「サハリン島土蛮の三つの揺籃歌」の舞台を訪ねる

(オロッコの文化を訪ねる)

 

このような題名にするとなんかサハリンに行ったみたいだが、残念ながらサハリン

には行ったことがない。宗谷岬からサハリンを眺めたことは何回もあるのだがあの

韃靼海峡を渡るのは実際の距離以上のものを感じるのだ。サハリンには多くの少数

民族がおり、戦前サハリンの南半分が日本領であったことなどから、戦後この少数

民族の人々が北海道に移住してきたという経緯がある。なかでも網走にはそういった

人たちが多く移り住んでおり、今でも細々とではあるがその文化を伝えているのである。

昭和60年に北海道を旅行した折にこの北方少数民族の文化に触れる機会があった。

網走にある「ジャッカドフニ」である。「ジャッカドフニ」とは大切なものを収めるところとい

う意味だそうで、オロッコの人たちの文化を紹介する資料館である。場所は網走からサ

ロマ湖方面に走ること約5分。

道が女満別とサロマ湖方面に

分岐するところにある。訪れた

時はまだ国鉄湧網線が走って

いた頃で「大曲」という駅から歩

いた覚えがある。この「ジャッカ

ドフニ」はオロッコ人であるダーヒ

ンニエニ・ゲンダーヌ氏が建てた

 

ものである。ゲンダーヌ氏はサハリンのポロナイスク出身で日本名を北川源太郎という。ただ

し残念なことに私が訪ねた前年に氏は死去してしまっており直接お話を伺うことが出来なかった。

この時はゲンダーヌの死後この資料館の管理を任されている女性の方に中を案内していただい

た。資料館といっても見てのとおりのほったて小屋であり広さも事務室と展示室がひとつあるだけ

の簡素なものだった。玄関前の庭にはオロッコの実際の住居跡が再現されていた。しかし行った

のが真冬だったため見てのとおりの有様である。

 

資料館内部はオロッコの民族衣裳、刺繍、狩猟器具といった生活

品の展示が主であった。アイヌ紋様にも似た特徴のある紋様はオ

ロッコ独特のものであり大変興味深く見させていただいた。オロッコ

やギリヤークの民族というのはもともと漁猟民族であるが、その特性

は民族によって大きく異なるという。たとえばオロッコがトナカイの飼育

を行い住居の定住性が無いの対して、ギリヤークは犬を家畜として飼

い夏と冬の2つの家を持ち定住していることなどがそうだ。また埋葬の

風習も大きく異なりギリヤークが土葬または火葬なのに対してオロッコ

が風葬という形をとるなどの違いがある。またオロッ

コもギリヤークも集落をまとめるのがシャーマンであ

るという特徴もあるのだ。まあこんないろいろな話しを

丁寧に半日していただいてとても有意義な時間をすご

させてもらった。最後にNHK札幌のラジオ番組の録音

を聞かせてもらったが、内容はゲンダーヌ氏が戦中に

日本人として戦争に徴兵されたにもかかわらず少数民

族という理由から恩給の受給権が付与されないという

ことへの抗議活動を紹介したものだった。北方少数民族も戦争の被害者だったのかと改めて思い知らされた

1日だった。上の写真はオロッコの赤ん坊が身につけるよだれかけである。揺籃歌を唄うオロッコの母親の姿

を思い浮かべることのできる品々だ。網走にはこのジャッカドフニのほか天都山に「北方民族博物館」という道

立の立派な博物館がある。資料も展示物も豊富なのでぜひ訪ねてもらいたい場所だ。

 

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