★アンケートへの回答のお礼として、頂いたイラスト&小説です。
■ヒカル画&彩色 津川あきさん
■アキラ画 ちいさん
■小説 エルさん
夏コミへ向けて本の制作頑張ってくださいね。(^^)
2003.06.10.転載
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ビーーーッ。
対局室にその音が鳴り響くと、ボクの周りにピンと張り詰めていた独特の空気は
支えを失ったようにだらりと緩む。
あちらこちらで仲間と言葉を交わしながら食事を取る為に外へ向かう棋士達が立ち上がり、
暫くは盤面から視線を外さずにこの先の展開を読む棋士達も居て、
それを傍から覗き込む為に一所へ集まる棋士達も居る。
そんな光景も5分もすれば見られなくなる。
賑やかだった大部屋も、数十の打ち掛けの碁盤が畳の上に並ぶだけの
人気の無い部屋に変わる。
・・・ボク本人の存在を除いては、なんだけど。
そうして静かな部屋で、再びあの音が鳴るまでの間もボクは意識を
盤面に沈めたままで居る。
ずっと昔からの習慣だけに、それが一番心地良いリズムになっている。
今日は不思議な事に真後ろに座る人物も一向に席を立つ気配が無い。
それは彼の普段の行動とは外れている。
いつもなら声を掛けてくる同門下の棋士と連れ立って、
とっくに食事を取りに外に向かっている時間だ。
「塔矢」
その人物は真後ろに座るボクを振り返りもせずに、
前方に向かって響く声でボクの名前を呼んだ。
「何だ?」
何故その人を背中に目があれば、と願うほどに姿を見たいのだろう?
何故その人の呼び掛けにそんな素っ気無い受け答えしか出来ないのか。
前方を向いたままの状態で、限界まで後方を見ようと横に動く瞳に
誘われても、振り向くこともしない。
今日の手合いの席は偶然背中合わせの位置だった。
特に相手の顔を見辛い訳でもないその内容の割には不自然な体勢で、
ボク達の会話は続く。
「市河さんて、甘いもん好きかな?」
「・・・好きだと思うけど」
「そっか。良かった」
何故彼女の名が出てくるのか、さっぱり分からない。
しかも食べ物の嗜好の確認などと云う特に重要でもない質問を、
何故今ここで、なのか。
大体もう数ヶ月進藤と彼女は顔も合わせていないはずだ。
北斗杯の予選を通るまでは『紫水』に来ないと宣言して、それを
忠実に実行している最中なのだから。
どうしてそんなことを聞くのかと問質したくても、意地が邪魔をする。
そんなことは気にもならないと自分にまで虚勢を張ってしまう。
「いつでもいいからさぁ、渡しといて、市河さんに」
背中合わせの席とは云え数十センチは離れている。
進藤が押しやって来た『何か』はボクの斜め後ろ辺りにしか届かなかった。
流石に振り向かないわけにはいかなくて、ボクはその袋を訝しげに見つめた。
どうみても何かプレゼントらしきものが入っていそうなその水色の袋を、
接点の無さそうな2人が何故ボクを介してやり取りなどするのか
さっぱり分からない。
しかも人にそんな頼み事をしてくる割に、なんの説明もないとは
余りに失礼極まりないのではないか?
腹立たしい気持ちが湧く一方で、彼女に渡して欲しいというこの袋には
一体どんな意味合いが篭められているのか、どうしても知りたいとも思う。
聞く権利が自分にあるのかどうか冷静に判断が出来なくて、
ボクは黙ったままで居た。
「頼んだぜ。じゃ、オレメシ食いに行くから」
袋を受け取ろうともせず、なんの返事もしないボクに怒るでもなく、
ごく普段通りの口調で進藤はそう言った。
対局室を出る直前、相変わらず背中を向けたままで呟くように
何か一言言って進藤の気配は無くなった。
・・・訳が分からない。
ボクは暫く袋を見つめて、溜息を吐いてから大き目のショルダーバッグに
それを直ぐに仕舞い込んだ。
これ以上見ているといらない想像までしてしまいそうで、
早く視界から消してしまいたかった。
今日のボクの対局相手は長考するタイプで、持ち時間を使い切っての
投了だったため、普段よりかなり時間が掛かってしまった。
対局が終わってほんの10分ほど感想戦をし、席を立って振り向くと
そこにはもう進藤の姿は無かった。もしまだ其処に居たとしても・・・
きっとボクは何も聞けなかっただろうけれど。
ボクはその後予定している韓国語の語学教室に向かうため、
足早に日本棋院を後にした。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
外が暗くなり始めて、普通の家庭ならもうすぐ夕飯という時間帯。
午後組のお客さんも大分帰ってしまって、夜組のお客さんが
ぽつぽつと来店している。
私は受付で頬杖を付いてカレンダーを見るともなしに見ていた。
毎日この場所から眺めているんだから、4月まであとどれくらいかくらいは
頭にも入っているんだけど。
ぼうっとしているのを北島さんに見咎められて、恋煩いか?なんてからかわれた。
微妙にセクハラ発言だけど、常連さんだからニッコリ笑って軽く流してあげた。
コーヒーのお変わりを頼まれて、私は小さなキッチンに入って
挽いたコーヒー豆の缶を手に取った。
「いっちゃーん、若先生が来たよー!」
久米さんの声が聞こえたから、私は慌てて豆をサイフォンにセットして
キッチンを出た。
アキラ君は受付のカウンターにバッグを置いて、コートを脱いでいた。
私は直ぐさまカウンターの中に入って、手を差し出しながら笑いかけた。
「アキラくん!久しぶりね」
「うん、久しぶり」
アキラくんは12月ぐらいから滅多にここに来なくなった。
進藤くんが暫くここには来ない、と宣言してから直ぐの話。
小さい頃から毎日の様にここに来ていたのに、急に来なくなってしまって
お客さんも寂しがってるのよ、アキラくん。
指導碁を頼みたい人も居るし、北島さんみたいな熱烈ファンも居るし・・・。
だから、出来るだけ此処に来て・・・。
言いたいけど、そうもいかないよね。
小さい頃から知っているアキラくんだから、何となく気持ちは分かるもの。
進藤くんが居ないと、つまらないんだよね・・・。
アキラくんが差し出したコートを受け取ってハンガーに掛けていると、
カウンターに載せたカバンを開けてアキラくんは何かを取り出した。
「市河さん、これ進藤が市河さんに、って」
「進藤くんが?」
その淡い水色の袋を受け取って、プラスチックの凹凸の止め具を外して
中身を覗いてみると、同じような水色の包装紙のかかった箱が入っていた。
アキラくんはカバンを閉めながら、私の表情を見ているような気がした。
「へぇ、進藤くんってこんな気遣い出来る子なのね」
「気遣い・・・?」
「ホラ、明日はホワイトデーでしょ?」
私はカレンダーに目をやりながらそう言うと、アキラくんは小学生みたいな
きょとんとした顔をしてた。
あ。そうか、アキラくんは知らないんだ・・・。
「バレンタインにね、進藤くんにチョコあげたの。
お使いのついでに葉瀬中学に寄ってね」
「・・・そうなんだ。これ、お願い」
アキラくんはいかにも興味なさそうにそう言って、カバンを差し出してきた。
そんな風に何も聞いてこないのが、『気になります』って
大声で言ってるようなもんなのよ、アキラくん?
まぁおねえさんはそれを知ってて意地悪したりはしないけどね・・・。
「アキラくんもコーヒー飲むでしょう?」
カウンターの隅にその袋を置いたまま、私はキッチンに向かった。
此処に来なくなった進藤くんにわざわざチョコを渡しに行ったのには、
別に深い理由なんてなかったの。
ただ、アキラくんの初めての対等のお友達だし、あの子とってもいい子だから。
元気かどうか、久しぶりに顔を見たかっただけなんだ。
校門の近くに路駐して待ってる私を見つけて、進藤くんはすごく嬉しそうに
笑ってくれたっけ。
「どうしたのこんなトコで!久しぶりじゃん」
なんて言いながらね。
「すぐソコだからいいよー」
って断る進藤くんを強引に助手席に乗せて、家まで送ってあげたんだ。
最近の活躍は週刊囲碁なんかでチェックしてたけど、
「調子はどう?」
なんて話を少しして。
私達の共通の話題なんてアキラくん関係しかないから、
自然にアキラくんのことばっかり話してた。
「最近進藤くんが来ないから、アキラくんも来なくなっちゃったんだよ」
「えー?なんでオレが行かないからなんだよー」
「進藤くんと打てないなら、一人で棋譜並べの方がいいからじゃない?」
「・・・ふーん・・・」
「寄ると触ると喧嘩ばっかりなのにねェ」
「それは・・・アイツがオレのことバカにするからっ」
「あら、バカになんかしてないわよ〜。ものすごく評価してるわよ」
「ウっソだぁ〜。なわけねェじゃん」
「ふふ、聞かせてあげたいわね。アキラくんの言葉」
「・・・?何だよ、何つってんの?」
「教えてあげなーい」
「何だよソレ!!!」
もう一回聞かれたら教えてあげようと思ったのに、
進藤くんはそれっきり聞いてこなかった。
それから北斗杯の予選の話をしたり、アキラくんが北斗杯に備えて
中国語と韓国語を習ってるって話をしたりして。
「えー!マジで!?しゃ、喋れないとまずいの?」
なんて驚いてるから、やっぱりなぁって苦笑しちゃったわ。
棋院である手合いの日には顔を合わせてるはずなのに、何も話をしてないんだなって。
「別に大丈夫だろうけど、将来的には塔矢先生みたいに
外国で対局する事も考えられるからじゃないの?」
「ふーん・・・そっか・・・外国で・・・」
「進藤くんも今から習っておいたら?
きっとあなたも国際的な棋士になるわよ」
「え゛ー!外国語なんてぜってームリ、オレには」
「そんなことないわよ」
「・・・アイツに通訳してもらうよ、オレ」
そんな風に言う進藤くんにちょっとビックリした。
ビックリしたけど、なるほどな、とも思った。
そっか。
2人はきっと、ずっと一緒に打つんだもんね。
外国行く時だって、一緒なのかもしれないよね。
ずっと、アキラくんのいいライバルでいてあげてね・・・。
アキラくんと北島さんにコーヒーを出してから、
カウンターに戻って私はもう一度袋を覗き込んだ。
さっきはちゃんと見なかったから分からなかったけど、プレゼントの他に
何か小さな袋とメモみたいなものも入っているのに気付いて、
一つ一つをカウンターに出してみた。
メモを見ると、こう書いてあった。
『チョコごちそうさま。いらないものは塔矢にあげてください』
相変わらずものすごい字だったけど、もう見慣れてるから解読は出来た。
出来たんだけど・・・いらないものって何のことかしら?
水色の包装紙を開けたら、可愛いケースに入ったカラフルなキャンディが出てきた。
これは・・・要るわよ!?
あとはこの薄くて長い短冊みたいな白い袋。
封はしてなくてそっと折り返しを開けて取り出してみたら、それより一回り小さい
菅原道真公をお祀りしている有名な神社の名前の入った包みが出てきた。
・・・いらないもの・・・?
・・・あ。
なるほど、そういうことね。
確かに私にはもう必要なさそうね、進藤くん。
私は苦笑しながら、アキラくんのカバンの横ポケットにそっとその袋を
入れて、北島さんたちと談笑しているアキラくんの後姿を見つめた。
その日、アキラくんが帰る時にカバンを渡しながらこう言ったの。
「ライバルを応援してるのは、アキラくんだけじゃないみたいよ」
不思議そうに『え?』と問い返すアキラくんに横ポケットを見れば分かるわ、と
答えて、私はアキラくんの使ったカップを片付ける為にカウンターを離れた。
あの包みの中身がなんなのか、その時は分からなかった。
(どんなご利益があるのかはもちろん知ってたけど)
4月にまた毎日の様にここに来るようになったアキラくんが、進藤くんを待つ間
いつも読んでいる外国語のテキストを見て分かったの。
「塔矢、ごめん遅くなった」
その声がしたらアキラくんは本をぱたんと畳んでそっけない返事をするんだけど。
さっと挟む栞には金色の文字であの神社の名前が入っていて。
私は最近の神社のグッズの豊富さに感心させられたのだった。
Fin
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