永遠の孤独



「碁の神様って孤独だな」
不意に呟かれたヒカルの言葉が耳について離れない。まるで心に刻み付けられたように。




 昼に『囲碁サロン』で聞いたヒカルの言葉の影響だろうか、ふと目が覚めた夜中、
水を飲みにキッチンへ向かった途中で、一人碁盤に向かう父の姿にそれが重なる。

 第一手目を打ったまま、まるで相手の打つ手をまっているような行洋。
 今の行洋に並び立つ相手は誰もいないのだろうか。
 対等に打つ相手のいない碁の神のように。
 かつて自分がヒカルを待ったかのように、父もまた誰か特定の人物を待っているのだろうか。

 それとも自分と並べるほどの相手が現れるのを待っているのだろうか。
 どちらにしてもそれは、とても切ない状況だとアキラは想う。
 誰かを待つのは、何かを待つのはとても辛い。いや、辛い、ただそれだけの感情ではないのだけれど…。



 それでも飢えに似た渇望はそれが満足されるまでの間は自分を責め苛む。
 深夜の冷えた空気にだろうか、上になにも羽織らずに来たアキラは小さく身震いをした。
 アキラは碁盤に向かう父の姿から視線を外し、そっと物音を立てないようにその場を後にする。

 『碁の神様って孤独だな』 と言ったヒカルの言葉を思い出しながら、キッチンに着いたアキラは食器棚から取り出したグラスに蛇口から水を汲む。グラスに注がれる水の冷たさに少し眉を寄せた。

 ヒカルは時々とても突飛な発想をする。アキラが考え付かないような発想は時に新鮮な感動を与えてくれた。

 今回も。
 神の孤独など考えた事もなかった。
 ヒカルが見かけによらず意外にロマンチストなのか、はたまた自分が筋金入りの現実主義者なのか。

 けれど対等に打ち合える相手のいない孤独、それに近い想いはかつてアキラも味わったことがあるから、その想いは分かるような気がする。神の思いに見当が付くというのも、かなり不遜な気がするが、孤独を感じる感覚があるのなら、神も人間とそんなに変わらない精神構造をしているに違いない。



 アキラはかつての想いを思い出して小さく吐息をついた。
 最もそれだってヒカルに会わなければ知らずにいた感情だったのかもしれないが。
 彼に出遭って、彼に負けて初めて、自分が何を求めていたのかを知ったのだ。
 高い目標を定めて精進していくのも、勿論一つの道だけれど、対等に打ち合える相手のいる楽しさは、言葉では言い尽くせない。碁は相手がいてこそ初めて打つことが出来るのだから。そして対等であるが故に、均衡した力の中で、互いの力を高めあう事が出来るのだろう。

 常に最善の一手を、相手よりも一つでも先を読むこと、それだけが相手に勝つ唯一の方法。
 多分、それこそがライバルを求める理由。
 ヒカルと出会えて、生涯のライバルと思える相手と出会えて、自分は孤独から逃れられた。

 けれどこの先も孤独な人は必ずいるのだろう。
 碁の神を筆頭に。
 永遠の孤独の中で、求め続けるのだろう相手を…。

 アキラは手の中の冷えたグラスの水を一気に飲み干した。



 冷たさが胃に染み渡る。
 まるでそれは神の、もしかしたら父の感じる孤独のように冷ややかだった。



『永遠の孤独』
茉代にしき/著
2002.11.06.UP

2002.11.10.「わた雪のHOMEぺえじ」転載



「わた雪のHOMEぺえじ」20.000打のお祝いに、
茉代にしき様が掌編を書いてくださいました。

WJ47号/168局を題材になさっています。

誰かの(佐為)一手を待つ行洋の姿は、あまりにも孤独です。
それは、もう叶うことがない一手だと
見ている私達は知っているからです。

ヒカルと出逢わなければ、アキラもまた行洋と同じく
打たれる事の無い一手を待ちながら
進んで行かねばならなかったのだと思い至り
彼等が出逢った幸福を悦ばずにはいられませんでした。

ヒカ碁の世界でのライバルというもの…
これはずいぶんとシビアです。
ただ強いだけでは、ライバルに成り得ない。
たんなる障壁はライバルではないのです。
乗り越えて先に進むだけの存在は
ライバルとは呼ばないのでしょう。

進藤ヒカルが塔矢アキラに認められるまでの
あの長い年月を考えると
ヒカルの碁というマンガの根幹には、
これがあるのじゃないかと私は思っています。



にしきさんはヒカアキストでいらっしゃるのですが、
私のサイトへ寄贈する小説を執筆するにあたって
あえて「恋愛」ぬきの塔矢と進藤で書いて下さったのでした。

細やかなお心遣いがとてもありがたく、
また同時に申し訳なく思います。
思慮に富んだ方とおつき合いさせて頂けて
私は大変幸せ者です。

にしきさんの書かれる、らぶらぶ話大好きですので
これからも仲の良い二人を見せてくださいませ(^^)
にしきさんもどうもありがとうございました。

2002.11.10.
わた雪さゆみ 記