ブレンダンのアルバイト奮戦記!


(Detour Magazine '94 July/Augustから抜粋、及び、TVインタビューから。。。)

 シアトルのコーニッシュカレッジで演技の勉強をしている間、ブレンダンは、食べていくために、ちょっと変わったアルバイトをいくつかやっていた。が、それ以前にも奇妙な経験をしているのだ。
「新聞配達の途中で、自分の首を絞めそうになっちゃったんだ。」とその時を思い返しながら、彼は笑った。
「11歳の僕はやせたちっちゃな子供で、日曜版の朝刊を配ってたんだ。それが重いのなんの〜!朝5時に起きて用意するんだよ。新聞を入れる布の袋を背負うためには、フェンスのポストの上に乗せるしかなくて、そのポストの上で新聞を全部詰め込んでから、肩ひもの中に自分の頭を通していたんだ。・・・そしてある朝、その肩紐の後ろがパチンっと切れた!・・・使い古しの袋だったからね。色とりどりの(日曜版の)漫画が僕の靴の上に落ちてるのが見えた・・・と思ったら、紐が首の周りに食い込んできたんだ!
ほんとうに、目の前に星がチカチカ見えてきたよ〜。
その時、思ったものさ。『僕はまだ子供なんだ。こんなことが起こるはずないよ!月にたった85ドル稼いでいるだけじゃないか!』ってね。」



「で、またある年にはクリスマス・ツリーの飾り付けもやったよ。」
「雨の中、二日間、シアトル大学のキャンパスにある185フィートのセコイアの木の中で過ごしたんだ。安全帯など何も着けずに、起重機の棒なんかも動かしてた。
仕事が欲しかった。・・・僕が所属していた劇場での見習い期間が終わったところだったんだ。ほんとにヘンな話なんだが、僕は、新聞を読んで電話をして、自分から出かけて行って雇ってもらったんだよ!自分の社会保険番号を(書類に)書き入れながら思った・・・学位を取ったぞ!って。」



「ボブ・シーガーのコンサートでは、テーブルの間を行ったり来たりしてるうちにヘルニアになっちゃった。」
「ヘルス・エンジェルス(=バイク集団の名称)の人達でいっぱいの二つのテーブルを受け持ってた僕は、そこに付きっきりだったよ。儲かるかどうかあてにならなかったけど、僕が働いていたレストランがケータリングすることになってね。50ドル払えば、食事とコンサートを楽しめる・・・っていうことだった。初めはバスを運転するだけだと思ってたんだ。そしたら、人手が足りなくなったっていうんで、気が付いたらテーブルに付いてウェイターをやらされてたよ。僕の担当した二つのテーブルには、カラダのでかい太った男達が、狂暴な顔付きをしたスゴイ女性達と一緒にすわってた。食事はまずかったし、全部がヒドいもんだった。みんな、コンサートが終わる頃にはかなり混乱していたね。あれも、時給6ドル、一夜限りのアルバイトのひとつだった。ろくな仕事じゃなかったよ!」



また、バースディケーキを直接本人に届ける・・・というバイトもしたという。
「右手に風船を持って、左手でケーキを抱えて運ぶんだ。あるビルの中に入って、エレベーターに乗ってるうちにだんだん人が増えてきて、左手と右手がくっついて来た・・・そうするうちに、キャンドルの火が風船に近づいて、風船が破裂しちゃったんだ!周りの人の頭の上に、割れた風船がまるでケーキのアイシングみたいに降り注いで・・・そりゃあ、もう、冷や汗ものだった。でも、仕方なく、そのまま、依頼人の秘書に『ハッピー・バースディ!』って言ってケーキと風船の残骸を手渡したよ。・・・あ、もう言ったっけ?・・・僕が即クビになったこと。(笑)それでも時給6ドル75セント、自分で稼いだんだ!」



<この他にもまだたくさんの種類のバイトを経験したようですね。
ほんとに、自分で働いて食べていくのって大変なんだな〜。
でも、そういう苦労話さえ、ブレンダンが明るく語ると、とても楽しい思い出話に聞こえてくるから不思議ですよね!>






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