「大丈夫か?」
青白い顔をしてぐったりと俺のベッドに横たわる塔矢にそっと声をかけると、ようやく重い瞼を開け、あいつはこちらを見上げた。
「……あ……あぁ、少し楽になった……」
そうは言うものの、やはり顔色の悪さと気分のすぐれない様子は隠せないようで、塔矢は浅く息を吐くとまたすぐに瞼を閉じて行く。
元はと言えば、人ごみに慣れていないこいつを大晦日の明治神宮への参拝に誘ったのがいけなかったんだろう。
「寒くないか?」
「……平気……だ」
クリスマスを直前に控えたある日、和谷から一緒に初詣へ行かないかという誘いの電話がかかった。詳しく聞けば、伊角さんや門脇さん、他に若手の棋士何人かで、大晦日から元旦にかけて明治神宮へ必勝祈願の初詣へ行くという。俺はその誘いに『行く』と即答していた。
その時たまたま塔矢が俺の横にいて、『何の話だ?』と訊いたから『初詣の約束』と言ったまでのことで、その後に『お前も行く?』と俺があいつに尋ねたのは、どこか取って付けた社交辞令じみた陳腐な台詞でしかなかった。だからこそ、そんな俺の問いかけに、まさか塔矢アキラが『君の邪魔でないなら』などという肯定の言葉を吐くとは思わなかったのだ。
結局、今夜十時過ぎに会った塔矢は風邪気味とかで最初から顔色が悪く、予想通り混雑した車内で貧血を起こして倒れる寸前のところを強引に俺の手でホームへ引き摺り降ろされた。その後、和谷には繋がりにくい携帯電話で何とか連絡を取り、俺は殆ど意識のなかった塔矢をタクシーに押し込み、年末から夫婦揃って温泉旅行へ出掛けてしまった両親不在の俺の家へ連れ帰るしかなかった。
「迷惑をかけてすまない」
塔矢はぽつりと零した。どこかしゅんとした叱られた子供のような態度と弱気な声に普段の塔矢アキラの姿は見る影もなく、ベッドの中でただ小さく身体を丸めているその様子が俺にはとても意外だった。初詣、そんなに行きたかったのかな?
「俺こそ悪かったよ。風邪気味のお前を無理に連れ出したようなものだし」
「僕が勝手に付いて行くと言ったからだろ?」
言われてみれば、確かにそうだ。これ程までに体調が悪いなら、塔矢は最初から断りの電話を入れて来たはずだ。なのにそうしなかった理由は……?
「初詣は人が少なくなった頃に行けばいいよな? また付き合ってやるからさ」
「……そうだね……」
残念そうに呟く表情がどこか寂しそうに見えて、こいつでもこんな顔をするんだと不思議な気分で塔矢の横顔を俺はじっと見つめていた。不意に塔矢の指先が毛布の隙間から覗く。
「窓? 鐘の音が聞こえるけど?」
「除夜の鐘だろ? 近くに寺があるから」
「もうそんな時間なのか?」
「……あぁ。和谷達も無事に着いた頃かな?」
塔矢はゆっくりと身体を起こすと、カーテンを開けても良いかと俺に尋ねた。俺が構わないと答えると、塔矢はカーテンを開け、あまつさえ窓まで開けやがった。エアコンの温風で一度は暖まったはずの部屋が、途端に寒風で満たされる。俺は慌ててハンガーにかけていた塔矢のコートを取ると、細っそりとした肩へかけてやった。
「風邪ひいてんだろ、お前?」
意識させないよう静かに両肩に置いた俺の手に、そっと塔矢が手を重ねる。思った以上にその指先が冷たくて、急いで窓を閉めようとした俺を塔矢は笑って制した。
「慌しい一年だったけれど、終わる前に君に言わなければならないことがある」
「どうせなら、新年になってから言ってくれよ。今だと除夜の鐘のせいで綺麗に取り払われて、なかったことになってしまいそうだ」
そんな風に言うと、塔矢は苦笑いをしながら『そんな煩悩に満ちた話じゃない』と独り言のように呟いた。
「そうだな、今は『今年は最後の最後にお世話になりました。来年も君には負けない』ぐらいにしておこうか」
「うわぁ、ムカツク〜っ」
憎まれ口を叩きあいながら、俺は肩越しにふと塔矢の顔を覗き込んで驚いた。今までに見たことのないような表情で笑う塔矢アキラ。それは良く知っているライバルの顔であり、自分の全く知らない綺麗な人間の笑顔だった。切れ長の目元、薄い唇、きめの細かい白い肌、そんなものに俺はいつの間にか目を奪われていた。
「塔矢?」
心臓の音がうるさくて、俺は自分の声が掠れていることにも気付いていなかった。
「初詣は無理だったけど、後で初日の出を見に行かないか? ちょっと歩けば河川敷があるから」
「そうだね。せっかくだし……」
塔矢は俺の腕の中からするりと抜け出し、改めてこちらを振り向くと、いつもの顔で、射抜くような瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。
「それまでの時間、一局お手合わせ願おうかな?」
「お願いします」
それが俺と塔矢アキラの今年交わした第一声だなんて、俺達らしくてこんな話は誰にも言えない。そんなことを考えながら初手を打つと、目の前の塔矢が盤面を前にした時には見たこともない穏やかで静かな笑顔を浮かべた。
「……ありがとう……今も僕の目の前にいてくれて」
驚きの余り、ただぼんやりとその口許を見つめていた俺から塔矢はすぐに顔を背けると、僅かに俯き加減のままじっと盤面を見つめていた。やがて、その指先から白石が放たれる。
こうして、俺達は今年もまた打ち続けるのだろう。進藤ヒカルと塔矢アキラの関係がどんなものへと変化しようとも、俺達はいつでもこうやって自分を偽ることさえ出来ないまま、お互いに真正面から向かい合って魂をぶつけ合うことしか出来ないのだ。
変わらない想い、届かない想いを抱き続けて……。
"朔" Words by Yohko
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