2.「戦争・紛争、個人によるすべての人殺し」をブラックホールへ封じ込めましょう。

「ヒトがヒトを殺す」は、「ヒトのdna:遺伝子」が自身のより恒久的生存を実現して行くためその進化をより有利に促進するよう、「ヒトのdna:遺伝子」へ組み込んだプログラムにより発生します。「憎まれ子国にはびこる」

そうはいっても個人レベルでの人殺し、縄張り内の反乱・不服従による人殺しを認めると、よその縄張りと争う場合に自分たちの縄張り内の結束が乱れて不利になる、また縄張りが維持できなくなるのでこれらの人殺しは、縄張り内の都合上オキテとして禁止したのです(刑法等のその他の罪も同様の意味も持っている。)。この場合の死刑・処刑=人殺しは、縄張りの長・幹部・執行人はやっても良いとされています。それ以外の個人には真に不可抗力の場合を除き禁止としたのです。

はかなきは dnaにあやつられ 他人ひと)を殺せし 人の世のヒト

(短歌雑誌・みぎわ1999.6月号p46被採録・筆者投稿)

この他にも理由があって個人レベルの人殺し、縄張り内の反乱・不服従による人殺しは現在も禁止されていますが縄張り争い=戦争での人殺しは認められています。そればかりか縄張り争い=戦争での人殺しを大量に上手にやった者、またその指導・指揮をした者には縄張り内からの表彰があり、褒美が授与されます。これについて人類の大方は、賛成あるいは不賛成であっても結局のところ黙認、容認というのが実態です。要するに人類の大方は人殺しを容認しているのです。

    戦争の 殺しはよしとする限り ヒトはロボットDNAの

ヒト群れは dnaのロボットらし 人の血流す力の満ちて

(短歌雑誌・みぎわ1999.6月号p46被採録・筆者投稿)

誰かが人殺しをやったから俺の人殺しも認めろ!? 最近中国、欧米の過去数千年にまでさかのぼり、その大量殺戮・切り取り強盗の繰り返しを詳細に強調している本も出版されています。それなりに「相当説得力ありげ」の内容です。しかし「だれかが繰り返し大量殺戮・切り取り強盗をやったんだから、程度の低い?やさしい?俺の大量殺戮・切り取り強盗はそんなに責めるな」とでも言いたげなことでは、いつまでたっても「ヒトはdnaのロボット」から抜け出ることはできません。この国の優れた輸出力の実績は、憲法第九条の積極的輸出にも存分に活用できる有効なエネルギーです。これもエネルギーの有効活用です。

人を殺してはなぜいけないのか?」 最近あるtv番組でこの質問が若者から出てきたのは不思議ではありません。誰しもが納得できる回答、説明はあったのでしょうか?

「人の命は地球より重い」と大人は言っています。


地球より 重くしばしば 鴻毛こうもう 変わり身速しヒトの命は

(同前1999.6月号被採録・筆者投稿)

嬰児、幼児、生徒・学生、若者たちは大人の建前のウソ・都合を直感で見抜きます。甘く見ては大人の困難は増すばかりです。

芸術などいろんな分野で「ロマン」という言葉が盛んに使われています。しかし人間にとって最高・ベストのロマンとは一体何でしょう? それは、「すべての人殺し」を無くすこと・ブラックホールへ封じ込めてしまうことです。

個人の無限にランダムな行動の中での「人殺し」を防ぐことは非常に困難ですが、人間社会の組織構造面では「人命の安全生存システムの確立」を実現すれば大量殺人の偶発をも防止することは可能です。

個人レベルだけでなくむしろ組織レベルでシステムとして「人殺しを実効的に防止する」ことができた時こそ、ヒトが本当の意味で「人間」になる時です。人間にとってこれ以上のロマンがあるでしょうか!?

人命の 安全生存システムの 確立こそは ベストのロマン

(短歌雑誌・みぎわ1999.12月号分・筆者投稿採録

ここでも前記(2頁)1.と同様に、重要なのは人間が「幻想、錯覚、妄想」を削ぎ落として「ヒトのDNA:遺伝子」にもっとさらに反逆することです。そのロボットで有り続けることを拒否することです。


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