悔しかった。俺が殺したのだろうか。俺のせいだろうか。救えなかったのだろうか・・・。目の前で人が消えていくのに、俺は何もできなかった・・・・・。俺は、その場に座り込んでしまった。
涙がとめどなく流れた。怖くもあった。否、それは恐怖だった。俺は怖かったのだ。目の前の人が消えてしまった。それは恐怖だ。しかも、俺は何もできなかった。最後の言葉が頭に張り付いて消えない。あの口だけの姿が、頭から離れない。俺は・・・・・。

「はぁ、まあ、そない落ち込まんと。そら、しゃーないで。」
懐かしい声だった。ついこの間、聞いたばかりなんだが、懐かしかった。否、ホッとしたんだ。その声を聞いて。それと同時に、怒りが込み上げてきた。
「今ごろなんだよ!。遅いじゃないか。俺が声を掛けたとき、なんで出てきてくれなかったんだ。おかげで、あの男は消えちまったじゃないか。」
「まあ、そない怒らんと。落ちつきなはれ。これには、ちゃーんと訳があるさかいに。」
「そうよ、今、説明してあげるから、ちょっと、落ち着きなさい。わかった。」
「訳だって?。どんな訳があるって言うんだ。人が一人消えたんだぞ。俺の目の前で。これが落ち着いていられるか!。」
俺は、明らかに興奮していたし、山おとこさんや山おんなさんに八つ当たりもしていた。怖かったんだ。本音を言えば、怖かったんだ。もっと早く声を掛けて欲しかったのだ。

「あんさんの気持ちは、ようわかるけどな。でも、しゃーないねん。あの男の場合。消えてもしゃーないの。」
「どういうことだよ、それ。わかるように説明してくれよ。」
「やっと、聞く気になったわね。まあ、目の前で人が一人消えてしまったんだから、ショックだとは思うけど。でも、話を聞けばわかるから。大丈夫、あんたのせいじゃないから。それに、あんたはもちろん、私たちにだって、助けることなんてできないのよ。これは・・・・そうね、ルールなの。」
「ルール?。どういうことなんだ。あんた達にもどうすることもできなかったのか?。本当に俺のせいじゃないのか。」
「ああ、せやせや。あんたのせいじゃない。あんたが責任を感じることはないんや。俺達にも手出しはでけんことや。これは、ルールや。この世界のな。あんたらでいうあの世のな。」
「あの世のルール・・・・。わかった、聞くよ。もう大丈夫だ。落ち着いた。ごめん。取り乱していた。」
「ふう、落ち着いたようやね。ほな、説明したろか。」
俺は、その場に座りなおし、山おとこさんたちの言葉を待った。 




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