ニュースの現場を訪ね歩く旅@

年末年始
中国・北朝鮮国境を行く旅

2003.1.2.吉林省・図門にて撮影。この碑の後ろには豆満江が流れており、それを超えると北朝鮮だ。マイナス20度の寒気が、カメラのファインダーを握る手を突き刺す。

 

何故こんな時期に中国・北朝鮮国境なんかに?(旅行の動機付け)

今年の年末年始はカレンダーの並びがよく、10連休を取ることができました。また、運良く懸賞で東京−大連間の往復航空券をいただいたこともあり、極寒の中国東北地方を旅行することにしました。今回のメインとなる都市は、吉林省・延吉(えんきつ・エンギル・Yan-Ji)。朝鮮族の多く住む延辺朝鮮族自治州の州都である。1月の平均最低気温はマイナス20度、平均最高気温でもマイナス7.2度という極寒の地である。

昨今報道などで、北朝鮮問題が取り上げられている。貧困にあえぐ北朝鮮の市民が、豆満江を渡り中国へ脱出するいわゆる「脱北者」たちの存在がクローズアップされ、彼等が第三国へ出国したり、また大使館に駆け込み、亡命する前の一定期間を潜伏する街として、延吉の名前はたびたび登場してきた。

連日ニュースで取り上げられる北朝鮮という国はいったいどんな体制の国なのか、そして、何故人々は危険を冒して北朝鮮を脱出しなくてはならなくなったのか?という社会的興味が根底にあり、いつかこの目で北朝鮮という国を実際に見てみたいという気持ちはあった。しかし、実際に北朝鮮に入国することはたいへん手続き上難しく、資金的にも困難である。ならば、中国の国境付近からこの国の問題を考えてみようというのが、今回の旅の大きな目的であり、一つのジャーナリスティックな試みでもあるのだ。

以前、韓国・ソクチョの統一展望台から、北朝鮮を眺める機会はあった。あの時は、南北の軍事的緊張の只中にもなんとなく観光者的な気分で北を眺めるという感覚が私自身の中にも、またそこを訪れる周囲の人々たちの様子にも窺えた。しかし、今回行く中国・北朝鮮国境はまったく観光地でもなく、また軍事的な緊張感もないが、貧困にあえぐ人々が生命を賭けて脱出する場としての、緊張感が漂う空間なのである。そういう空間に自らをおいてみて、何が見えてくるか、何を感じるのか?。

 

また、延吉では、街のいたるところにハングルの看板があり、中国語よりも朝鮮語が広く話されているため、中国という大国でありながら朝鮮のスタイルの暮らし方が見れる。大国の中での少数民族はどのような立場なのだろうか?決して単純には割り切れない、混ざり合った感じのする光景に興味を持った。

 

主な行程と移動手段


午前 午後 夜・宿泊地
2002年12月27日 (金) 京成で成田へ。世間では今日が仕事納め。私は年休。

成田→大連 ANA便。

わずか3時間で大連到着。空港→ホテルは空港で客ひいてたタクシーに乗ったため、40元取られた。(本当は30元ぐらいでいける。)

・タクシーで駅前へ。スイスホテル下のマイカルへ行って、時計を買う。(腕時計忘れたから)

・FAXで予約を入れていた、大連中国旅行社へ列車の切符を取りに行く。担当の丁寧さんは、流暢な日本語を話すので、スムーズにチケットを発券してもらえた。

 

国航大夏(Air China Hotel)、安くまあまあのホテルなのだが、空調が少し寒い。また、夜「女いりませんか?」と電話がかかってくるし、またドアをドンドンノックしてくる。これには少し参った。中国民航(Air China)のフライトアテンダントや、乗務員が利用するホテルなので、ロビーには制服姿の人がたくさんいる

・天天漁港というレストランで食事。シーフードがうまい街

(大連・中国国航大夏)

2002年12月28日 (土)  

・朝起きて、体が重かったのは、たくさん着て寝たから?寒いんだよ部屋が。

・ラマダホテルのヤムチャへ行く。ヤムチャの黄金法則を生み出す。それは、前菜→濃いおかずになるもの1、中菜→えびギョーザ1・シューマイ1、ショーロンポー1、メイン→おかゆ1、デザート→タルト1で食うと、栄養バランスというか、ヤムチャのおいしいところがすべて満喫できる。

・ロシア風建築の並ぶ街へ行って、写真を撮影する。 ・労働公園へ行って、夕景を撮影する。リフト乗ってる途中寒い。

・民航大夏の健康サウナ+中医マッサージに行く。100元で60分間もくもくとマッサージしてくれる。暗い部屋に通されるが、本当に何もない健康マッサージでした。ずいぶん体が楽になる。

・あんまり食いたいものがなかったので、下の食堂でビールだけ買って、部屋でカップヌードル食う。池袋にいるよりさもしい夕食。

(大連・中国国航大夏)

2002年12月29日 (日) ・ホテルをチェックアウトし路面電車にて駅へ向かう。途中、王府子というレストランで餃子を食す。にんにくがきいていた。

・大連のバスや路面電車の運転士はほとんどが女性である。

開発区へ行く。最近開通したばかりの市内と開発区を結ぶ高速鉄道に乗っていく。開発区は多くの日本企業の工場が集積している地区である。高速鉄道は香炉礁駅〜金石灘まで走っており、開発区は途中駅で、約30分。10元。

・帰りは金馬路を頻繁に走っている身にバス(5元)に乗って帰る。

 

・北京へ列車(T83次)で移動。寝台車両は最新の物で、新鮮なニオイがした。ベッドもトイレもきれいだ。20:34分に定刻に出発。演歌のようなリズミカルな中国サウンドがスピーカーから流れる。コンパートメントの相方はおばさん。大連で隣のおじいさんが部屋を代わってくれと言ってきたのでそうした。本を読みながらあとは、ひたすら寝る。起きたら北京だった。超寒い。             (車中泊)

 

2002年12月30日 (月) ・朝6:08着なので当然外は真っ暗。おまけに超寒い。真っ暗な中、ざわざわと混雑する北京駅を後にし、地下鉄で前門へ。電話で予約していたレインボーホテル(新北緯飯店)を目指す。

・かつて日系のホテルだったこともあり、BSでNHKもみれる。壁も汚く、設備もそんなにいいとはいえないが、なぜか安心感のあるホテルだ。

・ホテルの前の食堂でヤムチャを食べる。店員の女の子が「ヤムチャ・タベル?」「オカユタベル?」と日本語で話し掛けてきて楽しかった。

・寝台での移動の疲れを取るために、昼過ぎまで寝る。昼寝っていいですね。

 

・1年半ぶりの北京。ワンフージンを散歩する。ワンフージン小吃街で、イカ焼きや、ラム肉の串焼きをかじりながら散歩する。新疆ウイグル自治区から出てきた人々が、こうした串焼き屋をたくさん出している。活気のある街。

・天安門広場を散歩して、西単へ移動。何回も来たことがあるところだけに、また「今回も来ましたよ」とお参りする気分で毛沢東の肖像画を見る。

・前門にある、「都一処」というシュウマイのお店でチンタオビールのみながら、三鮮シュウマイを食す。三鮮の中身は秘密なのだとか?

・ホテルでNHKのBSをみる。日ごろ真剣にNHKを見るひまがないので、面白かった。夢路いとし・喜味こいしの漫才をやっていた。

(北京・新北緯飯店)

2002年12月31日 (火) ・朝前門周辺を歩いていたら、万里の長城へ行くツアーバスが11時から出るという。50元で、万里長城八達峰と、明十三陵を周り、帰ってくるという内容のもの。ガイドはつくのだが、当然中国語。ガイドは大学生のようで、若干英語もしゃべれる。記憶力抜群で、30分間何も見ずに、ひたすらこれから行くところの概要や歴史をしゃべりまくっていた。(「発達峰遊1」という英語のバスの看板が出ています。)

・行きも帰りも北京市内は超渋滞するので、随分と時間がかかります。

・八達峰に6年半ぶりに来た。初めて外国に行ったのが北京だったので、すごく印象に残っている場所である。

・この後、日本人の3人組の男たちが、バスの集合時間になっても姿を現さなかったために、ツアーバスは容赦なく出発した。「たぶん日本人だから自分らで帰ってこれるだろう」とか言われてた。

・夜、ホテルの食堂で中華料理を食べ、スペアリブの炒め物と揚州チャーハンを食べる。もちろんチンタオビールも

・部屋で紅白歌合戦を見る。年越しの瞬間を迎える。中国は1時間時差があるので、まだだが。中国の年越しの瞬間のテレビは、CCTVでは、江沢民国家主席の演説を放送し、上海のテレビでは、上海市長の年頭のあいさつを流し、北京の地元局がカウントダウンの中継をやっていた。日本帰ってから、ナイナイの岡村が火の中に飛び込む番組を見たが、中国ではそんな年越しバラエティはほとんどない。

(北京・新北緯飯店)

2003年1月1日(水) ・ホテルをチェックアウトして、京広新世紀大飯店の「満福楼」のヤムチャを食べに行く。この店は、一昨年夏、モンゴル行った帰りに立ち寄ったお店だ。一品一品が丁寧に作られているために、見栄えも良く、芸術品のようなヤムチャを出すお店だ。今回も訪問してみることにした。

・市内バスの中で、道を聞いた人と少し世間話をした。なんでも、中国では休日なのは元旦だけで、明日2日には仕事が始まるという話などした。やはり、この国は旧正月をメインに祝うらしい。

・市内のいくつかの光景を撮影する。

・ホテルへいったん帰り、荷物を取り、西単の民航大夏前のバス乗り場へ。そこから、北京首都機場へと向かう。

中国北方航空・延吉行きにチェックイン。機材はMD82。

・この時点で、延吉から大連に戻る飛行機や列車の手配が済んでいなかったので、空港のカウンターで空席がないかどうかきいてみた。しかし答えは、「メイヨウ(ない)」ちゃんと、大連までたどり着けるのだろうかという不安とともに、飛行機はぶんぶんと飛び立つ。

・飛行機は途中、シェンヤン上空を飛び、延吉へと向かう。上空から見るシェンヤンの町は、暗闇のなかにぽっかりと浮かぶ光のくもの糸のようだった。人口720万の大都市とはいえ、上空から見れば、案外小さいのだなあと思いながら。

 

・空港到着後、案の定タクシーの客引きの囲まれる。地方の空港らしく、ドライバーは必死だ。また、親戚のものを待つ人々が、出口に群がっている。空港は暗く、そして外はマイナス20度

・めんどくさいので、一番早く声かけてきたドライバーのタクシーに乗ることに。大宇ホテルまで50元だといってきかない。ちょっと高いと思ったが、外はマイナス20度の寒気の中、おいていかれるのもいやなので、それで行く。タクシーは相乗りで、大宇ホテルへ向かう前に、いろんなところを転々としていった。街は薄暗く、いたるところに中国語とハングルで書かれた店の看板が目に付く。なんだか別世界に来たような感じだ。

・無事にホテル到着。大宇ホテルは、韓国の資本で、延吉で最も高級(設備的には4つ☆だが、なぜか5つ☆)。長白山への観光拠点として、夏には韓国からたくさんの観光客が来るのだろうが、こんな冬の極寒の時期に来る人は少なく、ホテルはひっそりとしている。       (延吉・大宇ホテル)

2003年1月2日(木) ・ホテルはさすが韓国資本なだけあって、立派な内装だった。冷蔵庫には、朝鮮民主主義人民共和国産の高麗硬泉水(ミネラルウォーター)が入っていた。

・朝食を終え(朝鮮式のビュッフェ)、タクシーで中国国際旅行社(CITS)延吉支社へ行く。大連へ戻るルートを確保せねば。何度か電話したりFAXを送ったのだが、英語がわからず、話が通じなかったようだ。仕方ないので、実際に行ってみて、1月5日までに大連に戻ることのできる切符を買いたい旨を切々と告げる。

・すると、明日の列車のチケットならあるという。3日18:00に延吉を出て、翌日15:30大連着なので、かなりの長旅だが値段は安く、わずか267元。お買い得なので、すぐ手配した。係員に連れられて、タクシーに乗り、鉄道集票所へと足を運ぶ。なぜか手数料はとられなかった。係員とは、カタコトのハングルで会話した。中国語よりもハングルの方がよくわかるらしい。

・しかし、同じハングルでも明らかに延吉の人の言葉は、ソウルで聞く言葉とは違っている。なんとなくモンゴル語にも近いようななまりがあって、何を言っているのかよくわからない。

 

・延吉のテレビ(延辺TV)をみる。子供たちが北朝鮮の子供たちがやるような踊りを踊っているのだが、北朝鮮のそれと比べると、なんとなく統一がとれておらず、へたくその一言につきる。笑顔もバシッときまっておらず、人によってちぐはぐ。なんとなーく、ゆるーい北朝鮮といった感じがする。たぶん北朝鮮が解放され、ゆるーい国になったら、こんな風になっていくんだろうなと思いながらテレビを見る。そう考えると、北朝鮮ってすごい緊張感の漂う国なんだなーと思えてくる。年中マスゲームみたいな国なんだな。

・またテレビでは正月なので、新春歌合戦のようなものをやっていた。オッサンがギャグをやっていた。うまく言葉では伝えられないけど、そのときは面白かった。

・無事に大連へ帰る足を確保したので、昼飯を食うことに。朝鮮冷麺を食べることにした。そこで、延吉の中心部にある、冷麺屋へと足を運ぶ。メニューを見ると、冷麺の他に、「温麺」というのがある。この寒いのに冷麺はないだろうと思ったので、これを食べる。(8元)単に、冷麺をあったかくしたもので、味は変わらない。

・この辺りは、朝鮮風の料理が多く、どんな店に入っても、かならず前菜にキムチが出てくるようだ。キムチも、韓国のものとは違って、ゴボウやダイコン等の根菜系のものが多く、北朝鮮の影響が強いのだなあと思った。

・いよいよ、中国・北朝鮮の国境最前線の街、図門へ行くことに。延吉からは、ミニバスで約1時間。隣のオヤジが窮屈だったが、寝てしまえばすぐだ。ミニバスは図門駅に着く。(12元)

・図門の街は、なんだか暗く煙たい。工場から出るススのようだ。少し不気味な感じのする街だ。それは北朝鮮との国境の街であるという主観的な緊張感もさることながら、街自体が古い。新しい建物が一つもなく、さらに、枯れ柳の枝が不気味さを倍増させている。

・豆満江のほとりは、市民公園になっており、子供たちが数人遊んでいた。また、氷で作った滑り台などもあって、ちょっとほっとする。しかし、なんとなく公安関係のスパイのようなやつが常に見張っているようでイヤな感じになる。オレはただの観光客だよ。何枚か北朝鮮国境の光景を撮影して、足早に帰る。

・近くの食堂でキムチチゲを食す。オンドルの部屋でビールを飲みながらボーっとしていると、たぶん物が豊だった頃の北朝鮮の料理屋はこんな感じだったのだろうなーと思えてくる。川一本渡った中国では同じ朝鮮料理でも、こんなにたくさん付け出しが出てくるのにね。

↑図門の街の景色。中国語の上に、ハングルがかかれているのがわかるだろう。

・帰りは列車で延吉へ戻る。(8元)硬座は超満員。どうして、こんな寂しい街にこんなに人がいるのだろうか?と思うほど人がざわざわ乗っている。

・駅からホテルまでタクシーを使うが、この街のタクシーはすべてメーターが壊れており、交渉になる。15元が妥当だと思ったのだが、やはり降りるときに「40元よこせ」と言ってきた。感じが悪いので、ホテルのベルボーイに話をして追い返してもらった。地元の人の話によると、たしかに駅から大宇ホテルまでは遠いので、若干色をつけることがあるそうだが、40元は高いとのこと。

・夕飯をホテルの中華料理屋で食べることに。20時なのに、ひっそりとしていて客は私と、朝鮮語を話すオッサン2人組だけ。なんとも寂しい。

夜ラジオをきいたら、日本の放送がきれいに入る。ニッポン放送や、NHKなど。随分と遠いところに来たような感じだが、ここが案外距離的には日本から近いことを物語っている。若手漫才コンビのオールナイトニッポンをききながら寝る。

(延吉・大宇ホテル)

2003年1月3日(金)  

・最終日なので、ホテルをチェックアウトして街歩きをする。といっても、マイナス20度の延吉なので、さほど歩く速度も鈍くなる。

・「ビール街」というビアホールなどがあるところを歩いてみたが、昼間は休みらしい。川沿い写真を取りながら散歩する。

・「全州屋」というレストランで、石鍋飯を食べる。石鍋飯とは、ビビンバではなく、ただの米を石鍋で炊き、それをキムチなどのおかずでいただくというもの。米のうまさが強調されるために、すごく満足感が得られる。また、石鍋にお湯をそそぐと、石鍋についた米がはがれてお茶漬けが食べられる。これはマジでうまかった。

・メシを食い終わった後、しばらく歩いたのだが、部屋の内部と外気との温度差が極端なため、なんだか体調がおかしくなる。なるべくならタクシーを利用したいことろ。

 

・人民公園に行ってみる。公園にはかんたんなスキー場ができていて、子供たちがそりなどで遊んでいた。さして見所もなくただ歩く。とにかく寒いので、歩いていたほうが暖かい。

・延吉百貨大楼へ行き、お土産を物色する。延吉だけで手に入るという商品はあまりなく、中国のどこの都市ででも手に入りそうな品物ばかりだったので、買い物はすべて最終日に大連ですることに。

・吉林省産のジュースなどもあったが、さして珍しくもないので買わなかった。

・頭が痛くなってきたので、15時くらいに大宇ホテルへ帰ってきて、ロビーで寝る。

・鉄道駅までタクシーで行き、高級候車室で待つ。なぜか、延吉駅の売店にはチ○ポの形をしたバイブが売られており、その横に朝鮮人参の精力剤やら、漢方薬やコンドームやらが売られている。何故こんな公共の場所で?と思ってしまう。ま、一人っ子政策だから、コンドームとかはわかるのだが、バイブはやっぱり、女の人が満足できないからだろうか?。もしくは、最大の避妊法は、独りでやることだという逆説的な思想なのだろうか?一本のバイブに思いを巡らせる。

・大連行き列車は定刻どおり出発。同じコンパートメントには、日本人の男性と、日本語を話す中国人の女性の夫婦が乗っていた。なんでもだんなが嫁さんの実家(延吉)に里帰りに来ていて、帰り道大連まで送っていくとのこと。              (車中・泊)

2003年1月4日(土) ・まだ、列車の中。朝飯を同じコンパートメントの人たちと食った。トマトと卵の合えものがうまかったです。

 

・15時半、列車は大連駅へ。やっと戻ってきたという感じだが、これで旅が終わってしまうのかと考えると少し寂しい。

・駅前の「渤海明珠大飯店」へチェックイン。28階の部屋は、眺めが良く、駅の裏から港の方まで良く見える。

・最後の日なので、マイカルにお土産を買いに行く。ひまわりの種やら、ピスタチオなど買う。

 

・その後、「野力肥牛火鍋城」というシャブシャブ屋へ行く。これが中国最後の晩餐なので、すこし豪華に頼みすぎた。豆腐とか残しまくりだった。

・やはり夜に「女の人いりませんか?」という電話がかかってくる。これは、中国のホテルの定番サービスなのだろうか?プーヨーといって電話をきる。

・ここは、やはり日本のテレビが入る。夜中眠れなかったので、ずっとテレビを見ていました。

(大連・渤海明珠大飯店)

2003年1月5日(日) ・朝ホテルの食堂でヤムチャを食べて、チェックアウト。少し駅前を散歩する。郵便局で手紙を出したり、写真をとったり。 ・タクシーで飛行場へ移動。あまっている中国元を日本円に両替した。目分量で3000円を渡され、レシートを要求すると、ないといわれた。あまり態度のレートもよくなかったので、空港の両替所は使いたくない。

・大連の空港は軍民共用なので、戦闘機がどんどん離着陸していく。戦闘機は着陸後、パラシュートを開いて機体を止めるという訓練をしている。写真撮影は厳禁のようだが、日本の団体客が写真を撮っていた。が、空港職員も見てみぬふりだったので、そんなにうるさくないみたい。

 

・ANA便にて、成田へ。着陸の際、天候が悪く少し遅れた。

・京成で池袋へ。機内食のソバが妙にうまかったので、池袋の立ち食いソバで、この旅行シメ!!