歌の注釈(巻第8〜16)

読み下し文は原則として「万葉集」講談社文庫(中西進編)に基づいています。注釈に際しては、その他に、日本古典文学大系「万葉集」岩波書店等も参考にしていますが、私の解釈も含まれていますのでご用心を。

 


巻第8


 

巻8-1418

石(いは)ばしる 垂水(たるみ)の上の さ蕨(わらび)の 萌え出(い)づる春に なりにけるかも

(作者) 志貴皇子。雑歌。

(大意) 岩の上を激しく流れる滝のほとりのさ蕨が萌え出る春になったなあ。

(注釈) 「石(いは)ばしる」は激流の様子。「垂水(たるみ)」は滝。「さ蕨」の「さ」は接頭語。「出(い)づる」は出(イ)ヅの連体形。「なりにけるかも」は、動詞ナリの連用形+完了の助動詞ヌの連用形+詠嘆のケリの連体形+詠嘆の終助詞カモ。

 

 

巻8-1424

春の野に すみれ摘(つ)みにと 来(こ)しわれそ 野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける

(作者) 山部赤人。

(大意) 春の野にすみれを摘もうと来た私は、野に心をひかれたので一夜寝てしまった。

(注釈) 「をなつかしみ」は、格助詞のヲ+形容詞の語幹ナツカシ+原因・理由の接尾語ミで、・・に心惹かれたので。

 

 

大伴宿禰三林(おほとものすくねみはやし)の梅の歌一首 

巻8-1434

霜雪(しもゆき)も いまだ過ぎねば 思はぬに 春日(かすが)の里に 梅の花見つ

(作者) 大伴三林。 

(大意) 霜も雪もいまだ残っているので思ってもみなかったのだが、春日の里に梅の花を見た。

(注釈) 「過ぎねば」は、ナクナルの意の過グの未然形+打消しのズの已然形+順接確定条件の接続助詞バ。「思はぬに」は、思フの未然形+打消しのズの連体形ヌ+接続助詞ニで、逆接の確定条件となる。

 

 

厚見王(あつみのおほきみ)の歌一首 

巻8-1435

かはづ鳴く 甘南備(かむなび)川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹(やまぶき)の花

(作者) 厚見王。 

(大意) かはづが鳴く甘南備川に影を映して、今頃咲いているだろうか、山吹の花は。

(注釈) 「かはづ」はカエル類のこと。ここは、河鹿。「甘南備(かむなび)川」はカムナビ山を巡る川。「影見えて」は、影ヲ映シテ。「今か咲くらむ」は、今+疑問の係助詞カ+サクの終止形+推量のラムの連体形で、今咲イテイルダロウカ。

 

 

丹比真人乙麻呂(たぢひのまひとおとまろ)の歌一首 屋主真人が第二子なり  

巻8-1443

霞立つ 野の上(へ)の方(かた)に 行きしかば うぐひす鳴きつ 春になるらし

(作者) 丹比真人乙麻呂。 

(大意) 霞立つ野辺の方に行ってみると、うぐひすが鳴いた。春になるらしい。

(注釈) 「行きしかば」は、行クの連用形+過去のキの已然形シカ+順接確定条件の接続助詞バ。「鳴きつ」は鳴クの連用形+完了のツ。

 

 

 

巻8-1444

山吹(やまぶき)の 咲きたる野辺(のへ)の つぼすみれ この春の雨に 盛りなりけり 

(作者) 高田女王(たかたのおほきみ)。

(大意) 山吹の咲いている野辺のつぼすみれが、この春の雨に、今盛りだなあ。

(注釈) 「つぼすみれ」は、今のスミレとは別種らしい。「雨に」は、雨に誘われて。

 

 

大伴坂上郎女の歌一首 

巻8-1447

尋常(よのつね)に 聞くは苦しき 呼子鳥(よぶこどり) 声なつかしき 時にはなりぬ

右の一首は、天平四年の三月の一日に、佐保(さほ)の宅(いへ)にして作れり。

(作者) 大伴坂上郎女。 

(大意) 世の常として聞くのは苦しい呼子鳥であるが、その声に心ひかれる季節になった。

(注釈) 「尋常(よのつね)に」は、呼子鳥の声が当時、人を恋しくさせるためいとわしい声とされていたので、世の常のごとく聞くと苦しい思いになることを言っている。

 

 

大伴宿禰家持、坂上家(さかのうへのいへ)の大嬢(おほいらつめ)に贈れる歌一首 

巻8-1448

わがやどに 蒔(ま)きしなでしこ いつしかも 花に咲きなむ 比(なそ)へつつ見む

(作者) 大伴家持。

(大意) わが家に蒔いた撫子はいつ花が咲くのだろうか。花が咲いたら貴女になぞらえながら見よう。

(注釈) 「いつしかも」は、代名詞イツ+副助詞シ+疑問の係助詞カ+強意の係助詞モで、イツニナッタラ。「花に咲きなむ」は、サクの連用形+完了のヌの未然形ナ+推量のムの連体形で、サクダロウ。前の句を受けて、サクダロウカ。

 

 

紀女郎(きのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌二首 

巻8-1460

戯奴(わけ)がため わが手もすまに 春の野に 抜ける茅花(ちばな)そ 食(を)して肥(こ)えませ

(作者) 紀女郎(きのいらつめ)が若い大伴宿禰家持に贈った歌。合歓(ねぶ)の花と茅花(ちばな)とを折って贈った

(大意) お前のために手を休めずに春の野で採ってきた茅花ですよ。召し上がってお太りなさいませ。

(注釈) 「戯奴(わけ)」は、若者の意。「すまに」は休ムの意のスムの未然形+打消しのヌの連用形。「抜ける」は、抜クの命令形抜ケ+完了のリの連体形。「食(を)して肥(こ)えませ」は、食ベルの意の尊敬で食(ヲ)スの連用形ヲシ+接続助詞テ+ヤ行下二の肥ユの連用形+尊敬のサ行四段補助動詞マスの命令形。

 

 

巻8-1461

昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓木(ねぶ)の花(はな) 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ

(作者) 紀女郎(きのいらつめ)が若い大伴宿禰家持に贈った歌。合歓(ねぶ)の花と茅花(ちばな)とを折って贈った。

(大意) 昼は花開き夜は慕いあって寝る合歓木の花を、主君(私)だけが見ていてよいのでしょうか。お前も見なさい。

(注釈) 「君」は主君であるがここでは自分のこと。「見めや」は見(ミ)ルの未然形+適当のムの已然形メ+已然形を受けて強い反語となる係助詞ヤ。「戯奴(わけ)さへに見よ」は、若者の意のワケ+・・マデモの意の副助詞サヘ+強意の格助詞ニ+見ルの命令形。

 

 

大伴家持の霍公鳥(ほととぎす)の歌一首  

巻8-1490

霍公鳥(ほととぎす) 待てど来鳴かず 菖蒲草(あやめぐさ) 玉に貫(ぬ)く日を いまだ遠みか

(作者) 大伴家持。

(大意) 霍公鳥を待っているが、来て鳴かない。菖蒲草を珠として緒に通す日が未だ遠いからだろうか。

(注釈) 「菖蒲草(あやめぐさ)」は、ショウブ。「玉に貫(ぬ)く」「日をいまだ遠みか」は、・・ヲ+形容詞の語幹+原因・理由を表すミで、・・ガ・・ナノデ、となり、カは疑問の係助詞なので、日ガマダ遠イカラカナア。

 

 

大伴家持、雨の日に霍公鳥(ほととぎす)の喧(な)くを聞ける歌一首 

巻8-1491

卯の花の 過ぎば惜しみか ほととぎす 雨間(あまま)もおかず 此間(こ)ゆ鳴き渡る

(作者) 大伴家持。 

(大意) 卯の花のときが過ぎたら惜しいと思ってか、ほととぎすが雨の間も絶えず此の辺りを鳴き渡っている。

(注釈) 「過ぎば」は、過グの未然形+順接仮定条件の接続助詞バ。「惜しみか」は、惜シイの意の惜シの語幹+理由を表す接尾語ミ+疑問のカで、惜シイカラカ。「雨間(あまま)」は、雨の止んでいる間。晴れ間。「おかず」は、間をあけるの意の置クの未然形オカ+打消しのズで、絶え間なく。「此間(こ)ゆ」は、ココの意のコ+ヨリの意の格助詞ユ。

 

 

筑波山(つくばのやま)に登らざりしことを惜しめる歌一首 

巻8-1497

筑波嶺(つくばね)に 我が行けりせば 霍公鳥(ほととぎす) 山彦響(とよ)め 鳴かましやそれ

(作者) 高橋連虫麻呂 

(大意) 筑波嶺に行っていたならば、霍公鳥が(ほととぎす)が山彦を響かせて鳴いていただろうになあ。

(注釈) 「せば・・・まし」で、反実仮想〜シテイタラ〜シタダロウナ、を示す。「それ」は霍公鳥のことを強く指示している。

 

 

 

巻8-1500

夏の野の 茂(しげ)みに咲ける 姫百合(ひめゆり)の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ

(作者) 大伴坂上郎女

(大意) 夏の野の深い繁みに咲く姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものです。

(注釈) 「姫百合(ひめゆり)」は、比較的小さいユリで、夏に、朱又は黄色い花を咲かす。「知らえぬ」は、知ルの未然形+受身ユの未然形エ+打ち消しのズの連体形ヌ。

 

 

山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)の、秋の野の花を詠める二首。 

巻8-1537

秋の野に 咲きたる花を 指(および)折り かき数ふれば 七種(くさ)の花

(作者) 山上憶良。 

(大意、注釈) 説明は省略。

 

 

巻8-1538

萩の花 尾花葛花(くずばな) なでしこの花 女郎花(をみなへし) また藤袴 朝貌(あさがほ)の花

(作者) 山上臣憶良。旋頭歌の形をとっている。

(大意) 省略。

(注釈) 「尾花」はススキ。「また」は音調を整えるためだけの接続詞。「朝貌」はキキョウその他種々の説がある。

 

 

巻8-1616

朝(あさ)ごとに 我が見る屋戸(やど)の なでしこが 花にも君は ありこせぬかも

(作者) 笠女郎(かさのいらつめ)の、大伴宿禰家持に贈る歌一首

(大意) 貴方が、毎朝いつも見る我が家のなでしこの花であったらよいのに。

(注釈) 「ありこせぬかも」は、連用形アリ+下に打消しの語を伴って希望を表す下二補助動詞コスの未然形コセ+打消しの助動詞ヌの連体形+願望の終助詞カモで、・・デアッテクレナイカナア。

 

 

大伴田村大嬢(おほとものたむらのおほいらつめ)、妹(いもひと)坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に与ふる歌二首 

巻8-1622

わがやどの 秋の萩(はぎ)咲く 夕影(ゆふかげ)に 今も見てしか 妹が姿を

(作者) 大伴田村大嬢。 

(大意) わが家の秋の萩が咲く夕方の光の中に、今も見えたらよいのですが。あなたの姿が。

(注釈) 「夕影(ゆふかげ)」は夕方の光。「見てしか」は、見ルの連用形+完了のツの連用形テ+願望の終助詞シカで、見タイ、見エタラナア。

 

 

巻8-1623

わがやどに 黄変(もみ)つ鶏冠木(かへるで) 見るごとに 妹を懸(か)けつつ 恋ひぬ日はなし 

(作者) 大伴田村大嬢。 

(大意) わが家の黄葉したカエデを見るたびに、あなたのことが心にかかり、恋しく思わない日はありません。

(注釈) 「黄変(もみ)つ」は黄葉スルの意の四段動詞モミツの連体形。「鶏冠木(かへるで)」は楓。葉がカエルの手のような形をしている。

 

 

巨勢朝臣宿奈麻呂(こせのあそみすくなまろ)の雪の歌一首 

巻8-1645

わがやどの 冬木(ふゆき)の上に 降る雪を 梅の花かと うち見つるかも

(作者) 巨勢宿奈麻呂。 

(大意) わが家の冬枯れの木の上に降る雪を、梅の花かとはっと見てしまったなあ。

(注釈) 「うち」は、サット、チョット等の意の接頭語。

 


巻第9


 

巻9-1694

細領巾(ほそひれ)の 鷺坂山の 白躑躅(しろつつじ) われににほはね 妹に示さむ

(作者) 未詳。

(大意) 白頭巾のような鷺坂山の白躑躅よ。私の衣を白く染めて欲しい。帰って妻に見せよう。

(注釈) 「細領巾(ほそひれ)」も「鷺坂山」も白のイメージを表している。「にほはね」は、匂フの未然形ニホハ+希望を表す終助詞ネ。匂フは、他のものに色が染まる、という意味。

 

 

弓削皇子(ゆげのみこ)に献(たてまつ)る歌三首

巻9-1701

さ夜中(よなか)と 夜(よ)は更(ふ)けぬらし 雁(かり)が音(ね)の 聞こゆる空を 月渡るみゆ

(作者) 未詳。

(大意) ま夜中と、夜は更けてしまったらしい。雁の鳴き声が聞こえる空を月が渡っていくのが見える。

(注釈) 「聞こゆる」は、聞コエルの意のキコユの連体形。ユは、上代の自発・受身の助動詞ユに関連する接尾語。「みゆ」は、見エルの意。見ルの未然形+上代の自発・受身の助動詞ユ。

 

 

鷺坂(さぎさか)にして作れる歌一首

巻9-1707

山城(やましろ)の 久世(くせ)の鷺坂(さぎさか) 神代(かみよ)より 春ははりつつ 秋は散りけり

(作者) 未詳。

(大意) 山城の久世の鷺坂では、神代の昔から、春に芽を出し、秋には散ってしまうのだなあ。

(注釈) 「鷺坂(さぎさか)」は、京都府城陽市久世の久世神社近くの坂。「はりつつ」ハ、芽ガ出ルの意のハルの連用形+接続助詞ツツ。なお、ハルは春の語源。

 

 

筑波山(つくばのやま)に登りて月を詠める一首

巻9-1712

天の原 雲なき宵(よひ)に ぬばたまの 夜渡(よわた)る月の 入(い)らまく惜(を)しも

(作者) 未詳

(大意) せっかく雲のない宵なのに、ぬばたまの夜を渡る月が沈んでしまうことが惜しいなあ。

(注釈) 「雲なき宵(よひ)に」のニは、逆接の確定条件〜ノニの意の助詞。 「入(い)らまく」は、イルの未然形+名詞化のマク。

 

 

武蔵(むさし)の小埼(をさき)の沼(ぬま)の鴨(かも)を見て作れる歌一首

巻9-1744

埼玉(さきたま)の 小埼(をさき)の沼に 鴨ぞ翼(はね)霧(き)る 己(おの)が尾に 降り置ける霜を 掃(はら)ふとにあらし

(作者) 高橋虫麻呂歌集。

(大意) 埼玉の小埼の沼に鴨が翼を震わせている。尾についた霜を振り払おうとしているようだ。

(注釈) 「武蔵(むさし)」は、今の東京都、埼玉県、神奈川県。「小埼(をさき)」は今の埼玉県行田市。「翼(はね)霧(き)る」は、翼を強く振ってしぶきをたてている。「掃(はら)ふとにあらし」は、掃フの終止形+・・ノツモリデの意の格助詞ト+格助詞ニ+・・デアルラシイの意のアラシ。

 

 

那賀(なか)の郡(こほり)の曝井(さらしゐ)の歌

巻9-1745

三栗(みつくり)の 那賀(なか)に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず通(かよ)はむ そこに妻もが

(作者) 高橋虫麻呂歌集。

(大意) 那賀に向きあっている曝井の水が絶えないように、絶えず通ってこよう。そこに妻になる人がいて欲しい。

(注釈) 「三栗(みつくり)の」はナカに掛かる枕詞。「那賀」は諸説あるが、武蔵国であれば埼玉県美里町広木の曝井とされ、常陸国説であれば水戸市愛宕町滝坂の泉とされる。「曝井(さらしゐ)」は、布を洗いさらす井戸の意味で各地にあったが、固有名詞となったもの。「もが」は、係助詞モ+終助詞ガで、願望の意を表して文を終える。曝井に娘たちが集まっているので妻がみつかるといいな、という意か。

 

 

検税使(けんぜいし)大伴卿(おほとものまえつきみ)の、筑波山(つくばのやま)に登りし時の歌一首并せて短歌 

巻9-1753

衣手(ころもで) 常陸(ひたち)の国の 二並(ふたなら)ぶ 筑波の山を 見まく欲(ほ)り 君来(き)ませりと 暑(あつ)けくに 汗かきなけ 木(こ)の根取り 嘯(うそむき)登り 峰(を)の上(うへ)を 君に見すれば 男(を)の神も 許したまひ 女(め)の神も ちはひたまひて 時となく 雲居(くもゐ)雨降る 筑波嶺(つくばね)を 清(さやか)に照らし いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉(うれ)しみと 紐(ひも)の緒(を)解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡(なび)く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日(けふ)の楽しさ

(作者) 高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)

(大意) 常陸の国の二つ並ぶ筑波の山を見たいとあなたがいらしたので、熱(あつ)さに汗をかき苦しみながら、木の根にすがり、息を切らしながら登り 峰の上の景色をあなたにお見せすると、男神もお許しになり、女神もご加護をくださり、いつもなら雨の降る筑波嶺を清に照らし、今迄はっきりとは分からなかったこの国の優れたところを詳らかに示して下さったので、嬉しく思い紐を解いて家にいるときのように、打ち解けて遊んだ。霞がかかる春に見るよりも、夏草が茂ってはいるけれど、今日はなんと楽しいことか 。

(注釈) 「衣手(ころもで)」は、衣手ヲ浸スで常陸につないでいる。「見まく欲(ほ)り」 は、見ルの未然形+〜シヨウトスルの意のムのク語法+欲ルの連用形。 「熱(あつ)けく」は、熱シの名詞形。「汗かきなけ」は、汗ヲカキ苦シミの意だそうですが、よく理解できていません。 「嘯(うそむき)」は息ヅクこと。「ちはひ」は霊力を発して守るの意のチハフの連用形。「いふかりし」は、今迄ヨクワカラナカッタの意。 「国のまほら」 は国ノ優レタトコロ。 「見ましゆは」 は、見ルの未然形+仮想の助動詞マシ+比較を表す助詞ユ+係助詞ハ。

 

 

反歌

巻9-1754

今日(けふ)の日に いかにか及(し)かむ 筑波嶺(つくばね)に 昔の人の 来(き)けむその日も

(作者) 高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)

(大意) 今日の日にどうして及ぼうか。筑波嶺に昔の人が来ただろう、どの日を比べても。

(注釈) 「昔の人」は、不特定の人。「来(き)けむ」は、来の連用形+過去推定のケム」。

 

 

筑波山(つくはやま)に登る歌一首 并せて短歌 

巻9-1757

草枕(くさまくら) 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる こともありやと 筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば 尾花(おばな)散る 師付(しづく)の田居(たゐ)に 雁(かり)がねも 寒く来(き)鳴きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺(つくはね)の よけくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来(こ)し 憂(うれ)へはやみぬ

(作者) 高橋虫麻呂。

(大意) 旅の憂いを慰めてくれるかと、筑波嶺に登って見ると、ススキの穂が散る師付の田居を雁が来て寒々と鳴いていた。新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っていた。筑波嶺のよい景色を見ていたら、長い日々思い悩み重ねてきた憂いが止んでいた。

(注釈) 「草枕(くさまくら)」は旅に掛かる枕詞。「筑波嶺(つくばね)」は筑波山。「尾花(おばな)」はススキ。「師付(しづく)の田居(たゐ)」は、筑波山の東麓の田。「新治(にひばり)」は、郡名(筑波山の北西)ともとれるが、前出の「尾花(おばな)散る」に合わせ実景とすると、沼を田に新たに拓くこととなる。「鳥羽(とば)の淡海(あふみ)」は、筑波山の北麓から西麓へかけての大きな湖沼地帯だったか。「よけく」は、形容詞ヨシを名詞化するク語法。

 

 

反歌 

巻9-1758

筑波嶺(つくばね)の 裾廻(すそみ)の田井(たゐ)に 秋田刈る 妹(いも)がり遣(や)らむ 黄葉(もみち)手折(たを)らな

(作者) 高橋虫麻呂。

(大意) 筑波山の裾の周りの田に秋の稲を刈っている乙女のもとにやる黄葉を手折ろう。

(注釈) 「筑波嶺(つくばね)」は筑波山。「裾廻(すそみ)」のミは曲がっている様子を表す接尾語。「がり」は・・ノ許ニ。「手折(たを)らな」は、タオルの未然形+願望の終助詞。

 

 

 

巻9-1759

鷲(わし)の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上(うえ)に 率(あともひ)て 未通女(おとめ)壮士(おとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ嬥歌(かがい)に 人妻(ひとつま)に 吾(われ)も交(まじ)らむ わが妻に 他(ひと)も言問(ことと)へ この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日(けふ)のみは めぐしもな見そ 言も咎(とが)むな (嬥歌は東(あづま)の俗語(くにふりのこと)にかがひと曰ふ)

(作者) 高橋虫麻呂。

(大意) 筑波山の裳羽服津で、女や男があつまって開く歌垣に参加し、私も他人の妻と交わり、人は私の妻にも声をかけて欲しい。昔から神が禁じていない行事であり、神は今日だけはかわいそうだとは見ず、咎めたりしないでほしい。

(注釈) 「裳羽服津(もはきつ)」筑波山の一部。「かがふ」は男女が集まって歌舞飲食し交歓すること。「嬥歌(かがい)」は、カガフの名詞形で、歌垣の東国方言。「領(うしは)く」は、支配スルの連体形。「めぐし」は、カワイソウダの意。「な見そ」は、動詞見ルの連用形にナ〜ソが付いて柔らかい禁止を表す。

 

 

反歌 

巻9-1760

男(を)の神に 雲立ちのぼり 時雨(しぐれ)ふり 濡れ通るとも われ帰らめや 

(作者) 高橋虫麻呂。

(大意) 男の神の山に雲が立ちのぼり時雨が降り、ずぶ濡れになるとしても、私は決して帰ったりしない。

(注釈) 「男(を)の神」筑波山のこと。「帰らめや」は、帰ルの未然形+推量のムの已然形+強い反語のヤ。

 

 

石川大夫(いしかはのまへつきみ)の任(まけ)を遷(うつ)さえて京に上(のぼ)りし時に、播磨娘子(はりまのをとめ)の贈れる歌二首 

巻9-1776

絶等寸(たゆらき)の 山の峰(を)の上(へ)の 桜花 咲かむ春べは 君し思(しの)はむ 

(作者) 播磨娘子。 

(大意) 絶等寸山の峰の上の桜花がまた咲くだろう春には、貴方をこそしのぶことでしょう。

(注釈) 「絶等寸(たゆらき)の山」兵庫県姫路市辺りの山。「君し思(しの)はむ」は、君+強意のシ(君ヲコソ)+シノフの未然形+推量のム。

 

 

巻9-1777

君なくは なぞ身装(よそ)はむ 櫛笥(くしげ)なる 黄楊(つげ)の小櫛(をくし)も 取らむとも思はず

(作者) 播磨娘子。 

(大意) あなたがいらっしゃらなければ、どうして身を装うことなどいたしましょう。櫛笥にあるつげの小櫛も手に取ろうとは思いません。

(注釈) 「君なくは」は、君+無シの連用形ナク+順接仮定条件となる係助詞ハで、アナタガイナクテハ。「櫛笥(くしげ)なる」は、櫛笥(化粧の用具を入れる箱)ノ中ニアル。

 

 

鹿島郡(かしまのこほり)の刈野(かるの)の橋にして、大伴卿(おほとものまへつきみ)に別れたる歌一首 并(あは)せて短歌

巻9-1780

牡牛(ことひうし)の 三宅(みやけ)の潟(かた)に さし向(むか)ふ 鹿島(かしま)の崎(さき)に さ丹塗(にぬ)りの 小船(をぶね)を設(ま)け 玉巻きの 小楫(をかぢ)しじ貫(ぬ)き 夕潮(ゆふしほ)の 満ちのとどみに 御船子(みふなご)を 率(あとも)ひたてて 呼びたてて 御船出(い)でなば 浜も狭(せ)に 後(おく)れ並(な)み居(ゐ)て こいまろび 恋ひかも居(を)らむ 足ずりし 哭(ね)のみや泣かむ 海上(うなかみ)の その津を指(さ)して 君が漕(こ)ぎ去(い)なば

(作者) 高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の歌集の中に出づ。

(大意) 牡牛の三宅の潟に向かいあう鹿島の崎に 赤く塗った舟を揃え、立派に巻いた楫をたくさん貫いて、夕方の潮が満ちきった中で船頭たちを引き連れ、掛け声を交わしたててあなたの舟が出て行ったなら、人々は浜も狭いほどに残っていて、ごろごろ転がりながら恋い慕うだろうか。足ずりをしながら大声で泣くだろうか。海上の方に次の津を目指してあなたが漕いでいったなら。(講談社文庫「万葉集」による)

(注釈) 省略。

 

 

反歌

巻9-1781

海つ路(ぢ)の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出(ふなで)すべしや

(作者) 高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)の歌集の中に出づ。

(大意) 海路の穏やかになったときにお渡りなさい。このように波の立つ中を船出してよいはずがありません。

(注釈) 「海つ路」は海の道。「なぎなむ」は、波ガオサマルのナグの連用形+完了の助動詞ヌの未然形+推量のムの連体形。「渡らなむ」は、渡ルの未然形+他に対する願望の意の終助詞ナムで、渡ッテクダサイ。「すべしや」す、為スの意のスの終止形+適切であるの意のベシ+反語の係助詞ヤ。

 

 

勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままのをとめ)を詠める歌一首 并せて短歌 

巻9-1807

鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に 古(いにしへ)に ありけることと今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児奈(てこな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(あをくび)着け ひたさ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻(か)きは梳(けづ)らず 沓(くつ)をだに はかず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める 斎(いは)ひ子も 妹(いも)にしかめや 望月(もちづき)の 満(た)れる面(おも)わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 水門(みなと)入りに 舟漕(こ)ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生(い)けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音(と)の 騒(さわ)く湊の 奥津城(おくつき)に 妹が臥(こや)せる 遠き代(よ)に ありけることを 昨日(きのふ)しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

(作者) 高橋虫麻呂歌集。

(大意) 。

(注釈)。

 

 

反歌 

巻9-1808

勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の井(ゐ)を見れば 立(た)ち平(なら)し 水汲(く)ましけむ 手児奈(てこな)し思ほゆ

(作者) 高橋虫麻呂歌集。

(大意) 葛飾の真間の井戸を見ると、頻繁に通って水を汲んだ手児奈のことが思われる。

(注釈) 「勝鹿(かつしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。「立(た)ち平(なら)し」は、地面が平らになるほどその場所に頻繁に通うこと。「水汲(く)ましけむ」「手児名(てこな)」は当時言い伝えられていた美女。「し思ほゆ」は、強調の副助詞シ+自然に思ワレルの意の思ホユの終止形。

 

 


巻第10


 

巻10-1814

いにしへの 人の植(う)ゑけむ 杉(すぎ)が枝(え)に 霞(かすみ)たなびく 春は来(き)ぬらし

(作者) 未詳。

(大意) 昔の人が植えたという杉の枝に霞がたなびいている。春が来たらしい。

(注釈) 「植(う)ゑけむ」は、ワ行下二のウウの連用形ウヱ+伝聞のケムの連体形。「来(き)ぬらし」は、カ変クの連用形キ+完了のヌの終止形+推定のラシ。

 

 

巻10-1821

春霞(はるかすみ) 流るるなへに 青柳(あをやぎ)の 枝くひ持ちて うぐひす鳴くも

(作者) 未詳。春の雑歌。

(大意) 春霞が流れるようにたなびく季節には、青柳の枝をくわえてうぐいすが鳴くなあ。

(注釈) 「流るる」について、春霞はタナビク等と詠うことが多く、流ルは作者の工夫。「なへに」は、・・ト同時ニの意の接続助詞ナヘ+格助詞ニで、・・ト同時ニ。「くひ持ちて」は、口ニクワエルの意のクフの連用形+モツの連用形+接続助詞テで、口ニクワエテ持ッテ。「鳴くも」のモは、詠嘆の終助詞。

 

 

巻10-1825

紫草(むらさき)の 根(ね)延(は)ふ横野(よこの)の 春野(はるの)には 君を懸(か)けつつ 鶯(うぐひす)鳴くも

(作者) 未詳。春の雑歌。

(大意) 紫草が根をのばす横野に春が来ると、貴女を思っているかのように鶯が鳴いている。

(注釈) 「根(ね)延(は)ふ」は根ヲノバス。「横野(よこの)」は、横に長い野のこと。又は、地名としては大阪府生野区の辺りの野。「懸(か)けつつ」は、心ニ掛ケル、思ウの意の懸クの連用形+接続助詞ツツ。「鳴くも」は、ナクの終止形+感動・詠嘆の終助詞モ。

 

 

巻10-1847

浅緑(あさみどり) 染め懸(か)けたりと 見るまでに 春の楊(やなぎ)は 萌えにけるかも

(作者) 未詳。

(大意) 浅緑に染めて木に懸けたのかと見まごうほど、春の楊が芽吹いているなあ。

(注釈) 「までに」は、状態の目立ち具合の程度を表す。「萌えにけるかも」は、草木ガ芽ヲ出スの意の萌ユの連用形萌エ+完了のヌの連用形ニ+詠嘆を含む気づきのケリの連体形+詠嘆のカモ(終助詞カ+係助詞モ)で、芽ガ出タコトダナア。

 

 

巻10-1848

山の際(ま)に 雪は降りつつ しかすがに この河楊(かはやぎ)は 萌(も)えにけるかも

(作者) 未詳。

(大意) 山の間にはまだ雪が降っているが、さすがにこの川の柳はもう芽をふいたなあ。

(注釈) 「しかすがに」は、ソウハイッテモ。「河楊(かはやぎ)」は、河のほとりの柳。「萌(も)えにけるかも」は、ヤ行下二の萌ユの連用形+完了のヌの連用形+詠嘆を含む気づきのケリの連体形+詠嘆のカモ(終助詞カ+係助詞モ)。

 

 

巻10-1864

あしひきの 山の間(ま)照らす 桜(さくらばな)花 この春雨(はるさめ)に 散りゆかむかも

(作者) 未詳。

(大意) 山の間を照らすように咲いている桜は、この春雨に散ってしまうのだろうか。

(注釈) 「あしひきの」は山にかかる枕詞。「散りゆかむかも」は、散ルの連用形+行クの未然形+推量のムの連体形+詠嘆のカモ(終助詞カ+係助詞モ)。

 

 

巻10-1872

見渡せば 春日(かすが)の野辺(のへ)に 霞(かすみ)立ち 咲きにほへるは 桜花(さくらばな)かも

(作者) 未詳。

(大意) 見渡してみると、春日の野辺に霞が立ち、咲きにおっているのは桜花だなあ。

(注釈) 「見渡せば」は、見渡スの已然形+順接確定の接続助詞バで、見渡シテミルト。

 

 

巻10-1889

わがやどの 毛桃(けもも)の下(した)に 月夜(つくよ)さし 下心(したこころ)よし うたてこのころ

(作者) 未詳。

(大意) わが家の桃の下に月がさしこんで、心から良い気分だ。近頃ますます。

(注釈) 「毛桃(けもも)」は桃。やわらかい毛に覆われた様子から。「月夜(つくよ)」は、月の出ている夜の意と、月の光の意がある。ここは後者。「下心(したこころ)」は、心の底。「うたて」は、シキリニ、マスマス。

 

 

巻10-1895

春されば まづ三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢はむ な恋ひそ吾妹(わぎも)

(作者) 未詳。 

(大意) 春になると真っ先に咲く三枝のように、無事で命が長らえていれば後にあうこともあろう。恋に苦しむなよ。吾妹よ。

(注釈) 「されば」は、時間・季節ニナルの意のサルの已然形+順接確定条件のバで、(春ニ)ナルト。「三枝(さきくさ)」はミツマタ他の説がある。「幸(さき)く」は、咲ク→サキクサ→幸ク。「幸(さき)くあらば」は、無事デアレバ。「な恋ひそ」の副詞のナ+動詞+終助詞ソで禁止となり、恋ニ苦シムナ。

 

 

巻10-1903

わが背子(せこ)に わが恋ふらくは 奥山の 馬酔木(あしび)の花の 今盛(さか)りなり

(作者) 未詳。

(大意) わが背子に対する私の思いは、奥山の馬酔木の花のように今盛りです。

(注釈) 「恋ふらく」は、コフ+体言化のラク。

 

 

巻10-1953

五月山 卯(う)の花(はな)月夜(づくよ) ほととぎす 聞けども飽(あ)かず また鳴かぬかも

(作者) 未詳。

(大意) 五月の山の卯の花の咲いている月夜に、ほととぎすよ。お前の声はいくら聞いても飽きない。また鳴いてほしい。

(注釈) 「五月山」は5月の山。「聞けども飽(あ)かず」「鳴かぬかも」は、鳴クの未然形+他に対する希望のヌカモ(打消しのズの連体形ヌ+係助詞のカ+モ)。

 

 

巻10-1972

野辺(のへ)見れば 撫子(なでしこ)の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも

(作者) 未詳。

(大意) 野辺を見ると撫子の花が咲いていた。待ち望んでいた秋が近づいているようだなあ。

(注釈) 「咲きにけり」は、咲クの連用形サキ+完了のヌの連用形ニ+詠嘆のケリ「近づくらしも」は、近ヅクの終止形+推定のラシ+詠嘆のモ。

 

 

巻10-1989

卯の花(うのはな)の 咲くとはなしに ある人に 恋ひや渡らむ 片思(かたおもひ)にして

(作者) 未詳。

(大意) 卯の花のように、心を開くことのない人に、私はずっと恋いし続けるのだろうか。片思いのまま。

(注釈) 「恋ひや渡らむ」は、恋フの連用形+疑問の係助詞ヤ+渡ルの未然形+推量のムの連体形。

 

 

巻10-2103

秋風は 涼しくなりぬ 馬並(な)めて いざ野に行かな 萩(はぎ)の花見に

(作者) 未詳。

(大意) 秋風が涼しくなった。馬を並べてさあ野に行こう。萩の花を見に。

(注釈) 「行かな」は、イクの未然形イカ+願望の終助詞ナ。

 

 

巻10-2104

朝顔(あさがほ)は 朝露負(お)ひて 咲くといへど 夕影(ゆふかげ)にこそ 咲きまさりけれ

(作者) 未詳。

(大意) 朝顔は朝露に濡れて咲くというが、夕方の光の中でこそ、いっそう美しく咲くなあ。

(注釈) 「朝顔(あさがほ)」は、キキョウ。「負(お)ひて」は、・・ニヨッテ。「夕影(ゆふかげ)」は、夕方ノ光。

 

 

巻10-2115

手に取れば 袖(そで)さへにほふ をみなへし この白露(しらつゆ)に 散らまく惜(を)しも

(作者) 未詳。

(大意) 手に取ると袖までもが色に染まる女郎花がこの白露に散ってしまうことが惜しいなあ。

(注釈) 「にほふ」は、色ニ染マル。「散らまく」は、散ルの未然形+推量の助動詞ムのク用法で、散ルダロウコト。なお、助動詞ムの未然形は、上代の活用であり、マクの形でのみ用いられた。「惜(を)しも」は、形容詞ヲシの終止形+感動・詠嘆の終助詞モ。

 

 

巻10-2119

恋しくは 形見にせよと 我が背子が 植ゑし秋萩(あきはぎ) 花咲きにけり

(作者) 未詳。 

(大意) 私が恋しくなったら形見にしなさい、と私の夫が植えた秋萩に花が咲きました。

(注釈) 「恋しくは」は、恋シの連用形+係助詞ハで、順接仮定条件に近い表現となっている。「形見」は、生きていても形見。

 

 

巻10-2127

秋さらば 妹に見せむと 植ゑし萩(はぎ) 露霜(つゆしも)負(お)ひて 散りにけるかも

(作者) 未詳。 

(大意) 秋になったならば妻にみせようと思って植えた萩なのに、露霜が降りて散ってしまったなあ。

(注釈) 「さらば」は、時間・季節ニナルの意のサルの未然形サラ+順接仮定条件のバで、(秋ニ)ナッタナラバ。「散りにけるかも」は、散ルの連用形チリ+完了ヌの連用形ニ+詠嘆のケリの連体形ケル+詠嘆のカモ。

 

 

巻10-2177

春は萌(も)え 夏は緑に 紅(くれなゐ)の まだらに見ゆる 秋の山かも

(作者) 未詳。

(大意) 春は草木が萌え、夏は緑に、今は紅のまだらに見える秋の山だなあ。

(注釈) 「見ゆる」は、動詞見ルの未然形ミ+上代の自発・受身の助動詞ユから変化した接尾語で、目ニウツル。「かも」は、終助詞カ+詠嘆のモ。

 

 

巻10-2225

わが背子(せこ)が かざしの萩(はぎ)に 置く露を さやかに見よと 月は照るらし

(作者) 未詳。

(大意) わが背子のかざしの萩におりている露を、はっきり見なさいと月が照るようだ。

(注釈) 「かざしの萩(はぎ)」は、髪に挿した萩。「置く」は、霜や露がオリル。「さやかに」は、ハッキリト。

 

 

巻10-2231

萩(はぎ)の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの 鳴くなるなへに 秋の風吹く

(作者) 未詳。

(大意) 萩の花の咲いた野辺にひぐらしが鳴くとともに、秋の風が吹く。

(注釈) 「なへに」は、・・ト同時ニの意の接続助詞ナヘ+格助詞ニで、・・ト同時ニ。

 

 

芳(か)を詠む 

巻10-2233

高松(たかまと)の この嶺(みね)も狭(せ)に 笠(かさ)立てて 満(み)ち盛(さか)りたる 秋の香(か)のよさ

(作者) 未詳。

(大意) 高松のこの嶺が狭くなるほど笠を立てて溢れている、秋のきのこの香りのすばらしさよ。

(注釈) 「芳(か)を詠む」の芳(か)は、茸の誤り、との説あり。「高松(たかまと)」は、奈良市東部の高円山か。「狭(せ)に」は、狭シの語幹セ+格助詞ニで、・・モ狭イクライニ、・・ガ一面ニ。 

 

 

巻10-2244

住吉(すみのえ)の 岸を田に墾(は)り 蒔(ま)きし稲(いね) さて刈るまでに 逢はぬ君かも

(作者) 未詳。

(大意) 住吉の岸を開墾して蒔いた稲のように、やがて刈りとるまではお会いできない貴方なのでしょうか。

(注釈) 「田に墾(は)り」は開墾スル。「さて」は、カクテなど。

 

 

巻10-2274

展転(こいまろ)び 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出(い)でじ 朝顔(あさがほ)の花

(作者) 未詳。

(大意) 転げまわるほど恋いに苦しみ死ぬようなことがあっても、はっきり顔色には出すまい。朝顔の花のようには。

(注釈) 「展転(こいまろ)び」は、転げまわること。「恋ひは死ぬとも」のハは係助詞で、恋ヒ死ヌを、詠嘆をこめて強調している。「いちしろく」は、著シク。「色には出(い)でじ」は、顔ニハの意の色ニハ+表ニ出スの意の出ズの未然形イデ+打消意志のジの終止形。「朝顔(あさがほ)の花」はキキョウ。

 

 

巻10-2281

朝露に 咲きすさびたる 鴨頭草(つきくさ)の 日(ひ)くたつなへに 消(け)ぬべく思ほゆ

(作者) 未詳。

(大意) 朝露に咲き盛っていた鴨頭草(つきくさ)が日が傾くとともにしぼんでいくように、私の身も消えてしまいそうに思われる。

(注釈) 「咲きすさびたる」は、咲クの連用形+ドンドン・・スルの意のスサブの連用形+完了のタリの連体形。「鴨頭草(つきくさ)」はツユクサ。「くたつ」は、傾ク。「なへ」は、・・ト同時ニ。「消(け)ぬべく思ほゆ」は、消ユの約クの連用形+完了のヌの終止形+推量のベシの連用形+自然に思ワレルの意の思ホユの終止形。

 

 

巻10-2315

あしひきの 山道(やまぢ)も知らず 白橿(しらかし)の 枝もとををに 雪の降れれば

右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。ただし、件(くだり)の一首は、或本には「三方沙弥(みかたのさみ)が作」といふ。

(作者) 三方沙弥。 

(大意) 山道が分からないほどだ。白橿の枝がたわわに雪が降っているので。

(注釈) 「あしひきの」は、山に掛かる枕詞。「とをを」はタワワ。「降れれば」は、降ルの命令形+完了ルの已然形レ+順接確定条件の接続助詞バで、降ッテイルノデ。

 

 


巻第11


 

巻11-2480

道の辺(へ)の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻(こひづま)を

(作者) 柿本人麻呂歌集。

(大意) 道のほとりのいちしの花のように、はっきりと人は皆知ってしまった。私の恋しい妻を。

(注釈) 「いちしの花の」までがイチシロクに掛かる序詞。「いちし」にはイタドリ、エゴノキ他の説もあるようですが、彼岸花(ひがんばな)が最有力なようです。「いちしろく」は、ハッキリト。

 

 

巻11-2503

夕(ゆふ)されば 床(とこ)の辺(へ)去らぬ 黄楊(つげ)枕(まくら) 何(いつ)しかと汝(な)は 主(ぬし)待ちがてに

(作者) 柿本人麻呂歌集。 

(大意) 夕方になると床の辺りを離れない黄楊の枕よ。なぜお前は、早く来ないかと主をまちがてにしているのか。

(注釈) 「されば」は、時間・季節ニナルの意のサルの已然形+順接確定条件のバで、(夕方ニ)ナルト。「何(いつ)しかと」は、早ク来ナイカト。汝(な)は 主(ぬし)待ち「がてに」は、・・デキナイデ。

 

 

巻11-2517

たらちねの 母に障(さや)らば いたづらに 汝(いまし)も我れも 事はなるべし。

(作者) 未詳。 

(大意) 母親のことを気にかけていると、貴女も私も事がむなしくなってしまいますよ。

(注釈) 「たらちねの」は、母にの枕詞。「障(さや)らば」は、(心ニ)引ッカカルの意のサヤルの未然形サヤラ+順接仮定条件のバ。「いたづらに」は、「なるべし」に掛かる。

 

 

巻11-2550

立ちて思ひ 居(ゐ)てもそ思ふ 紅(くれなゐ)の 赤裳(あかも)裾(すそ)引き 去(い)にし姿を

(作者) 未詳。

(大意) 立っては思い座っても思う。紅の赤い裳の裾を引いて去っていった姿を。

(注釈) 

 

 

巻11-2656

天(あま)飛ぶや 軽(かる)の社(やしろ)の 斎槻(いはひつき) 幾代(いくよ)まであらむ 隠(こも)り妻(づま)そも

(作者) 未詳。

(大意) いったい、いつまで隠しておかねばならない妻なのだろうか。

(注釈) 「天(あま)飛ぶや」は、軽(かる)に掛かる枕詞。「斎槻(いはひつき)」は、大切に守る槻。「隠(こも)り妻(づま)」は、人に隠している妻。「そも」は、係助詞ソ+係助詞モで、疑問を含む詠嘆。

 

 

巻11-2707

青山の 岩垣沼(いはかきぬま)の 水隠(みごも)りに 恋ひや渡(わた)らむ 逢ふ縁(よし)をなみ

(作者) 未詳。

(大意) 青々とした山の岩で囲まれた沼の水に隠れるように、心を秘めたまま恋い続けるのだろうか。逢うすべもないので。

(注釈) 「青山」は、青々とした山。「岩垣沼(いはかきぬま)」は、岩で囲まれた沼。「水隠(みごも)り」は、水の中に沈んで隠れることであるが、転じて、恋心を秘めて隠すこと。「恋ひや渡(わた)らむ」のコヒワタルはズット恋ヒツヅケルの意で、ヤは疑問の係助詞、ムは推量の助動詞の連体形。「をなみ」は、格助詞ヲ+形容詞無シの語幹+原因・理由を表す接尾語ミで、・・ガナイノデ。

 

 

巻11-2747

あぢかまの 塩津(しほつ)を指(さ)して 漕(こ)ぐ舟の 名は告(の)りてしを 逢はざらめやも

(作者) 未詳。

(大意) 塩津(しほつ)を指して漕ぐ舟の名のように、もう私は貴方に名をお告げしましたので、どうして逢わずにいられましょう。

(注釈) 「あぢかまの」は、渡り鳥のアヂやカマ(カモ)のいる、という意味から、水辺の地名に掛かる枕詞。 「塩津(しほつ)」は琵琶湖の北端の港。「漕(こ)ぐ舟の」は、漕ぐ船の名のようにの意で、ここまでが次の句の「名」を導く。「告(の)りてしを」の告(の)るは、名を告げることであるが、男女の出会いでは名を問うことは求婚を意味し、名を名乗ることはその許諾を示す。「告(の)りてしを」は、告(ノ)ルの連用形+強意のテ+過去のキの連用形シ+順接のヲで、名乗ッタノダカラ。「逢はざらめやも」は、逢フの未然形+否定のズの未然形ザラ+強い否定のヤ+詠嘆のモで、逢ワズニイラレマショウカ。

 

 

巻11-2763

紅(くれない)の 浅葉(あさは)の野らに 刈(か)る草(かや)の 束(つか)の間(あひだ)も 吾(わ)を忘らすな

(作者) 未詳。

(大意) 紅の浅葉の野で刈る草ほどに短い束の間も、私をお忘れにならないでください。

(注釈) 「紅(くれない)の」は枕詞であり、ここでは浅葉にかかっている。「浅葉(あさは)」の所在は諸説ある。「野ら」のラは調子を合わせる接尾語。「刈(か)る草(かや)の」までが束を導く序。「忘らすな」は、ラ行四段の忘ルの未然形+尊敬のスの終止形+禁止の終助詞ナ。忘ルには四段と下ニの二つの活用がある。上代東国方言では、四段は意志的に忘れる意で、下ニは自然に忘れる、という区別があった。

 

 


巻第12


 

 

巻12-2863

浅葉野(あさはの)に 立ち神(かむ)さぶる 菅(すが)の根の ねもころ誰(たれ)ゆゑ わが恋ひなくに

(作者) 柿本朝臣人麻呂歌集。

(大意) 浅葉野に生い立つおごそかな菅の根のようにこまやかに、あなた以外の誰にも恋したりはしないのに。

(注釈) 「神(かむ)さぶる」はコウゴウシイ。「ねもころ」はコマヤカニ。「誰(たれ)ゆゑ」は、アナタ以外の誰カガ原因トナッテ。下に否定の表現がくる。「恋ひなくに」は、動詞の未然形+打消しの助動詞ズのク語法+助詞ニで逆接の意を表し、恋シナイノニ。

 

 

 

巻12-2968

橡(つるばみ)の 一重(ひとへ)の衣(ころも) うらもなく あるらむ児(こ)ゆゑ 恋ひ渡(わた)るかも

(作者) 未詳。

(大意) 橡(つるばみ)の一重の衣のように、裏がなく無心に振舞う子なので、私は恋に苦しんでいるのだなあ。

(注釈) 「橡(つるばみ)」は、ドングリの実を煮て、その汁で染めた色。「一重(ひとへ)の衣(ころも)」は、一重なのでウラがないことから、ウラ(心)に続く。ここまで序。「うらもなく」は、心モナクで、屈託ノナイの意。

 

 

 

巻12-3096

馬柵(うませ)越しに 麦食(は)む駒(こま)の 罵(の)らゆれど 猶し恋しく 思ひかねつも

(作者) 未詳。

(大意) 馬柵(うませ)越しに麦を食べている馬が叱られているように、私も親に叱られたが、今も恋しくて物思いに耐えられません。

(注釈) 「馬柵(うませ)」は、馬小屋の柵。「罵(の)らゆれど」は、罵(ののしる)ルの意のノルの未然形ノラ+受け身のユの已然形ユレ+逆接の確定条件のド。「猶し」は、相変ワラズ、ソレデモヤハリ。「思ひかねつも」は、思フの連用形+シツヅケルコトガデキナイの意のカヌの連用形+完了、強意の助動詞ツの終止形+詠嘆のモ。

 

 

 

巻12-3195

磐城山(いはきやま)直(ただ)越え来ませ磯崎(いそざき)の許奴美(こぬみ)の浜にわれ立ち待たむ

(作者) 未詳。

(大意) 磐城山をまっすぐに越えておいでなさいませ。磯崎のこぬみの浜で私は立ってお待ちしましょう。

(注釈) 「磐城山」は、静岡県庵原郡(いおはらぐん)の薩?峠(さったとうげ)(後述の駿河国風土記参照)、あるいは、福島県いわき市の山々、とする説がある。「来ませ」は、来(ク)の連用形+尊敬のマスの命令形マセ。

駿河国風土記(するがのくにのふどき)には、磐城山とこぬみの浜に関する記述があったようだ。奈良時代に編纂された駿河国の風土記そのものは現在に伝わっていないが、他書に引用された文章が残っており、それらを逸文という。この場合は、駿河国風土記逸文である。それによると、磐城山とこぬみの浜に関しては、以下のような記述がある(Wikipediaより引用)。

下河辺長流の『続歌林良材集』上に「するがの国の風土記に云」として引用、伴信友採択[2]。「てこ」とは東国の言葉で「女」の意。昔、不来見(こぬみ)の浜(興津川の河口付近の海岸)に住む妻のもとに通ってくる神がいた。夫の神は岩木山(薩?山の古名)を越えてやって来るが、山には荒ぶる神がいて道を通さなかったので、夫の神は荒ぶる神がいないときしか妻の神のもとに通えなかった。一方の妻の神は毎晩、山のそばまでやって来て夫神を待つのだが、なかなかやって来ないので夫神の名を呼ぶ。そこでその地を「てこの呼坂」と呼ぶのだという。

 

 

 

巻12-3215

白栲の袖の別れを 難(かた)みして 荒津(あらつ)の浜に 屋取(やど)りするかも 

(作者) 未詳。

(大意) 白栲の袖の別れをつらく思って、荒津の浜に仮の宿りをするのだなあ。

(注釈) 「白栲(しろたへ)の」は衣服に掛かる枕詞。「袖の別れを 難(かた)みして」は、〜ヲ+形容詞の語幹+原因・理由のミで、〜ガ〜ナノデの意味かと思ったが、シテが付いているので違うようだ。形容詞の語幹+接尾語のミで思いの内容を表すらしいので、これを採用すると、サ変動詞スの連用形+接続助詞テが続くので、難シイト思ッテ、となるか。「荒津(あらつ)の浜」は、現在の福岡市西公園の浜で、当時は船着き場。「屋取(やど)り」は宿ルの語源らしい。別れを悲しむ歌で、これに答えた歌が、巻12-3216。

 

 

 

巻12-3216

草枕(くさまくら) 旅行く君を 荒津(あらつ)まで 送りぞ来(き)ぬる 飽(あ)き足(だ)らねこそ

(作者) 未詳。

(大意) 旅に行く貴方を荒津までお送りに来ました。いつまでも心残りなものですから。

(注釈) 「草枕(くさまくら)」は旅の枕詞。「荒津(あらつ)」は、現在の福岡市西公園の辺り。「送りぞ来(き)ぬる」は送ルの連用形+係助詞ゾ+来(ク)の連用形+完了・強意のヌの連体形。「飽(あ)き足(だ)らねこそ」は、十分満足スルの飽キ足ルの未然形+飽キ足ラ+打消しのズの已然形+係助詞コソであるが、ネの後ろに順接確定のバが省略されていると考え、十分満足デキテイナイノダカラコソとなる。巻12-3215に答えた歌。

 

 


巻第13


 

 

巻13-3241

天地(あめつち)を 嘆き乞(こ)ひ祈(の)み 幸(さき)くあらば また還り見む 志賀(しが)の韓崎(からさき) 

(作者) ただ、この短歌は、或書に云はく「穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が佐渡に配(なが)さえし時に作れる歌」といへり。

(大意) 天地の神に切に願い祈り、無事であればまた帰ってきて志賀の韓崎を見よう。

(注釈) 「天地(あめつち)」は、天地の神々。「嘆き」には、切ニ願ウの意味がある。「乞(こ)ひ祈(の)み」 「幸(さき)くあらば」は、幸イニの幸ク+アリの未然形+順接仮定のバで、幸イデアッタナラバ。「志賀(しが)の韓崎(からさき)」は大津市北部、琵琶湖沿岸。

 

 

 

巻13-3247

沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾(ひり)ひて 得し玉かも 惜(あたら)しき 君が 老ゆらく惜しも 

(作者) 未詳。

(大意) 沼名川の底にある玉、探し求めて得た玉よ。拾って手に入れた玉よ。そのように素晴らしいあなたが老いていくのは残念だ。

(注釈) 「沼名川(ぬなかは)」は、新潟県の小滝川(姫川の支流)説、空想上の川であるとする説、などがる。翡翠(ヒスイ)がとれた。「かも」は詠嘆の助詞。「惜(あたら)しき」については、上代、アタラシは惜シイ、ソノママデハモッタイナイ、素晴ラシイの意味であり、アラタシは新シイの意であった。「老ゆらく惜しも」は、老ユルの未然形+体言化のク語法+惜シ+詠嘆の助詞モで、老イテイクコトガ惜シイ。

 

 

巻13-3260

小治田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を 間無(まな)くそ 人は汲むといふ 時(とき)じくそ 人は飲むといふ 汲む人の 間無きが如(ごと) 飲む人の 時じきが如 吾妹子(わぎもこ)に わが恋ふらくは 止む時もなし

(作者)  作者不明

(大意) 小治田(をはりだ)の年魚道(あゆぢ)の水を、人は絶え間なく汲み、人はいつもそれを飲むという。汲む人が絶えないように、又、呑む人が常にあるように、私の吾妹子を恋することも止むことがない。

(注釈) 小治田(をはりだ)は、飛鳥の小治田とする説もあるが、小治田を「尾張田」、年魚道を「愛智」とする説もある。名古屋市の瑞穂競技場横にあるあゆちの水の碑は、尾張説をとっている。

 

 

反歌

巻13-3261

思ひやる すべのたづきも 今はなし 君に逢はずて 年の経(へ)ぬれば

(作者) 作者不明

(大意) 心を慰める方法の手がかりも今はない。君に逢わずに年が経ってしまったので。

(注釈) 「思ひやる」は、こころを慰める、気を晴らす。「すべのたづき」は、方法の手がかり。君は理屈に逢わない、と。「逢はずて」は、逢フの未然形+否定のズの連用形+接続の助詞テ。「経(へ)ぬれば」は。下ニ自動詞の経(フ)の連用形+完了のヌの已然形+順接バで、年ガ経タノデ。

 

 

(或る本の)反歌 

巻13-3262

みづ垣(みづかき)の 久しき時ゆ 恋ひすれば わが帯緩(ゆる)ぶ 朝夕(あさよい)ごとに

(作者) 作者不明

(大意) (神社の垣根が久しくあるように)久しい昔から恋し続けているので、朝夕毎に私の体は痩せ細り帯が緩くなります。

(注釈) みづ垣(みづかき)は、神社の周囲に設けた垣根。「時ゆ」の「ゆ」は格助詞でカラの意。「恋ひすれば」は、スの已然形+バで、恋シテイルノデ。

 

 

以下4首 問答歌

巻13-3314

つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行(い)けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ そこ思(も)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる 真澄鏡(まそみかがみ)に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買へ我が背(せ)

(作者) 未詳

(大意) 山城道を他所の夫が馬で行くのに、自分の夫が徒歩で行くのを見るにつけ泣けてしまいます。それを思うと心が痛みます。母の形見として私が持っている鏡と布を負って持っていって馬をお買いなさい。わが夫よ。

(注釈) 「つぎねふ」は山城の枕詞。「山背道(やましろぢ)」は京都南部の。「馬より」は馬デ。「徒歩(かち)より」は徒歩デ。「哭(ね)のみし泣かゆ」は、泣クを強調した表現。なお、ユは自発の助動詞。「真澄鏡(まそみかがみ)」は、よく澄んでよく映る鏡のことで、マスカガミ、マスミカガミ、マソカガミ、マソミカガミなどと呼ばれる。「蜻蛉領巾(あきづひれ)」は蜻蛉の羽のように透けるヒレ。ヒレは、女性の頸にかける長い布。「馬買へ」は、物々交換なので、馬ト換エナサイの意。

 

 

巻13-3315

泉川(いづみかは) 渡瀬(わたりぜ)深み 我が背子(せこ)が 旅行き衣(ごろも) 濡(ぬ)れにけるかも

(作者) 13-3314の反歌

(大意) 泉川の渡瀬が深いので、夫の旅の着物が濡れてしまった(馬で行くなら濡れないのに)。

(注釈) 「泉川(いづみかは)」は京都府南部の木津川。「深み」は、形容詞深シの語幹+原因・理由を表す接尾語ミで、深イノデ。

 

 

巻13-3316

真澄鏡(まそかがみ) 持てれど我れは 験(しるし)なし 君が徒歩(かち)より なづみ行く見れば

(作者) 13-3314の(ある本の)反歌

(大意) 真澄鏡を持っていても私にはその甲斐がありません。貴方が徒歩で苦労していくのを見ると。

(注釈) 「真澄鏡(まそみかがみ)」は、よく澄んでよく映る鏡。「持てれど」は、持ツの連用形+完了のルの已然形+接続助詞ドで、順接確定条件、持ッテイルケレド。「験(しるし)なし」は、甲斐ガナイ。「なづみ」は、苦労して行くことのナヅムの連用形。「見れば」は、見ルの已然形+接続助詞バで順接確定・恒常条件、見ルノデ。

 

 

巻13-3317

馬買はば 妹(いも)徒歩(かち)ならむ よしゑやし 石は踏(ふ)むとも 吾(あ)は二人行かむ

(作者) 13-3314の(ある本の)反歌

(大意) 馬を買ったら、妻は徒歩になろう。いいよ。石を踏んでも私たちは二人で行こう。

(注釈) 「買はば」は、買フの未然形+接続詞バで、順接仮定。「よしゑやし」はタトイ、ママヨの意のヨシヱ+感動の助詞ヤとシ。「踏(ふ)むとも」は踏ムの終止形+接続助詞トモで逆接仮定。

 

 


巻第14


 

東歌

 

巻14-3349

葛飾(かづしか)の 真間(まま)の浦廻(うらま)を 漕ぐ舟の 舟人(ふなびと)騒(さわ)く 波立つらしも

下総(しもつふさ)の国の歌。

(作者) 未詳。 

(大意) 葛飾の真間の浦を漕いでいる舟の船頭達が大きな声を出して動いている。波が立っているらしい。

(注釈) 「葛飾(かづしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。

 

 

巻14-3350

筑波嶺(つくばね)の 新桑繭(にひくはまゆ)の 衣(きぬ)はあれど 君(きみ)が御衣(みけし)し あやに着(き)欲(ほ)しも

常陸(ひたち)の国の歌。

(作者) 未詳。 

(大意) 筑波山の新しい桑で育てた繭の糸で織った衣もよいのですが、貴方のお着物こそとても着たく思います。

(注釈) 「筑波嶺(つくばね)」は筑波山。「新桑繭(にひくはまゆ)」は、新シイ桑ノ葉デ育テタ繭。「あれど」は、ヨクハアルノデスガ。 「御衣(みけし)」は、尊敬の接頭語ミ+着ルの未然形に尊敬の助動詞スを接続させたオ召シニナルの意の動詞の名詞化。

 

 

巻14-3351

筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らる 否(いな)をかも かなしき児(こ)ろが 布(にの)乾(ほ)さるかも

常陸(ひたち)の国の歌。

(作者) 未詳。 

(大意) 筑波山に雪が降っているのだろうか。違うかなあ。愛しいあの娘が布を干しているのかもしれないなあ。

(注釈) 「筑波嶺」は筑波山。「降らる」は降レルの訛り。「否(いな)をかも」は、否+詠嘆の間投助詞ヲ+疑問の係助詞カモで、チガウカナア。「かなしき」は愛シイ。「児(こ)ろ」は、児+親愛の意を添える接尾語ロ(訛り)。「布(ニノ)乾(ほ)さるかも」は、ヌノの訛り+乾スの未然形+尊敬の助動詞ル+詠嘆の助詞カモ。

 

 

巻14-3352

信濃(しなの)なる 須賀(すが)の荒野(あらの)に ほととぎす 鳴く声聞けば 時過ぎにけり

(作者) 未詳。信濃(しなの)の国の歌。

(大意) 信濃の須賀の荒野で、ほととぎすが鳴く声を聞いた。すっかり時が過ぎてしまたのだなあ。

(注釈) 「信濃」は長野県。「須賀(すが)」は長野県松本市、又は、真田町のあたりとする説がある。「聞けば」は、聞クの已然形+接続助詞バで、順接確定条件。「過ぎにけり」は、過グの連用形+完了のヌの連用形+詠嘆のケリで、スギテシマッタノダナア。

 

 

巻14-3355

天(あま)の原(はら) 富士(ふじ)の柴山(しばやま) 木(こ)の暗(くれ)の 時移(ゆつ)りなば 逢(あ)はずかもあらむ

(作者) 未詳。駿河国の相聞歌。

(大意) この夕暮れが過ぎていったならばもう会えないのだろうか。

(注釈) 「天(あま)の原(はら)」は富士に掛かる枕詞。「柴山(しばやま)」は、富士山麓の森林地帯。「木(こ)の暗(くれ)」は、木陰ノ暗ガリと、コノ暮レの掛詞。「移(ゆつ)りなば」は、ウツル同じユツルの連用形+完了のヌの未然形+順接仮定のバで、移ッテイッテシマッタナラバ。「逢(あ)はずかもあらむ」は、逢フの未然形+打消しのズの終止形+詠嘆のカモ+アリの未然形+推量のムの連体形。

 

 

巻14-3356

富士の嶺(ね)の いや遠(とほ)長(なが)き 山道(やまぢ)をも 妹(いも)がりとへば 日(け)に及(よ)ばず来(き)ぬ

(作者) 未詳。駿河国の相聞歌。

(大意) 富士山の遠くて長い山道も、妻のもとへ、というので一日もかからずにやってきた。

(注釈) 「いや」は、マスマス。「がり」は、その人のいる場所のこと。「とへば」は、トイヘバの略。「日(け)」はヒ。「及(よ)ばず」は、及バズ。

 

 

巻14-3357

霞(かすみ)ゐる 富士の山(やま)びに わが来(き)なば 何方(いづち)向きてか 妹(いも)が嘆(なげ)かむ

(作者) 未詳。駿河国の相聞歌。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻14-3358

さ寝(ぬ)らくは 玉の緒(を)ばかり 恋ふらくは 富士の高嶺(たかね)の 鳴沢(なるさは)のごと

(作者) 未詳。駿河国の相聞歌。

(大意) 共寝するのは玉の緒ほど短く、恋に苦しむことは富士山の鳴沢のように激しい。

(注釈) 「さ寝(ぬ)らくは」は、接頭語サ+ヌ+体言化するラク。「玉の緒(を)ばかり」は、短いたとえ。「鳴沢(なるさは)」は、大きな音を立てて流れる沢。

 

 

巻14-3359

駿河(するが)の海(うみ) 磯辺(おしへ)に生(お)ふる 浜つづら 汝(いまし)を頼み 母に違(たが)ひぬ

(作者) 未詳。駿河国の相聞歌。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻14-3361

足柄(あしがら)の 彼面(をても)此面(このも)に 刺す罠の か鳴る間しづみ 児ろ吾(あれ)紐解く

(作者) 未詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) (足柄山のあちこちに仕掛けた罠がとどろく合間に静かになるように)人の噂が静かな間にあの子と私は紐を解いて寝る。

(注釈) 「足柄」は、神奈川県の足柄地方。「彼面(をても)」は、アチラノ面。「彼面(をても)此面(このも)」で、アチコチ。「罠」は、獣を捕るワナで、獲物が掛かると大きな音を出す仕掛けがあった。ワナが鳴り響く合間にしばしの静寂があった。「か鳴る」は、ヤカマシク鳴ルの意味。「しづみ」は沈ムの連用形。

 

 

巻14-3362

相模嶺(さがむね)の 小峰(おみね)見かくし 忘れ来る 妹が名呼びて 吾(あ)を哭(ね)し泣くな

(作者)  未詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意1) 相模嶺(さがむね)が小さな頂を隠すように、山の彼方に忘れてくる妻の名を呼んで私を泣かすな。

(大意2) (相模嶺の小峰を見ない振りをするように)忘れようとしてきたあの子の名を口に出して呼んで私は泣いた。

(注釈) 相模嶺(さがむね)は、相模の山々。「見かくし」は、見ないふりをする、あるいは、見ることを隠す意、という説もある。「忘れ来る」には、自然に忘れる、と、つとめて忘れようとする、という異なる解釈がある。「吾(あ)を哭(ね)し泣くな」にもいくつかの解釈がある。一つは、「泣くな」の「泣く」を下二で使役を表し、「な」を禁止の終助詞とする。一つは、「を」は強意の間投助詞、「な」を感動の終助詞とする。

 

 

巻14-3363

わが背子を 大和へ遣(や)りて まつしだす 足柄山の 杉の木(こ)の間か

(作者) 未詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) わが夫を大和へ送り出して「まつしだす」足柄山の杉の木の間よ。

(注釈) 「まつしだす」は古来何難解で諸説ある。待チツツ立ツの説もある。「杉の木(こ)の間か」の「か」は詠嘆の助詞。

 

 

巻14-3364

足柄(あしがら)の 箱根の山に 粟(あは)蒔(ま)きて 実(み)とはなれるを 逢(あ)はなくもあやし

(作者) 未詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) 足柄の箱根の山に粟を蒔き、それは実を結んだのに、恋人に会えないのはおかしい。

(注釈) 「粟(あは)」は「逢(あ)は」に掛けている。「なれるを」はナルのエ段+完了のル+ノニのヲ。「逢(あ)はなくも」は、逢フの未然形+否定のヌの未然+名詞化の接尾語ク+強意の間投助詞モ。

 

 

巻14-3365

鎌倉の 見越(みごし)の崎の 石崩(いはくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ

(作者)  未詳。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(訳文) (鎌倉の見越の崎の崩れ岩のように)あなたが後悔するような心は持ちません(あなたを後悔させるようなことは決してありません)。

(注釈) 「見越の崎」は稲村ガ崎らしい。石崩(イハクエ)は、波で岩が崩れた場所のこと。上三句は序詞で、クエの音を用いて、それと似た音のクユにつないでいる。

「君」とあるので女性の歌でしょう。女性の側から、心変わりしませんと誓いをたてています。当時、このパターンはあまりなかったものと思われます。

なお、この歌碑は、鎌倉市長谷の甘縄神社境内や鎌倉文学館にあります。

 

 

巻14-3366

ま愛(かな)しみ さ寝(ね)に吾(わ)は行く 鎌倉の 美奈(みな)の瀬川(せがわ)に 潮満(しおみ)つなむか

(作者)  未詳。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(訳文) あの娘が心からいとしいので、共寝をしにでかけよう。鎌倉の美奈の瀬川は潮が満ちている頃であろうか。

(注釈) 「ま愛しみ」のマは接頭語、「愛し」は、イトシイの意、「み」はノデ。「美奈の瀬川」は稲瀬川。「満つなむか」のミツは終止形、ナムはラム(推量)の上代東国方言。

 

 

巻14-3367

百(もも)づ島 足柄(あしがら)小船(をぶね) 歩(ある)き多(おほ)み 目こそ離(か)るらめ 心は思(も)へど

(作者) 未詳。相模国の歌。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) (多くの島を巡る足柄小船のように)貴方はでかけることが多いので、貴方は心では思っていてもなかなか私に逢いにきて下さらないのでしょうね。

(注釈) 「百(もも)づ島」は多くの島。「足柄(あしがら)小船(をぶね)」は、足柄山の杉材で作った船で、足の軽さが重宝された。「歩(ある)き多(おほ)み」の「み」はノデで、歩クコトガ多イノデ。「目こそ離(か)るらめ」は、目コソ合ワス機会ガ少ナイガの意で、「こそ」を受けて「らめ」は推量のラムの已然形。「心は思(も)へど」は、思(も)フの已然形+接続助詞ドなので、逆接確定条件となり、アナタハ、心デ思ッテイテモ。

 

 

巻14-3368

足柄(あしがり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出(い)づる湯の 世にもたよらに 児ろが言はなくに

(作者) 未詳。相模国の相聞歌。

(大意) (足柄の土肥の川淵に出る湯は決して絶えそうもないように)二人の仲が終わるようなことをあの児がほのめかすことはないが、私は心配だ

(注釈) 「足柄(あしがり)」はアシガラの訛り。「土肥(とひ)」は、今の真鶴・湯河原の辺り。「湯」は、湯河原温泉。「河内(かふち)」は河淵。「世にも」は、断ジテ。「たよら」は、タユラと同じで、ユラユラと定まらない意。「児ろ」の「ろ」は親愛の情を表す接尾語。「言はなくに」は、言フの未然+打消しのヌの未然+体言化する接尾語+接続助詞のニで、言ワナイノダガ。

 

 

巻14-3369

足柄(あしがり)の 崖(まま)の小菅(こすげ)の 菅枕(すがまくら) 何故(あぜ)か巻(ま)かさむ 児ろせ手枕(たまくら)

(作者) 未詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) 足柄の崖に生えた小菅で作った枕をどうしてしているのか。私の手枕をしなさい。

(注釈) 「足柄(あしがり)」はアシガラの訛り。「崖(まま)」はガケ。「何故(あぜ)か」の「あぜ」は東国語。「巻(ま)かさむ」は、巻クの未然+親愛の意を表すス(という説を採る。尊敬のスと読みたいが、男の側の歌なので不自然か?)の未然+推量のムの連体。「児ろせ」の「ろ」は親愛の情を表す接尾語、「せ」はスの命令形で、恋人に対して、私の手枕をしなさい、と言っている。

 

 

巻14-3370

足柄(あしがり)の 箱根の嶺(ね)らの 和草(にこぐさ)の 花(はな)つ妻(づま)なれや 紐(ひも)解(と)かず寝(ね)む

(作者)  未詳。相模国の歌。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(訳文) 足柄の箱根の山の和草のような花妻だから紐を解かずに寝るのだろうが、でもやはり共寝をしたい。

(注釈) 「足柄(あしがり)」はアシガラの訛り。「嶺(ね)ら」の「ら」は接尾語。「和草(にこぐさ)」は、柔らかな草、という説と、ハコネシダとする説がある。「花(はな)つ妻(づま)」の「つ」は格助詞。花妻には、初々しく匂わしい妻、花のように眺めている妻、さらには、結婚以前のある期間隔離生活する習慣がありその間の妻、といろいろな解釈がある。「なれや」はナレバヤの略で、「や」が否定を伴う疑問であるから反語的用語とみて、・・ナノダケレドモソウデハナイノデ・・(つまり、花妻ナラ紐ヲ解カズニ寝ルノダガ、ソウデハナイノデ、、、)とするのが主流の解釈らしい。しかし、私にはどうしても納得がいかず、「なれ」が已然形なので順接確定条件となり、・・ナノデ・・ダケレドモ・・(つまり、花妻ナノデ紐ヲ解カズニ寝ルガ、デモ、、、)と解釈した。いずれにしても、「や」のために、心は、共寝ヲシヨウ、となる。

 

 

巻14-3371

足柄(あしがり)の 御坂(みさか)畏(かしこ)み 曇夜(くもりよ)の 吾(あ)が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかも

(作者)  未詳。相模国の歌。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(訳文) 足柄の坂の神が恐ろしいので、心の奥深くにしまっていた恋人の名を告げてしまった。どうしよう。

(注釈) 「足柄(あしがり)」はアシガラの訛り。「御坂(みさか)」は神ノイル坂。「曇夜(くもりよ)」は、暗い夜の闇に覆われたことを表し、下の「下延(したば)へ」につながる。「下延(したば)へ」は、表面に表さずに心で思うこと。「言出(こちで)つるかも」の「言出(こちで)」は、コト(言)イデ(出)の二重母音で短縮(oi→i)が起きたもの。「つるかも」は完了のツの連体形+終助詞カ+詠嘆のモで、・・シテシマッタヨ。「畏(かしこ)み」と「言出(こちで)」については、背景の説明が必要であろう。つまり、恐ろしい神に坂を通らせてもらうために、自分の大切なものを告げなければらない。そのときに、恋人の名前を告げてしまった。しかし、恋人の名前を口に出すことは当時タブーでもあり、名を告げたことを非常に不安に思っている。

 

 

巻14-3372

相模路(さがむぢ)の 余綾(よろき)の浜の 真砂(まなご)なす 児らは愛(かな)しく 思(おも)はるるかも

(作者) 未詳。相模国の歌。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) (相模路の余綾の浜の真砂が美しいように)あの子のことが可愛いく思われる。

(注釈) 「相模路(さがむぢ)」は。「余綾(よろき)の浜」は、相模の国府のあったところで、今の小田原市国府津町から二宮町、大磯町辺りの海。「真砂(まなご)」は、美しい砂でもあり、愛らしい子をもいい、下につなげる。「児ら」の「ら」は親愛を表す接尾語で複数とは限らない。「愛(かな)しく」は、カワイイ。「思(おも)はるるかも」は、「思フ」の未然+自発のルの連体+詠嘆のカモ(助詞のカ+モ)。

 

 

巻14-3373

多摩川に 曝(さら)す手作(てづくり) さらさらに 何(なに)そこの児(こ)の ここだ愛(かな)しき

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) (多摩川に晒す手織りの布のように)さらにさらにどうしてこの子がこんなにもひどく可愛いのか。

(注釈) 多摩川は、東京都と川崎市の間を流れて東京湾に注ぐ川。「手作」は、手織りの布のことで、水に晒して仕上げる。租庸調の調として宮廷に納めたもの。ここまでが、「さらさらに」の序詞になる。「何(なに)そ」は、ナニユエ、ドウシテの意で、「そ」は係助詞ゾ。「ここだ」は、タイソウ。「愛(かな)しき」は、カワイイを表すカナシの連体形。

 

 

巻14-3374

武蔵野(むさしの)に 占(うら)へ象(かた)焼き 現実(まさて)にも 告(の)らぬ君が名 占(うら)に出(で)にけり

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) 武蔵野では鹿の肩の骨を焼いて占いをするが、決して口には出さないあの人の名がまさにその占いに出てしまった(隠していたのに人に知られてしまった)。

(注釈) 「武蔵野(むさしの)」は、現在の東京都を中心とし神奈川県の一部と埼玉県の一部を含む。「占(うら)へ」は、ウラナイの意の下二動詞の占フとすると、「へ」に当てている文字「敞」がヘ甲類で異例となるため、卜部(うらべ)の意かとする説もある。「象(かた)焼き」は、鹿の肩の骨を焼いて占いをした。「現実(まさて)にも」は、(占いに対する)ドノヨウナ現実ニオイテモの意。

 

 

巻14-3375

武蔵野(むさしの)の 小岫(をぐき)が雉(きぎし) 立ち別れ 去(い)にし宵(よひ)より 背(せ)ろに逢はなふよ

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) (武蔵野の山の洞の雉が飛び去ったように)別れて行った夜から、あの人には会っていない。

(注釈) 「武蔵野(むさしの)」は、現在の東京都を中心とし神奈川県の一部と埼玉県の一部を含む。「小岫(をぐき)」は、山の洞。「雉(きぎし)」はキジでここまでが序。「立ち別れ」は、別レル、別レ去ルの意の立チ別ルの連用形。「逢はなふよ」の「逢は」は逢フの未然形、「なふ」は上代東国方言で打消しの助動詞ナフの終止形、「よ」は詠嘆の終助詞。

 

 

巻14-3376

恋(こひ)しけは 袖(そで)も振らむを 武蔵野(むさしの)の うけらが花(はな)の 色に出(づ)なゆめ

或(あ)る本の歌に曰(い)はく

いかにして 恋ひばか妹(いも)に 武蔵野(むさしの)の うけらが花(はな)の 色に出(で)ずあらむ

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) 恋がつらくなったなら私が袖を振りましょう。あなたは決して恋心が表に出ないようにして。

(或る本の歌の大意) どのように貴女に恋したならば自分の気持ちを出さずにいられるのだろうか。

(注釈) 「恋(こひ)しけは」は、恋シクハと同じで、順接仮定条件。「武蔵野(むさしの)」は、現在の東京都を中心とし神奈川県の一部と埼玉県の一部を含む。「うけら」はオケラの花で、白い花が咲く。目立たないものとして下に接続。「出(づ)な」は、下二の自動詞の出(ヅ)の終止形+禁止の終助詞ナで、(表情ヲ表ニ)出スナ。「ゆめ」は決シテ。

 

 

巻14-3377

武蔵野の 草は諸向(もろむ)き かもかくも 君がまにまに 吾(あ)は寄りにしを

(作者) 未詳。

(大意) (武蔵野の草があちこちに靡きます)とにかくも、私は貴方のお気に召すようにひたすら心を寄せていたのに。

(注釈) 「諸向(もろむ)き」は、片方に寄らず左右に靡いている、という解釈と、同じ方向を向く、という解釈があるらしい。私は、前者を採用。「かもかくも」は、トモカクモ、ドノヨウニデモの意。「まにまに」は、その心にまかせること。

 

 

巻14-3378

入間路(いりまぢ)の 大家(おほや)が原(はら)の いはゐ蔓(つら) 引かばぬるぬる 吾(わ)にな絶(た)えそね

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) (入間路にある大家が原のイワイツラが引けばぬるぬると続くように)私との仲を絶やさないで欲しい。

(注釈) 「入間路(いりまぢ)」は埼玉県入間郡。「いはゐ蔓(つら)」はジュンサイ他の説がある。「引かば」は引クの未然+接続助詞バで順接仮定条件。「ぬるぬる」は緩んで抜ける状態。「吾(わ)にな絶(た)えそね」の「な・・そね」は、副詞ナ+禁止の終助詞ソ+間投助詞ネで柔らかい禁止となり、汝ハ吾ニ・・シナイデホシイ、という意になる。

 

 

巻14-3379

我(わ)が背子(せこ)を 何(あ)どかも言はむ 武蔵野の うけらが花(はな)の 時(とき)無(な)きものを

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) あの人のことを何と言えばよいのだろうか。武蔵野のうけらの花がいつも咲いているように、私もあの人がいつも恋しい。

(注釈) 「何(あ)ど」は副詞ナドの上代東国方言で、ナント、ドノヨウニの意。「かも」は詠嘆しつつ疑問を表す係りの助詞。「言はむ」は言フの未然形+推量の助動詞ムの連体形。「うけら」はオケラの花で花期が長い。「時(とき)無(な)きものを」は、イツモを表す形容詞トキナシの連体形+形式名詞モノ+詠嘆の終助詞ヲ。

 

 

巻14-3380

埼玉(さきたま)の 津に居(を)る舟の 風を疾(いた)み 綱は絶(た)ゆとも 言(こと)な絶えそね

(作者) 未詳。武蔵国の歌。

(大意) 埼玉の港に泊まる船は、風が強いため綱が切れてしまったが、私への言葉は絶やさないでください。

(注釈) 「埼玉(さきたま)の津」は、埼玉県行田市辺りの利根川の船着場で、当時は、この辺りまで海だったらしい。「風を疾(いた)み」は、助詞ヲと形容詞などの語幹+接尾語ミで原因を表すため、風ガハゲシイノデ、となる。「言(こと)な絶えそね」の「な・・そね」は、副詞ナ+禁止の終助詞ソ+間投助詞ネで柔らかい禁止となるので、言葉ヲ・・絶エナイデホシイ、という意になる。

 

 

巻14-3382

馬来田(うまぐた)の 嶺(ね)ろの小竹(ささ)葉の 露霜(つゆしも)の 濡(ぬ)れてわきなば 汝(な)は恋ふばそも

(作者) 未詳。上総国(かみつふさのくに)の歌。

(大意) 馬来田(うまぐた)の嶺の小竹葉についた露霜に濡れながら来たのは、あなたが恋しいからなのだ。

(注釈) この歌の下二句の解釈は難しい。「馬来田(うまぐた)」は、千葉県木更津市辺りを指すが、「馬来田の嶺ろ」がどの山を指すかは不明。「わきなば」は、「別(わ)きなば」として、別(ワ)クの連用形+完了ヌの未然形+順接のバで別カレテキタノデと解釈できる。また、「わ来なば」とし、間投詞ワに来ヌル+係助詞のハのキヌルハが訛りキナバになったと考えると、来タノハの意となる(上の大意ではこの説を採った)。又、「吾来なば」とする説もあるが、格助詞が付かずに吾が主格になることはないらしい。「恋ふば」は、恋ヒムの訛りか、恋フレバの訛りか?。「そも」は、係助詞のゾ+詠嘆のモで、詠嘆を込めて強調するゾモの上代の形。

 

 

巻14-3383

馬来田(うまぐた)の 嶺(ね)ろに隠(かく)り居(ゐ) かくだにも 国の遠かば 汝(な)が目欲(ほ)りせむ

(作者) 未詳。上総国(かみつふさのくに)の歌。

(大意) 馬来田(うまぐた)の嶺に隠れるほどに我が郷は遠いので、あなたに会いたくなるのだろう。

(注釈) 「馬来田(うまぐた)」は、千葉県木更津市辺りを指すが、「馬来田の嶺ろ」がどの山を指すかは不明。「かくだにも」は、コレホドマデニ。「国」は故郷。「遠かば」は、遠シの已然形遠ケレ+確定条件バの遠ケレバの訛り。「汝(な)」は妻。「目」は、会うこと。「欲(ほ)りせむ」は、欲スルの意の欲リスの未然形+推量のム。

 

 

巻10-3384

葛飾(かづしか)の 真間(まま)の手児奈(てこな)を まことかも われに寄すとふ 真間の手児奈を

(作者) 未詳。下総国(しもつふさのくに)の歌。 

(大意) 葛飾の真間の手児奈と、本当だろうか、私がいい仲だと噂しているという。真間の手児奈と。

(注釈) 「葛飾(かづしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。「手児奈(てこな)」は、当時伝誦の美女。複数いたか。あるいは、若者たちの間で話題になっている女性のことかもしれない。「われに寄す」は、私と親しい仲であると噂する意。「とふ」は、ト言フの略。

 

 

巻14-3385

葛飾(かづしか)の 真間(まま)の手児奈(てこな)が ありしばか 真間の磯辺(おすひ)に 波もとどろに

(作者) 未詳。下総国(しもつふさのくに)の歌。 

(大意) 葛飾の真間の手児奈がもしいたならば、真間の磯辺に波もとどろくように人々は騒ぎだてただろうか。

(注釈) 「葛飾(かづしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。「手児奈(てこな)」は、当時伝誦の美女。「ありしばか」は、アリセバカの訛りか。その場合、スの未然形セ+順接仮定条件のバ+疑問の係助詞カとみて、・・ガイタナラバ、となる。なお、アリシカバとした本もあり、その場合は、過去の助動詞キの已然形シカ+順接確定条件の接続助詞バ、となり、・・ガイタノデ・・サワギタテタ、となる。「波もとどろに」は、人が騒ぐことの比喩。

 

 

巻14-3386

鳰鳥(にほどり)の 葛飾(かづしか)早稲(わせ)を 饗(にへ)すとも その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも

(作者) 未詳。下総国(しもつふさのくに)の歌。

(大意) 葛飾の早稲を神様に供える夜は身を慎まなければならないのだけれども、あのいとしい人が来たら外に立たせたままにすることができるでしょうか。とてもできません。

(注釈) 下総国(しもつふさのくに)は今の千葉県北部。「鳰鳥(にほどり)」は 、潜ルの意のカヅクから、葛飾(カヅシカ)につながる。「饗(にへ)す」は、その年の新(にい)物をささげることで、東国ではその夜は物忌みが厳重で、その供応にあずかる神以外は、家人はすべてと外に出された。「とも」は逆接仮定条件の接続助詞、・・デアルトシテモ。「その愛(かな)しきを」は、ソノイトシイ人ヲ。「立てめやも」は、下二他動詞立ツの未然形+推量のムの已然形+終助詞ヤモで、強い反語となり、立タセルコトガデキルダロウカ、イヤデキヤシナイ、の意。

 

 

巻14-3387

足(あ)の音(おと)せず 行かむ駒(こま)もが 葛飾(かづしか)の 真間(まま)の継橋(つぎはし) やまず通(かよ)はむ

(作者) 未詳。下総国(しもつふさのくに)の歌。

(大意) 足音せずに進む馬が欲しい。葛飾の真間の継橋をとおり、いつも通いたいものだ。

(注釈) 「行かむ駒(こま)もが」は、行クの未然形+推量のムの連体形+コマ+出現を希望するモガ。「葛飾(かづしか)」は下総国葛飾郡。「真間(まま)」は千葉県市川市。

 

 

巻14-3388

筑波嶺(つくばね)の 嶺(ね)ろに霞(かすみ)居(ゐ) 過ぎかてに 息(いき)づく君を 率寝(ゐね)てやらさね

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山の頂きに霞が掛かって動けないように、通り過ぎることができなくてため息をしているあの方を、連れて来て一緒に寝ておやりなさい。

(注釈) 「過ぎかてに」は、過グの未然形+可能の意の補助動詞カツの連用形に打ち消しの助動詞ズの連用形ニが付いて〜デキズニ。

 

 

巻14-3389

妹が門(かど) いや遠(とほ)そきぬ 筑波山(つくばやま) 隠れぬ程(ほど)に 袖は振りてな

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) あなたの家の門がいっそう遠ざかった。筑波山に隠れる前に袖を振ろう。

(注釈) 「いや」はイヨイヨ。「そきぬ」は、離レル意のソクの連用形+完了のヌ。「隠れぬほとに」は、隠ルの未然形+打消しズの連体形ヌ+距離範囲を表すホド+格助詞ニ。「振りてな」は、振ルの連用形+強意のテ+願望のナ。

 

 

巻14-3390

筑波嶺に かか鳴く鷲(わし)の 音(ね)のみをか 鳴きわたりなむ 逢ふとはなしに

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山にかかと鳴く鷲がいつまでも鳴きながら飛び続けるように、あなたに会うことでができず私も泣き続けるのだろうか。

(注釈) 「かか」は擬声語。音(ネ)ヲ泣クは、声ヲ出シテ泣クの意。「音(ね)のみをか」の「か」は疑問。「鳴きわたりなむ」は、鳴キナガラ飛ブの意の鳴キ渡ルの連用形+推量のナム。

 

 

巻14-3391

筑波嶺(つくばね)に 背向(そがい)に見(み)ゆる 葦穂山(あしほやま) 悪(あ)しかる咎(とが)も さね見(み)えなくに

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山の背後に見える葦穂山に非難される咎はまったく見えないのに(私に咎はないと思うのだけど何故貴方はこっちを向いてくれないのか)。

(注釈) 「常陸(ひたち)」は現在の茨城県にほぼ一致する。「筑波嶺(つくばね)」は筑波山。「背向(そがい)」は背後。「葦穂山(あしほやま)」は現在の足尾山。「悪(あ)しかる」は、シク活用の悪(あ)しの連体形。「さね見(み)えなくに」は、決シテ〜シナイのサネ+自発の見ユ+打ち消しの助動詞ズのク語法ナクニで、決シテ見エナイノニ、の意。

 

 

巻14-3392

筑波嶺の 岩(いは)もとどろに 落つる水 よにもたゆらに 我が思はなくに

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山の岩を轟かせながら落ちる水のように、私達の仲も決して絶えることはないだろうと思うのに(何故あなたは絶えることを心配しているのか)。

(注釈) 「筑波嶺」は筑波山。「よにも」は、絶対〜ナイ。「たゆらに」は絶エルヨウニ。「なくに」は、打ち消しのズのク語法+助詞ニで逆接の意を表し、〜ナイノニとなる。

 

 

巻14-3393

筑波嶺の 彼面(をても)此面(このも)に 守部(もりべ)据(す)ゑ 母い守(も)れども 魂(たま)そ逢ひにける

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山のあちこちに番人を置くように母は私を監視したのですが、魂はあの方に逢ってしまったのでした。

(注釈) 「筑波嶺」は筑波山。「彼面(をても)此面(このも)に」は、アチコチニ。「守部(もりべ)」は番人。「い守(も)れども」は、強意のイ+守(モ)ルの已然形+逆接確定ドモ。「そ逢ひにける」係助詞ソ+逢フの連用形+完了のヌの連用形+ケリの連体形。

 

 

巻14-3394

さ衣(ごろも)の 小筑波嶺(おつくばね)ろの 山の崎(さき) 忘ら来(こ)ばこそ 汝(な)を懸(か)けなはめ

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山の端まで、あなたを忘れて来たならば、決してあなたの名前を呼んだりはしないだろう。

(注釈) 「さ衣(ごろも)の」は緒(ヲ)に係る枕詞で、同音の小(を)につながる。「小筑波嶺(をつくばね)ろ」は、親愛の意の小(ヲヲ)+筑波嶺+親愛を表す東国方言ロ。「忘ら」は忘レの訛り。「来(こ)ばこそ」は、来(ク)の未然形+接続助詞バ+係助詞コソで、来タナラバ、カナラズの意。「汝(な)を懸(か)けなはめ」は、言葉ヲ懸ケルの意の懸クの連用形+上代東国方言である打ち消しのナフの未然形+推量ムの已然形。

 

 

巻14-3395

小筑波(をつくは)の 嶺(ね)ろに月(つく)立(た)し 間夜(あひだよ)は さはだなりのを また寝(ね)てむかも

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山に月が立ち、あなたと逢わない夜が多くなってしまったが、また共寝をしたいものだ。

(注釈) 「小筑波(をつくは)の 嶺(ね)ろ」は、親愛の情を表す小(ヲ)+筑波ノ嶺+親愛を表す接尾語ロ。「月(つく)立(た)し」 は、月(ツキ)訛り+立(タ)チの訛り。間夜(あひだよ)は 「さはだ」は沢山。「なりのを」はナリヌルヲの訛り。「寝(ね)てむかも」は、寝(ヌ)の連用形+完了のツ+意思のム。

 

 

巻14-3396

小筑波(をつくは)の 繁き木(こ)の間(ま)よ 立つ鳥の 目ゆか汝(な)を見む さ寝ざらなくに

(作者) 未詳。常陸国(ひたちのくに)の歌。

(大意) 筑波山の木の間から飛び立つ鳥のように、目だけであなたを見ていなければならないのか。共寝していないわけでもないのに。

(注釈) 「小筑波(をつくは)」は、親愛の情を表す小(ヲ)+筑波。「木(こ)の間まよ」は、木ノ間+起点を表す格助詞ヨ。「目ゆか」は、目+〜ニヨッテの意の格助詞ユ+疑問のカ。「さ寝ざらなくに」は、共寝ヲスルのサ寝(ぬ)の未然形+打ち消しのズの未然形+打ち消しのズのク語法ナク+逆接のニ。

 

 

巻14-3397

常陸(ひたち)なる 浪逆(なさか)の海の 玉藻(たまも)こそ 引けば絶(た)えすれ 何(あ)どか絶えせむ

(作者) 未詳。常陸(ひたち)の国の歌。

(大意) 常陸の浪逆海の玉藻こそ引けば切れるが、われわれの仲はどうして切れよう。

(注釈) 「常陸(ひたち)」は現在の茨城県にほぼ一致する。「浪逆(なさか)の海」は、今の利根川の河口、潮来付近。「玉藻(たまも)」は、藻の美称。「引けば絶(た)えすれ」は、引クの已然形+順接恒常条件のバ+絶エルの意の絶エスの(コソを受けて)已然形。「何(あ)どか絶えせむ」は、ドノヨウニ、ドウシテの意のナドの上代東国方言アド+疑問・反語を表す係助詞カ+絶エスの未然形+推量のム。

 

 

巻14-3398

人皆の 言(こと)は絶ゆとも 埴科(はにしな)の 石井(いしゐ)の手児(てご)が 言(こと)な絶えそね

(作者) 未詳。信濃国(しなののくに)の歌。

(大意) 世の中の誰も声を掛けてくれなくなっても、埴科の石井の愛しいあの娘だけは言葉を絶えさずにいて欲しい。

(注釈) 「人」は世ノ中ノ人。「言(こと)」は、愛ノコトバ。「絶ゆとも」は、タユの終止形+逆接仮定条件の接続助詞トモで、絶エタトシテモ。「埴科(はにしな)」は、長野県埴科。「石井(いしゐ)」は所在不明。「手児(てご)」は、愛シイ児。「な絶えそね」は、上代、禁止の副詞ナ+動詞の連用形+終助詞ソ+終助詞ネが柔らかな哀願を表し、ドウカ・・シナイデホシイでとなるため、ドウカ絶エナイデホシイ、の意。

 

 

巻14-3399

信濃道(しなのぢ)は 今の墾道(はりみち) 刈(か)りばねに 足踏(ふ)ましなむ 沓(くつ)はけわが背(せ)

(作者) 未詳。信濃国(しなののくに)の歌。

(大意) 信濃路は切り開いたばかりの道です。伐り株を足で踏んでしまわれぬよう沓を履いてください。わが背よ。

(注釈) 「信濃道(しなのぢ)」は信濃へ行く道で、702年から12年をついやして開いた。「刈(か)りばね」は切株。「 足踏(ふ)ましなむ」は、フムの未然形+尊敬の助動詞ス(上代語)の連用形+キット・・スルデショウの意のナム(完了ヌの未然形+推量のム)。

 

 

巻14-3400

信濃(しなの)なる 千曲(ちぐま)の川(かは)の 細石(さざれし)も 君し踏みてば 玉と拾(ひろ)はむ

(作者) 未詳。信濃国(しなののくに)の歌。

(大意) 信濃の千曲川の小石でも、貴方が踏んだ石ならば玉として拾いましょう。

(注釈) 「信濃」は長野県。「千曲(ちぐま)の川(かは)」は信濃川の一部。「踏みてば」はフムの連用形+完了のツ未然形+順接仮定のバで、フンダナラバ。 玉と拾(ひろ)はむ。

 

 

巻14-3401

中麻奈(なかまな)に 浮き居(を)る舟の 漕(こ)ぎ去(な)ば 逢(あ)ふことかたし 今日(けふ)にしあらずは

(作者) 未詳。信濃国(しなののくに)の歌。

(大意) 中洲に浮かんでいる船が漕ぎ出して行ってしまうのと同じように、もし行ってしまったら、逢うことが難しい。今日という日でなければ。

(注釈) 「中麻奈(なかまな)」は所在不明。中州の説もある。「今日(けふ)にしあらずは」のズハは、打消しのズの未然形+係助詞ハで順接仮定条件であり、・・デナカッタナラバの意となる。したがって、最後の二句は、キョウトイウヒデナケレバ、アウコトガムズカシイ、となる。

 

 

巻14-3402

日の暮(ぐ)れに 碓氷(うすひ)の山を 越ゆる日は 夫(せ)なのが袖(そで)も さやに振らしつ

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 碓氷峠を越える日は、夫が袖をはっきりと振ってくださった。

(注釈) 「日の暮(ぐれ)に」には碓井に掛かる枕詞。「碓井(うすひ)の山」は碓井峠で、上野国と信濃国の間の峠。「夫(せ)なの」の背ナノは女性から夫・兄弟他の男性を親しんで呼んだ語。ナ、ノは親愛を表す接尾語でであい、セナ、セナナ、サネノ、のいずれも使われる。「さやに」はハッキリト。「振らしつ」は振ルの未然+尊敬のスの連用+完了のツ。

 

 

巻14-3403

吾(あ)が恋は 現在(まさか)もかなし 草枕 多胡(たご)の入野(いりの)の 奥(おく)もかなしも

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 私の恋は今も切ない。多胡の入野の奥ならぬ、行く末も切ない。

(注釈) 「現在(まさか)」の「まさ」は正、「か」は所で、マノアタリ、現在。「草枕」は本来は旅の枕詞であるが、ここでは、多胡のタにつながっている。「多胡(たご)」は、群馬県吉井町。「入野(いりの)」は山裾に入り込んだ野で、奥を導く序。「奥(おく)」は、遠イ先で、時・場所とも使う。

 

 

巻14-3404

上野(かみつけの) 安蘇(あそ)の真麻群(まそむら) かき抱(むだ)き 寝(ぬ)れど飽かぬを 何(あ)どか吾(あ)がせむ

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の安蘇の麻束をかき抱いて寝ているが、まだ満ち足りた心地がしない。私はどうしたらよいのだろう。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「安蘇(あそ)」は、現在の栃木県佐野市にあるが、当時は上野に入っていたか、又は、上野・下野(しもつけの)にまたがる地名だったか。「真麻群(まそむら)」の「ま」は美称、「そ」は麻、「群(むら)」は一カタマリで、ここまで序。「寝(ぬ)れど」は、ヌの已然形+接続助詞で逆接確定条件で、寝ルノダケレドモ。「飽かぬ」は満足シナイ。「何(あ)ど」はナド(何故、どうしたら・・の意)の上代東国方言。「吾(あ)がせむ」の「せ」はスの未然+意思のムの連体。

 

 

巻14-3405

上野(かみつけの) 乎度(おど)の多杼里(たどり)が 川道(かわぢ)にも 児らは逢はなも 一人のみして

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の乎度の多杼里の川沿いで、あの娘が会ってくれるといいが。人のいないところで。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「乎度(おど)の多杼里(たどり)」は所在未詳。「児らは」の「ら」は接尾語、「は」は提示の係助詞。「逢は」は逢フの未然。「なも」は願望のナムの古形で東歌に多い。

 

 

或る本の歌に曰く 

巻14-3405或る本

上野(かみつけの) 小野の多杼里(たどり)が 逢は道(あはぢ)にも 背なは逢はなも 見る人なしに

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の小野の逢は道で、あの人と会いたい。誰にも邪魔されずに。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「逢はなも」は、逢フの未然形+願望のナムの古形で東歌に多いナモ。「見る人なしに」は、人ニ見ラレズの意であり、「一人のみして」と同じ。「乎度(おど)」が「小野」に、「川道(かわぢ)」が「逢は道(あはぢ)」に変化している。

 

 

巻14-3406

上野(かみつけの) 佐野の茎立(くくたち) 折りはやし 吾(あれ)は待たむゑ 今年来(こ)ずとも

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の佐野の青菜を折って飾り、私は貴方を待ちましょう。例え今年来ないとしても。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「佐野」は高崎市の南東部。「茎立(くくたち)」は、青菜の総称。「折りはやし」は、折ッテ栄エサセル。「待たむゑ」は、待ツの未然+意思のム+感動の終助詞ヱ。「来(こ)ずとも」は来(ク)の未然+否定のズ+接続助詞トモで、逆接仮定条件となり、来ナイトシテモとなる。

 

 

巻14-3407

上野(かみつけの) まぐはし円(まと)に 朝日さし まきらはしもな ありつつ見れば

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の立派な円に朝日がさしてまぶしいように、あなたをじっと見続けているとまぶしいよ。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「まぐはしまとに」は諸説ある。 「まきらはし」はマブシイ。「ありつつ見れば」は、コノママジットの意のアリツツ+ミルの已然形+順接恒常条件の接続助詞バで。祝婚の女性賛美の歌。

 

 

巻14-3408

新田山(にひたやま) 嶺(ね)には着かなな 吾(わ)によそり 間(はし)なる児らし あやに愛(かな)しも

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (新田山の嶺(ね)が他の山と接していないように)共寝はしないが私に心を寄せ、皆から離れているあの娘が、なんとも言えず可愛い。

(注釈) 「新田山(にひたやま)」は群馬県太田市の金山。「嶺(ね)には着かなな」は、新田山が単独峰で連峰をなさないことを表すとともに、寝につかない様子をいう。「着かなな」は着クの未然形+打消しの助動詞ナフの連用形ナナ(上代東国方言)。「よそり」は、寄ルの派生語の寄ソルの連用形で、寄ル、ナビキ従ウの意。「間(はし)なる」は端ニイルの意。この首は解釈しづらいが、私はこの部分を「皆と離れている」と採った。「児らし」の「ら」は親愛、その他の意味の接尾語、「し」は、強意、語調を整えるための係助詞。「あやに」は、ムショウニ、タトエヨウモナクの意。「愛(かな)しも」は、カワイイを表すカナシ+詠嘆の助詞モ。

 

 

巻14-3409

伊香保(いかほ)ろに 天雲(あまくも)い継(つ)ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝(ね)しめとら

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (伊香保の山に天雲が次々とからみつくように)しきりに、さあ寝させよ、と皆が言い騒ぐ。

(注釈) 「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の山。ロは接尾語。「い継(つ)ぎ」は、接頭語イ+続クの意の継グの連用形。「かぬまづく」は、未詳だが、カラミツクの説もある。「おたはふ」は、騒グと、静カニナルの両方の説がある。「寝(ね)しめ」寝(ヌ)の未然形+使役の助動詞シムの命令形で、寝サセヨ。「とら」は、子ラの訛り、刀良(人名)等の説がある。以上、解釈の固まっていない語が多数あるようだ。

 

 

巻14-3410

伊香保(いかほ)ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) ねもころに 奥をな兼ねそ 現在(まさか)しよかば

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) あまり先のことをくよくよと考えないほうがいい。今がよければ。

(注釈) 「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の榛名山。「岨(そひ)」は沿ったところ。「榛原(はりはら)」は榛(はん)の木の原で、ここまでが序。榛の木の根がいり込んでいる様をネモコロにつなげている。「ねもころに」はネンゴロと同じで、真心ヲ込メテの意。「奥をな兼ねそ」の「奥」は将来のこと、「な」と「そ」は終助詞で禁止、「兼ね」は兼ヌ(あらかじめ心配する)の連用形。「現在(まさか)」は今。「よかば」はヨシの未然+接続助詞バで、順接仮定。

 

 

巻14-3411

多胡(たご)の嶺(ね)に 寄綱(よせつな)延(は)へて 寄すれども あにくやしづし その顔よきに

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (多胡の嶺に寄せ綱をかけて引き寄せるように)あの娘を靡かせようとしてもそ知らぬ顔をしている。その美しい顔で。

(注釈) 「多胡(たご)の嶺(ね)」は群馬県吉井町の南西の山。「寄綱(よせつな)」引き寄せる綱。「延(は)へて」は、張ルの意味を持つ下二動詞、延(ハ)フの連用+接続助詞テ。「寄すれども」は寄スの已然形寄スレ+接続助詞ドモで、引キ寄セタケレドモ。「あにくやしづし」は不詳も、ソシラヌフリヲシテをとった。「よきに」は、ヨシの連体形+接続助詞ニ。このニは、文脈により、順接・逆接等さまざまな用法がある。

 

 

巻14-3412

上野(かみつけの) 久路保(くろほ)の嶺(ね)ろの 葛葉(くずは)がた 愛(かな)しけ児らに いや離(ざか)り来も

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (上野の久路保の山の葛の蔓(つる)が分かれるように)いとしい子からますます離れてきてしまったなあ。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「久路保(くろほ)の嶺(ね)ろ」は赤城山麓の黒檜(クロヒ)山+接尾語ロ。「葛葉(くずは)がた」は葛(くず)のことであり、「かた」はカヅラと同じであり、ここまでが序で、ツルが分かれて延びる意で「いや離(ざか)り来」にかかる。「いや離(ざか)り来も」の「いや」はマスマス、「離(ざか)り来」は遠ザカッテ来ルの意で終止形、「も」は詠嘆の終助詞。

 

 

巻14-3413

利根川の 川瀬(かはせ)も知らず ただ渡(わた)り 波にあふのす 逢へる君かも

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (利根川の浅瀬がどこにあるかも分からずにずまっすぐ渡って波にぶつかるように)ひたむきに逢いに来て、わが君に逢えました。

(注釈) 「川瀬」は川の中の瀬。「のす」はナスの上代東国方言で、・・ノヨウニ。「逢へる」は逢フの命令形+完了のリの連体形。「かも」は詠嘆の終助詞。

 

 

巻14-3414

伊香保(いかほ)ろの 八尺(やさか)の堰塞(ゐで)に 立つ虹(のじ)の 顕(あらは)ろまでも さ寝(ね)をさ寝(ね)てば

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (伊香保の山の高い堰に立つ虹のように)人目につくまで供寝を続けていたならば、、、

(注釈) 「伊香保(いかほ)ろ」は群馬県の榛名山。「八尺(やさか)の堰塞(ゐで)」は八尺もある高さのヰデ。ヰデは、水をせき止める設備。「虹(のじ)」はニジの上代東国方言。「顕(あらは)ろまでも」のロは、連体形ルの上代東国方言。虹が現れることと人目につくことの両方の意味がある。「さ寝(ね)」は共寝をすること。「さ寝(ね)てば」は、下二動詞サヌの連用形+完了ツの未然形+順接仮定の接続助詞のバで、供寝ヲ続ケタナラバの意。なお、虹には不吉な印しの意味があり、末句のバには不安の心がある、との説もある。

 

 

巻14-3415

上野(かみつけの) 伊香保(いかほ)の沼(ぬま)に 植(う)ゑ小水葱(こなぎ) かく恋ひむとや 種求めけむ

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の伊香保の沼に植えた小水葱ではないが、これほどまでに恋いに苦しもうと種を求めたわけではないのに。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「伊香保(いかほ)」は群馬県渋川市伊香保町。「恋ひむ」は、恋フの連用形+推量のム。「とや」は、格助詞ト+係助詞ヤで、トが引用する内容について疑問・反語を表す。従って、終わりの二句は、カクモ恋ニ苦シムダロウトテ種ヲモトメタノダロウカ、となる。なお、ケムは過去の推量。

 

 

巻14-3416

上野(かみつけの) 可保夜(かほや)が沼(ぬま)の いはゐ蔓(つら) 引かばぬれつつ 吾(あ)をな絶えそね

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (上野の可保夜が沼のいはゐ蔓(つら)のように引けば抜けて)私と切れることはあってくれるな。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「可保夜(かほや)が沼(ぬま)」は所在未詳。「いはゐ蔓(つら)」はジュンサイ他の説がある。「引かば」は引クの未然+接続助詞バで順接仮定条件。「ぬれつつ」は緩ンデ抜ケルの意のヌルの連用形+接続助詞のツツ。「吾(あ)をな絶えそね」の「な・・そね」は、副詞ナ+禁止の終助詞ナ+間投助詞ネで禁止となり、汝ハ吾ニ・・スルナ、という意になる。

 

 

巻14-3417

上野(かみつけの)伊奈良(いなら)の沼の 大藺草(おほゐぐさ) よそに見しよは 今こそまされ

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。柿本朝臣人麻呂ノ歌集ニ出ヅ

(大意) (上野の伊奈良の沼の大藺草のように、刈りに行かずに)遠くから見ていたそのときよりも、(逢った後の)今のほうが恋しさが勝る。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「伊奈良(いなら)の沼」は、邑楽(おうら)郡板倉町の板倉沼。館林市の多々良沼とする説もある。「よ」は上代語で、格助詞(ヨリ)と同じ。「まされ」はコソ受けて已然形。

 

 

巻14-3418

上野(かみつけの) 佐野田(さのた)の苗(なへ)の 占苗(むらなへ)に 事は定めつ 今はいかにせも

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の佐野の田の苗の占いにより、結婚は決めました。今はどうしたらよいでしょう(もうどうにもなりません)。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「佐野田(さのた)」は、群馬県高崎市東南部。「占苗(むらなへ)」は、苗によって占うこと。「事」はこの場合、結婚のこと。「定めつ」は、サダムの連用形+完了のツ。「せも」はサ変スの未然形セ+推量の助動詞ムの終止形の東国上代方言モ。

 

 

巻14-3419

伊香保(いかほ)せよ 奈可中次下 思ひとろ 隅(くま)こそしつと 忘れせなふも

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 伊香保の・・を忘れずにいてください。

(注釈) 「「伊香保(いかほ)」は群馬県渋川市伊香保町。「忘れせなふも」は、忘ルの連用形+尊敬の為(ス)の未然形+打消しのナフ(上代東国方言)の終止形+詠嘆の終助詞モで、忘レズニイテクダサイ。他は不明。

 

 

巻14-3420

上野(かみつけの) 佐野の舟橋 取り放(はな)し 親は離(さ)くれど 吾(わ)は離(さか)るがへ

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 上野の佐野の舟橋を取り離すように、親は私たちの仲をさくが、私は離れることはありません。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「佐野」は、群馬県高崎市東南部。「舟橋」は、舟をつないだ橋。「取り放(はな)し」はヒキハナス。「離(さ)くれど」は、離(サ)カルの他動詞形のカ行下二サクの已然形サクレ+逆接確定条件のドで、仲ヲサクガ。「離(さか)るがへ」は、離レルの意の離(サカ)ル+文末にあって反語の意のカハ(係助詞カ+係助詞ハ)の上代東国方言ガヘ。

 

 

巻14-3421

伊香保嶺(いかほね)に 雷(かみ)な鳴りそね わが上(へ)には 故(ゆゑ)はなけども 子らによりてそ

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 伊香保の山に雷よ鳴ってくれるな。私には支障はないが、私の恋人のためだぞ。

(注釈) 「伊香保嶺(いかほね)」は群馬県の榛名山。「雷(かみ)な鳴りそね」は、」はカミナリ+禁止の意の副詞ナ(ナとソの間に動詞の連用形をはさみ、禁止の意)+鳴ルの連用形+禁止の終助詞ソ+ひとに希望、依頼をする終助詞ネで、鳴ラナイデホシイ。「故(ゆゑ)」は支障。「子ら」のラは音調を整えるための接尾語。「よりてそ」のソは、指定を表す終助詞ゾの上代語。

 

 

巻14-3422

伊香保(いかほ)風(かぜ) 吹く日吹かぬ日 ありと言へど 吾(あ)が恋のみし 時なかりけり

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) 伊香保おろしは吹く日と吹かない日があるのに、この苦しさはいつもいつも絶えず私を襲うのだなあ。

(注釈) 「伊香保(いかほ)」は群馬県渋川市伊香保町。「時なかりけり」は、定マッタ時ノナイの意の時ナシの連用形+詠嘆のケリ。

 

 

巻14-3423

上野(かみつけの) 伊香保(いかほ)の嶺(ね)ろに 降(ふ)ろ雪(よき)の 行き過ぎかてぬ 妹(いも)が家のあたり

(作者) 未詳。上野国(かみつけのくに)の相聞往来の歌。

(大意) (上野の伊香保の嶺に降る雪のように)このまま行き過ぎるのが難しい。妻の家の辺りは。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「伊香保(いかほ)の嶺(ね)ろ」は、群馬県の榛名山で、「ろ」は接尾語。「降(ふ)ろ」は降ルの上代東国方言。「降(ふ)ろ雪(よき)の」までは「行き」につながる序詞。「かてぬ」は、・・スルコトガデキルのカツの未然形+否定の助動詞ヌの連体形。

 

 

巻14-3424

下野(しもつけの) 三毳(みかも)の山の 小楢(こなら)のす ま妙(ぐは)し児ろは 誰(た)が笥(け)か持たむ

(作者) 未詳。下野国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) (下野の三毳山の楢の若木のような)美しいあの娘は一体誰の妻になるのだろう。

(注釈) 「下野(しもつけの)」は現在の栃木県。「三毳(みかも)の山」は栃木県佐野市の南東にある、みかも山。「小楢(こなら)」はナラの若木。「のす」はナスの上代東国方言で、ノヨウナ。「ま妙(ぐは)し」は美シイ。「笥(け)」食器のことで、妻となることを意味する。「持たむ」は、持ツの未然形+係助詞カを受けて推量のムの連体形。

 

 

巻14-3425

下野(しもつけの) 安蘇(あそ)の河原よ 石踏(ふ)まず 空ゆと来(き)ぬよ 汝(な)が心(こころ)告(の)れ

(作者) 未詳。下野国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。

(大意) 下野の安蘇の河原を通って、石を踏むことも気にならず、空を飛ぶ思いでやってきました。貴女の気持ちを言ってください。

(注釈) 「下野(しもつけの)」は現在の栃木県。「安蘇(あそ)の」は、佐野市を含む南西部の郡であり、「安蘇(あそ)の河原よ」の「よ」は格助詞ヨリと同じ上代語で、カラ、ヲトオッテの意であり、秋山(あきやま)川の河原を通ってとなる。「空ゆ」の「ゆ」も格助詞ヨリと同じ上代語。「来ぬよ」は来(ク)の連用形キ+完了のヌの終止形+現在のヨと同じ終助詞ヨ。

 

 

巻14-3431

足柄(あしがり)の 安伎奈(あきな)の山に 引こ船(ふね)の 後(しり)引かしもよ ここば来難(こがた)に

(作者) 未詳。相模国の歌。 

(大意) (足柄の安伎奈の山に引く船ではないが)帰ろうとする貴方の後ろを引っ張りたい。私のところへ来るのはひどく難しいのだから。

(注釈) 「足柄(あしがり)」は、神奈川県足柄上・下両郡。「安伎奈(あきな)の山」は未詳。「引こ船(ふね)」は引ク船で、山中で作った船を水辺まで引く。「後(しり)引かしもよ」は後ロヲ引キタイの意らしい。「ここば」はヒドク。「来難(こがた)に」の難(がた)は動詞についてシガタイの意を作り、接続助詞のニがついているので、来ルコトハ難シイノダカラとなる。「来」の原文に「故」が当てられているのは問題があるらしい。

 

 

巻14-3432

足柄(あしがり)の 吾(わ)を可鶏山(かけやま)の 穀(かづ)の木の 吾(わ)をかづさねも 穀(かず)割(さ)かずとも

(作者) 未詳。相模国の歌。 

(大意) (足柄の、私を心に懸ける可鶏山の穀(かづ)の木ではないが)私を誘って欲しい。穀の木を割いてばかりいないで。

(注釈) 「足柄(あしがり)」は、神奈川県足柄上・下両郡。「可鶏山(かけやま)」は、矢倉嶽のことか?「穀(かづ)の木」はカジの木で、ここまでが、「吾(わ)をかづさねも」の序。「かづす」は誘ウの意のカドフと同じとの説がある。「かづさねも」は、カヅスの未然形+希望を表す終助詞ネ+詠嘆の助詞モ。「穀(かず)割(さ)かずとも」は割(サ)クの未然形+否定のズの終止形で逆接仮定条件。

 

 

巻14-3433

薪(たきぎ)樵(こ)る 鎌倉山の 木垂(こた)る木を まつと汝(な)が言はば 恋ひつつやあらむ

(作者) 未詳。相模国の歌。 

(大意) (薪を伐る鎌/鎌倉山に生い茂る木々を、松)待つとあなたが言ってくれたならば、ここで恋に苦しみ続けるこはないのに(すぐにあなたのところへ行くのに)。

(注釈) 「鎌倉山」は、鎌倉周辺の山々。「木垂(こた)る」は、木が生長して枝が垂れる。「まつ」は松と待ツを掛けているが、松は枝が垂れないので、その女性は待たない、という意味が含まれるらしい。「言はば」は、言フの未然形+接続助詞バで、順接仮定条件。「恋ひつつやあらむ」は、恋フの連用形+繰り返しを表す接続助詞ツツ+疑問の「ヤ」+アルの未然形+推量のムで、ヤがあるので、恋イ続ケルコトガアルダロウカ。

 

 

巻14-3434

上野(かみつけの) 安蘇山(あそやま)葛(つづら) 野を広み 延(は)ひにしものを 何(あぜ)か絶えせむ

(作者) 未詳。上野(かみつけの)国の譬喩歌(ひゆか)。 

(大意) (上野の安蘇山の蔓草は野が広いため十分に蔓がはっているように)、私は貴女を深く思っているので、どうして思いが絶えてしまことがあろうか。

(注釈) 「上野(かみつけの)」は群馬県。「安蘇山(あそやま)」は、上野、下野にまたがる地域の山々か。ツヅラは、蔓(つる)の一般的な名。「広み」は、広シの語幹+原因理由を表す接尾語ミで、広イノデ。「延(は)ひにしものを」は、広まるの意の四段自動詞ハフの連用形+完了の助動詞ヌの連用形+完了の助動詞キの連体形+感慨を表す接続助詞モノヲで、張ッテ広ガッタノニナア。「何(あぜ)か」は、ナゼの意の上代東国方言アゼ+疑問・反語のカ。「絶えせむ」は、他動詞の絶ユの連用形+過去のキの未然形セ+推量のムの連体形で、ドウシテ絶エテシマウコトガアロウカ。

 

 

巻14-3435

伊香保(いかほ)ろの 岨(そひ)の榛原(はりはら) 我が衣(きぬ)に 着(つ)きよらしもよ 一重(ひたへ)と思へば

(作者) 未詳。上野(かみつけの)国の譬喩歌(ひゆか)。 

(大意) (伊香保の榛原の榛の木が衣によく染まるように)あの娘は私の気持ちにぴったりと合うよ。純粋だから。

(注釈) 「伊香保(いかほ)ろ」は榛名山。「岨(そひ)」は急斜面。「榛原(はりはら)」榛の実や皮は黒色の染料で衣に染まる女性の寓意。「着(つ)きよらしもよ」のヨラシはヨロシイの意、モヨは感嘆の間投助詞で、着キガヨイナア。「一重(ひたへ)」はヒトヘの方言で、ヒタスラ、純粋の意らしい。「思へば」は、思フの已然形+順接確定の接続助詞バで、思ウト。

 

 

巻14-3436

白遠(しらとほ)ふ 小新田(をにひた)山の 守(も)る山の 末(うら)枯(が)れ為(せ)なな 常葉(とこは)にもがも

(作者) 未詳。上野(かみつけの)国の譬喩歌(ひゆか)。 

(大意) 新田山という大切に守られている山のように、葉先が枯れないようにして欲しい。いつも緑でいて欲しい(いつまでも元気でいたいものだ)。

(注釈) 「白遠(しらとほ)ふ」は新田山に掛かる枕詞。新田山は群馬県太田市の金山。「守(も)る山」は、樹木を保護して大切に守る山。「末(うら)枯(が)れ為(せ)なな」は、葉先の枯れる意のウラガレ+スの未然形+否定のズの未然形+願望の助詞ナで、葉先が枯れないようにして欲しい。「常葉(とこは)」は、冬でも枯れない葉。「にもがも」は、格助詞ニ+願望の意の終助詞モガモで、・・ノヨウデアッテ欲シイ、アリタイモノダ。

 

巻14-3442

東路(あづまぢ)の 手児(てご)の呼坂(よびさか) 越(こ)えがねて 山にか寝むも 宿(やどり)は無しに

(作者) 未詳。雑歌。

(大意) 東国路の手児の呼坂を越えられず、山に寝るのだろうか。宿るところもないのに。

(注釈) 「東路(あづまぢ)」は東国へ行く道。「手児(てご)の呼坂(よびさか)」は所在地不明。「越(こ)えがねて」の「越(こ)え」は越ユの連用+・・ガデキナイの意のカヌ(下二補助動詞)の連用+接続助詞テで、越エルコトガデキナクテ。「寝むも」は、「寝(ヌ)」の未然形+推量「ム」の終止形。詠嘆の終助詞「も」は終止形につくが、この「寝ム」はカを受けて連体形。「無しに」の接続助詞「に」は逆接・・ナノニ。

 

 

巻14-3465

高麗錦(こまにしき) 紐(ひも)解き放(さ)けて 寝(ぬ)るが上(へ)に 何(あ)ど為(せ)ろとかも あやに愛(かな)しき

(作者) 未詳。相聞歌。

(大意) 高麗錦の紐を解いて共寝もしたのに、その上に、何をしろというのか。無性に愛しい。

(注釈) 「高麗錦(こまにしき)」は、高句麗から輸入された錦で貴重な品である。又、万葉集では必ず紐につながるので枕詞ともいえる。「何(あ)ど」は、ドノヨウニ、を意味する東国方言。「為(せ)ろ」は、命令形セヨの東国方言。「あやに」はムショウニ。「愛(かな)しき」は、カワイイを表すカナシの連体形。

 

 

巻14-3473

佐野山(さのやま)に 打つや斧音(をのと)の 遠かども 寝(ね)もとか子ろが 面(おも)に見えつる

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) (佐野山の遠くに響く斧の音のように)遠くに離れてはいるが、供寝をしようというのか、あの娘が面影に見えた。

(注釈) 「佐野山(さのやま)」は、群馬県高崎市近くの山。「遠かども」は、遠ケドモ(遠シの已然形+接続助動詞ドモで、確定逆接条件)の方言。「寝も」は、寝ムと同じ。「とか」は、・・トイウノカ。「か」は係助詞で文末に掛かる。「面(おも)に」は面影ニ。「見えつる」は見ルの未然形+自発のルと同じ上代の自発のユの連体形。

 

 

巻14-3478

遠しとふ 故奈(こな)の白嶺(しらね)に 逢(あ)ほ時(しだ)も 逢はのへ時(しだ)も 汝(な)にこそ寄(よ)され

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) (遠くにあるという故奈の白嶺で)会うときも逢わないときも、貴女だけに心が引き寄せられている。

(注釈) 「とふ」は、トイウの意のトイフの転。「故奈(こな)の白嶺(しらね)に」は所在未詳。ここまでが序詞か。「逢(あ)ほ」は逢フの上代東国方言。「のへ」は、打消の助動詞ナフの連体形ナヘと同じ(上代東国方言)。「寄(よ)され」は寄セラレルの意の寄サルの已然形。

 

 

巻14-3479

赤見山(あかみやま) 草根刈り除(そ)け 逢はすがへ 争(あらそ)ふ妹(いも)し あやに愛(かな)しも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 赤見山の草を刈りとって(承知の上で)逢ったのに、恥ずかしがって抵抗するあの娘がなんともいえずいとしい。

(注釈) 「赤見山(あかみやま)」は、栃木県佐野市の山。「草根」のネは接尾語。「刈り除(そ)け」「逢はす」は、アフの未然形+親愛を表す尊敬のス。「がへ」は、格助詞ガ+上(ガウヘ)の短縮で、ノ上ニの意。「争(あらそ)ふ」は、恥ズカシガッテ抵抗スル。「妹(いも)し」のシは、強意。「愛(かな)しも」は、イトシイの意のカナシの終止形+詠嘆の助詞モ。

 

 

巻14-3494

子持山(こもちやま) 若(わか)かへるての 黄葉(もみつ)まで 寝(ね)もと吾(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)ふ

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 子持山の若いカエデが紅葉するまでともに寝ようと私は思う。お前はどう思う。

(注釈) 「子持山(こもちやま)」は、群馬県沼田市の山。「かへるて」は、カヘルの手のような葉を持つ木で、現在はそれがつまってカヘデ。「寝(ね)も」はヌの未然形ネ+推量のムの東国方言モ。

 

 

巻14-3495

巌(いわほ)ろの 岨(そひ)の若松(わかまつ) 限りとや 君が来まさぬ 心(うら)もとなくも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) (大きな岩の重なる断崖に生える若松のように)これを限りと、貴方はいらっしゃらないのでしょうか。私は待ち遠しく思っています。

(注釈) 「巌(いはほ)」は大きな岩、又は、伊香保の訛り説も。「岨(そひ)」は急斜面。「君が来まさぬ」は、君+格助詞ガ+来(ク)の連用形+尊敬の補助動詞マスの未然形+打消しのズの連体形。「心(うら)もとなくも」は、待チ遠シイコトニ。

 

 

巻14-3496

橘(たちばな)の 古婆(こば)の放髪(はなり)が 思(おも)ふなむ 心(こころ)愛(うつく)し いで吾(あ)れは行(い)かな

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 橘(たちばな)の古婆(こば)の少女が私を思っている。その心がかわいい。さあ私はでかけよう。

(注釈) 「橘(たちばな)」は、武蔵国の橘樹(タチバナ)郡で、現在の川崎、横浜辺り。「古婆(こば)」は所在不明。「放髪(はなり)」は、少女の髪型で、振分髪。ここでは、13、4歳の女の子をさす。「思ふなむ」は、思フラムの上代東国方言で、ここでは、私ヲ思ッテイルの意。「こころ愛(うつくし)し」は、心ガカワイイ。「いで」は、決心の「サア」。

 

 

巻14-3501

安波峰(あはを)ろの 峰(を)ろ田に生(お)はる たはみ蔓(づら) 引かばぬるぬる 吾(あ)を言(こと)な絶え

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 安波峯の山の田に生えているタワミヅラを引いたら切れるように、私との間に言を絶やさないでくれ。

(注釈) 「安波峰(あはを)ろ」は、安房の国の山アハヲ+接尾語ロ。「峰(を)ろ田」は、谷田に対する山田。「生(お)はる」は、オフルの訛り。「たはみ蔓(づら)」は 蔓草の一種。「ぬるぬる」は、ズルズルトホドケルヨウニ切レテ。「吾(あ)を」のヲは格助詞、禁止の副詞ナ+動詞の未然形で〜スルナの意、「絶え」はタユの未然形なので、「吾(あ)を言(こと)な絶え」は、私トノ間ニ言ヲ絶ヤサナイデクレ、となる。

 

 

巻14-3508

芝付(しばつき)の 御宇良崎(みうらさき)なる 根都古(ねつこ)草(ぐさ) 逢ひ見ずあらば 吾(あれ)恋ひめやも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 逢うことがなかったならば、私はこのように恋いに苦しむことはなかっただろうに。

(注釈) 「芝付(しばつき)」は不明。「御宇良崎(みうらさき)」は、神奈川県三浦崎。「根都古(ねつこ)草(ぐさ)」は不明であるが、根と寝を掛けて逢ヒにつないだ。「あらば」は、アリの未然形+順接仮定のバ。「恋ひめやも」は、恋イニ苦シムの意の恋フの未然形+推量のムの已然形+終助詞ヤモで、強い反語となり、恋ニ苦シムダロウコトハナカッタノニ、の意。

 

 

巻14-3512

一嶺(ひとね)ろに 言はるものから 青嶺(あをね)ろに いさよふ雲の 寄(よ)そり妻はも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 検討中。

(注釈) 検討中。

 

 

巻14-3525

水(み)くく野に 鴨(かも)の匍(は)ほのす 児(こ)ろが上(うへ)に 言緒(ことを)ろ延(は)へて いまだ寝(ね)なふも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 水くく野に鴨が匍うように、あの子にいろいろと声を掛けているのだが未だ寝ていないのだよなあ。

(注釈) 「水(み)くく野」は地名であろうが不明。「匍(は)ほのす」は、匍ウヨウニ。「児(こ)ろが上(うへ)に」は、。「言緒(ことを)ろ延(は)へて」の「言緒(ことを)ろ」は言葉と同じ。長い言葉なので「獅」をつけたようだ。なお、「ろ」は接尾語。「延(は)ふ」には、匍ウという意味や、言葉を通ワセルの意味がある。「寝(ね)なふも」は、横ニナルの意味の寝(ヌ)の未然形ネ+シナイの意味の上代東国方言ナフの終止形+詠嘆のモ。なお、現在使われている寝ルは、寝(イ)ヌ。

 

 

 

巻14-3526

沼二つ 通(かよ)は鳥が巣 吾(あ)が心 二(ふた)行くなもと なよ思(も)はりそね 

(作者) 未詳。

(大意) 二つの沼を通う鳥のように、私の心が二人の女の間で揺れているのだろうとは思っていてくれるな。

(注釈) 「通(かよ)は」は、通フ。「が巣」は、・・ノ巣、であり、少し言葉を補いながら解釈する必要がある。しかし、ガスをナス(・・ノヨウニの意)の訛りとする説もある。この説に従うと意味が分かりやすい。「二(ふた)行く」は、二ヶ所ニ行ク。「なも」は、推量のラムの上代東国方言。終止形につく。「なよ思(も)はりそね」は、禁止の副詞ナ+終助詞ソの構造。ヨは詠嘆の助詞。思(モ)ハリは、思ヘリ(思フの命令形の思ヘ+完了・継続のリの連用形リ)と同じ。

 

 

巻14-3531

妹(いも)をこそ あひ見に来(こ)しが 眉引(まよびき)の 横山辺(へ)ろの 鹿猪(しし)なす思(おも)へる

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) あの子に逢いたくて来たのに、それを家の人は私のことをあたかも横山あたりの鹿か猪のように思っているとは。

(注釈)  「妹(いも)」は、男から、妻・姉妹・その他一般に女性を親しんで呼ぶ語。「来(こ)しが」は、来(ク)の未然形+過去の助動詞キ(通常連用形につながるが、カ変、サ変の未然形につながることもある)の連体形+接続助詞「ガ」。「眉引(まよびき)」は、横山に掛かる枕詞。「横山」は、多摩の横山のことと思われ、府中から八王子にかけての多摩川南岸の丘陵地帯。「辺(へ)ろ」の辺(へ)は、アタリ、ホトリを表し、「ろ」は音調を整えるため、あるいは、親愛の気持ちを表すための接尾語であり、ここでは前者。「鹿猪(しし)」は、鹿や猪等の獣のこと。「なす」は、ノヨウニを表す接尾語。「思(おも)へる」は、四段動詞である思(オモ)フの命令形+完了のリの連体形であるが、係り結びもないのに連体形になっている、ということは、余情を持たせた表現、ということ。彼女に逢いたい一心で来たのに家の人(たいていの場合彼女の母親)に冷たくされ憤慨している。

 

 

巻14-3539

崩岸(あず)の上(うへ)に 駒(こま)を繋(つな)ぎて 危(あや)ほかと 人妻(ひとづま)児(こ)ろを 息(いき)にわがする

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 崩れた崖の上に馬をつなぐと危ないように、私も人妻のあの子を命がけで思うのだ。

(注釈) 「崩岸(あず)」は、崩れた崖。「危(あや)ほかと」は、危ナイガ。「児(こ)ろ」は、アノコの意の児+親愛の情、あるいは語調を整えるための東国方言の接尾語ロ。「息(いき)にわがする」は、心ニカケテ嘆息する、または、命ガケデスル。

 

 

巻14-3540

左和多里(さわたり)の 手児(てご)にい行き逢ひ 赤駒(あかこま)が 足掻(あが)きを速み 言(こと)とはず来(き)ぬ

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 左和多里の手児に行き会ったが、私の赤駒の足が速いので、ゆっくり話もせずにきてしまった。

(注釈) 「左和多里(さわたり)」は所在不明。「手児(てご)」は、東国方言で、幼い子、少女、手仕事に従う女子、と広く使われた。この歌は、男性集団が歌ったものと思われ、注目の的となっている娘のことか。「い行き」のイは接頭語。「足掻(あが)き」は、馬ノ歩ミ。「を速み」は、助詞ヲ+形容詞の語幹ハヤ+原因・理由を表すミで、・・が早いので。「言(こと)とはず」は、話カケルの意のコトトフの未然形+打消しのズ。

 

 

巻14-3541

崩岸(あず)辺(へ)から 駒の行(ゆ)ごのす 危(あや)はとも 人妻(ひとづま)児(こ)ろを 目(ま)ゆかせらふも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 崩れた崖の辺りを駒が行くのは危険だとしても、人妻のあのこを目で見るだけで済ませられようか。

(注釈) 「崩岸(あず)」は、崩れた崖。「行(ゆ)ごのす」は、行クヨウニ。「危(あや)はとも」は、アヤウクテモ。「児(こ)ろ」は、アノコの意の児+親愛の情、あるいは語調を整えるための東国方言の接尾語ロ。 「目(ま)ゆかせらふも」は解釈が難しいが、目デ見ルダケデイラレヨウカ、とした。

 

 

巻14-3545

明日香川(あすかがは) 堰(せ)くと知りせば あまた夜(よ)も 率寝(ゐね)て来(こ)ましを 堰くと知りせば

(作者) 不詳。相聞往来の歌。

(大意) 明日香川が渡れなくなると知っていたら、幾夜も泊まってくるのだった。渡れなくなると知っていたら。

(注釈) 明日香川(あすかがは)は大和の明日香川か。東国にも同じ名の川があり、そちらを取る説もある。「堰(せ)く」はセキトメル。「知りせば」は、知ルの連用形+過去の助動詞キの未然形セ+接続助詞バで順接仮定となり、知ッテイタラとなる。「率寝(ゐね)て」は、寝ルの意のヰヌの連用形ヰネ+接続助詞テ。「来(こ)ましを」来ルの意のクの未然形コ+反実仮想の助動詞マシ(・・ナラヨカッタノニ)の終止形+ヲを詠嘆の終助詞。

 

 

巻14-3546

青柳(あをやぎ)の 張(は)らろ川門(かはと)に 汝(な)を待つと 清水(せみど)は汲(く)まず 立処(たちど)ならすも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 青柳の芽が吹いた川門に貴女を待とうと思って、清水は汲まずに、立っているところを踏みならしていますよ。

(注釈) 「青柳(あをやぎ)の」「張(は)らろ」は張レル(芽を吹クの意のハルの命令形+完了のリの連体形)の上代東国方言。「川門(かはと)」のトは狭イトコロ。「待つと」は、格助詞トの後ろに例えば思フが省略されている形(現代語と同じ)。「清水(せみど)」はシミズの東国方言。「立処(たちど)」は立ッテイル所。「ならす」は平ラニスル。

 

 

巻14-3552

松が浦に 騒(さわ)ゑ群(うら)立ち ま人言(ひとごと) 思ほすなもろ わが思(も)ほのすも 

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 松が浦に波が騒ぎ群がり立つように、人の噂がうるさくたっています。貴方は私のことを思っていらっしゃるでしょうね。私が貴方を思っているように。

(注釈) 「松が浦」は福島県相馬市の海。「騒(さわ)ゑ」は波ガ騒イデ。ヱは間投詞か?「群(うら)立ち」は、ムラガリタッテ。ウラはムラの訛りか。「ま人言(ひとごと)」は、他人ノ噂。マは接頭語。「思ほすなもろ」は、思フの尊敬語オモホス+推量のラムの上代東北方言ナモ+接尾語ロ?「のす」は、・・ノヨウニの意のナスに同じ。

 

 

巻14-3555

真久良我(まくらが)の 許我(こが)の渡(わたり)の 韓楫(からかぢ)の 音高(おとだか)しもな 寝(ね)なへ児ゆゑに

(作者) 不詳。相聞往来歌。

(大意) (真久良我の許我の渡しの韓楫の音が高いように)噂が高く立ったなあ。未だ共寝をしたわけでもない娘なのに。

(注釈) 「真久良我(まくらが)」は、許我の枕詞とする説もあるが、万葉時代はこの辺りは広い水郷地帯であり、まくらがと呼ばれた、との説もある。「許我(こが)」は茨城県古河市で、利根川から渡良瀬川が別れる辺り。「許我(こが)の渡(わたり)」は、利根川の渡しのこととなる。「韓楫(からかぢ)」は、海外(唐や韓)から伝わった技術による楫(かぢ)。楫は、カジ、ロ、カイ等船を動かす道具を総称した。韓楫は高い音がしたものらしい。「音高(おとだか)しもな」の「も」も「な」も詠嘆の助詞。「寝なへ」は、寝(ヌ)の未然形+否定の助動詞ナフ(東国上代方言)の連体形。「ゆゑに」はダノニ。

 

 

巻14-3558

逢(あ)はずして 行かば惜しけむ 真久良我(まくらが)の 許我(こが)漕ぐ船に 君も逢はぬかも

(作者) 未詳。相聞往来歌。

(大意) お会いしないままで出かけるのはとても残念です。真久良我(まくらが)の許我(こが)を漕ぐ舟の上の貴方にお会いできたらいいのですが。

(注釈) 「行かば惜しけむ」は、行クの未然形+順接仮定の接続助詞バ+惜シの未然形(上代)惜シケ+推量のム。「真久良我(まくらが)」は、許我の枕詞とする説もあるが、万葉時代はこの辺りは広い水郷地帯であり、まくらがと呼ばれた、との説もある。「許我(こが)」は茨城県古河市で、利根川から渡良瀬川が別れる辺り。「船に君も逢はぬかも」は、逢フの未然形+否定のヌ+希望を表すカモ(ヌに続くと希望を表す)で、船上ニイル貴方ニ逢エナイモノカ、の意。

 

 

巻14-3560

真金(まかね)吹(ふ)く 丹生(にふ)の真朱(まそほ)の 色に出(で)て 言はなくのみぞ 吾(あ)が恋ふらくは

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) (鉄を製錬する丹生の赤土のように顔色に出して)言わないだけです。私が恋しているということは。

(注釈) 「真金(まかね)」は鉄。「吹(ふ)く」は製錬すること。「丹生(にふ)」は、上野国説、近江説などがある。「真朱(まそほ)」は赤土。赤鉄鉱を含むので赤い。「色に出(で)て」は、顔色ニ出シテ。「言はなくのみぞ」は、言フの未然形+打消しのズのク語法で〜ナイコト+ノミはダケ+断定の意の係助詞ゾ。「恋ふらくは」は、恋フの終止形+名詞化するラク。

 

 

巻14-3563

比多潟(ひたがた)の 磯(いそ)のわかめの 立ち乱(みだ)え 吾(わ)をか待つなも 昨夜(きそ)も今夜(こよひ)も

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) 比多潟の磯のわかめのように、立ち乱れつつ私を待つのだろうか。昨夜も今夜も。

(注釈) 「比多潟(ひたがた)」は、岩石の荒い海岸。「わかめの」までが序詞。「乱(みだ)え」の品詞は不明。「なも」は、推量のラムの東国方言。終止形に続く。

 

 

巻14-3565

かの子(こ)ろと 寝(ね)ずやなりなむ はだ薄(すすき) 宇良野(うらの)の山に 月(つく)片寄(かたよ)るも

(作者) 未詳。相聞往来の歌。

(大意) あの子と寝ずに過ぎてしまうのだろうか。宇良野の山にもう月が傾いているなあ。

(注釈) 「かの子(こ)ろと」のロは接尾語。「寝(ね)ずやなりなむ」は、寝(ヌ)の未然形+打消しのズ+疑問の係助詞ヤ+ナルの連用形+推量のナムの連体形。「はだ薄(すすき)」はウラ野に掛かる枕詞。すすきのウラ(末)による。「宇良野」は長野県上田市浦野町。「片寄(かたよ)るも」のモは、詠嘆。

 


巻第15


 

巻15-3600

離磯(はなれそ)に 立てるむろの木 うたがたも 久しき時を 過ぎにけるかも 

(作者) 未詳。 

(大意) 離れ島の磯に立っているむろの木よ。実に久しい歳月を経てきたのだなあ。

(注釈) 「むろの木」は、ネズの木。「うたがたも」は、間違イナク。

 

 

巻15-3655

今よりは 秋(あき)づきぬらし あしひきの 山松蔭(やままつかげ)に ひぐらし鳴きぬ 

(作者) 未詳。 

(大意) これからはすっかり秋になるらしい。あしひきの山の松蔭にひぐらしが鳴いた。

(注釈) 「秋(あき)づきぬらし」のラシは、ひぐらし鳴きぬをもとにした推測。

 

 

巻15-3660

神(かむ)さぶる 荒津崎(あらつのさき)に 寄する波 間無(まな)くや妹に 恋ひ渡(わた)りなむ 

(作者) 土師稲足(はにしのいなたり)。 

(大意) 神々しい荒津崎に寄せる波が絶え間ないように、いつもあなたのことを恋い続けるのだろうか。

(注釈) 「神(かむ)さぶる」はコウゴウシイ。「荒津崎(あらつのさき)」は、福岡市西公園の辺り。「寄する波」までが序。「間無(まな)くや」は、絶エ間ナクの意のマナシの連用形+疑問の係助詞ヤ。「恋ひ渡(わた)りなむ」は、恋イ続ケルの意の恋ヒ渡ルの連用形+完了のヌの未然形+推量のムの連体形で、恋イ続ケルコトダロウ。

 

 

巻15-3668

筑前国(つくしのみちのくちのくに)の志麻郡(しまのこほり)の韓亭(からとまり)に至りて、船泊(ふなはて)して三日を経たり。時に夜の月の光皎々(けうけう)として流照す。奄(たちま)ちにこの華(ひかり)に対し、旅情悽噎(せいいつ)し、おのおの心緒(おもひ)を陳(の)べて、いささかに裁(つく)れる歌六首

大君(おほきみ)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)と 思へれど 日(け)長くしあれば 恋ひにけるかも

右の一首は大使。

(作者) 阿倍継麿(遣新羅大使)。 

(大意) ここ(太宰府)は、遠いけれども天皇の朝廷だとは思っているのだが、日数が長くなると都が恋しくなるなあ。

(注釈) 「遠の朝廷(みかど)」は太宰府のこと。「日(け)長くしあれば」は、複数の日を表すケ+ナガシの連用形+強意のシ+アリの已然形+順接のバ。「恋ひにけるかも」は、恋フの連用形+完了ヌの連用形+詠嘆のケリの連体形ケル+詠嘆のカモ。

 

 

肥前(ひのみちのくち)の国の松浦郡(まつらのこほり)の狛島(こましま)の亭(とまり)に船泊(ふなはて)せし夜に、遥かに海の浪を望み、各々旅の心を慟(いたま)しめて作れる歌七首、の中の一首 

巻15-3681

帰り来て 見むと思ひし 我がやどの 秋萩(あきはぎ)薄(すすき) 散りにけむかも

(作者) 秦田麻呂(はだのたまろ)

(大意) 旅から帰ったら見ようと思っていた吾が宿の秋萩や薄はもう散ってしまっただろうか。

(注釈) 「散りにけむかも」は、散ルの連用形+完了の助動詞ヌの連用形ニ+推量の助動詞ケムの連体形+詠嘆の終助詞カモで、モウ散ってシマッテイルダロウカ(未だ旅の途中、ということ)。

 


巻第16


 

古歌に曰(い)はく 

巻16-3822

橘(たちばな)の 寺の長屋に わが率寝(ゐね)し 童女(うなゐ)放髪(はなり)は 髪上げつらむか

右の歌は、椎野連長年(しひのむらじながとし)、脈(み)て曰はく、「それ、寺家(じけ)の屋は、俗人の寝(ぬ)る処にあらず。また、若冠(じやくくわん)の女(をみな)を称(い)ひて、放髪丱(うなゐはなり)といふ。しからばすなはち、腹句にすでに放髪丱と云へれば、尾句(びく)に重ねて著冠(ちやくくわん)の辞(こと)を云ふべからざるか」といふ。

(作者) 未詳。

(大意) 橘寺の長屋に連れてきて寝た、童女放髪の少女は、もう髪上げして他の男と結婚したろうか。

右の歌は、椎野連長年(しひのむらじながとし)が診察していうには「そもそも、寺の長屋は俗人の寝る処ではない。また、成人したばかりの女を『放髪丱(うなゐはなり)』という。よって、第4句に『放髪丱』といっているのだから、末句に重ねて成人したことを示す言葉をつかうべきではない」といった。

以上、私自身の言葉で説明できなかったため、大意の部分は、講談社文庫「万葉集」を引用しました。

(注釈) 「古歌」は伝承歌。「橘(たちばな)の寺」は明日香の橘寺。「率寝(ゐね)し」は、イザナイ寝ルの意のヰヌの連用形+過去のキの連体形シ。「童女(うなゐ)放髪(はなり)」は、幼女のおさげ髪。なお、丱(はなり)は髪を巻き上げる髪形のようであり、このあたりで混乱が生じているようだ(私にはうまく説明できない)。「髪上げ」は、長くなった髪を束ねて上げることであり、成人すること、結婚することをも意味する。

 

 

決(さだ)めて曰(い)はく 

巻16-3823

橘(たちばな)の 照れる長屋に わが率寝(ゐね)し 童女(うなゐ)丱(はなり)に 髪上げつらむか

(作者) 未詳。

(大意) 橘の実の輝く長屋に連れてきて一緒に寝たおさげ髪の少女は、丱(はなり)に髪を上げただろうか。

(注釈) 「童女(うなゐ)丱(はなり)に 髪上げつらむか」で、作者は、髪を巻き上げて丱(はなり)にしただろうか、といいたいらしい。

 

 

荷葉(はちすば)を詠める歌 

巻16-3826

蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは 芋(うも)の葉にあらし

(作者) 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)。

(大意) 蓮葉(はちすば)とはここにあるこのようなものなのだ。意吉麻呂(おきまろ)の家にあるのは芋の葉であるらしい。

(注釈) 「蓮葉(はちすば)」は、食物を盛るときに用いる食器。「芋(うも)」は、イモ。「あらし」は、ラ変動詞アリの連体形+推定のラシが変形したもの。

 

 

玉掃(たまばはき)、鎌(かま)、天木香(むろのき)、棗(なつめ)を詠(よ)める歌 

巻16-3830

玉箒(たまばはき) 刈(か)り来(こ)鎌麻呂(かままろ) むろの木と 棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため

(作者) 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)。

(大意) 鎌麻呂よ。玉箒を刈りとって来い。むろの木と棗の下を掃除するため。

(注釈) 「玉箒(たまばはき)」は、玉が美称で箒のことであるが、ここでは、その材料であるコウヤボウキ。天木香(むろのき)はネズ。「鎌麻呂(かままろ)」は、鎌を擬人化したもの。

 

 

忌部首(いむべのおびと)、数種の物を詠(よ)む歌一首 名は忘失せり

巻16-3832

枳(からたち)の 棘原(うばら)刈り除(そ)け 倉立てむ 屎(くそ)遠くまれ 櫛(くし)造る刀自(とじ)

(作者) 忌部首(いむべのおびと)。

(大意) からたちを刈り払って倉を建てよう。屎は遠くにしてくれ。櫛を造るおばさんよ。

(注釈) 「枳(からたち)」は、唐橘の略。「棘原(うばら)」はイバラで、棘のある植物の総称。「まれ」は大小便をする意のマルの命令形。「刀自(とじ)」は、主婦、又は年上の女性で、オバサン。

 

 

巻16-3834

梨(なし)棗(なし) 黍(きみ)に粟(あは)つぎ 延(は)ふ葛(くず)の 後も逢はむと 葵(あほひ)花咲く

(作者) 未詳。

(大意) 梨、棗、黍に粟が相次いで実り、蔓(つる)を伸ばす葛のように後で又逢おうと葵の花が咲くよ。

(注釈) 「黍(きみ)」は当時キビではなくキミと言われており、君を掛けており、「粟(あは)」は逢ハに掛けている。「葛(くず)」は、蔓(つる)が延びて又逢うことから「逢は」に掛かり、さらに葵(あほひ)につながる。

 

 

侫人(ねぢけびと)を謗(そし)れる歌一首

巻16-3836

奈良山の 児手柏(このてかしは)の 両面(ふたおも)に かにもかくにも 侫人(ねじけびと)の徒(とも)

(作者) 消奈行文(せなのぎょうもん)の大夫(まへつきみ)。

(大意) 奈良山の児手柏裏表が違うように、ああだこうだと裏表のある輩よ。

(注釈) 「両面(ふたおも)に」は、表裏があること。「かにもかくにも」は、ナントカシテ、アアダコウダト。「侫人(ねじけびと)」は、素直でない人。

 

 

痩(や)せたる人を嗤咲(わら)へる歌二首 

巻16-3853

石麻呂(いしまろ)に 我れ物(もの)申(まを)す 夏痩(なつや)せに よしといふものぞ 鰻(むなぎ)捕(と)り喫(め)せ

(作者) 大伴家持。

(大意) 。

(注釈)。

 

 

巻16-3854

痩(や)す痩(や)すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻(むなぎ)を捕ると 川に流るな

右は、吉田連老(よしだのむらじおゆ)、字(あざな)は石麻呂(いしまろ)といふ。いはゆる仁敬(じんけい)が子なり。その老(おゆ)、人となりて、身体いたく痩せたり。多く喫(くら)ひ飲めども、形、飢饉(ききん)に似たり。これによりて、大伴宿禰家持、いささかにこの歌を作りて、もちて戯咲(きせう)を為(な)す。

(作者) 大伴家持

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を詠(よ)める歌二首 

巻16-3855

ざう莢(けふ)に 延(は)ひおほとれる 屎葛(くそかづら) 絶ゆることなく 宮仕(みやづかへ)せむ 

(作者) 高宮王(たかみやのおほきみ)。

(大意) カワラフジにまといつき、這い広がって乱れているクソカヅラのように、絶えることなく宮仕えしよう。

(注釈) 「ざう莢(けふ)」は、カワラフジで、黄色い実をつける。「延(は)ひおほとれる」は、乱レテ広ガルか。「屎葛(くそかづら)」は、ヘクソカヅラともいう。ここまでが序。

 

 

巻16-3872

わが門(かど)の 榎(え)の実もり食(は)む 百千鳥(ももちとり) 千鳥(ちとり)は来(く)れど 君(きみ)そ来(き)まさぬ

(作者) 。 

(大意) わが家の榎の実を食べるたくさんの鳥。たくさんの鳥は来るのに貴方は来てくださらない。

(注釈) 「百千鳥(ももちとり)」は、多数ノ鳥、又は、多種ノ鳥。「来(く)れど」は、来(ク)の已然形クレ+逆接確定条件のド。「君(きみ)そ来(き)まさぬ」は、キミ+強意の係助詞ソ+来(ク)の連用形キ+丁寧のマスの未然形+打消しのズの連体形ヌ(ソを受けている)。

 

 

 

巻16-3883

伊夜彦(いやひこ) おのれ神(かむ)さび 青雲(あをくも)の たなびく日すら 小雨(こさめ)そほ降る (一(ある)は云はく、あなに神さび)

(作者) 越中(こしのみちのなか)の国の歌。

(大意) 伊夜彦の山はそれ自身が神々しく、青雲がたなびくような日でさえも山では小雨がそぼ降っている。

(注釈) 「伊夜彦」は弥彦(やひこ)山。新潟県西蒲原郡にあり、越中ではない。弥彦山山麓には弥彦神社があり、いつも大勢の人がお参りしている。「おのれ神(かむ)さび」は、自分自身ガ神々シイ、の意。本歌は、五七五七七七の六句の定型を持つ仏石足歌体なのではないか、との説がある。その場合、後世の人が、六句めに誤って、一云を加えたものとみなす。

 

 

 

巻16-3884

伊夜彦(いやひこ) 神の麓(ふもと)に 今日(けふ)らもか 鹿(しか)の伏(ふ)すらむ 皮服(かはごろも)着て 角(つの)附(つ)きながら

(作者) 越中(こしのみちのなか)の国の歌。

(大意) 伊夜彦の神山の麓に、今日も鹿が伏しているだろうか。毛皮をつけ、角をつけたままで。

(注釈) 「伊夜彦」は弥彦(やひこ)山。新潟県西蒲原郡にあり、越中ではない。弥彦山山麓には弥彦神社があり、いつも大勢の人がお参りしている。「神の麓(ふもと)に」は、山自体を神とみたもの。「今日(けふ)らもか」のラは語調を整える接尾語。本歌は、仏石足歌体の五七五七七七の六句の定型を持っている。ひとつ前の歌3883も元々は仏石足歌体ではないか、とする説がある。

 

 

巻16-3886

おしてるや 難波(なには)の小江(をえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居(を)る 葦蟹(あしがに)を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明(あきら)けく わが知ることを 歌人(うたびと)と 吾を召すらめや 笛吹(ふえふ)きと 吾を召すらめや 琴弾(ことひ)きと 吾を召すらめや かもかくも 命(みこと)受(う)けむと 今日(けふ)今日(けふ)と 飛鳥(あすか)に至り 立てれども 置勿(おくな)に至り つかねども 都久野(つくの)に至り 東(ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ 参入(まゐ)り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻繩(はななは)はくれ あしひきの この片山(かたやま)の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥(は)ぎ垂(た)れ 天照(あまて)るや 日の異(け)に干(ほ)し さひづるや 唐臼(からうす)に搗(つ)き 庭に立つ 手臼(てうす)に搗(つ)き おしてるや 難波(なには)の小江(をえ)の 初垂(はつたり)を からく垂(た)れ来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日(けふ)行きて 明日(あす)取り持ち来(き) わが目らに 塩(しほ)塗(ぬ)りたまひ きたひ賞(はや)すも きたひ賞(はや)すも

(作者) 乞食者(ほかひびと)の詠(うた)。

(大意) 食物としての蟹の身になって、その苦しみを詠っている。

(注釈) 「乞食者(ほかひびと)」は、寿詞を唱え戸口に立ち食を乞う人のこと。