「新しい時代の新しい基本的センスの確立」の最低3条件


1.事実をありのままに認め、「幻想、錯覚、妄想」を削ぎ落としませんか。

古いものを大事にすることと「幻想、錯覚、妄想」に基づくマンネリ(慣性状態)から脱出することは全く別の事柄です。

A・人間は万物の霊長・・・・・複雑怪奇な幻想、錯覚、妄想

B・人間は万物の殺し屋、壊し屋・・・・・・単純明快な事実

通常人々は「人間は万物の霊長」とその言葉を意識して生活しているわけではありませんが、殆どの人は潜在意識にしっかり持っています。ヒト類500万年といわれる流れの過程でこの潜在意識は、少なくとも数千年前までに「ヒトの思考システム」に定着していました。地中海東岸のあたりで紀元前2000年以上前に成立した宗教には、神を除いて「人間は万物の霊長」をも内容とする教義が確立していました。その宗教はますます発展しました。そうこうする内に学問で生物を分類する都合上、ヒトを「霊長」類に含めました。それはそれでかまわないのですが、こんなこともあってこともあろうに「人間は万物の霊長」意識が言葉として確立しました。このため、人間のもともと持っていた「幻想、錯覚、妄想」がいっそうエスカレートするようになりました。いわゆる「環境問題」の発生もそのことを証明しています。

「ヒトの思考システム」も宇宙が物質のありようの一つとして生み出したものです。その延長としての人間の営み(人工)も立派な自然現象です。人工とは、「ヒトが万物を殺し、地球の至るところを傷つけ壊して止むことの無い営み」です。

ひとまずの カオスの向かうバランスの 一つの(さま)なりDNAは

(短歌雑誌=みぎわ 主宰:上野久雄氏 1999.6月号分・筆者投稿採録

あやしかな「自然破壊」の 言葉あり ヒトは自然と別格なるや

(短歌雑誌・みぎわ1999.6月号p46被採録・筆者投稿)

霊長意識が差別意識、すべての差別の発生源です。霊長意識はもろもろの事実をそらして身内の人類を含む地球上のすべてに対する差別に直行・直結しています。これは人間の親のその子に対する差別までに行き着いています。

「幻想、錯覚、妄想」は、もともと「ヒトのDNA:遺伝子」が進化の過程で「ヒトの思考システム」にインプットしたものです。ヒトは死後のことも考えるように進化しました。こんにちでは、宇宙ステーションまたは太陽系のどこかへ移住したとしても太陽が燃え尽きると言われている50億年後、あるいはそれ以前に起こる可能性の決して低くない核戦争、または天変地異による人類絶滅ののちについても考えるようになりました。人類絶滅ののちいったい誰が、なにが個々の人間や人類の存在したこと、またそれらの意義を認め、評価してくれるのか、とまで考えるようになりました。

異星人がやって来るかも知れない! まあそれは期待しないほうがよさそうだ、となると地球に人類が存在していることは何なのか? 存在したことは何だったのか!?

さて、「ヒトのDNA:遺伝子」としてはこれは都合がわるい、ヒトがこの「むなしさ」をはっきり認識すると、「ヒトのDNA:遺伝子のリレーマシン」としてのヒト類の活力、生命力、繁殖力が低下してしまい、「ヒトのDNA:遺伝子」のより恒久的存続にとって大きなマイナスになってしまう。だからこの「むなしさ」をリレーマシンとしてのヒトができるだけ意識しないようにまた考えないようにした方が良い。それではということで「ヒトのDNA:遺伝子」が進化の過程で「ヒトの思考システム」に組み込んだのが、肝心の事実からは離れるための「幻想、錯覚、妄想」のメニューです。

本質は 身も(ふた)も無きこと多し 夢・幻の 無くて人無し

(短歌雑誌・みぎわ2000.1月号p55被採録・筆者投稿)

寅さんは「それを言っちゃーと」肝心に

顔をそむけ 去りて行きたり

(同前1999.9月号p49被採録・筆者投稿)

ヒト類は 認めたくなし ヒト類も DNAのリレーマシンと

(同前1999.6月号p46被採録・筆者投稿)

そのメニューでヒトは、生き甲斐、張り合い、希望に溢れて活性化し、繰り返された大量殺戮、天災などを乗り越えて今では地球上に60億人を数えるようになりました。

気に病むな 六十億に到りけり 地球人口は 増えに増えてる

(同前2000.2月号p50被採録・筆者投稿)

「幻想、錯覚、妄想」メニューの中身は無数と言っていいくらい有りますがその中で最大かつ最悪のものは、前記(2頁)の1.A・「人間は万物の霊長」です。

事実は、前記(2頁)の「1.B・人間は万物の殺し屋、壊し屋」です。

人間は、地球上のどの生命体よりも他の生命体を毎日殺しています。それではまだ足りず栽培、培養、養殖、飼育、バイテク(バイオテクノロジー)増殖までして殺しに精出しています。また、生命体の一つでもある地球の至る所を大気圏も含めてこれも日々傷つけ、壊しています。

「人間のやさしさ」とはいったいなんでしょう?

でもこれは人間の責任ではありません。

「ヒトのDNA:遺伝子」がそうさせているのです。これは、「ヒトのDNA:遺伝子」が自身のより恒久的な生存のため、進化の過程で「ヒトのDNA:遺伝子」にインプットしたプログラムでそうなっているのです。

現在地球に存在するすべての「DNA:遺伝子」は最初からですと既に35億年生きていると言われています。一方寿命が高々100年そこそこの「ヒトのDNA:遺伝子のリレーマシン(運び屋)」としてのヒトはそうしなければ生きてはいけないようにプログラムされているのです。ヒト類が、宇宙の営みに注文したからそうなったのではありません。気がついたらそうなっていたのです。

これも事実です。

「ヒトのDNA:遺伝子の単なるロボット、リレーマシン」としてのヒトではなく「人間」を自称するのであれば「人間は万物の最たる殺し屋、地球の最たる壊し屋」という事実をすなおに認めてすべてに対して謙虚に対応した方が良いのです。

ヒトがどれだけ「殺し、壊し」の「人工」をやっても、それでいくら思い上がっても、ヒトも自然の一部、物質の運動形態の一つに過ぎません。

そのヒトが、人間の問題をより効率的に改善・解決していくためには、なによりも「謙虚に事実からスタートすることが肝心」です。その第一歩は「人間は万物の霊長」という「幻想、錯覚、妄想」を人間の意識から「ヒトのDNA:遺伝子」に反逆して意識的に削ぎ落とすことです。

地球上の生命体としてのヒトが人間として生きて行こうとするのであればここで必要となるのは、ヒトが「ヒトのDNA:遺伝子」とその一部分である「思考システムのプログラム」にもっとさらに反逆することです。そのロボットで有り続けることを拒否することです。

すでに反逆は始まっています。人類はバイテクをさまざまに発展させています。それよりずっと昔から去勢、避妊、妊娠中絶、自殺なども実行しています。でもこれらは反逆ではないかも知れません。これらは「ヒトのDNA:遺伝子」が「ヒトの思考システム」にインプットしたプログラムに含まれたもの=「アンバランス解消プログラム」であるかも知れないのです。

物質は、絶え間ない変化の過程で一時的にせよ常に相対的安定を保とうとする=バランスをとろうとする、つまり時空の絶え間なく変化する歪みに沿って運動します。丸太の一本橋をどうしても渡らなければならない場合、そこの時空は歪んでいます。ですから落ちる危険(アンバランスの状態)があります。そこで時空の歪みに沿ってつまりバランスを保って渡ろうとします。時間も歪んでいますから渡る最中は時間を長く感じます。こうした物質(ヒト=物質・質量)の普遍的運動が「アンバランス解消プログラム」の根源です。

だったらなおさらその反逆のプログラムを活用することです。

ここで一例ですが「掃除嫌い」に反逆してみましょう。生徒・学生たちだけでなく大人の大方も「掃除嫌い」です。

「掃除嫌い」は、「ヒトのDNA:遺伝子」にインプットされたプログラムである上に家庭でも学校でも「掃除嫌い」になるように躾・教育(指導、奨励・勧誘、指示・命令)を行っていますから余計にそうなっているのです。

掃除の理由は通常次のように説明されます。

@     よその人が見た時にみっともないから A 不潔だから

B     不衛生だから C 気持ちが悪いから

理由はこれらのほかいろいろありますがまあ大体そんなところです。

無秩序、乱雑さは時間の経過とともに必ず増大します(熱力学の第二法則)。例は無限にありますが時間の経過とともに、せっかく除草してゴミ屑を片付けた庭にはたちまち雑草がはびこり、ビニール片や紙屑などを空気が運び込みます。また掃除、整理・整頓した住まい、学校の教室・廊下などはその直後から汚れたり、乱雑になっていきます。いくらやってもきりが無い、「チェッまたかー」ってことになるわけです。

圧倒的多数の人は「掃除嫌い」です。「掃除好き」の人はごく少数で周りからは表向き誉められますが、(おおやけ)の場を大勢で掃除、整理・整頓をする場合などは周りから内心「きれい好き、物好き、変わり者、潔癖症?」と思われています。

上記の@〜Cも事実からスタートしない「時代劇の時代の常識・良識、センス」の典型の一例です。これで掃除を躾・教育(指導、奨励・勧誘、指示・命令)されても元来「掃除嫌い」のヒトがいっそう「掃除嫌い」になっても当たり前です。いま生存中の大人の殆ども「口には出さない体験だった」筈です。


< 「掃除」はヒトが無数に殺し、傷つけ、

壊したものへの「感謝と愛」 > である

ではどうする!?

それは単純で簡単です。すなおに事実からスタートすれば良いのです。

その事実とは、前記(2頁)の「1.B・人間は万物の殺し屋、壊し屋」です。

まずこの単純な事実を大人が嬰児、幼児、生徒・学生、若者たちの心身に納得させうる知恵が試されているのです。

無数に殺し、傷つけ、壊した対象のおかげでヒトは生存していけるのですから、そうした以上それらを大事に、大切に扱い、可愛がってあげることです。ヒトがそのようにした対象へ人間としての「感謝と愛」を注ぐことです。

「感謝と愛」=無数に殺し、傷つけ、壊した対象を大事に、大切に扱い、可愛がってあげることの内容を要約すると次の@〜Dになりますが

「掃除」はその「感謝と愛を注ぐ」ための大事な中身です。

@残飯を極少化する。調理した分の半分以上を残飯にするなんて「万物の霊長の傲慢さ」の極致です。

A使えるものは使えるまで使う。

B使える間はできるだけ可愛がってあげる。つまり「掃除」などの手入れをしてあげる、触ってあげる(触るのは愛を伝え注ぐ一つの方法です。)ことです。

例えば立派な家屋も空き家にしておくと早く老朽化してしまいます。なぜなら、せっかく立派な家屋を作った(調達された多数、多種類の建築資材はすべて人間が「殺し、傷つけ、壊し」て作った)にも拘わらず住むこともせず、したがって触ってもあげず冷たくすげなくするからです。

しかし、あばら家でも住んでさえ居ればかなり、驚くほど長く使えます。これはそれなりの「掃除」など手入れがなされ、たとえきたない手足でも毎日その住まいのあちこちに触って、つまり可愛がってあげているからです。

C残ったもの・使い切ったもののリサイクルを徹底的に行う。

D「殺し、傷つけ、壊し」は必要最少限にする。

それにしても人間の「万物の霊長意識」、「儲かれば、能率・効率がよければの傲慢さ」はまだなかなかの健在振りです。

嬰児、幼児、生徒・学生、若者たちにとって「大人の相も変わらぬ幻想、錯覚、妄想」(7頁@〜Cを含む)で無形、有形に躾・教育(指導、奨励・勧誘、指示・命令)=マインドコントロールされることは、まことにもって迷惑なことです。

ここでも重要なのは人間が「幻想、錯覚、妄想」を削ぎ落として「ヒトがDNA:遺伝子」にもっとさらに反逆することです。そのロボットで有り続けることを拒否することです。

「人間は万物の霊長」という意識は、人間の、とりわけ「大人の幻想、錯覚、妄想の根源」であり続けています。


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