(The Star com.インタビューより)
カナダ育ちのブレンダン・フレイザーは、かっこいい映画スターのイメージに相反し、ロンドンのウエストエンドの舞台に立つ。
:Richard Ouzounian (演劇評論家)
ロンドン---
ブレンダン・フレイザーについては、見える部分が必ずしも(すべて)理解できるわけではない。
そう、Sunflower Cafeに大股で歩いて入って来た6フィート3インチのハンサムな男性は、スクリーンの中よりも実生活での方が堂々としていて、人目を引くのだ。彼は、大きな青い目でまっすぐに相手を見通し、要塞でも築けそうなくらいの堅い握手をする。そして、トレードマークでもあるもじゃもじゃのブラウンヘアが額にかかって、32歳という年齢よりも彼を若く見せる。
彼は、ミッドナイトブルーの綱編みタートルネックセーターを着ており、彼よりもずっと背の低い人のためのテーブルに座ると、平然とした様子で朗らかな雰囲気を漂わせる。まるで、兄弟の一人と遅い朝食を楽しんでる大学生のようだ。
彼は、今や映画一本で1,100万ドルのギャラを貰う、“ハムナプトラ2”などの大ヒット作の主演スターなのだ。だが、なかなかそうは見えない。
そして、現在出演中の“熱いトタン屋根の猫”の舞台は、イギリスの批評家達から絶賛を浴び、アメリカの同時テロ事件以来かなり打撃を受けている他の作品とは異なり、興行的にも堅実な成績をあげている。
そういう彼の現状からして、私はてっきり、彼も典型的なハリウッドスター・・・どんな話題にも、あらかじめ用意されたコメントを述べる・・・なのではないかと予想していた。
ところが、Jamie(The Naked Chef)Oliverお気に入りのたまり場=切手の大きさほどの小さなカフェで、私が一対一で会っているのは、率直で、よく話す、古い決まり事なんて気にしないような男なのだ。
「ここ、好きなんだ」にやっと笑いながら、フレイザーは言う。
「僕のことをわかってくれてるし、とてもおいしいポーチド・エッグを作ってくれるんだ。」
彼が高く評価する卵料理ができるのを待っている間に、アメリカ生まれでカナダ育ちの彼に訊いてみた。なぜ、ロンドンの舞台に出ることになったのか?
一瞬考えてから、彼は言った。
「実は、今回決心したことは、もう何十年も前、ヨーロッパに住んでいる頃からのものなんだ。僕の父はカナダの観光局に勤めていて、しばらくオランダに駐在していた。」
思い出しながら、彼は含み笑いをする。
「カナダのオタワに住んでる時は典型的なテレビっ子だったんだけど、オランダに引っ越してみたら、驚いたのなんの!夜二時間だけ字幕付きのBBCの放送があるだけで、それ以外はTVから英語が流れないんだ。10代になる前は、そんなふうにして育った。かといって、ずっとTVの前に座って時間を過ごしたワケじゃなく、友達も多い方ではなかったね。
だから、僕は(ひとりでしゃべる)ストーリーテラーになった。
そして、家族でロンドンを訪れるたびに、必ず何かの劇を観ていたね・・・“オリバー”とか“ジーザス・クライスト・スーパースター”とか“ねずみ捕り”なんかを。
自分が、こういう劇にすごく惹かれてたのがわかったよ。」
彼はこの自分の夢を両親に伝えたのだろうか?
「とんでもない。他の誰にだって(両親には)告げさせなかっただろうね。想像してみてよ・・・そんな決心をするなんて、大胆で厚かましいことなんだから。」
まあ、多分そのとおりなんだろう。
が、(家族がシアトル近郊に越してからすぐ)8年生のフレイザーが“英国戦艦Pinafore”という劇でコーコラン船長を演じて大喝采を浴びた時には、疑われたりしなかったのだろうか?・・・と誰もが思うに違いない。
この時は、為す術もなくマントにからまってしまって、観客の大笑いを買う結果に終わった彼なのだが・・・。
「いや」と、フレイザー。
「Upper Canada Collegeに入ってからも演劇は続けていたんだが、みんな、ただの部活動くらいにしか思ってなかったようだ。」
Upper Canada Collegeは、トロントにある私立の男子寄宿学校で、フレイザーは'82〜'86年の間、家を離れた寄宿生として過ごした。
この学校での年月は、まだ、強く・・・いくらか矛盾があるとしても・・・彼の記憶の中に残っている。
「あそこでは、実に多くのものが提供された。」と、彼はきっぱりとした調子で話し始めた。
「僕自身楽しんでいたし、雰囲気全体が好きだった。何か興味の湧くものがあった場合、自分から率先する気持ちさえ表せば、それを探求することができたんだ。」
だが、その学校でのことを考えてるうちに、彼の顔が幾分曇った。オレンジジュースをひと口飲んで、また考えている。
「<準備のための学校=preparatory school>だというけど、何の準備なのか?生きていくための?・・・在学していた頃にはわからなかったけど、あの<隔離された環境>から出たときには、世界が何を僕に与えてくれようとしているのかよくわかったんだ。」
さらに彼は思いに沈む。
「同じ年代の者達(だけの狭い)世界で長い間過ごすということが、いいことだったのか悪いことだったのか僕にはわからない。僕に子供ができたら、あんな環境へ送り込んでいいものかどうかも・・・。
だって、あの学校には二種類の子供達がいたんだよ。お金を持っている者と持っていない者・・・僕は持っていない方のひとりだったけどね。」
「子供同志はとてもうまくいっていたよ。でも、親同志になると、経済的・社会的な違いといったものが見え始めてくるんだ。そう・・・大人になると、ちょっとややこしいことになるんだろうね。」
ポーチドエッグがテーブルに届き、彼はほんとうにおいしそうに食べる。
「Upper Canada Collegeを卒業したのは、いつ?」と訊いてみると、彼は手を止めて、ナイフとフォークを置いた。
「卒業はしてないんだ。12年生が終わった時、父が職を変えた。で、率直に言うと、僕を(学校に)送り返すためのお金が無くなったんだ。」
突然、彼は17歳の少年に戻る。
「お金の無い学生が帰って来るのを受け入れるほど、学校は寛大じゃなかったからね。僕はほんのちょっと、ほんとに少しだけ、苦い思いを味わったけどね。」
というわけで、彼は一年早くシアトルに戻り、大学に入って演劇の学士号を獲って、1991年にはカリフォルニアに向かっていた。
「地理的なことも運命と結びついていたというか、僕は一ヶ月ほどロスアンジェルスの友達のところに泊めてもらってたんだ。どうしても映画に出たいって思ってたわけじゃない。ただ、何か仕事に就いて少しばかりお金を稼いで、大学時代の借金を返せたらいいなあって思ってた。」
彼はその通りのことをした。一年も経たないうちに、TVムービーに出演し、“青春の輝き”という映画で初めての大役を得た。名門の寄宿学校に入った一人のアウトサイダー(彼の人生そのものだと言える)の役だ。
また、“原始のマン”では、腰蓑ひとつの格好でポーリー・ショアを<喰って>しまった。
その後数年間は浮き沈みがあったものの、1997年、思いもかけず、彼は大ヤマを当てる。
再び半裸になって主役を演じた“ジャングル・ジョージ”は、彼の出演作のなかで初めて興収一億ドルを越える大ヒットとなった。
そして一方では、“ゴッド and モンスター”で悩める若者を繊細に演じたことで、彼は、注目に値する俳優だということを証明してみせたのだ。
私生活でも、1998年にアフトン・スミスと結婚して上昇気運に乗った。
そして、“ハムナプトラ/失われた砂漠の都”と“ハムナプトラ2/黄金のピラミッド”が続く。
この2本は、“ダドリーの大冒険”“悪いことしましョ!”“モンキーボーン”などの(期待はずれの)結果を補って余りある大ヒットを飛ばしている。
「ねえ・・・」フレイザーは、卵の黄身をふき取りながら、片目をきらりと光らせて言う。
「8,500万ドルものお金を懸けた<芸術映画>なんて、そうそう作れるものじゃないよね!僕は、あの好色で悪いことばっかりやってたモンキーボーンのことが、未だに気にかかってるんだ。ろくでもないヤツだったけど、僕はほんとうに好きだったんだよ。あいつは<矛盾のかたまり>だったね。」
いかにもフレイザーらしい・・・というか、彼は、マッチョな役柄で興収目当ての映画と、より多くの芸術的な作品とに交互に出演している。
“The Twilight Of The Golds”“ゴッド and モンスター”そして今回の“熱いトタン屋根の猫”で、明らかな同性愛者や性的嗜好に対して葛藤を抱いている者などを演じてきた彼。
観客に向かって「僕をタイプキャスト(=同じ型の役にはめること)しないでくれ。」と言っているのだろうか?
「違うよ」彼は、穏やかに、しかし強い調子で言う。
「僕自身に向かって言ってるんだ。僕は、仕事に対しての興味や新鮮な思いを保ち続ける方法を見つけようと努めている。それは、いろいろと異なった作品を選ぶということなんだ。テネシー・ウィリアムズが言ってたように『人生には答えの出ない問題もある。』ってね。」
と、彼がうつむいた時、突然、私は彼の魅力のヒミツを垣間見た。
どんな役柄を演じていても、そこには必ず彼自身の一部が反映されているのだ。
公開待機中の次作“The Quiet American”は、ベトナムについて書かれたグレアム・グリーンの小説を脚色したもので、彼はマイケル・ケインと共演している。
これは以前(1958年)にも映画化されているが、誰もがフレイザーに「オリジナル作品を観ないように」と言った。
「君のやった役はオーディ・マーフィが演じたんだよ。」と、驚くほどうまくマイケル・ケインの声を真似ながら、フレイザーは言う。
「彼はとても勇敢な兵士だったが、非常に臆病な俳優でもあった。」
9フィートのミイラに立ち向かうには、勇気が要るのだろうか?
「そんなことないよ。」と、コーヒーの最後のひと口を飲みながら、フレイザーは鼻息も荒く語る。
「走って、銃を撃ってればいいんだ。演技するのを忘れることだ。監督のスティーヴン・ソマーズは、一つのテイクを撮る前に必ず僕にこう言ってた。『ドジるなよ、死ぬんじゃないぞ、アクション!』」
だが、予想どおりに大笑いした後、彼は調子を変えて前屈みの姿勢になり、結論を言った。
「何をするにしても、『これが最後だ』って思ってやることだね。だって、ほら、ほんとうにそうなるかもしれないだろう?世の中には不確かなことが多すぎるよね。」
私は、最後に彼をひと目観てみる。
外面は<あこがれの男性像>で、その下には<シリアスな俳優>の顔がある。
しかし、その本当の姿とは、寄宿学校を決して卒業しない男の子なのだ。
彼は私をドアまで送ってくれて、私がホテルに帰る道を知ってることを確認してから、真昼のロンドンの往来へと消えて行く。
フレイザーはビルから立ち去ってしまった。
<<一部省略しました>>