Vulger language

最近「喜怒哀楽」って人から感じなくなったと思いませんか。もっともっと表現力豊かに
色々なことを言ったり聞いたりして、喜んで、怒って、哀しんで、楽しみたいものです。
決して私は表現力豊かな書き方が出来ませんが(笑)自分なりの「乱暴な言葉」です。

2002年12月11日
 こんな感情は・・・

 引っ越しが終わった。出来上がってもいない(はず?)家に引っ越ししたと言っていたが、そこを見ても未だ工事中。まぁ、渡してくれたのだから良しとしなければならない。相変わらずの仲介業者であったが中古物件と言うことで、もうこれ以上物を言ったとて仕方ないと鍵を渡してもらった。その日のうちにまとめてあった荷物をほぼ運び終え、数日の工事期間を経て大きな荷物を運送会社に運んでもらいやっと我が家へと越すことが出来ました。今までの引っ越しの中でも一番大変だった、と思う。

 何もなくなった旧家。9年8ヶ月過ごした空間。色々なことがあった住処。新しい生活が始まった場所でもあったし、別れがあったところでもある。そして巡り会いと結びつき。札幌に来て一番長く過ごした場所。空っぽになった空間でしばし思いに耽る。これ以前過去三度このような空っぽになった部屋を見てきたが、こんな思いをしたことはない。周りとの関わりも薄く、惜しまれてそこを出たこともない。大家さんにご挨拶に行くと、意外な言葉でただ驚いた。

 「此処が嫌になって出ていったのでなくて良かった」

 住まいのことではない。土地のことである。札幌でも自然が残された良いところ。住み始めた頃は近所に店もなくどうしたモノか、大変な処へ越してきたと思ったものだが、今ではすっかり気に入って何丁か離れたところであるがそこが購入した場所である。それを聞いた大家さんがにこやかに返してくれた言葉がこれである。「同じ町内だし、これからも変わらずお付き合いをお願いします」とも。嬉しいやら、複雑な気持ちだ。我が事のように、購入を喜んでくれた。

 札幌駅から 10km 圏内で最後に開発された所とやら、割と地価が高めで購買が進まないとやら、価値的にも良いところだとそのあとの話も出たが、価値や利便性を思って購入したのではなく、良いところだと思い買った動機とリンクする先の言葉が心地よく耳に残っている。住んでいる間も大変よくしていただいた事などを懐かしく話し、そこを後にした。その土地の地主で、町内会の要職に常にある。またいずれ会って話をすることもあろう。そのときはどんな話をしよう。

 出来れば、畑仕事をしているときにでも気さくに声を掛け合えたらと、思う。
2002年11月21日
 ノークレーム・ノーリターンでお願いします。(笑)

 最近、ネットオークションに凝っている。我が愛機 PC-98xx もあんまりな金額で取り引きされているのを見て複雑な気分になっている。とは言え、安く手に入るのに越したことはない。当時手に入らなかったパーツを物色しては落札出来るか一喜一憂している。趣味の PC ( hardware 系と言うことにしておこう)や、好きなデザインしか集めないが Zippo などなど何でもある。車など珍しくもなく、驚いたのは土地や建物がオークションに掛けられているのだ。どう取り引きするのだろう。

 オークションをのぞくようになってから気になる言葉が冒頭の「ノークレーム・ノーリターンでお願いします」だ。この他にもある。「ジャンク扱いでお願いします」などもそう。大体、日本語は難しいと言われるのはここからも分かる。それぞれの言葉に対する個々の定義が違うから、もめ事になったりするのだろう。取引が成立すると、相手を評価する所があるのだが、「非常に良い」「非常に悪い」などこれらが記録に残る。評価が下がると取り引きできなくなるかもしれないと迅速な対応を心がける。

 私の中で「ノークレーム」とは、表現が悪いが「どんな状態であっても文句は言うなよ」と言うことであり、それに続く「ノーリターン」は「だからと言って買った品物を返品するなよ」と考える。「ジャンク扱い」に至っては「ゴミ」である。ジャンクの唄いがあるにも関わらず「ゴミを送って寄こすな」とか「全然動かねーじゃねーか!?」は無いと思う。ああいう場所を荒らして楽しんでいる連中以外の方々は、過度な期待を持ってそれに望んでいるのだろうか。

 ある程度のスキルがあってこそ PC PARTS などは購入できるのであって、買ってから廻りに取付方法や更新方法の情報を求めるのも困りもの。「改造はご自身の責任においてお願いいたします」と何処にでも書いてあるのに。(笑) あまりにも冒頭の言葉が溢れていて飽き飽きしている。自身の保守のためか、慣例になっているのか。自分が出品する立場に変わったらどうするだろう。やっぱり書くのかな。「ジャンク扱いにて、ノークレーム・ノーリターンでお願いします」って。(笑)

 つくづく、言葉だけでの表現は難しいな、と考えさせられる場所であります。
2002年11月13日
 9年ぶりの引っ越しが近くなってきた。

 仕事柄、工程を立てるように一度モノに書いてから進めようとする。ライフラインの移転手続きや、引っ越し当日前後の来訪予定や納品予定を組み、Xディへの準備が整いつつある。金融機関の決済も済み、書類上も私の物になったが当の家には売り主が住んでいる。一ヶ月間は貸家として売り主が現在建築中の家が出来るまでの条件付きで貸している。当然、ライフラインの移転手続きをしていると「そこからの連絡はまだないですね」という返事が何件かからは返ってきた。

 元々その新築中の工期にはかなり無理がある。常識的な知識と経験を持つ現場管理者ならば、とうてい引き受けることなどない納期である。本来は関係ない。約束した期日に退去して、私がそこに越せたなら何の問題もない。施工している会社がどんな質の仕事をしようとも、どんな無茶な工期で納めようとも関係がないのだ。しかし、気に掛かる。気がかりなのは、「本当に約束日に退去するのか」なのである。何度も念押しした。その日を約束するまで。売り主の建物は完成しないと思っている自分が此処にいる。

 準備は万端だ。当日まで生活用品を荷造りしておけば、業者が来て荷物を運んでくれる。購入した家のリフォームも手配してあって工事日も確定している。それらの手配もほぼ済んだ。しかし不安は拭えない。どんなに準備しても、どんなにスマートに事を進めてもそこに越せなければ何もならないのだ。こちらの見立てで安心していられる相手と、そうでない相手が仕事でもプライベートでも存在するが、この場合完全に後者である。毎日少しずつ荷物を整理しながらも必ず頭をよぎる。

 こんな思いに駆られるのも、いい加減な仲介業者が介在しているせいか。代表取締役の肩書きを持ちながら、宅地建物取引主任者の資格を持っていない。重要事項説明の当日にそれを告げ、資格名義人の代わりにそれを行うと言う。重要事項説明時に不明点を調べておくようにと頼んだことも、一枚の公的書類も提示せずに口頭で済ます。金融機関決済日の前に精算書を提出する約束も当日に何食わぬ顔で提示する。とどめは売り主と縁戚関係にあること。

 今更文句を此処で書いても仕方がない。Xディは近い。その前に嫌な連絡が来ないのを願う。
2002年09月16日
 順調に事が進むのは良いことだ。

 8月末に大きな買い物のきっかけになるところへ出向く。買えるか、金額の折り合いがつくかなどと考え逡巡していても、気に入ったモノであれば何とかしようと思うものである。業者を自宅へ呼び、打ち合わせをし、金融機関との審査を経て、契約を済ませるまで約2週間である。相変わらず自らの「欲しい物は手に入れる」という条件反射的な行動は、金額が大きくなっても止まることを知らない。

 人の住むところを作るのが飯の種な男が、自らも欲しいと強烈に思い始めたのは2002年の春。条件付きで今の共同住宅へ格安で入居して9年が過ぎ、この春に条件が合わなくなったからと賃料の値上げを告知されてからが一つ。もう一つは・・・やはりお客様の住宅を新築していると、色々な使い勝手や機能を想い巡らし自らの住処を作るときはと考える。半年ほど探して満足する物を見つけ、今は改造に思いをはせる。

 借金の為に働くのは嫌だという考え方は変わらない。テレビのCMでも幅を利かせている消費者金融などを見ると無性にチャンネルを変えたい衝動に駆られる。私自身が借りていたわけではないが、トラウマなのだろう。どこから借りようと金利が違うだけでは?と言う考え方もあるが、月々の賃料と変わらない支払いならばと考えが変わるのだから、考えが変わるきっかけなど分からないものだ。

 何にせよ、払い続ければ自分の物になるのだからという心変わり(?)のもと、あと2ヶ月もすると書類上は自分の物となる物件の図面をCADで書き直している自分がとても笑える。暖房計画やら、電気配線計画やら、水廻り計画やらを残り少なくなった手持ちのお金と照らし合わせながら。アイデアは夢と共に膨らむが、財布は膨らまないとはいつも自分がお客様に心の中で思っていることだと苦笑いする。

 改めて、順調であって欲しいと思う。嬉しい出来事の一つだ。
2002年08月28日
 お客様は、本当に「神様」なのか?

 私は日曜出勤をひどく嫌う。暦で言う赤い日を休むのは国民の義務だと確信している。とは言え、自分の仕事の範疇であれば進んで出勤する。やむなしを思えば、それをつぶして出勤することもある。社内の誰かが休日に当たる日に予定を入れたならば、それをずらしてもらう。騒音などで休日に仕事をすることが少なくなった今、現場で働いてくれている人たちと一緒の休日に休まなければいったいいつ休めるというのだ?

 こんな客がいる。勉強不足で世間知らず。若い夫婦で時間にルーズ。姑息な手段で無償獲得を狙う。昔から事前打ち合わせを行っている段階でトラブルがあった客とは、工事中や工事後もトラブルがなかったことなど一度もないのだ。価格を高いと思っている、仕様の説明がなかった、都合の良いことしか覚えておらず、都合が悪いことは口をつぐみ「いいや、このように言ったはずだ」と口を尖らせる。

 そんな人でも客には違いない。日曜に都合を合わせ、工事の準備をした。が、前日土曜の夜8時を回った時間になってからキャンセル・・・相変わらずの身勝手ぶりである。後日その件で口論になった。宗教が絡む作り物は、アドバイスこそすれどういう形状になるかはあくまで持ち主次第。それを親に言われたからどうしたらいいだろうとは片腹痛い。自分の住む家ならば、自分で決めたらばいいだろう。

 工事の段取りを反故にされ、すまないとは口では言うがアドバイスをして貰えないことへ不満をぶつける。引き渡しが終わり住み始めてから誰がつけたか分からない疵を何とかしてほしいと頼み込む。第一印象とは大事なモノで、打ち合わせの中で意志の疎通が取れ、信頼関係が生まれるとよりよい環境を提供するべく仕事にも力が入る。しかし悲しいかな、一度植え込まれた疑う心は簡単に解消することは出来ないのだ。

 それでも、そこに足を運ばなければならない。それを神様と呼べるのだろうか?本当の神様に失礼である。
2002年08月27日
 縁とは、何処かで繋がっている・・

 知り合いの所に、頼んでいた物が出来上がったと知らせを受けて引き取りに行った。たいそうな出来映えで気に入ったやら、他の話をしていたのだが、そのときに聞いたことのある会社名を耳にした。以前仕事で絡んだことのある名前だった。聞き返すと、結構前からのお得意さんだと言うことで少々驚いた。間違っていないか確認すると、当時仕事で打ち合わせをした方の名刺も肩書きもそのままであった。当時のことが瞬時に回想できた。

 その当時会社に移ったばかりでの仕事で、参考物件があるからと初めての出張を体験したこと、直接管理する立場でなくその仕事を監理するのが主だった仕事だったこと、店舗という不特定多数の人間が出入りする建物の他業者との衝突やその駆け引きの難しさ、現在繁盛していて市内に何カ所か店舗を持って営業していること、それらの建物には関われなかったことなど様々なことが頭をよぎる。

 飲食店舗だったことから、この日会った人間と繋がりがあったと言うことは落ち着いて考えるとそう難しいことではない。同じ職種で同じ業界内での「縁」ということは何度も体験したことがあるが、今回のような異業種から異業種への繋がりは初めてではないだろうか。ましてや、仕事での繋がりがないところでなど皆無だ。どういう経緯でそこに繋がったかは聞きはしたものの、意味がないことだったと後から思う。

 当時の写真入りの名刺を見ながら、不思議な縁を感じた日だ。
2002年08月22日
 もうずいぶん前になる。この業界に身を入れてからほどなく、営業の方に客先のタブーを教えてもらったことを思い出した。「お客様相手でも、業者相手でも、世間話であろうともこの4つは話題として提供してはいけないよ。」

 ・宗教  ・政治  ・SEX  ・野球

 説明を受けたときは若いながらも、何となくだが理解できた。4つ目の野球は苦笑いした記憶がある。

 行きつけの店がある。田舎を出てから定住しているここでずいぶんと長いつきあいである。一月に一度行くのが当たり前になっているが、最近よくお互いの身の上話などもするようになった。そりゃそうだ、行けば1時間以上はいるのだから。いつもは私から電話で予約して行くか、頼んだ物が入荷すると連絡が来て行くのが常なのだが、この日は違っていた。先方からの誘いで出向くと、早い話が宗教団体の話を一緒に聞きに行かないかという内容だった。

 職業柄、宗教ごとに関しても詳しくなくともある程度のことは見聞きしていて知識として留めている。物を作る仕事をしていればそういうお客様とお付き合いをすることもある。積極的な勧誘を受けたことはないが、作る側の立場としては最大限予算の中でその望みを叶えることが満足に繋がるので知識として留めるのだ。その誘いも耳にしたことのある団体だったが、私は断った。弱っているかに聞こえるような話をするとこの手の誘いがあるのだろうか。

 前に職を失っていた時期に、知人から「あなたの知識と技術が役立つかもしれないから会って話を聞いてくれないか」と言われたときはいわゆる「マルチ商法」の誘いだった。もちろん断ったし、その知人にも説教した。分からなかったらしいがそれでは済まされない。信仰の自由を妨げたり、否定することはしない。それぞれ個人の自由だから。しかし自分から誘いに乗ってそれらに身を委ねることは無い。強くありたいと自分では思うから。

 弱いから信仰するとも思っていない。自分は漠然としているが強くありたいと思うし、強くなりたい。逆に強くなればなるほど弱くもあり、臆病になっていくモノだとも思う。それは成長の証なのかどうかも分からない。だが、弱っている姿を見られたり聞かれると不思議なくらいこの手の話がやってくるのはどうしてだろう。普段気が強そうに見えて弱く見えない人がそうなっているようだと感じるとチャンスと思うのだろうか。

 その行きつけの店に行くのはやめないし、その人は純真な信仰心を持って誘ってくれたものとも思いたい。


戻る