アイヌ叙事詩による対話体牧歌(1956)

 @ 藍川由美=山口恭範   LD32-5077 1988.2.27

 A 藍川由美=山口恭範    LD32-5078 1988.3.4

 B 藍川由美=中谷孝哉   30CM-391,2 1995.2

 

私がこの曲を初めて聞いたのは昭和57年(1982)で、FM−NHKで放送されたのを聞いた

時だ。残念ながらエアチェックしたテープがどこかにいってしまって見つからず、誰の演奏だっ

たか忘れてしまった。最初の印象はやたら眠くなる曲だった。この曲の最大の特徴はアイヌの

民族音楽を採り入れているところだろう。第2曲目の「ヤイサマネナ」はアイヌの「ヤイサマ

(yay-sama)」から採られている。ヤイサマとは歌のことをいい「自分自身のことを言う」と

いうような意味だそうだ。(萱野茂 アイヌ語辞典より) 実際のヤイサマはキングレコードから

出ている「世界民族音楽集成」かフランスのレコード会社のAUVIDISが出している「CHANTS

DES AINOU」で聞くことが出来る。「ヤイサマ」は女性が歌う叙情歌で「ヤイサマネナ」を何回も

何回も繰り返して歌う。「ヤイサマ」は歌い手それぞれの形があるらしく、同じものは存在しない。

単純な繰り返しではあるがそれゆえに感動的だ。この曲の詩は知里真志保の採録になるもので

ある。知里真志保はアイヌが生んだ天才文学者であり若くして夭折した知里幸恵の実弟である。 

さて演奏だが、@とAは5日違いの演奏でともにライブである。おもしろいことに@は「伊福部昭

先生叙勲祝賀会演奏会」、Aは「藍川由美 伊福部昭全歌曲の夕べ」のライブなのだが、1楽章

がAは@の演奏の録音をそっくりそのまま使用しているのである。理由はよくわからないが、多分

演奏上の問題か録音の技術的問題が発生したのだろう。演奏は全て藍川由美だがその中でも

ベストはB藍川=中谷の最新版だ。AのCDがリリースされた時は正直言ってぶったまげたもの

である。まず「オホーツクの海」が入っていること。これはもともと合唱とオケの曲だ。また「知床

半島の漁夫の歌」はもともとバス、バリトン歌手用の曲だ。ものすごいことをする声楽家がいるもんだ

とその当時は感心したものである。Bはそれから6年経過しての2回目の全集だが演奏はかなり

進化している。どちらかというと旧盤に比べてよりマイルドになった感じだ。この曲の演奏もBがより

こなれた演奏になっていてお勧めの演奏といえる。

 

最後に伊福部の音楽とアイヌの音楽の関係について私見を述べたい。私は伊福部の音楽とアイヌの

民族音楽を安易に結びつけるのには反対だ。伊福部とくるとすぐ「アイヌ音楽の影響云々」という人が

いるが、基本的にアイヌの音楽と伊福部のそれとはまったく異質なものである。幼少時代アイヌの豊かな

文化に触れたことが伊福部の芸術に大きな影響を与えたことは事実であり、作品を理解する上でも

欠かすことの出来ない重要なファクターであることは否定しない。しかし伊福部や作詞家の更科源蔵など

のアイヌへのアプローチはあくまでも「日本人」としての接し方であり、あくまでも「シサム」と「アイヌ」の

関係を超えていないものと私は考える。、我々日本人はアイヌ民族を北の大地から追いやった存在で

あり、日本人からみたアイヌはあくまでも「滅びゆく民」なのである。この視点は伊福部の音楽にしても

更科源蔵の詩にしても残念ながら同じであると言わざるを得ない。更科源蔵本人がアイヌ肖像権裁判の

被告になっていることでもよくわかることである。確かに日本人から見ればアイヌは「滅びゆく民」かも

しれない。しかしアイヌの文化は日本人のそれと比較してもっと豊かでもっと哲学的で、そして力強い

ものである。音楽にしても、その力強さには圧倒される。そこには「滅びゆく民」の弱々しさなど微塵もない。

現代のアイヌを代表する音楽家であるatuy,moshiriの作る音楽を聞いてもその力強さには感動する。

伊福部の音楽を語るとき、アイヌの文化、音楽の影響について触れることは避けられないことである。

しかし、それをストレートに結びつけて論じることは大変危険なことだと考える。ぜひそれをわきまえて

鑑賞していきたいものと考える。

 

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