<jaxさんのlong review>



リリカル・Lyric♪・・・歴史の重み感じますぅ



Lyric Theatreは細長い劇場で、客席は4段階に分かれており、一番上の階の席で舞台上の動きを観るためには、ハッブル天体望遠鏡(あるいは、少なくともオペラグラス)の助けが必要である。その一方で、一階前方の一番良い席の近くに座ると、まるで、自分がBig Daddyのバースディパーティの(見えない)ゲストになったような気分になる。
客席に着くと、ステージを隠すカーテンは無い。

表でベルが二度鳴ったので、場内に駆け込む。
舞台のセット・・・ブリックのベッドルームに入るのに2分とかからなかった。
即座に痛感したのは、「なんてステージが近いんだろう!」ということ。最前列なら、飲み物をステージの端に置いても、あまり手を伸ばさずに取り戻すことができそうなくらいだ。
次に思ったことは、セットがとても美しく装飾されていたこと!
白いベッドカバーと枕の置かれた、がっしりした木製のベッド。白いよろい戸、白く塗られたバルコニーに通じるフランス窓(=観音開きのガラスドア)。ベッドの上にはモスリンの天蓋が掛かっていて・・・すべてがクールで新鮮だ。椅子は柳編み細工だが、そばに、淡い緑色の錦織りが施されたシェーズロング(=一方に背もたれ・ひじかけのついた長椅子)もある。
向こう側の壁には'50年代の型のラジオ・テレビのキャビネットがあり、その上にガラスのトレイや飲み物の瓶、アイスペールが置いてある。

そして、マギー(=フランセス・オコナー)が登場。スレンダーでダークヘア、美しい女性だが、不安気な様子である。グリーンのドレスを着ていた彼女、ファスナーを降ろしてすばやく脱ぐと、白いシルクのスリップ一枚になる。ドレスにシミが付いて取れないと言って怒っている。ひっきりなしにしゃべっているのは、義理の兄の<首無しお化け達>=子供達のことだ。「なんてしつけの悪い子達なの!」
へやの中には彼女の他に誰もいない。しゃべり続けながら、彼女の視線はステージの右手奥にあるドアに、じっと注がれている。ガラスのパネルが水蒸気で曇っている。彼女が呼びかけると、深い声音が返ってくる。彼女は夫に話しかけていて、その夫はシャワーを浴びているのに違いないのだということがわかる。

ドアが開き、夫のブリック(=ブレンダン・フレイザー)が片足跳びで出てくる。とても背が高く、肩幅が広いが、青白い顔色をしている。明るいブラウンの髪は当時流行っていたスタイルで、白いトランクスを履いているだけ。首にタオルを掛けている。
彼はベッドに座り、左足首のギブスを覆っていたプラスティックの袋を剥がす。
マギーはとりとめもなくしゃべることをやめて、話題を彼のケガのことに移す。彼は、前夜、競技場のトラックに出て、酔っぱらっていたのに、一人でハードルを跳んでいた。そして、ぶざまに転んで足首を折ったのだ。彼女はブリックの愚行を口やかましくとがめるが、彼女が何を言おうと、ブリックはほとんど聴いていない。

第一幕はゆっくり展開するので、マギーが必死になって夫とコミュニケーションをとろうとしているのがわかる。ブリックはマギーに対して、うんざりしてる様子と無関心な様子を交互に繰り返している。ある時は、彼女が話してる間、口笛を吹き出す。またある時は、彼女に「私の言うことに賛成してくれる?」と訊かれて、純真無垢な眼差しをちらっと投げかけながら、「何か言ったか?、マギー」と、もの憂げに答えたりする。

マギーは、子沢山の義理の姉とその子供達に対して、あからさまなイヤミを言う。
「この間、婦人科の医者に診てもらったけど、私だって望む時に妊娠できるはずだって言ってたわ」と、ブリックに悲しげな声で説明するマギー。彼女はまだまだ魅力的ではないか?体型だってスレンダーなままだ。まあ、ときどき顔が少しこわばって見えるかもしれないけれど、男達は彼女に注目するのだ・・・なぜブリックは他の男達のように彼女を見ないのだろう?

マギーがブリックを追いつめたり、ケンカになるような質問をしたりすると、彼は松葉杖をついて立ち上がり、酒のおかわりを注ぎに行く。彼は、長椅子とベッドと酒を置いてあるキャビネットという三点の間を動きまわる。まるで、休むのに居心地のいい場所を捜してうろうろしている、落ち着きのない動物のようだ。
マギーがひっきりなくしゃべっているから、ほんの短い間<心の平和>を見つけても、そこからぐいっと引き戻されてしまうのだ。

さらに、体のサイズとは対照的に、彼の声は静かで陽気な調子があり、穏やかでゆっくりとした南部訛りである。・・・やがて、マギーが、ブリックの友人であり、アメフトをやっていたころのチームメイトであるスキッパーのことを話題に挙げる。
突然、それまでのけだるい様子から一転して、ブリックは恐ろしいまでの怒りを爆発させる。マギーを脅すが、彼女は黙らない。賢い女なら危険なラインを越えてしまったことがわかるだろう。が、マギーは自分に無関心な男と共に生活していて、明らかにかなりのフラストレーションを溜めていたので、彼女にとっては、どんなリアクションであれ、良い反応だということになるのだ。彼女は、スキッパーと自分との情事について言及し、ブリックを扇動し続ける。
ついに、ブリックは追いつめられて、腕を引き、松葉杖を彼女めがけて槍のように投げる。杖は逸れてベッドに当たり、ちょうどその時、<首無しお化け>の一人が部屋に入ってくる・・・。

・・・Big Daddyの65回目の誕生日。ディナーの後、皆がブリックの寝室に集まってお祝いをすることになっている。彼の足のケガを考えてのことだ。Big Mammaが入ってくる。マギーの汚れたドレスのことを大げさに騒ぎ立て、「Big Daddyがガンではないかということで受けた検査の結果が陰性だったので、ほっとした」と言ってははしゃいでいる。

Big Daddyは28,000エイカーの大農園を所有し、それを相続すべく2人の息子・・・ブリックとグーパー・・・がいる。グーパーと彼の妻メイはその財産を手に入れるのに必死で、次々と果てしなく孫を作り続けることで、自分達の要求をより強固なものにしようとしている。
これが、マギーのフラストレーションを溜める、もうひとつの原因だった。グーパー夫妻は、ブリックの相続分を彼の目の前でかすめ取ろうと計画してるのに、マギーはそのことをブリックにわからせることができない。彼は、ただ、現実的なことを気に懸けていないだけなのだ。自分だけの苦しみの世界に迷い込み、頭の中で<カチッ>という音を聞くまで酒を呑まなければならない。そうすることで、再び同じことの繰り返しが始まるまでは、眠って忘れることができるのだ。

第二幕、Big Daddyは、ますます酔ってきているブリックに、「話しがしたい」と言う。ついに<衝突>が起こる。ありのままの感情を力一杯さらけ出すうちに、Big Daddyはブリックの杖をたたき落として奪い、「なぜアルコール中毒になってしまったのか説明しろ」と迫る。
ブリックは、大きな体なのに、どうすることもできずに床に倒れ、大の字になって助けを求める。
やがて、答える替わりに酒をもう一杯もらえるという約束につられて、彼は、「僕がアルコール中毒になったのは、うんざりしてることがあるからだ」と認める。だが、それは、彼の父が期待している答えではない・・・。

第三幕、Big Mammaは、夫のガンが手術不可能であり、余命も少ないことを教えられる。それが自分には受け入れがたいことだとわかった彼女は、ついに、生まれついての南部女の強さを露呈する・・・Big Daddyの死をあらかじめ予想して弁護士であるグーパーが用意してあった書類に、一切サインしないと主張することで。
彼女は、Big Daddyが残された時間を全て楽しむことができるようにしてあげるつもりなのだ。「でもね・・・」と彼女はマギーに言う。「おじいちゃんが一番喜ぶのは、あんたとブリックに子供ができることなんだよ。」
マギーは、動きの取れない辛い立場に立たされて、ブリックをちらっと見る。そして、出し抜けに「もう妊娠してるのよ」と言い出す。(このとき)ブリックの顔に浮かんだ表情がとてもおもしろい。

グーパーとメイは、執念深く舞台後方に陣取っていたが、Big Mammaが部屋を去っていく時、マギーのことを嘘つきだと責め立てる。ブリックについても、不能のアル中で妻を抱こうともしないし、彼女とベッドへ行くよりも長椅子で寝ているのだと非難する。
ここで、初めて、ブリックがマギーを公然とかばう。
「あんた達が壁に耳を付けて聴いているときに、俺達の声が聞こえないからといって、俺達夫婦が<静かに愛し合えるはずがない>ってことにはならないよ。」

やがて二人きりになって、ブリックは枕を長椅子の上に置く。マギーはそれを奪い取ってベッドに戻し、飲み物の置いてある戸棚のところに走って行く。そして、ボトルをすべて引っぱり出すと、それを持ってバルコニーへ出て、端から土手に向かってボトルを投げつける。
ブリックは苦しんで大声を上げる・・・だが、彼女は言う。「これでおしまい。もう、お酒はダメよ。」
召使い達は、もうお酒を買って来ないように言いつけられている。ブリックは車の免許を失くしてるので、自分で店に買いに行くこともできない。
彼女は彼に「子供が欲しい」と懇願する。・・・もし彼女の望む<たったひとつの小さなこと>を彼がしてくれるなら、「あとで一緒に呑んであげてもいい」とさえ言う。
彼女は彼のほほに手を置き、彼は体を反らせる。・・・そして、二人がそこに座ったまま、明かりが完全に消える。

「熱でもあるの?」 「うん、寒気がするんだ・・・」・・・などと言ってるわけがない(^^;)



この劇は、キャストと観衆の双方にとって、長い、消耗する作品である。感情は高ぶり、絶望の深みから豊富なユーモアへと押し流される。
ネッド・ビーティはBig Daddyそのもの。背は低く丸々と太ってはいるが、大きな声で、鋼のように強い気骨があり、ホンモノの力強さを示している。彼は怒鳴り散らし、つばを吐き、叫ぶ。時折、脇腹を掴む仕草をするので、彼の体の中に悪いところがあるのがわかる。彼は人間であり、か弱い存在でもあるのだ。

ジェンマ・ジョーンズは素晴らしいBig Mammaである。すてきなドレスを着て、ダイアモンドや真珠で身を飾っている。元気があって愛情に溢れ、力強い、ずけずけと物を言う女性である。真の女家長・・・ただ家族にとって最善のことを望む・・・の姿を体現している。
彼女はブリックを抱きしめて「小さな頃のおまえ、どんなにかわいかったことか!今までもこれからも、おまえは私のかわいい坊やだよ。」と言う。このとき二人の間に通う暖かさは、明らかに真実である。

グーパーとメイ(クライヴ・カーターとアビゲイル・マッカーン)は、<貪欲グーパー>と作り笑いの妻メイとして、真に迫った演技で笑わせてくれる。彼らの子供達は、そんなつもりでないことは確かなのだが、吐き気を催させるほど<かわいい>(!)。

フランセス・オコーナー・・・彼女こそマギー!共感を持ちにくい役柄なので、難しい。厚かましく、不安げで、第一にあまりにもしゃべりすぎるし、見た目にも追いつめられて、欲求不満が溜まって、いらいらしている。夫を愛しているのに、いつも彼を怒らせてばかりいる。
彼女は<熱いトタン屋根の上に居る猫>
ゆっくりと歩いては弁解するが、<そこ>から跳び降りることが出来ない。そんな彼女に、ブリックは「跳び降りればいいじゃないか」と、何気なく提案するのだが。
彼女は、優しさと憤激と思慕を込めて、ブリックを見つめる。彼と共に居るだけで、自分への無関心に傷つき、辛い思いをするのに・・・。
それでも、彼女は、正直にも、「この家に居るのは、子供の頃貧しかったせい。お下がりの服を着る生活に戻りたくないからよ。」と認める。
物語が進んでいくうちに、彼女の態度は変わる。ブリックが兄とその妻に対抗するのを助ける時には、穏やかになり、かなり共感できるキャラクターになってくるのだ。ラストになると、私達観客は完全にマギーの肩を持つようになり、すべて彼女の思うようになればいいと願う。

ブレンダン・フレイザー。。。どこから始めたらいいかしら?
イギリスでは、多くのジャーナリストが彼の名前を書くとき、<「ハムナプトラ」のスター>というレッテルを付け加える。まるで、彼を知ってる人が少ないとでも思っているようだ。悲しいけれど、これが現実。
ブリック役をやることで、ショービズ界のライター達がこの<レッテル>を外してくれて、彼の名前だけで評価されるようになってくれることを望みたい。

彼は、肉体的にブリック役には完璧である。
元スポーツマンで、引退してテレビのスポーツアナウンサーになったことで少し柔らかな感じになったが、まだ体の線は崩れていない。
ハンサムで、少年の面影を残した無邪気な顔は、時に、重い厭世感の中に陥ってしまう。
ほとんどの間は穏やかに話すのだが、家族の面々に扇動されて、いったん我慢の限度を越えてしまうと、深く力強い怒鳴り声をあげ、それは通りを二つ越えたところにある家の窓を震わせるほどである。

注:ブリックの兄グーパー役のクライヴ・カーターは、体格、顔の作り、ヘアスタイルで、確かにブレンダンと似ている。これはキャスティングがすぐれているのだと思う。これによって、二人が遺伝的に関係があるという事実に、より真実味が加わる。

私には、ブリックが特別に弱々しい存在に見えるのだが、それは、彼が、劇中ちゃんとした服を着ないでいるからだ。
マギーが着替えなければならない短い時間は別として、他の誰もが晴れ着姿である。男性はスーツにタイ。女性は高価なドレスに、イヤリングやネックレス。
そして、ブリックはといえば、シルクのパジャマで裸足。自分の寝室で人々を歓待する姿は、病院で見舞客を待っている患者と似ている。そう、彼は患者なのだ。身体的に不自由である。
実は、彼は、自分が感情的にも不自由であることを認める必要があるのだ。助けを求めて得られるようになる前に・・・。

誰だってセリフを覚えることはできる。私達のほとんどがそれを言うこともできるだろう・・・だが、ブレンダンがやるように、真に迫ってニュアンスや緻密さを加えてしゃべるということは、特別で希な才能である。
立ち上がる度に、ちょっとたじろいでみせる。まるで、そうするのに大変な力を使っているかのようだ。ほんの少し眉をしかめて、ほとんど聞こえない声でつぶやく。
よろよろ歩くので、観ている方は思わず息を止める・・・ふ〜・・・大丈夫。
腕の下には杖。そして、おなじみの三角形・・・酒を置いてあるトレイとベッドと椅子・・・のコースへと向かう。

舞台の一方から他方へ、ギプスの足を見事に操りながらよろめき歩くブレンダンを観ていると、セリフや動きを忘れずに同時に杖を使うなんて、果たして誰にでもできることなのだろうか?と不思議に思わずにはいられない。
ある意味で、(一度にたくさんのことをやる)<ジャグリング>のひとつの典型なのだと思う。
それに、ブレンダンが片足を引きずって演技しなければならなかったのは、今回が初めてではない。

ブレンダンが俳優として人にアピールするものの一部に、彼がキャラクターに扮するときのやり方がある。まるで、衣装の置いてあるトレーラーに行ってポリエチレンに包まれたペルソナ(モンティだったりクレイだったりリックだったりする・・・)を選ぶだけのことだというふうに、役に入り込むのだ。
私達の多くが、ブレンダンの作品に興味を持ち始める最初の段階で、きっとはっきりと気付いていたと思う・・・何か他のブレンダン・フレイザー出演作を、彼が主役だということを知らずに観たことがあるということに。
ライトがゆっくりと明るくなり、彼に当たる・・・これが、大学生やダメ男や庭師や外人部隊の傭兵を演じた人と同じ男なの・・・?

上演が終わり、キャストがお辞儀をしに出てくる。ブレンダンは、ブレンダン自身に戻っている。まるでヘビが脱皮したように、<ブリック>を脱ぎ捨ててきたのだ。
彼の微笑みは、ブリックの時とは違う。リラックスした様子だ。顔に浮かんだ表情は、一種、子供じみた喜びに溢れている。彼の瞳には光が宿っていた。それは、酔ったブリックのどんよりとした目の膜を通しては見えなかったものだ。

彼を見れば、公演の成功を心から喜んでいるのがわかるはず。仲間の俳優達に対する寛大な態度、アメリカの大スターとして舞台の中央に居るのに当惑している様子も・・・。なにしろ、彼は、一歩下がって、観客と残りのキャストの間を身振りで取り持ち続けているのだから。
ブレンダンは、ただ、<チーム>の一員として認められたいだけなのだ。
人は、私が自分の都合のいいように解釈してると言うかもしれない。確かに、それも公正な意見だ。それでも私は断言する・・・「この劇は君一人で成り立っている」とどんなに言われても、ブレンダンはひどく気詰まりに思うだろうと。

ハリウッドを6ヶ月間離れて、その後にも何も出演予定作が無いというのは、勇敢なやり方だ。
「ハムナプトラ2」の成功に続き、(ブレンダンもきっとそう思っているに違いない)大いなる期待作「The Quiet American」の公開まで待つ必要があるのだから、続編や、それに続く第三作への出演を決めるのは簡単なことだったろう。しかし、それはリスクを伴うものではない。「この作品が当たったから、もう一本作ろう」というのは、映画を作るときのお決まりのやり方なのだ。

ホンモノの俳優というのは<演技>しなければならない。それは、彼の血の中にあり、DNAの一部なのだ。
これほど重みのある劇に出演し、ウェストエンドの舞台批評で必ずランク付けされると同時に宣伝もしてもらえる・・・これも同じ様に<安易な選択>のように思えるかもしれない。
だが、そこには、<世界の演劇批評>というクリアしなければならないハードルが、まだあるのだ。
私達、ブレンダンを信じている者たちは、皆、経験から得た勘で飛行機を操縦している。
そして、潜在意識の中で望んでいる・・・報道関係者にこの舞台を見てもらい、他の誰もが観ているもの=<ますます成長して行く、驚くほど才能のある俳優>=を目撃して欲しいと。





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