<彼の時代がやって来た>

('01、9/16付け、ロンドンSunday Times 紙のインタビュー記事より、抜粋。)


今何時〜?

                            
お疲れ気味の映画スターは、パンダのような目をしていて、ささやくような声は、彼が着ている素敵な青いシャツの折り目に入り込んで行く。あまりに小さな声なので何を言っているのかわからない。彼が今演じている、「熱いトタン屋根の猫」のブリック役についてらしいが・・・もう少し大きな声で話してもらえないだろうか?
「ああ、そうだね」と、ブレンダン・フレイザーは謝ってくれた。最高のピンナップになりそうな彼のぼそぼそとした話し方は、寡黙で男っぽいというよりも、自分の存在を消しているかのようだ。その物腰は、彼の筋肉や、綺麗な肌、そしてそのりっぱな体格と同じくらい、素晴らしい。

4年前「ジャングル・ジョージ」が大ヒットしてから、彼は裕福になれたが、<かわいいけれど、オツムが弱い>という役柄に埋まりそうになった。その後、「ハムナプトラ」シリーズで新しいインディアナ・ジョーンズとなり、今度は、友達の死を悼む余り、ひねくれて愚痴を言う酒浸りの男を演じる。
「僕の人生の中で、ブリックを演じるのに最も良い時期、良い年齢になったんだ。」と32歳のフレイザーは言う。
「(ブリックと同じように)運動選手でいることと自力で進んでいくことのはざま・・・灰色のエリアに居るんだ。」
以前にブリック役を演じた俳優のように、フレイザーもチャーミングでたくましい。が、ブリックとは違い、酒に依存してはいないし、あいまいな性的嗜好に悩まされてもいないという。

「ブリックが抑圧されたホモだっていう確信が、僕には無いんだ。」と、顔をしかめる。「ウィリアムズはそのことをはっきりとさせてない。彼が明確にしていることがあるとしたら、ブリックが危険な男だということだね。誰かを殴りたくて路地裏で待っているような男だ。」
また、一家の召使いを演じる2人の黒人俳優については、「僕には、彼らが劇中で最も威厳があって、社会にうまく適応している人間に思えるね。」と、強調する。(この役は、経済的な理由でよく削られる役だ。)
「nの付く単語と児童売春について言及するところに苦労している・・・がさがさして呑み込むときノドにつっかえる薬みたいだ。」

彼は、大勢の仲間と街に繰り出したいとは思わないという。
「アフトンと一緒に出かけるんだ。彼女が僕の遊び仲間さ。」と結婚して3年になる妻のことを穏やかに話す。「みんな、彼女をスミスって呼ぶんだけど、彼女の名はアフトン・フレイザーだよ。遠い昔、彼女は女優だったが、今は、彼女のおかげで僕は演じられる。僕のプロデューサーだ。」

「十代の中頃、いろんな土地に住んでいたので、自分が一体何者なのか悩んでいた。それは辛かったよ。でも、今考えると、すべてのものに少しずつ関わらなければならないというだけのことなんだ。そして、それは俳優にとって、役に立つことだ。」
シアトルのコーニッシュ・カレッジで、サー・イアン・マッケランのビデオ<Acting Shakespeare>を観て、深い敬愛の念に陥ったという。「ラストで、彼がキャノン砲の上に手を乗せている瞬間があるんだ。僕にとって、それは聖なる儀式のようだった。」
'95年にサーが「リチャード三世」を作っているとき、フレイザーは彼に手紙を書いた。役はもらえなかったが、友情は確保できたのだった。一方では<追従>に基づいていながらも、他方では、間違いなく、美の持つ力への<尊敬>に基づいている友情だ。
2人はオスカー受賞作(脚色賞)「ゴッド and モンスター」で共演している。「出演料はあまりもらえなかったけど、映画を撮り終える頃には、イアンの<尊敬>を得たと感じた。まるで、勲章をもらったようだったね。」

「ゴッド・・・」では、土壇場で監督から全裸シーンを要求されて、拒否したフレイザー。ゲイから偶像視されるのが心配なのか?「僕は、決して、人の気持ちをくすぐってやろうとしてるんじゃないよ。でも、この劇の中では、たとえば、みんながマギーに恋してしまうかも知れない。もし、ブリックにも恋してくれたら、僕にとっても嬉しいことだ。ここで僕がやろうとしているのは、イアンが教えてくれたこと・・・あらゆる瞬間で<これが最後の演技なんだ>と思って演じること・・・なんだ。」

理想的な舞台を愛している彼だが、カレッジを出てからは、ほとんど舞台に立っていない。「Four Dogs and a Bone」という作品(ローレンス・キャスダン演出)に出たことがあるが、ハリウッドについての劇をLAの観客のために演ずるという<金魚鉢の中のような経験>を、彼は笑い飛ばす。
「あるキャラクターがスティーヴン・スピルバーグが表紙のTime誌を掲げる仕草をしたときなんか、観客の目は、スティーヴンがどういう反応をするかという方に行ってたからね。」

もしフレイザーに俳優として欠けているものがあるとすれば、<ほんとうに危険な雰囲気>といったものだろう。酔ったブリックがものすごく怒って杖を投げつける瞬間でさえ、彼は妻を打つ男というりも<歯が痛いキューピッド>のように見える。
彼になら、余計なことを考えずに子供達を預けられると思う。正直な心根が暖かな波となって彼から放たれている。中でも最も心を打つのは、6フィート3インチという彼の大柄な外見と彼の持つ優しさとのコントラストだ。
スクリーンの中では感じのいい人も、気取った態度をとるとひどくいやな感じになる。が、ここに居る彼のようにほんとうに<イイ人>というのはきわめて貴重である。
「空港で、6歳くらいの子供達が僕の足に抱きついて『ジョージ、元気〜?』って言ってくれたときなんか・・・」と彼はにこにこ顔になって、続ける。「ハートがとろけちゃったよ。」

彼は、サイコな役柄を深く掘り下げて演じてみたいとは思わないそうだ。
「観客の皆さんは、勧善懲悪的な役を演じる僕の方を受け入れてくれる。多分、僕自身が正直でいようと一生懸命だからだと思う。正しい選択をしようとするとき、言うべきことばが出てくるような感じがするんだ。つまり、『だめだ。おまえのやってることは全くの間違いだぞ。』っていうふうに。どこから出てくるのかわからないけど、確かに僕の中にあるんだよ。」

フレイザーを<筋肉のついたトム・ハンクス>だとか<エゴの無いヴァル・キルマー>というように見るのは安易だ。しかし、映画界の人気者の原則というのは、永久にベーシックで変わることがない。
「ハムナプトラ2」で、彼は、タワー・ブリッジの艀が開くときにその上を走って上がって行くよう要求された。「僕のスタントマンが言うんだ・・・『このスタントは、最後にジョン・ウエインがやって以来誰も挑戦してない』ってね。だから、今はそういうことができるっていうのが誇りなんだ。『恐くて出来ない』なんてどうして言える?恥ずかしい思いをした上で、命を危険にさらすことになるんだよ。」
彼はそういう冒険映画を観るのだろうか?「以前よりももっと観るようになったよ。大きな少年達のための大きなおもちゃだよね。楽しいけどハードな仕事だ。」

この舞台の前、彼はもう一人の<ヒーロー>であるマイケル・ケインと共演している。フレイザーはケインの書いた<映画における演技>についての本を、マッケランの独白と共に、むさぼるように読んだという。グレアム・グリーン原作の小説をフィリップ・ノイスの脚色で描いた「The Quiet American」は、インドシナ最後の日々に時代を設定したもので、フレイザー演ずるAlden Pyleは医療チームを援助する仕事をしながら<正義>を行う機会を探っていた。
サイゴンの街で撮影中、彼は、写真コピーした「tQA」の小説本を売りつけようとして来たひとりのあやしげな女性と友達になったという。
「彼女に言ったよ、『僕をよく見て顔を覚えておくといいよ。あとで僕がQuiet Americanだってわかるから。』って。そしたら、彼女『とんでもない・・・あなた、うるさ過ぎるじゃない。』だって。」と、彼はひとりで含み笑いをするが、不思議なのは、彼がその女性を家に連れて帰らなかったということだ。

「将来、子供を持ちたいと思う。妻と僕は共に、大きな幸せに溢れた未来を目指している。今、この劇に出演しているということは(僕にとって)思いがけないご馳走なんだ。」

彼は自分自身を激しくせきたてる。ロンドンへの荷物の中に彼が忍ばせたのは、「When We Were Kings」という'74にモハメッド・アリとジョージ・フォアマンとの間で行われたザイールでのボクシング・マッチを描いたDVDだ。急に思い付いて、持ってきたのだという。
「大きな力の差も乗り越えることができると言う考え方を示してくれてるんだ。」

それから、彼は、訊かれもしないのに、教えてくれた・・・アフトンがモノクロのクラッシック映画を好んでいて、ジェームズ・ディーンが大好きだということを。
「僕が家を出て行くとき、彼女は『これから、茶色の目をした大きくて強い男性とデートに行くの。彼は私が言うとおりのことをしてくれるし、口答えなんかしないのよ。』と言ってたよ。」
このライバルとは、セドリックという名の馬だとわかった。F夫人(=フレイザー夫人)は公園でよく乗っているそうだ。
「アフトンは素晴らしい。僕に愛し方を教えてくれた。でも、僕にはまだまだ遠くまで行く道が続いている。」

(上記は)若い男達がショウビズでのインタビューで言うようなことではないが、フレイザーは感傷的になることが恥ずかしいとは全く思ってない。これこそが、シニカルな映画界にあって彼が信頼を得ている原因なのだ。
「苦しんでいる女性を助け、悪いヤツをやっつけて、世界を救う」というのは、「ハムナプトラ」のヒーローが自分の仕事を要約して言ったことばだ。フレイザー自身も、これに対して声高に反対することはしないのだ。


ちらっと見える生足がぁ〜!うぐっ。





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