「知床半島の漁夫の歌」の舞台を訪ねる

(羅臼平から国後を望む)

 

 

知床は私の一番好きな場所だ。昭和60年に最初に訪れて以来毎年足を運んでいる。

第2の故郷と言っても過言ではない。冒頭の写真は日本100名山のひとつである羅臼

岳の登山ルートの途中にある羅臼平というところから撮った国後である。この羅臼平に

しても観光客がよく立ち寄る知床峠にしても天気が悪いことが多くて、なかなか国後をき

れいに見ることが出来ない。しかし実際に羅臼側から国後を見ると「こんなに近いのに日

本じゃないんだ」と誰でも必ず思うはずだ。さて、知床とはアイヌ語でシルエトクすなわち「岬」

という意味から名づけられた。「秘境知床」というキャッチコピーとは裏腹にここも近年の観

光化の波によりもはや「秘境」とはいえなくなっている。カムイワッカの滝へ続く林道は首都

高速より激しい渋滞がおこり、観光客の与えるエサでキタキツネは野性を失いかけている。

更科源蔵の描いた知床は、知床がまだ秘境たりえたよき時代の物語だといえるのではない

か。さて、知床とひとことにいってもウトロ側と羅臼側とでは趣が全く異なる。まず、街の活気

が違うのだ。ウトロ側も羅臼側も漁業がおもな産業であるのだが、ウトロ側は流氷の接岸に

より冬季は全く操業が出来ない状態となる。これに比べると羅臼側は流氷の量が少なく通年

での操業が可能だ。こんなことから羅臼側は街全体が裕福だ。つい最近まで羅臼には都市

銀行最東端の支店である北海道拓殖銀行羅臼特別出張所があった。ウトロには郵便局と

信用組合の支店がひとつあるだけだ。こんなことからも羅臼の経済力がうかがえる。冬季

仕事のないウトロ側はいきおい観光による生き残りを図ろうとする。ウトロ側に巨大ホテルが

立ち並ぶのも納得できよう。さて、更科の描いた知床はどちらがわなのだろう?多分「流氷」と

いうことばが出てこないところをみると羅臼側の漁師の生活を詠ったのだろうと推測される。知

床の漁師は漁の期間中「番屋」と呼ばれる漁師小屋で生活しながら漁を続ける。

(いのちを呑み込む髑髏の目  断崖絶壁の海岸線)

 

この番屋というのが、道路もなく船でしか行けないかなり辺鄙なところにあり、漁師たちは期間中

家族達と離れて生活しなくてはならないのだ。冬季にこの番屋の管理を任されるのが家族のいな

い老人などで森繁久弥主演の「地の涯に生きるもの」(音楽は團伊玖磨)はこれを描いた映画だ。

あと有名なのが武田泰淳の「ひかりごけ」だろう。この舞台になった洞窟も実際に羅臼側に存在する。

さて、この歌にも登場する知床岬だが秘境知床の先端ということで断崖絶壁の厳しい地形を想像され

る方も多いだろう。しかし写真のようになだらかな草原なのだ。ここはその昔アイヌも暮らしていたそう

で、石器なども出土するという。

(石器埋る岬の草地)

 

知床岬への道はなく、船の上から拝むしかない。ただ、羅臼側から海岸線をそって歩けるので好きな人

は2日かけて相泊から岬まで歩いていくらしい。知床での漁というとやはり鮭が有名だがそのほかにイル

カ漁も盛んで東北の漁師がわざわざ出張してきている。また、歌詞にもあるように「海獣」=海馬(とど)の

漁もやっている。羅臼にはとど肉専門の料理店があるほどである。味はくじらの肉に似ていてそんなに美

味ではない。さて、歌の最後のほうに登場する「柴笛(モックル)」であるが実際には「ムックリ(mukkur)」と

いうほうが多く日本語では「口琴」と訳される。このムックリは竹で作られており口にあてて共鳴させ、一種

独特の郷愁に満ちた音を出すのである。このムックリは北海道を旅すればあちこちのみやげもの屋で必ず

目にするので是非購入していちど演奏してみてほしい。私は屈斜路湖畔のアイヌコタンでアイヌのおばあちゃ

んから演奏の仕方を習ったがいまだにうまく鳴らせない。

 

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