歌の注釈 (巻第17〜20)

読み下し文は原則として「万葉集」講談社文庫(中西進編)に基づいています。注釈に際しては、その他に、日本古典文学大系「万葉集」岩波書店等も参考にしていますが、私の解釈も含まれていますのであまり信用しないで下さい。

 


巻第17


 

 

巻17-3921

杜若(かきつはた) 衣(きぬ)に摺(す)り付け 大夫(ますらを)の 着襲(きそ)ひ狩(かり)する 月は来にけり 

(作者) 大伴家持。

(大意) 杜若を衣に染めて、立派な男子が狩の衣服を身につけて狩をする月がやってきたなあ。

(注釈) 「杜若(かきつはた)」は、アヤメ科。当時はカキツハタと清音。「摺(す)り付け」は、摺リ染メニシテ。「大夫(ますらを)」は立派な男子。「着襲(きそ)ひ」は、狩ノ衣服ヲ身ニツケテ。

 

 

巻17-3944

女郎花(をみなへし) 咲きたる野辺を 行きめぐり 君を思ひ出(で) たもとほり来(き)ぬ

(作者) 掾(じよう)大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)。

(大意) 女郎花が咲いている野辺をめぐって、貴方を思い出しながら私は回り道してきました。

(注釈) 「思ひ出(で)」は、思フの連用形+出(ヅ)の連用形。出(ヅ)はイヅの変化したもので、上にイ段音がある場合に用いられる。「たもとほり」は、接頭語タ+ウロウロ歩キ回ルの意のモトホルの連用形。「来(き)ぬ」は、来(ク)の連用形+完了のヌ。

 

 

巻17-3951

ひぐらしの 鳴きぬる時は をみなへし 咲きたる野辺を 行きつつ見べし

(作者) 大目(だいさくわん)秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)。

(大意) ひぐらしが鳴いた時は、女郎花の咲いている野辺を歩きながら見るのがよいでしょう。

(注釈) 「鳴きぬる時は をみなへし 咲きたる野辺を 行きつつ「見べし」のベシは終止形につながるのでミルベシをするのが普通だが、上一の動詞に限っては連用形ミをうけてミベシとする例がある。

 

 

古歌一首 大原高安真人(おほはらのたかやすのまひと)作。年月審(つばひ)らかにあらず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記(しる)し載(の)す。

巻17-3952

妹(いも)が家に 伊久里(いくり)の森(もり)の 藤の花 今来(こ)む春も 常(つね)かくし見む (右の一首、伝へ誦めるは僧玄勝(げんしよう)、これなり)

(作者) 大原高安真人(おほはらのたかやすのまひと)。

(大意) 伊久里の森の藤の花を、やがて来る春にもいつもこのように眺めたい。

(注釈) 「妹(いも)が家に」は、行クに掛かる枕詞。「伊久里(いくり)」は、富山県砺波市井栗谷、新潟県三条市井栗などの諸説ある。「今」は、ヤガテ。「常(つね)」は形容動詞であるが、万葉時代は、イツモ変ワリナクの意の副詞に用いた。「かくし」のシは、強め。

 

 

巻17-3974

山吹(やまぶき)は 日(ひ)に日(ひ)に咲きぬ 愛(うるは)しと 我(あ)が思(も)ふ君は しくしく思(おも)ほゆ

(作者) 大伴池主(おほとものいけぬし)。

(大意) 山吹は日に日に咲きます。立派な方と私が思慕する貴方様のことがしきりに思われます。

(注釈) 「愛(うるは)し」は、立派デ素晴ラシイ。「しくしく」はシキリニの意。「思(おも)ほゆ」は、思フの変化した思ホに自発の接尾語ユ。

 

 

酒を造る歌一首

巻17-4031

中臣(なかとみ)の 太祝詞言(ふとのりとごと) 言ひ祓(はら)へ 贖(あか)ふ命(いのち)も 誰(た)がために汝(なれ)

右は、大伴宿禰家持作る。

(作者) 大伴家持。

(大意) 中臣の立派な祝詞を唱え、不浄を払い、酒を捧げ祈る命は誰のためなのか、あなたのためだ。

(注釈) 「中臣(なかとみ)」は、天児屋根命の子孫で神事を行った。「太祝詞言(ふとのりとごと)」は立派な祝詞。「言ひ祓(はら)へ」は、汚れを払う。「贖(あか)ふ命(いのち)」は、代償として物を差し出し命の安全を願う。「誰(た)がために汝(なれ)」は、誰のためか、あなたのためだ、の意。

 


巻第18


 

庭中(にはなか)の牛麦(なでしこ)の花を詠(よ)める歌一首 

巻18-4070

一本(ひともと)の なでしこ植ゑし その心 誰(た)れに見せむと 思ひそめけむ

右は、先(さき)の国師(こくし)の従(じゆう)僧(そう)清見(せいけん)が京師(みやこ)に入るべく、よりて、飲饌(いんぜん)を設(ま)けて饗宴(きやうえん)す。時に、主人(あるじ)大伴宿禰家持、この歌詞(うた)を作り、酒を清見に送れり。

(作者) 大伴家持

(大意) 一本のなでしこを植えた私のその心は、誰に見せようと思いたったのでしょう(貴方にお見せしたかったのです)。

(注釈) 「思ひそめけむ」は、思フの連用形+シ始メルの意のソムの連用形+推量のケム。

 

 

巻18-4096

大伴(おほとも)の 遠(とほ)つ神祖(かむおや)の 奥城(おくつき)は しるく標(しめ)立て 人の知るべく

(作者) 大伴家持。

(大意) 大伴の遠い祖先の神の墓は、はっきりと標を立てなさい。人々がそれと知るように。

(注釈) 「奥城(おくつき)」は墓。「しるく」は、ハッキリシテイルの意の形容詞シルシの連用形。「立て」は、タツの命令形。上代は、下二、上二の命令形にヨはつかない。

 

 

巻18-4097

天皇(すめろき)の 御代(みよ)栄えむと 東(あづま)なる 陸奥山(みちのくやま)に 金(くがね)花咲く

(作者) 大伴家持。

(大意) 天皇の御代が栄えるだろうと、東国の陸奥の山に黄金の花が咲く。

(注釈) 「陸奥山(みちのくやま)」は陸奥の国の山。「金(くがね)花咲く」は金が産出したことをいう。

 

 

巻18-4109

紅(くれなゐ)は うつろふものそ 橡(つるはみ)の 馴(な)れにし衣(きぬ)に なほ及(し)かめやも 

(作者) 大伴家持。

(大意) 美しい紅の色は消えやすいものです。ツルバミの色に染めた地味な衣(連れ添った妻)には、やはり及ぶものではありません。

(注釈) 「紅(くれなゐ)」は、遊女の比喩。「橡(つるはみ)」は、どんぐりの実で染めた色。妻の比喩。「及(し)かめやも」は、シクの未然形+推量のムの已然形+係助詞ヤモで詠嘆をこめた反語。及ブコトナゾ決シテナイダロウナ。

 

 


巻第19


天平勝宝二年の三月の一日の暮(ゆふへ)に、春の苑(その)の桃(もも)李(すもも)の花を眺矚(なが)めて作れる歌二首 

巻19-4139

春の苑(その) 紅(くれなゐ)にほふ 桃(もも)の花 下照(したで)る道に 出で立つ少女(をとめ)

(作者) 大伴家持。

(大意) 春の苑は紅にかがやいている。桃の花の色で赤く輝く道に出で立つ少女よ。

(注釈) 「下照(したで)る」は赤ク輝ク。

 

 

巻19-4140

わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る はだれのいまだ 残りたるかも

(作者) 大伴家持。

(大意) わが家の庭の李の花だろうか。それとも、庭に降った雪が残ったものだろうか。

(注釈) 「はだれ」は、ハラハラト降ル雪。

 

 

堅香子草(かたかご)の花を攀(よ)じ折れる歌一首 

巻19-4143

物部(もののふ)の 八十(やそ)娘子(をとめ)らが 汲(く)みまがふ 寺井(てらゐ)の上(うへ)の 堅香子(かたかご)の花

(作者) 大伴家持。

(大意) 大勢の少女が入り乱れて水を汲んでいる、寺の井のほとりの堅香子の花よ。

(注釈) 「物部(もののふ)の」は、廷臣のことで、数が多いので八十に続く。「八十(やそ)娘子(をとめ)」は、大勢ノ少女。「汲(く)みまがふ」は、入リ乱レテ汲ム。「寺井(てらゐ)」は、寺ニ湧ク水。「堅香子(かたかご)」はカタクリ。

 

 

季春(きしゅん)三月の九日に、出挙(すいこ)の政(まつりごと)に擬(よ)りて、古江村(ふるえのむら)に行き、道の上にして、物花(ぶつくわ)を属目(しよくもく)せる詠(うた)、并(あは)せて興中(きようのうち)に作りし所の歌

渋谿(しぶたに)の崎を過ぎて、巌(いはほ)の上の樹(き)を見たる歌一首 樹の名はつままなり

巻19-4159

磯(いそ)の上(うえ)の つままを見れば 根を延(は)へて 年深からし 神(かむ)さびにけり

(作者) 大伴家持。

(大意) 磯の上のつままを見ると、根を長く延ばして何年も経っているらしく、神々しい様子だなあ。

(注釈) 「つまま」はタブの木。「年深からし」は深クアルラシの略。「神(かむ)さびにけり」は、神々シイ様子ヲスルの意のカムサブの連用形+完了のヌの連用形+詠嘆のケリの終止形。

 

 

勇士(ますらを)の名を振(ふ)るはむことを慕(ねが)へる歌一首 并(あは)せて短歌 

巻19-4164

ちちの実(み)の 父(ちち)の命(みこと) ははそ葉(ば)の 母(はは)の命(みこと) おほろかに 情(こころ)尽(つく)して 思ふらむ その子なれやも ますらをや 空(むな)しくあるべき 梓弓(あづさゆみ) 末(すゑ)振り起し 投矢(なげや)持ち 千尋(ちひろ)射渡(いわた)し 剣大刀(つるぎたち) 腰(こし)に取り佩(は)き あしひきの 八峰(やつを)踏(ふ)み越え さしまくる 情(こころ)障(さや)らず 後(のち)の世の 語り継ぐべく 名を立つべしも 

(作者) 大伴家持。

(大意) 父上や母上が、おろそかに思うような子供で我々はありえるのだろうか(そのようなことはない)。だから、ますらおは空しく生きてはいけない。梓弓の末を振り起し、投矢を持ちと置くまで飛ばし、剣大刀を腰に取りつけ多くの山々を踏み越え、任じられた御心に添って、後世の人々が語り継ぐように立派な名をあげるべきである。

(注釈) 「ちちの実(み)の」は父に掛かる枕詞。「ははそ葉(ば)の」は母に掛かる枕詞。「おほろかに」はイイカゲンニ。「ますらをや」のヤは反語。「さしまくる」のサス、マクともに任命スルの意。

 

 

巻19-4193

ほととぎす 鳴く羽触(はぶり)にも 散りにけり 盛り過ぐらし 藤波(ふぢなみ)の花

(作者) 。

(大意) 羽根を振るわして鳴くほととぎすの羽根が触れるだけで散ってしまった。盛りが過ぎてしまったらしい。藤波の花は。

(注釈) 「散りにけり」は、散ルの連用形+完了のヌの連用形+過去・詠嘆のケリ。

 

 

十二日に、布勢(ふせ)の水海(みづうみ)に遊覧し、多胡(たこ)の湾(うら)に船泊(ふなは)てして藤の花を望み見、各々(おのがじし)懐(おもひ)を述べて作れる歌四首 

巻19-4199

藤波(ふぢなみ)の 影なす海の 底清(きよ)み 沈(しづ)く石(いし)をも 珠とそわが見る

(作者) 大伴家持。 

(大意) 藤波の影が映る海の底が澄んでいるので、私は、沈んでいる石をも珠かと見るほどである。

(注釈) 「藤波(ふぢなみ)の」は枕詞にも使われるが、ここでは、波のように咲いている藤。「清(きよ)み」は、清シの語幹+原因・理由を表す接尾語ミで、清イノデ。

 

 

巻19-4200

たこの浦の 底さへにほふ 藤波(ふぢなみ)を かざして行かむ 見ぬ人のため

(作者) 次官内蔵忌寸繩麻呂(すけくらのいみきなはまろ)。 

(大意) たこの浦の底までも美しく輝く藤の花を髪にかざして行こう。この景色を見ない人のために。

(注釈) 「たこの浦」富山県氷見市の湖の東南の湾。「にほふ」は、光リ輝ク。「藤波(ふぢなみ)」は、藤の影が波に映る様子。

 

 

攀(よ)ぢ折(を)れる保宝葉(ほほがしは)を見たる歌二首 

巻19-4204

わが背子(せこ)が 捧(ささ)げて持てる ほほがしは あたかも似るか 青き蓋(きぬがさ)

(作者) 僧恵行。

(大意) わが君が持っているホオノキは、青いキヌガサに実によく似ているなあ。

(注釈) 「わが背子(せこ)」はわが君。「ほほがしは」朴(ホオ)の木。大きな葉を持つ。「蓋(きぬがさ)」は、絹を張ったかさ。

 

 

巻19-4224

朝霧の たなびく田居(たゐ)に 鳴く雁(かり)を 留(とど)め得むかも わがやどの萩

右の一首は、吉野の宮に幸(いでま)しし時に、藤原皇后(ふぢはらのおほきさき)作りませり。ただ、年月はいまだ審詳(つばひ)らかならず。 十月の五日に、河辺朝臣東人(かはへのあそみあづまひと)が伝へ誦(よ)むとしか云ふ。

(作者) 光明皇后。 

(大意) 朝霧のたなびいている田で鳴いている雁を留めておくことができるだろうか。わが家の萩は。

(注釈) 「田居(たゐ)」は田。

 

 

雪の日に作れる歌一首 

巻19-4226

この雪の 消残(けのこ)る時に いざ行かな 山橘(やまたちばな)の 実の照るも見む

(作者) 大伴家持。

(大意) この雪の消え残る時にさあ行こう。山橘の実が輝くのも見よう。

(注釈) 「消(け)」は、カ行下二の消(ク)の連用形。「いざ行かな」は、サアのイザ+行クの未然形+意志・希望の終助詞ナ。

 

 

春日(かすが)に神を祭りし日に、藤原太后(ふぢはらのおほきさき)の作りませる歌一首。 すなはち、入唐大使(にふたうだいし)藤原朝臣清河(ふぢはらのあそみきよかは)に賜へり。 

巻19-4240

大船に 真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き この吾子(あこ)を 韓国(からくに)へ遣(や)る 斎(いは)へ神たち

(作者) 光明皇后。 

(大意) 大船に、楫を左右両舷に通し、この子を唐へ遣わす。祝福されよ神たちよ。

(注釈) 「藤原太后」は光明皇后。「藤原朝臣清河」は光明皇后の甥。「真楫(まかぢ)しじ貫(ぬ)き」は、楫を左右両舷に通し、という意味。「吾子(あこ)」は親愛の表現。「韓国(からくに)」は唐。へ遣(や)る 斎(いは)へ神たち。

 

 

 

巻19-4278

あしひきの 山下(やました)日蔭(ひかげ) かづらける 上(うへ)にやさらに 梅をしのはむ 

(作者) 大伴家持。

(大意) あしひきの山陰のヒカゲカヅラを髪飾りとして遊んでいる上に、どうしてさらに梅まで賞美するのでしょう(もう十分です)。

(注釈) 「あしひきの」は、山などに掛かる枕詞。「日蔭(ひかげ)」は、ヒカゲノカヅラ。 「かづらける」は、名詞カヅラの動詞化で、木の枝や花を髪飾りとしてつける意のカヅラクの 「上(うへ)にやさらに」のヤは、反語。「しのはむ」は、賞美スルの意の賞(シノ)フの未然形+意志のムの連体形(ヤを受けて)。

 

 

 

巻19-4290

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕かげに 鶯鳴くも

(作者) 大伴家持。

(大意) 春の野に霞がたなびくのはうら悲しいものだなあ。夕暮れの光のかげで鶯が鳴いている。

(注釈) 「鳴くも」は、鳴クの終止形+文末にあって詠嘆を表す係助詞モ。

 

 

 

巻19-4291

わがやどの いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕(ゆうべ)かも

(作者) 大伴家持。

(大意) わが家のいささかの群竹を吹く風の音のかすかな、この夕べだなあ。

(注釈) 「いささ群竹(むらたけ)」は、イササカニと群竹が合成されたもの。「かそけき」は、かすかな様子。

 


巻第20


 

七日に、天皇(すめらみこと)と太上天皇(おほきすめらみこと)と皇太后(おほきさき)、東(ひむかし)の常宮(つねのみや)の南の大殿に在(いま)して肆宴(とよのあかりきこしめ)せる歌一首 

巻20-4301

稲見野(いなみの)の 赤(あか)ら柏(がしは)は 時はあれど 君をあが思(も)ふ 時はさねなし

右の一首は、播磨(はりま)の国の守(かみ)安宿王(あすかべのおほきみ)奏(まを)せり。古今いまだ詳(つばひ)らかならず。

(作者) 安宿王。 

(大意) 稲見野の赤ら柏が色づくのは時期が決まっていますが、わが君を私がお慕いする気持は時期の区別はありません。

(注釈) 「稲見野(いなみの)」兵庫県印南群・高砂市から明石市にかけた地域。

 

 

巻20-4314

八千種(やちくさ)に 草木を植ゑて 時ごとに 咲かむ花をし 見つつしのはな

(作者) 大伴家持

(大意) いろいろな草木を植えて、季節ごとに咲く花を愛でたいものだ。

(注釈) 「八千種(やちくさ)」は、タクサンノ種類。「咲かむ花をし」は、咲クの未然形+予想のムの連体形+花+格助詞のヲ+強意のシ。「しのはな」は、愛(メ)デルの意の偲(シノ)ブの上代語シノフの未然形+願望の終助詞ナ。

 

 

巻20-4320

太夫(ますらを)の 呼び立てませば さを鹿の 胸(むな)分けゆかむ 秋野萩原

(作者) 大伴家持

(大意) 太夫たちが呼び立てるので、元気な鹿が胸で萩を分けながら歩いているだろう。秋の野の萩の原を。

(注釈) 「太夫(ますらを)」は、廷臣。「さを鹿」は、語調を整える接頭語サ+牡を表すヲ+鹿で、サは若々しい、元気であるという意味も持つ。

 

 

巻20-4350

庭中(にはなか)の 阿須波(あすは)の神に 小柴(こしば)さし あれは斎(いは)はむ 帰り来(く)までに

(作者) 帳丁(ふみひとのよぼろ)若麻続部諸人(わかをみべのもろひと)

(大意) 庭の中の阿須波の神に、小柴を挿して祈り、私は身を清めて待ちましょう。貴方が帰って来るまで。

(注釈) 「阿須波(あすは)の神」は、古事記によると大年神の子。「帳丁(ふみひとのよぼろ)」は主帳(シュチョウは、書記役)の丁(ヨボロは令制で課役負担者となる成年男子)を略したものか。

 

 

巻20-4351

旅衣(たびころも) 八重(やへ)着重(きかさ)ねて 寝(い)のれども なほ肌(はだ)寒し 妹(いも)にしあらねば

(作者) 望陀郡(まぐたのこほり)の上丁(かみつよぼろ)玉造部国忍(たまつくりべのくにおし)

(大意) 旅衣を何枚も重ねて寝たけれどもやはり肌寒い。衣は妻ではないので。

(注釈) 「寝(い)のれども」は、寝ヌルの已然形寝ヌレ+逆接のドモである寝ヌレドモの訛り。「上丁(かみつよぼろ)」の丁(よぼろ)は、課役の負担者となる成年男子。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁。

 

 

巻20-4352

道の辺(へ)の 茨(うまら)の末(うれ)に 延(は)ほ豆(まめ)の からまる君を 別(はか)れか行(ゆ)かむ

(作者) 天羽郡(あまはのこほり)の上丁(かみつよぼろ) 丈部鳥(はせつかべのとり)

(大意) 道のほとりのいばらの先に這いつく豆のように、からみつく貴女を置いて別れて行くのだろうか。

(注釈) 「茨(うまら)」はイバラ。「延(は)ほ」は、延(ハ)フの訛り。「君」を妻と解釈した。東国に男性が女性を君と呼ぶ習慣があったか?「別(はか)れ」はワカレの訛り。「か行(ゆ)かむ」は、疑問の意の係助詞のカ+行クの未然形+推量ムの連体形。「天羽郡(あまはのこほり)」は、今の千葉県富津市辺り。「上丁(かみつよぼろ)」の丁(よぼろ)は、課役の負担者となる成年男子。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁。

 

 

巻20-4354

立薦(たちこも)の 発(た)ちの騒(さわ)きに あひ見てし 妹(いも)が心は 忘れせぬかも

(作者) 長狭郡(ながさのこほり)の上丁(かみつよぼろ)丈部与呂麻呂(はせつかべのよろまろ)

(大意) 出立の騒ぎの中で見せた妻の心は忘れることができない。

(注釈) 「立薦(たちこも)」は枕詞で防壁の意。立ち鴨とする説もある。「忘れせぬかも」は、忘ルの連用形+スの未然形セ+打消しのズの連体形ヌ+詠嘆の助詞カモ。「長狭郡(ながさのこほり)」は、安房(アワ)の国の東部、鴨川市の辺り。「上丁(かみつよぼろ)」の丁(よぼろ)は、課役の負担者となる成年男子。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁。

 

 

巻20-4363

難波津(なにはつ)に 御船(みふね)下(お)ろすゑ 八十楫(やそか)貫(ぬ)き 今は漕(こ)ぎぬと 妹(いも)に告げこそ

(作者) 茨城郡(うばらきのこほり)の若舎人部広足(わかとねりべのひろたり)

(大意) 難波の港で御船を下ろし据え、沢山の楫を通し、今こそ漕ぎ出したと妻に伝えて欲しい。

(注釈) 「難波津(なにはつ)」。「御船(みふね)」は防人を運ぶ船で官船なので「御」がついている。「下(お)ろすゑ」は下ロシ据ヱの約。「八十楫(やそか)」は沢山の楫(カヂ)。楫(カジ)は舟を漕ぐロやカイの総称。「貫(ぬ)き」はを船ニ取リ付ケテの意。「漕(こ)ぎぬと」は漕グの連用形+完了のヌ+引用の意の格助詞トで、漕ギ出シタト。「告げこそ」は、告グの連用形+他に対する希望を表す補助動詞コスの命令形コソ。「茨城郡(うばらきのこほり)」は茨城県新治郡。

 

 

巻20-4364

防人(さきむり)に 立たむ騒(さわ)きに 家の妹(いむ)が なるべきことを 言はず来(き)ぬかも

(作者) 茨城郡(うばらきのこほり)の若舎人部広足(わかとねりべのひろたり)。

(大意) 防人に出発するあわただしさに、家の妻がすべき生業のことを言わずにきてしまったなあ。

(注釈) 「防人(さきむり)」サキモリの訛り。常陸国の防人の歌ではオ列甲類がウに転じやすい。「妹(いむ)」も、同様に、イモの訛り。「なるべきこと」は生業(ナリワイ)。「来(き)ぬかも」は、来(ク)の連用形+完了のヌ(正しくは、連体形のヌルとなるべきだがヌになっている)+詠嘆の終助詞カモ。「茨城郡(うばらきのこほり)」は茨城県新治郡。

 

 

巻20-4367

あが面(もて)の 忘れも時(しだ)は 筑波嶺(つくばね)を ふり放(さ)け見つつ 妹(いも)はしぬはね

(作者) 茨城郡(うばらきのこほり)の占部小龍(うらべのをたつ)

(大意) 私の顔を忘れそうになったら、あなたは、筑波山を見て私を偲んで欲しい。

(注釈) 「忘れも」のモは、推量のムの訛り。「しぬはね」は、忍(シノ)フの訛りシヌフの未然形+希望の助詞ネ。上代は、偲ブを偲フと言った。「茨城郡(うばらきのこほり)」は茨城県新治郡。

 

 

巻20-4368

久慈川(くじがわ)は幸(さけ)くあり待て潮船(しほぶね)に真楫(まかぢ)繁貫(しじぬ)き吾(わ)は帰り来(こ)む

(作者) 久慈郡(くじのこほり)の丸子部佐壯(まろこべのすけを)

(大意) 久慈川は無事で変わりなく待っていなさい。船にたくさんの楫を付けて私は帰って来よう。

(注釈) 「久慈川(くじがわ)」は、福島県、茨城県を流れる川。「幸(さけ)く」は、サキクの訛りで、無事ニの意。「潮船(しほぶね)に」「真楫(まかじ)」は、船の両側に付けた楫。「繁貫(しじぬ)き」は、タクサン貫キ。

 

 

巻20-4369

筑波嶺(つくはね)の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹(いも)そ 昼も愛(かな)しけ

(作者) 那賀郡(なかのこほり)の上丁(かみつよぼろ)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)

(大意) 筑波山の百合の花のように、夜床でもいとしい妻は昼もいとしい。

(注釈) 「筑波嶺(つくはね)」は筑波山。「百合(ゆる)」はユリの訛り。次の句のユトコのユにつなげている。「夜床(ゆとこ)」はヨトコの訛り。常陸国の防人の歌ではオ列甲類がウに転じやすい。「愛(かな)しけ」はイトシイの意のカナシキの訛り。「那賀郡(なかのこほり)」は茨城県那珂郡。「上丁(かみつよぼろ)」の丁(よぼろ)は、課役の負担者となる成年男子。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁。

 

 

巻20-4370

霰(あられ)降(ふ)り 鹿島(かしま)の神を 祈りつつ 皇(すめら)御軍(みくさ)に われは来(き)にしを

(作者) 那賀郡(なかのこほり)の上丁(かみつよぼろ)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)

(大意) 鹿島の神に祈り天皇の軍隊として私は来たのだが。

(注釈) 「霰(あられ)降(ふ)り」はあられが降って大きな音を立てるのでカシマにつなげている。「御軍(みくさ)」はミイクサの約。軍隊のこと。「来(き)にしを」来(ク)の連用形+完了のヌの連用形+過去のキの連体形+逆接的詠嘆の接続助詞ヲで、来タノダガ・・となる。前の歌20-4369を受けているとも読める。「那賀郡(なかのこほり)」は茨城県那珂郡。「上丁(かみつよぼろ)」の丁(よぼろ)は、課役の負担者となる成年男子。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁。

 

 

巻20-4371

橘(たちばな)の 下(した)吹く風の かぐはしき 筑波(つくは)の山を 恋ひずあらめかも

(作者) 助丁(すけのよぼろ)占部広方(うらべのひろかた)

(大意) 橘の花の下を風がかぐわしく吹いている筑波山を恋しく思わずにいられようか。

(注釈) 「山を」は、山ニ恋フが普通。「あらめかも」は、アルの未然形+推量のムの已然形+終助詞カと詠嘆のモがつながったもので反語の意のカモで、イラレヨウカ。「助丁(すけのよぼろ)」は、上丁(かみつよぼろ)を助けるもの。律令制で、丁は課役の負担者となる成年男子。

 

 

巻20-4372

足柄(あしがら)の み坂たまはり 顧(かへり)みず 我(あれ)は越(く)え行く 荒(あら)し男(を)も 立(た)しや憚(はばか)る 不破(ふは)の関(せき) 越(く)えて我(わ)は行く 馬(むま)の蹄(つめ) 筑紫(つくし)の崎に 留(ちまり)居て 我(あれ)は斎(いは)はむ 諸(もろもろ)は 幸(さけ)くと申す 帰り来(く)まてに

(作者) 倭文部可良麿(しとりべのからまろ)。

(大意) 足柄峠を越える許可を賜り、私は、振り返ることなく峠を越えていく。勇猛な男でも立ち止まって躊躇うであろう不破の関も私は越えて行く。馬の蹄を筑紫の崎にまで進めてそこで留まり、私は潔斎しよう。人々が無事でいてくれと祈るのだ。帰って来るまで。

(注釈) 「足柄(あしがら)の み坂」は足柄峠。「たまはり」は、峠を越えることを許されて峠を越させていただく、という意味。当時は、峠越えには神の許可が必要と考えた。「越(く)え」は、越エの訛り。「荒(あら)し男(を)も」は、勇猛ナ男デアッテモの意。「立(た)しや憚(はばか)る」は、立チの訛り+疑問のヤ+タメラウの意のハバカルで、立チ止マッテ行クノヲ躊躇スルダロウカの意になる。「不破(ふは)の関(せき)」岐阜県不破郡の関ヶ原。「越(く)え」は、越エの訛り。「馬(むま)の蹄(つめ)」はツクに掛かる枕詞。「留(ちまり)」は留マルの訛り。「諸(もろもろ)は 幸(さけ)くと申す」は、人々が私の無事を願う、という解釈と、私が人々の無事を願う、という解釈がある。後者を採った。

 

 

巻20-4373

今日(けふ)よりは 顧(かへり)みなくて 大王(おほきみ)の 醜(しこ)の御楯(みたて)と 出で立つ我は

(作者) 火長、今奉部與曽布(いままつりべのよそふ)。火長は火(兵士十人の隊)の長。

(大意) 今日からは、自分のことを顧みることなく、天皇の力強い楯として私は出発する。

(注釈) 「顧(かへり)みなくて」は、自分のもろもろのことを顧みないこと。「醜(しこ)の」は、強イの意であるが、卑下した表現とする解釈もある。

 

 

巻20-4385

行(ゆ)こ先(さき)に 波なとゑらひ 後方(しるへ)には 子をと妻をと 置きてとも来(き)ぬ

(作者) 葛飾(かづしか)の郡(こほり)の私部石島(きさきべのいそしま)。

(大意) 行く手に大波よ立つな。後(あと)には子と妻を残してきたのだから。

(注釈) 「行(ゆ)こ先(さき)」は、行く先。常陸・上総・下総では、ウ列Uとオ列甲類Oとの混同が多いらしい。「波な」のナは、動詞の連用形の上について禁止の意を表す副詞。「とゑらひ」は、撓む(タワム)の意(波がうねる様子)のトヲルの訛りであるトヱルの未然形トヱラに継続の助動詞フの連用形ヒが接続したもの。「後方(しるへ)」は後方(シリヘ)の訛り。「子をと妻をと」のヲは意味を強める間投助詞。「とも」は、強意の係助詞ソの訛りト+強意の係助詞モ。「来(き)ぬ」は、来(ク)の連用形+完了の助動詞ヌ。葛飾(かづしか)は、現在の東京、千葉、埼玉に跨る地域。

 

 

巻20-4385

行(ゆ)こ先(さき)に 波なとゑらひ 後方(しるへ)には 子をと妻をと 置きてとも来(き)ぬ

(作者) 葛飾(かづしか)の郡(こほり)の私部石島(きさきべのいそしま)。

(大意) 行く手に大波よ立つな。後(あと)には子と妻を残してきたのだから。

(注釈) 「行(ゆ)こ先(さき)」は、行く先。常陸・上総・下総では、ウ列Uとオ列甲類Oとの混同が多いらしい。「波な」のナは、動詞の連用形の上について禁止の意を表す副詞。「とゑらひ」は、撓む(タワム)の意(波がうねる様子)のトヲルの訛りであるトヱルの未然形トヱラに継続の助動詞フの連用形ヒが接続したもの。「後方(しるへ)」は後方(シリヘ)の訛り。「子をと妻をと」のヲは意味を強める間投助詞。「とも」は、強意の係助詞ソの訛りト+強意の係助詞モ。「来(き)ぬ」は、来(ク)の連用形+完了の助動詞ヌ。葛飾(かづしか)は、現在の東京、千葉、埼玉に跨る地域。

 

 

巻20-4386

わが門(かつ)の 五本柳(いつもとやなぎ) いつもいつも 母(おも)が恋(こ)ひすす 業(なり)ましつしも

右の一首は、結城郡(ゆふきのこほり)の矢作部真長(やはぎべのまなが)。

(作者) 矢作部真長(やはぎべのまなが)。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻20-4387

千葉野(ちばのぬ)の 児手柏(このてかしは)の 含(ほほ)まれど あやにかなしみ 置きてたか来(き)ぬ

(作者) 千葉郡(ちばのこほり)の大田部足人(おほたべのたりひと)

(大意) 千葉の野の児手柏の新芽のように初々しくて無性に可愛いので、(心に掛けながら)あの児をおいて来てしまった。

(注釈) 「児手柏(このてかしは)」は、マツ科の側柏あるいはブナ科の樹木。「含(ほほ)まれど」は新芽を含む状態を、つぼみの状態をいい、女性の初々しい美しさを表している。「あやに」はムショウニ。「かなしみ」は、イトオシイ、カワイイの意のカナシの語幹+原因・理由を表す接尾語ミ。「置きてたか来(き)ぬ」は、置キテ立チ来ヌ、置キテ高来ヌ、置キテ誰ガ来ヌ、と読めるらしい。「千葉郡(ちばのこほり)」は現在の千葉市付近。

 

 

巻20-4389

潮船(しほふね)の 舳越(へこ)そ白波(しらなみ) にはしくも 負(おふ)せ給(たま)ほか 思(おも)はへなくに

(作者) 印波郡(いにはのこほり)の丈部直大麻呂(はせつかべのあたひおほまろ)

(大意) 潮船の舳先を越して白波が急に来るように、俄かに命じなさるものだなあ。思いもかけなかったのに。

(注釈) 「越(こ)そ」はコスの訛り。常陸・上総・下総では、ウ列Uとオ列甲類Oとの混同が多いらしい。「にはしく」はニワカニの意の形容詞。「負(おふ)せ」は、(兵役を)課スルの意のオフス(オホスか?)の連用形。「給(たま)ほか」は、タマフカの訛り。「思(おも)はへなくに」は、オモヒアヘの略オモハヘ+打消しの助動詞ズのク用法と助詞ニをつなげ逆接を表すナクニでオモイモカケズニ。「印波郡(いにはのこほり)」は、千葉県の印旛沼(いんばぬま)辺り。「値(あたひ)」は姓(かばね)の一つで地方豪族に多い。

 

 

巻20-4402

ちはやふる 神(かみ)の御坂(みさか)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 斎(いは)ふ命(いのち)は 母父(おもちち)がため 

(作者) 主帳(しゆちやう)埴科(はにしな)の郡(こほり)の神人部子忍男(かむとべのおしを)

(大意) ちはやふる神の御坂に幣を奉って、私の命の無事を願うのは母父のためである。

(注釈) 「ちはやふる」は、神に掛かる枕詞。「斎(いは)ふ」は、無事ヲ願ウ、大事ニ守ル。防人としての務めを果たして無事に帰って来られることを祈った。「埴科(はにしな)の郡」は現在の長野県埴科郡。

 

 

巻20-4404

難波道(なにはぢ)を 行(ゆ)きて来(く)までと 吾妹子(わぎもこ)が 付(つ)けし紐(ひも)が緒(を) 絶(た)えにけるかも

(作者) 助丁(すけのよぼろ)上毛野牛甘(かみつけののうしかひ)。上野国(かみつけののくに)の防人。

(大意) 難波へ行って帰って来るまでといってわが妻が着けてくれた紐が切れてしまった。

(注釈) 「難波道(なにはぢ)」は難波への路。実際には筑紫か。「紐(ひも)が緒(を)」は紐のこと。「絶(た)えにけるかも」は、切レルの意の絶ユの連用形絶エ+完了の助動詞ヌの連用形ニ+過去・詠嘆の助動詞ケリの連体形+詠嘆の終助詞カモ。「助丁(すけのよぼろ)」は、上丁(かみつよぼろ)を助けるもの。律令制で、丁は課役の負担者となる成年男子。

 

 

巻20-4406

わが家(いは)ろに 行(ゆ)かも人もが 草枕 旅は苦しと 告(つ)げ遣(や)らまくも

(作者) 大伴部節麻呂(おほともべのふしまろ)。上野国(かみつけののくに)の防人。

(大意) 我が家に行く人がいてくれるといいのだが。旅は辛いものだと伝えたいものだ。

(注釈) 「家(いは)ろ」は家のことで、東歌に多い。「行(ゆ)かも人もが」は、行クの未然形+推量ムの連体形の訛りのモ+ヒト+願望のモガ(係助詞モ+終助詞ガ)で、行ク人ガイルトイイノダガ。「遣(や)らまくも」は、ヤルの未然形+推量のムと接尾語クで作られ名詞化するマク+詠嘆のモ。

 

 

巻20-4407

ひなくもり 碓氷(うすひ)の坂(さか)を 越えしだに 妹(いも)が恋(こひ)しく 忘らえぬかも

(作者) 他田部子磐前(をさたべのこいはさき)。上野国(かみつけののくに)の防人。

(大意) ひなくもり碓氷の坂を越えるときに、妻が恋しくて忘れられない。

(注釈) 「ひなくもり」は碓氷に掛かる形容。「碓氷(うすひ)の坂(さか)」「越えしだに」のシダをトキ(現在のシナの古形)とすると、越エルトキ。また、ダニをダケデの意味にとると、越エタダケデ。「忘らえぬかも」は、忘ルの未然形+自発のユの未然形+否定のヌの終止形+詠嘆のカモで、忘レラレナイナア。

 

 

巻20-4413

枕大刀(まくらたし) 腰に取(と)り佩(は)き ま愛(かな)しき 背(せ)ろがめき来(こ)む 月(つく)の知らなく

(作者) 上丁(かみつよぼろ)那加(なか)の郡(こほり)の檜前舎人石前(ひのくまのとねりいはさき)が妻(め)、大伴部真足女(おほともべのまたりめ)。

(大意) 枕大刀を腰に帯びて愛しい夫が帰ってくるのがいつになるのか分からず不安です。

(注釈) 「枕大刀(まくらたし)」は枕元におく刀。「佩(は)き」は、腰ニツケルの意の佩クの連用形。「ま愛(かな)しき」は、真実を表す接頭語マ+イトシイの意の愛シの連体形。「背(せ)ろ」は、夫や兄などを女性から親しみを持っていう語セナの上代東国方言。「めき来む」のメキは、罷(マカ)リ来ルの方言で短縮形か、との説がある。この場合、罷ルと謙譲語を使うのは、命ぜられた任務を終えて帰ることを意味するからか?「月(つく)の知らなく」は、・・ヲの意の格助詞ノ+ワカルの知ルの未然形+打消しの助動詞ヌの未然形+文末で詠嘆の意を表す接尾語ク。

 

 

巻20-4414

大君の 命(みこと)畏(かしこ)み 愛(うつく)しけ 真子(まこ)が手離(はな)り 島伝(づた)ひ行く

(作者) 助丁(すけのよぼろ)秩父(ちちぶ)の郡(こほり)の大伴部小歳(おとし)。

(大意) 大君のご命令を賢み、愛しい妻の手を離れ島伝いに行く。

(注釈) 「愛(うつく)しけ」は、ウツクシキの東国方言。「真子(まこ)」は、接頭語マ+妻の意のコ。

 

 

巻20-4417

赤駒(あかごま)を 山野(やまの)に放(はが)し 捕(と)りかにて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣(や)らむ

(作者) 豊島(としま)郡の上丁(かみつよぼろ)椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)の妻、宇遅部黒女(うじべのくろめ)。つまり、防人の妻。

(大意) 山野に放牧していた赤駒が逃げてしまい捕らえられないため、夫に多摩の横山を徒歩で行かせることになるのだろうか。

(注釈) 「放(はが)し」は、ハナチと同じで放牧スルの意。「捕(と)りかにて」の「かにて」は、カネテの上代東国方言。多摩の横山とは、府中から八王子にかけての多摩川南岸の丘陵地帯あるいは街道。「徒歩(かし)ゆか」の「ゆ」は手段を示す助詞で「か」は疑問の係助詞。「遣(や)らむ」は、遣ルの未然形+推量の「ム」。当時、防人には、財力があれば馬で行くことも許されていたらしいのに、夫を徒歩で行かせることを妻が嘆いている。

 

 

巻20-4418

わが門(かど)の 片山椿(かたやまつばき) まこと汝(な)れ 我が手触(ふ)れなな 土に落ちもかも 

(作者) 荏原(えばら)の郡(こほり)の上丁(かみつよぼろ)物部広足(もののべのひろたり)。 

(大意) わが家の門の片山椿よ。本当にお前は私の手が触れなくても土に落ちてしまうのだろうか。

(注釈) 「片山椿(かたやまつばき)」の片は妻だけが残ることを意味しているか。「触(ふ)れなな」のナナはヌニの訛り。「落ちもかも」はオチムカモの訛り。

 

 

巻20-4419

家ろには 葦火(あしふ)炊けども 住みよけを 筑紫に到りて 恋しけもはも

(作者) 武蔵国橘樹(たちばな)郡の上丁(カミツヨボロ)物部真根(もののべのまね)
丁(よぼろ)は、21歳から60歳の男子で労働に従事できる者。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁らしい。

(大意) 家では葦火を焚いているので煤けてはいるが住みやすい。筑紫に着いたらそのことを恋しく思うだろうなあ。

(注釈) 「家ろ」のロは東歌に多い接尾語。「葦火(あしふ)」アシヒの上代東国方言で、干した葦をマキとして焚く火。「焚けども」のドモは逆接確定条件の接続助詞。「住みよけを」の住ミヨケは住ミヨシの連体形である住ミヨキの上代東国方言であり、ヲは格助詞。「到りて」のテは順接の助詞。「恋しけもはも」は恋シケ思(モ)ハモ、とすると、恋シク思ハムの上代東国方言で、思フの未然形+推量のム。

 

 

巻20-4420

草枕 旅の丸寝の 紐絶えば あが手と着(つ)けろ これの針(はる)持し

(作者) 椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)。上の首の作者、真根の妻。

(大意) 草を枕の旅の途中、丸寝の紐が切れたら、この針を持って私の手と思って着けて下さい。

(注釈) 「草枕」は旅の枕詞。「丸寝」は着衣のまま寝ること。「絶えば」は絶ユの已然形+バ(順接仮定)。「あが手と」のトはトシテ、ト思ッテの意。「着けろ」は下ニ他動詞の着クの命令形着ケヨの上代東国方言で、現代口語の下一の命令形と同じ、というのはおもしろい。なお、下ニ他動詞の着クは今のツケルに当たり、縫い付けるの意味がある。「これの」はコノ。「針(はる)持し」は針(ハリ)持チの上代東国方言。

 

 

巻20-4421

わが行きの 息衝(いきつ)くしかば 足柄の 峰延(は)ほ雲を 見とと思(しの)はね

(作者)  武蔵国都筑郡の上丁(かみつよぼろ)服部於田(はとりべのうえだ)
丁(よぼろ)は、21歳から60歳の男子で労働に従事できる者。上丁(かみつよぼろ)は上級の丁らしい。於田は於由(おゆ)とも読む。

(大意) 私の旅が胸を苦しくしたら、足柄山にひろがる雲を見ながら、しのんでくれ。

(注釈) 「行き」はこの場合「旅」のこと。「息衝(いきつ)くしかば」は、息衝(いきつ)カシ(クはカの上代東国方言)(ため息が出る)の未然形+仮定の助詞バ。「延(は)ほ」は、ハフ(這う)の上代東国方言。「見とと」は見ツツの上代東国方言。「思(しの)はね」は、思(しの)フ(偲ぶ)の未然形+依頼の終助詞ネ。

 

 

巻20-4422

わが背なを 筑紫へ遣(や)りて 愛(うつく)しみ 帯は解かなな あやにかも寝も

(作者) 服部呰女(はとりべのあさめ)。上の首の作者、服部於田の妻

(大意) わが夫を筑紫へ旅立たせて、いとしいので帯は解かずに、あやしくもねることかなあ。

(注釈) 「背な」のナは東歌に多い接尾語。「愛(うつく)しみ」は、愛(うつく)シ+原因・理由を表す接尾語ミで「いとしいので」となる。「解かなな」のナナはヌニの上代東国方言で、〜しないで、の意。「あやにかも寝も」のアヤニは「むしょうに、たとえようもなく」という意味らしいが、私にはうまく訳せない。訳文は講談社文庫に従っている。カモは詠嘆・感動の係助詞、寝モは寝ムの上代東国方言。

 

 

巻20-4423

足柄(あしがら)の 御坂(みさか)に立(た)して 袖振らば 家なる妹は 清(さや)に見もかも

(作者) 埼玉(さきたま)郡の防人。上丁(かみつよぼろ)藤原部等母麿(ともまろ)。

(大意) 足柄の御坂に立って袖を振ったなら、家に居る妻ははっきりと見るだろうか。

(注釈) 「足柄」は、神奈川県の足柄上・下両郡。「御坂(みさか)」は、足柄峠を神域としている。「立(た)して」は立チテの上代東国方言。「袖振らば」は未然形+バで順接仮定条件となり、袖ヲ振ッタナラバの意。袖振ルは、魂を招く行為。「清(さや)に」はハッキリ。「見もかも」は、見ル(上一)の未然形、「も」は推量ムの上代東国方言、「かも」は詠嘆の終助詞。「かも」は元々、疑問の「か」と詠嘆の「も」から成っている。「埼玉(さきたま)郡」は現在の埼玉県東部。妻から見えるはずはないので、足柄の御坂という特別な場所に立って袖を振るという行為を行ったら妻にテレパシーが届くだろうか、と考えている。

 

 

巻20-4424

色深く 背なが衣(ころも)は 染めましを 御坂(みさか)たばらば ま清(さや)に見む

(作者) 物部刀自売(とじめ)。上の首の作者、藤原部等母麿(ともまろ)の妻。

(大意) 夫の衣をもっと深い色に染めておくのだった。足柄の御坂を越えるときにきっとはっきりと見えるでしょうに。

(注釈) 「背なが」は夫の。「染めましを」は染ムの未然+反実仮想のマシの連体形+接続助詞ヲ。「御坂(みさか)」は、足柄峠を神域としている。

 

「上総国(かみつふさのくに)の朝集使(てうしふし)大掾(だいじよう)大原真人今城(おほはらのまひといまき)の、京に向ひし時に、郡司(ぐんし)が妻女等(つまら)の餞(うまのはなむけ)せる歌二首」とあり、大原真人今城の出立の宴の儀礼歌。

 

巻20-4440

足柄(あしがら)の 八重山(やへやま)越えて いましなば 誰(たれ)をか君(きみ)と 見つつ思(しの)はむ

(作者) 郡司の妻女等(上参照)。 

(大意) 足柄の八重山を越えて行ってしまわれたなら、誰を貴方と見てお慕いいたしましょう。

(注釈) 「いましなば」は、去ル・来ル・居ルの尊敬語イマスの連用形+完了のヌの未然形+接続助詞バで、順接仮定条件。「思(しの)はむ」は、思イ慕ウの意の思(シノ)フの未然形+推量のムの連体形(カを受けている)。

 

 

巻20-4441

立ちしなふ 君が姿を忘れずは 世(よ)の限(かぎ)りにや 恋ひ渡りなむ

(作者) 郡司の妻女等(上参照)。 

(大意) しなやかな貴方のお姿を忘れずに、命の限り恋い続けることでしょうか。

(注釈) 「立ちしなふ」は、男女共通の容姿の賛辞。「忘れずは」は、「忘ル」の未然形+否定のズの未然形+係の助詞ハで忘レナイナラバとなりそうだが、忘レズニと解釈するらしい。「世」は命のこと。「恋ひ渡りなむ」は、恋イ続ケルの意の恋ヒ渡ルの連用形+完了のヌの未然形+推量のムの連体形で、きっと恋い続けるだろう、となる。

 

 

巻20-4448

紫陽花(あぢさゐ)の 八重(やへ)咲くごとく やつ代(よ)にを いませわが背子(せこ) 見つつ偲(しの)はむ

右の一首は、左大臣、味狭藍(あぢさゐ)の花に寄せて詠(よ)めり。

(作者) 左大臣とは橘諸兄(たちばなのもろえ)。諸兄が彼の下役である右大弁丹比国人眞人(うだいべんたぢひのくにひとまひと)が開いた宴に参加したときに作った歌。

(大意) 紫陽花が八重に咲くように、長く生きて下さい。貴方。私はその立派さをみながらお慕いしましょう。

(注釈) 「やつ代(よ)」は、多クノ代。「にを」格助詞ニ+間投助詞ヲ。「いませ」は、イルの尊敬語イマスの命令形。「わが背子(せこ)」は、この宴の主人を指す。男性から男性への呼びかけに使うこともある。「偲(しの)はむ」は、慕う、メデルの意の偲ブの上代表現シノフの未然形+意志のム。

 

 

族(やから)に喩(さと)せる歌一首 并(あは)せて短歌 

巻20-4465

ひさかたの 天(あま)のと開(ひら)き 高千穂(たかちほ)の 岳(たけ)に天降(あも)りし 皇祖(すめろき)の 神の御代(みよ)より はじ弓を 手握(たにぎ)り持たし 真鹿子矢(まかごや)を 手挟(たばさ)み添(そ)へて 大久米(おほくめ)の ますら健男(たけを)を 先に立て 靫(ゆき)取り負(おほ)せ 山河(やまかは)を 岩根(いはね)さくみて 踏(ふ)みとほり 国まぎしつつ ちはやぶる 神を言向(ことむ)け 服従(まつろ)はぬ 人をも和(やは)し 掃(は)き清め 仕(つか)へまつりて 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国の 橿原(かしはら)の 畝傍(うねび)の宮に 宮柱(みやばしら) 太知(ふとし)り立(た)てて 天(あめ)の下(した) 知らしめしける 天皇(すめろき)の 天(あま)の日継(ひつぎ)と 継(つ)ぎてくる 君の御代(みよ)御代(みよ) 隠(かく)さはぬ 明(あか)き心を 皇辺(すめらへ)に 極(きは)め尽(つく)して 仕へくる 祖(おや)の官(つかさ)と 言立(ことだ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 見る人の 語り継(つ)ぎてて 聞く人の 鏡(かがみ)にせむを あたらしき 清きその名そ おぼろかに 心思ひて 虚言(むなこと)も 祖(おや)の名絶(た)つな 大伴(おほとも)の 氏(うぢ)と名に負(お)へる 大夫(ますらを)の伴(とも)

(作者) 淡海真人三船(おふみのまひとみふね)の讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いづものかみ)大伴古慈悲宿禰(おほとものこしびすくね)、任(にん)を解(と)かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る。

(大意) (大伴家は)先祖代々勇敢に戦い、立派に天皇家にお仕えしてきた。あさはかな思慮で大伴の名を消してはいけない。

(注釈) 。

 

 

短歌 

巻20-4466

磯城島(しきしま)の 大和(やまと)の国に 明(あき)らけき 名に負(お)ふ伴(とも)の緒(を) 心つとめよ

(作者) 淡海真人三船(おふみのまひとみふね)の讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いづものかみ)大伴古慈悲宿禰(おほとものこしびすくね)、任(にん)を解(と)かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

短歌 

巻20-4467

剣大刀(つるぎたち) いよよ磨(と)ぐべし いにしへゆ さやけく負(お)ひて 来(き)にしその名ぞ

(作者) 淡海真人三船(おふみのまひとみふね)の讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いづものかみ)大伴古慈悲宿禰(おほとものこしびすくね)、任(にん)を解(と)かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る。

(大意) 。

(注釈) 。

 

 

巻20-4487

いざ子ども 狂業(たはわざ)なせそ 天地(あめつち)の 堅(かた)めし国そ 大倭(やまと)島根(しまね)は

(作者) 内相(ないしやう)藤原朝臣(ふじはらのあそみ)。藤原仲麿のこと。 

(大意) さあ人々よ。たわけたことをしてはいけない。大和の国は天地の神々の固めた国であるぞ。

(注釈) 「いざ子ども」は、子供に対してではなく、廷臣に対する呼びかけ。「狂業(たはわざ)」は、たわけごと。橘奈良麿の謀反を指している。「なせそ」は、副詞ナ+サ変動詞スの未然形+終助詞ソで、禁止を表す。「天地(あめつち)の」は天地の神々ノ。「大倭(やまと)島根(しまね)」は大和の国。

 

 

二年の春の正月の三日に、侍従・豎子(じゆし)・王臣等を召して、内裏(うち)の東(ひむがし)の屋(や)の垣下(かきもと)に侍(さもら)はしめ、すなはち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴(とよのあかり)しめしき。時に、内相(ないしやう)藤原朝臣、勅(みことのり)を奉(たてまつ)りて、宣(のりたま)はく「諸王卿等(おほきみたちまえつきみたち)、堪(あ)ふるまにま、意(こころ)に任せて、歌を作り、并(あは)せて詩を賦(よ)め」とのりたまへり。よりて、詔旨(みことのり)に応(こた)へ、各々(おのがじし)心緒(おもひ)を陳(の)べて歌を作り詩を賦(よ)めり。[いまだ諸人の賦める詩と作れる歌とを得(え)ず] 

巻20-4493

初春(はつはる)の 初子(はつね)の今日(けふ)の 玉箒(たまばはき) 手に執(と)るからに ゆらく玉の緒

(作者) 大伴家持。

(大意) 初春の初子の今日の玉箒は、手にとるだけで揺れる玉の緒である。

(注釈) 「初子(はつね)」は、最初の子の日。「玉箒(たまばはき)」は、玉で飾った箒。朝廷で初子の日に用いた。「からに」は、名詞カラ+格助詞ニで、原因・理由を表す。

 

 

 

巻20-4512

池水に 影さへ見えて 咲きにほふ 馬酔木(あしび)の花を 袖(そで)に扱入(こき)れな

(作者) 大伴家持。

(大意) 池水に影を映して咲きにおう馬酔木の花をしごきとって袖に入れたいものだ。

(注釈) 「扱入(こき)れな」は、扱(コ)キ入(イ)ルの略コキルの未然形+意志・願望の終助詞ナ。扱キは、扱(シゴ)イテ採ルの意の扱(コ)クの連用形。入ルは、中に取り入れるの意味を添える補助動詞イル。ここでは未然形にしてナにつなげている。